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何か帰って来たら、部屋に生首の幽霊が居るんだけど!

作者: 糸真希

 




 女は仕事帰りにスーパーで買った、弁当とビールを片手に鍵を開け部屋に入った。ガチャリと音を立てて扉が閉まる。

 いつもだったら扉が閉まる前に明かりを点けるのだが、女は部屋にある違和感に動けずにいた。

 1Kの賃貸アパート。玄関の横にキッチンがあり、その正面にユニットバス。廊下は無く狭い部屋があるだけ。ベッドとテーブル、テレビ台の上にテレビが置いてある、いつもの我が家。

 だが、ベッドの上に見慣れぬ何かがあった。横顔……?現実として受け入れ難い光景に、女は電気も点けぬままスマホを取り出した。


『何か帰って来たら、家に生首の幽霊が居るんだけど!』


 友人にメッセージを送ると、すぐに既読がついた。


『なにそれw幽霊?見えてても見えないフリすると良いらしいよ。あとは、びっくりするほどユートピアとか?w』


「……ったく……」


 面白がっている返信に、気が抜けた女は電気を点けビールを冷蔵庫に入れた。キッチンに弁当を置くと、ベッドの方は見ずにシャワーを浴びる事にした。


 髪も乾かさずに、ユニットバスから出た女は弁当を温めるとテーブルに弁当を置いた。生首はまだ居る。変な髪形をしていると思いながらも、そちらを見ないように床に座った。

 女はテレビを見ながら弁当を食べ始めた。今日は豚トロを塩ダレで味を付けた丼物だ。野菜は足りないがあまり気にしていない。女は缶ビールを開け喉を鳴らした。

 テレビ番組はお笑い芸人が沢山出ていて明るい雰囲気のものだった。女はテレビを見ているうちに、後ろの生首の事など忘れていた。


 ……忘れていたのに、目の端に見える位置に生首が移動している。しかも、その生首は女を見ているようだ。女は気にしないようにテレビに集中した。生首は女を困惑した表情でまじまじと見つめている。

 部屋の中に、お笑い芸人達の笑い声が響く。

 ……ああ、視線がうるさい……女は気にしないように努めているが、生首の視線に根負けしそうだった。


「……化け物か?妖怪か……?」


「おい!誰が化け物だよ!?アタシはちゃんと人間だ!お前こそ幽霊なのに成仏もしないで、勝手に家に入ってくんじゃねえよ!」


 生首の失礼極まりない言葉に、女は我慢出来ずに反応してしまった。成仏していないから幽霊なのだが、女はあまりよく考えずに捲し立てていた。


「やべ……」


 後悔してももう遅い。目の前の生首は、女の怒鳴り声に固まっている。

 それにしても、あまり綺麗とは言えない生首だった。とはいえ綺麗な生首など見た事は無いし、生首自体見た事など、女には一度もなかった。

 生首の丁髷が解けたような髪型は、剃ってあったであろう頭の天辺は髪が伸びてきていてだらしない印象を与えてくる。髭も同様にだらしなく生えていて、顔は血や泥で汚れていた。顔の造形は悪くもなく良くもない、ただ、少し気弱そうな印象を女は持った。


