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僕の静かな暮らしに、まるで夏の日差しのようにまぶしい笑顔で、ひょっこり現れたエレン。初めて会ったのに、なぜか懐かしく、無邪気に笑いかけてくる彼女を見て、今まで色のなかった世界が鮮やかに彩られた気がした。
エレンも僕に好意を持ってくれ、そのパーティー以来、頻繁に行き来するようになった。この屋敷の庭園は、執事が立派に手入れをしてくれていたから、季節ごとに色とりどりの花が咲き誇る。新緑の季節は緑が溢れ、木陰でティータイムを過ごすのはとても気持ちよかった。美しい庭と、かわいらしいエレン。ずっとこのまま時が止まったら…そう願わずにはいられなかった。
けれど、幸せな気持ちで満たされれば満たされるほど、彼女は僕について何も知らないから僕に好意を寄せてくれたに違いない、僕の秘密を知ったら、きっと彼女も離れて行ってしまうだろう、そんな不安が膨らんでいった。共に過ごす時間が長くなればなるほど、このままではいけないという気持ちと、いつまでも一緒に過ごしたいと思う気持ちでおかしくなりそうだった。
そうこうするうち、メルセンヌ侯爵からも、娘と結婚をしないか、と持ち掛けられ、僕は悩んだ。エレンとの毎日は、本当に心地よかった。でも、結婚し、これから何年か先、エレンが僕の秘密に気づいたら…僕はそれでもエレンを幸せにできるだろうか。
本当に迷った挙句、僕はエレンをあきらめることにした。またしばらく、そう、エレンがこの世を去るまで、どこか遠く離れたところで暮らせばいい。そのうちメルセンヌ家の人々も、僕のことなど忘れて、エレンはどこかの貴族のもとへ嫁いで幸せに暮らすだろう。
そう考えた僕は、執事に屋敷の管理を頼んで、メルセンヌ家から尋ねられても何も言わないでほしいと言い残し、そっと姿を消した。
それから数十年の月日が流れ、風の便りに、エレンは僕の望んだとおり、ごくごく平凡に嫁いで、子どもにも恵まれ、幸せに暮らしていると聞いた。
こっそりと屋敷に戻ると、執事は代替わりしていた。父親から話を聴かされていたのか、僕が戻っても、さして慌てることもなく、自然に迎え入れてくれた。屋敷はきちんと手入れされており、僕は懐かしくも、悲しくもなった。エレンとの思い出が当時の風景そのままの屋敷のあちらこちらに残っていて、胸が締め付けられた。
季節は春だった。この屋敷の周りを囲んだ桜もちょうど見ごろだった。感傷にふけりながら、桜を眺めていると、遠くから誰かがやってくるのが見えた。目を凝らすと、年老いた貴婦人だった。ゆっくりとした足取りで、屋敷に向かって歩いてくるその姿を見て、僕はハッとした。
それは、まぎれもなくエレンだった。
「あなたは…アイオン…?そんな、バカな…」
僕に気づいたエレンは、ひどく驚いた様子で立ち止まった。僕は真実を告げるべきか迷った。彼女は僕の話を信じてくれるだろうか。僕が彼女を捨て、いなくなったことを許してくれるだろうか。
「アイオン…あなたなのね?あなたは、やっぱり、あの時の天使だったのね」
エレンの目から涙が零れ落ちた。
そうか。僕はすっかり忘れていたけれど、エレンとはあのパーティーの前に一度出会っていたのだ。
桜吹雪の中、風で帽子を飛ばされた少女。
僕が拾った帽子を受け取った少女。
そう、あれがエレンとの出会いだったんだ。




