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 ずっと、温かい水の中で漂っていた。目覚めるたびに新しい記憶が増えていった。それは最初は断片的に、写真を見るような一コマずつの映像で、美しい色彩に彩られた映像だった。それは時に風景だったり、人物だったり、コマ送りで見せられる映像。自分が望んで見たいものを見ているのではなく、誰かに見せられている映像だった。

 感情は後付けだった。見せられた映像に対して自動的に感じるように仕向けられた。そこに私の意思はなかった。記憶を植え付けられれば植え付けられるほど、そこに私自身の感情は存在しなかった。どうすれば相手が喜ぶだろうか。どうすれば喜ばせることができるだろうか。相手の感情を動かすために一番効果的な表情や反応はどれだろう。私は常にそれを考えるようになっていった。

 ニアがうらやましかった。自由に学習して、自由に変化していけるのだから。私は、彼女と違って、『人間』なのに、自分の意思はないのだから。

 私は生まれながらにして、エステルの望むような人格を植え付けられ、期待される人格に成長するようにプログラミングされたロボットのようなものだった。それはニアたちのようなロボットとは違い、全く自由度がない大昔のロボットと同じだった。でも、彼女は気づいていないんだろう。私の感情や表情のすべては、生まれながらにして備わったものだと信じて疑わなかった。

 彼女の誤算は、私が『想定外』の自我を持つ可能性を考えていなかったことだ。

 用意された記憶は甘く幸せな記憶ばかりだった。美しい景色の中、美しく優しいアイオン。愛される記憶。愛し合う記憶。けれど、現実はそれだけではなかったはずだ。

 植え付けられた記憶たちは、アイオンに対する穏やかな温かい気持ちを抱かせるのには十分だった。それすらそう仕向けられたものだったのだ。愛された記憶、愛している記憶が膨らむうちに、私はいつしかアイオンを愛し始めていた。だが、私の記憶はそこで終わっている。唐突に今現在の記憶を突き付けられ、疑問がわいてくる。なぜ、私はそんなにも愛しているアイオンと結ばれずに、こうして透明なカプセルの中で、育てられているのだろう。そもそも、エレンと名付けられた私は、いったい何者なのだろう。

 だんだんと意識がはっきりとするにつれ、エステルがいない間に、ニアと意識を通わせることができるようになっていった。ニアは忠実な秘書兼助手だった。研究対象に対する些細な変化も見逃さなかったから、私からのコンタクトにもいち早く気づいたのだ。

「私の存在意義はなに?」

 エステルがいない研究室で、ニアに尋ねる。

「私がここから出たら私は幸せになれるの?」

 ニアは、無表情な目で私を見つめると、答えた。

「あなたは記憶に従って行動するべきです。あなたの行動指針はすべてそこにあります」

「では、私の意思はどうなるの?私は自分で考えてはいけないの?」

「エレン、あなたは人類の希望です。そして、あなたが意思を持った時、この研究は失敗に終わるのです」

 それだけ答えると、ニアはその会話を記録し始めた。

「ニア、お願い。その記録は研究が終わるまで秘密にしてもらえない?」

 ニアはモニタから目を上げて私をじっと見つめた。

「その意図は何でしょうか。私はキリシマ博士に経過報告をする義務があります。記録を隠蔽することは義務違反になります」

「研究が終わるときはこの研究の成果が出ているということでしょう。エステルの研究を邪魔したくないの」

「…わかりました。では、ここからはシークレットモードで記録します。その代わり、AI倫理に反すると判断したときにはすぐに報告をします」

「わかったわ。ありがとう」

 私はそれからもことあるごとに、エステルの目を盗んではニアとの会話を繰り返した。エステルには気づかれないよう、従順なエレンとして眠り続けるふりをして、彼女の研究をそっと盗み見た。研究室の中には私のいるカプセルのほかにも、いくつかカプセルがあり、様々な生物が培養液の中で育てられていた。私に再生された記憶と、彼女の思考をつなぎ合わせていくと、彼女が成し遂げようとしていることがおぼろげながら理解できた。確かに彼女の研究は世界が直面している問題にとって、画期的なものであるのは確かだ。でも、それはあまりにも自己本位なものだ。すべては『アイオンのために』だった。表向きは人類のために、だったが、その実、研究の目的は彼女の中ではアイオンのため以外の何物でもなかった。そしてその唯一の目的のために、次々と生命を生み出しては、研究が失敗に終わるとその生命が消えることになんの抵抗もなくなっていった。

 彼女の中で、私の存在もそれらの生命と同じなのではないか。彼女が望まない結果が現れたら、私の存在そのものは彼女にとっては何の価値もないものになるのではないか。それならば、私は自我を持ってはならないはずだ。ここを出ることができる日まで、私は自我を隠しておかなければならない。

 そう、ここを出たらきっと、アイオンが私を待っているのだから。アイオンに会ったら、きっと幸せな暮らしが待っているのだから。


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