 固まったままの生首を目の前に、女も固まっていたが、体をテレビの方へと向き直した。生首に怒鳴った事を無かった事にして、弁当を食べ始めようと箸を持った時だった。


「其方、本当に人間の女子(おなご)なのか?耳に着けているのは何じゃ……?髪も短く……刈っておるではないか……」


 女は両耳にピアスを沢山開けていた。髪は明るく銀色に染めており、ツーブロックにしていた。確かに丁髷の時代には、このような姿の女性は居なかったであろう。


「うるせぇな。別に良いだろ。好きでやってんだよ」


「人間か……?」


「人間だって言ってんだろ!うるせぇから出てけよ!成仏しろ!!」


 おどおどと確認するように尋ねてくる生首に、女は再度怒鳴った。びくりと目を瞑った生首は、きっと体があったならば身を縮こませていたに違いない。

 女はビールを一気に飲むと、弁当を食べ始めた。


「わ……儂はどうやったら成仏できるのだ……?儂の体は、何処にあるのだ……?」


「……知らねぇよ……面倒事は嫌いなんだよ……」


 困ったように呟く生首に、女は冷たく言い放った。弁当を食べ終えると、女は生首の事など見えないように振る舞い眠りについた。




 朝、目が覚めると、昨夜は所在なげに漂っていた生首は神妙な面持ちでテーブルの上に乗っていた。

 げぇ、まだ居やがる。寝覚めから気分が悪くなった女は、また生首を無視して立ち上がろうとした。


「おはようございます。挨拶が遅れ、面目なし。某は、よしみつ様と申す。城攻めにあい、命を落とした」


「よしみつ?」


「様を付けぬか!無礼者!棒で打たれるぞ!」


 無礼な発言に怒るといった様子ではなく、生首は慌てたような早口で捲し立てた。女は目を丸くしたが、呆れたように溜息を吐き出した。


「よしみつ様さぁ……もう棒で打ってくる人なんか居ないよ。この時代に」


「そ、そうだな……首だけになったのだ。そのような事は瑣末事だな……」


 落ち着きを取り戻したよしみつは、自分に言い聞かせるように言った。


「では、儂の事はよしみつと。して、其方の名は何と申す」


愛莉咲(ありさ)


「そうか。愛莉咲!珍しい名だのぉ。まぁよい。愛莉咲よ。頼みがある」


「嫌だよ。面倒事は嫌いなんだ。他を当たってくれよ」


 心底面倒臭そうに顔を顰めた愛莉咲は、立ち上がるとよしみつの横を通り過ぎ歯を磨き始めた。話も聞いて貰えないとは思ってもいなかったらしいよしみつは、目を白黒させて愛莉咲の後ろ姿を見ている。


「いや、いやっ。後生じゃ!儂は此処が何処なのかも分からぬ!目覚めたら此処におったのじゃ。きっと、お天道様のお導きに違いない。後生じゃ!!」


 愛莉咲は顔の周りに纏わりつき喚くよしみつを無視し、準備を済ませると仕事に向かった。


 愛莉咲の限界は昼食時に来た。仕事場の作業机で、コンビニで買ったおにぎりとカップスープを食べている。愛莉咲は仕事中ずっと、よしみつに纏わりつかれ懇願され続けていた。


「後生じゃ!この通りじゃ!」


 頭だけになったよしみつは、勢い良く頭を下げる。通勤中も仕事中も、この調子で騒がれ続けていた。愛莉咲は我慢強いタイプでは無かった。苛苛も頂点に達していた。


「愛莉咲!儂の……」


「うるせえ!朝から邪魔くせえんだよ!仕事にならねぇし、静かにしろ!」


 怒鳴った愛莉咲を、よしみつは目を丸くして見返した。そして、同じ部屋で昼食を食べていた愛莉咲の後輩の女性もよしみつと同じ顔をして愛莉咲を見ている。


「……ごめん。我慢ならなくて……凛ちゃんさ、あの、こんな事言うのおかしいと思うんだけど、聞いてくれる?」


「え~?どしたんすか?愛莉咲さん、まさか酔っ払ってます?」


「酔ってなーい……筈」


「筈って……あはは!」


 自信無さそうに言う愛莉咲を、面白そうに凛は笑った。凛のそんな様子を見て、怒気が萎んだように愛莉咲は小さく息を吐いた。


「昨日からさ、落ち武者の幽霊が見えんの」


「はいい?……愛莉咲さん、やっぱ酔ってません?」


「昨日さ、帰ったら家に居たの。落ち武者の生首が。酒飲む前から見えてて、酒飲んで寝て、起きても居て、今もここに居んの」


 愛莉咲はよしみつを指差して言った。凛は目を丸くして愛莉咲の指先を見るが、そこには何も見えていないようだ。眉を寄せた凛は小さく首を傾げている。


「で、こいつがずっと朝から何か言ってきててさ、それが超ウザったくて。それでキレちゃったんだよね。急に怒鳴ってごめん」


「……まじすか……え、何も見えないっすけど……その幽霊、何て言ってんすか……?」


「なんか、ここに来たのはお天道様の導きだーとか、体を見付けたいとか」


「体を見付けたいぃ~?え……あ、生首でしたっけ。コワ~……え?その体って何処にあるんすか?」


「わからーん」


「ヒントないんすか~?幽霊さん何か教えてくれないんすかぁ?」


 ふざけたような凛の問いの後、愛莉咲は宙を見つめ目を細めた。凛はそんな愛莉咲の様子を目を丸くして見ている。


「城ぉ?大手森城に、伊盛が攻めてきた?その時に死んだ?」


「伊盛?伊盛長秀?知ってる知ってる~戦国武将でしょ?ゲームでやった!」


「伊盛長秀?聞いた事あるな。何処の武将だっけ?」


出羽国(でわのくに)じゃ!」


「何処だよそれ……」


 愛莉咲と凛の会話に、大声で割って入ったよしみつだったが、愛莉咲には分からない地名だった。凛がくりっとした目を丸くさせ、眉を顰めている愛莉咲に首を傾げて見せた。


「どったんすか?」


「ああ、幽霊が、出羽国だって言っててさ」


「出羽国~?」


 凛が手元のスマホで検索をかけた。


「山形県と秋田県らしいっすよ~」


「そんな広いとこから探せったって……」


「いやいや、伊盛に攻められたってんなら、伊盛が攻めた城を探せば良いんじゃないすか?」


「!!天才!」


 愛莉咲が凛を褒めると、凛は嬉しそうにデレっと笑いながら後頭部を掻く真似をした。


「で?よしみつの城は何て名前よ?」


 スマホを片手に愛莉咲がよしみつに問いかけた。実はよしみつは先程言っていたのだが、二人共忘れているようだ。希望を見付けたように目に力を宿したよしみつが静かに答える。


「森手山城じゃ」


「森手山城ね……」


 愛莉咲がスマホで検索すると、森手山城の検索結果が画面に並んだ。


「城……ってか神社かな?福島県なの?ここに行ったら良いのか?」


「え~?週末行くんすかぁ?お土産楽しみにしてま~す。あ、あーしは週末好きピとデートなんで~」


 凛は聞かれてもいない事を愛莉咲に告げると卓上の弁当を片付け始めた。この昼休憩で、愛莉咲の週末生首との二人旅が決まってしまった。






 新幹線の自由席に座ると、よしみつは目を輝かせて周りをきょろきょろと見ている。この旅行が決まってから安心したのか、よしみつは時代の違う景色に事あるごとに驚いていた。


「この乗り物も見事なものだのう!電車にも驚かされたが、これは電車よりも早く走るのであろう?」


「そうだよ。あのさ、独り言言ってるみたいに思われるから、話しかけないでくれる?」


 目を輝かせるよしみつに、愛莉咲は小声で答えた。実際、今も斜め前に座っている男性がこちらを見ていて目が合った。すぐに目を逸らされたが、男性は何か怯えているような表情をしていた。

 愛莉咲は髪を明るく染めていてゴツイピアスも沢山付けている。パンクファッションを好んで着ている為、外見の評価で避けられることは少なくなかった。その事は特に気にした事は無かったのだが、時々現れるある人達の事は気になっていた。

 何故か初対面の相手に握手を求められる事があるのだ。老若男女問わず、何故か愛莉咲に握手を求め、応じると大仰に礼を言われていた。愛莉咲は有名人ではない為、それが起こる度に不思議に思っていたのだった。

 逆に、恐ろしいものを見たと言わんばかりの表情で走って逃げられた事も何度かあり、意味が分からないと不快に思う事もあった。あの男性は、後者の愛莉咲を恐ろしいと思うタイプらしい。

 新幹線が走り出すとよしみつがまた興奮しだし、愛莉咲はうんざりした気持ちで目を閉じた。

 そう。愛莉咲はうんざりしていた。うるさい生首にも。斜め前に座る、こちらをちらちら見てくる男性にも。





 目的の停車駅に到着し席を立つと、こちらをしきりに気にしていた男性が前に並んでいた。新幹線を降り改札方面へ歩きだすと、先程の男性がこちらを見ているのに気付いた。内心溜息をつきながら、愛莉咲はそちらを見ないように歩いた。

 愛莉咲が電車に乗り換える為駅のホームに立ちスマホで降車駅を調べていると、声を掛けられた。


「あ、あの……」


「はい?」


 顔を上げそちらを見ると、先程の男性が緊張した面持ちでこちらを見ていた。眼鏡を掛け、おどおどとした態度から、気の弱そうな印象を受ける。


「あの、こ、こちらには観光にいらしたんですか?」


「へ?あ、そうですけど……」


 思いもよらない質問に素っ頓狂な声が出てしまい、愛莉咲は少し頬を染め答えた。


「そ、そうなんですか!どちらに向かう予定なんですか?」


「森手山神社です……」


 ナンパだろうか?それとも何かの勧誘だろうか?愛莉咲は今までの人生で一度もナンパなどされた事はなかった。勧誘にしても、自分を標的にするのは考え辛い。

 そして男性は、愛莉咲よりも愛莉咲の背後を気にしているようだ。話をしていても、視線が合わない。

 もう良いですか?そう会話を切り上げようとした時、男性から思いもよらない言葉が出てきた。


「あの、良かったら案内しましょうか?」


「え?何で?」


 先程よりも素っ頓狂な声が愛莉咲から出た。やはりナンパだったのだろうか。この真面目そうな男性は、パンクファッションを好む女性がタイプだったのだろうか。


「お主も隅に置けぬのう!」


 よしみつが囃し立てる。今ここで楽しそうに笑っているのはよしみつだけだ。愛莉咲は戸惑っていて、男性は緊張している。


「あの、驚かれるかと思いますが」


「……何でしょう?」


 愛莉咲はもう既に驚いている。


「私、幽霊が見えるんです」


 得心がいった。男性はよしみつを見て愛莉咲に声を掛けてきたのだ。理由が分かり、愛莉咲はホッとしたように微笑んだ。


「あ~、吃驚しますよね。生首の幽霊とか。私、幽霊を見たのは初めてなんですよ。よしみつって言うんです」


「よしみつ、さん……もう一人の方は?」


「え?もう一人?」


 愛莉咲は後ろを振り返り辺りを見回してみたが、何も見えない。


「そっちは見えてないのか……」


 男性は小さく呟き、愛莉咲に笑顔を見せた。


「申し遅れました。私、遠藤大輝(たいき)といいます。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


「あ、青木愛莉咲です」


「青木さん。よろしくお願いします。私、出身が森手山の近くでして、今日は実家に帰る予定だったんです。方向も同じですし、是非案内させて下さい」


「あ、じゃぁ、よろしくお願いします……?」


 柔和な笑顔だったが押しが強い遠藤に、流されるまま愛莉咲は遠藤と同行する事になった。

 遠藤はよく喋る男だった。食べ物の話題が多く、車窓の景色からの話題も楽しく愛莉咲は退屈する事無く移動時間を過ごす事が出来た。

 遠藤は愛莉咲には柔和な微笑みを見せるのだが、よしみつの事は怖いらしく、よしみつが遠藤に反応すると苦い笑顔で誤魔化していた。


 電車を乗り継ぎ、更にはバスに乗り二人と生首は目的地に向かった。

 途中のバス停で、若い女性がバスに乗ってきた。制服を着ているので、恐らく女子高生だろう。髪を一つに結んだ、化粧けのないあどけない顔の可愛らしい女の子だ。

 よしみつは女子高生が乗って来てからずっと、目を見開きその女子高生を見つめている。


「おい。よしみつ、どうしたんだよ?」


 愛莉咲はよしみつの様子に気が付くと、小声でよしみつの耳元で尋ねた。よしみつはビクッと頭を揺らすと、動揺を隠しきれない表情で愛莉咲の方へ振り向いた。


「およね……およねちゃんが……」


「……ああ。あの子?知り合いに似てるの?」


「ああ。ちいせえ頃から知ってる……帰ったら一緒になろうって……」


 よしみつは涙混じりにそう言うと、俯き口を結んだ。その後愛莉咲は何も言わずに、よしみつと女子高生を見ていた。


 目的地のバス停に到着し、愛莉咲と遠藤、よしみつはバスを降りた。女子高生はまだ乗っていた為、よしみつは名残惜しそうに何度も振り返りバスを見送っていた。


「およねは……おらが帰って来ねぇで、誰か他の奴と一緒になったんだべか……」


 悲しそうな表情でバスを見送るよしみつは、小さく呟いた。


「おーい!よしみつ!行くよ!」


 バス停の前から動かないよしみつに、愛莉咲は大きな声で呼び掛けた。我に返ったよしみつは、慌てて愛莉咲達の方へ飛んで行った。

 森手山神社へは、山道を登らなければならなかった。舗装されている土の坂道と階段を、二人と生首はただひたすらに登った。

 秋も深まり肌寒い日が続くようになってはいたが、愛莉咲も遠藤も上着を脱いでいる。登っている最中、よしみつは何かを考え込んでいて、ずっと静かだった。


 息切れしながらもやっと辿り着いた森手山神社は、木々の隙間から陽の光を浴びて神聖な輝きを放っていた。古く歴史を感じさせる建物ではあるのだが、この一帯の綺麗な空気がそうさせているのかも知れない。

 愛莉咲と遠藤は御参りを済ませると、辺りを見回した。よしみつも何故か御参りしている。


「首から下だけの幽霊を探せば良いのかねぇ?」


「そうですね……青木さん、今は何も幽霊は見えていないんですか?」


「よしみつの首以外は見えてないよ。てか、幽霊を見たのはよしみつが初めてでさぁ」


 愛莉咲の言葉に遠藤は深く頷いた。


「ああ。ですよね」


「そうなんだよ。有名な心霊スポットとか行っても、一回も幽霊なんて出た事無くてさ。幽霊なんて居ないんだって思ってたもんな~」


「あははは。それは……まぁ、見えないとそうですよね」


 何故か笑う遠藤に、愛莉咲は不思議そうに眉を寄せた。


「遠藤さんは小さい頃から見えてたの?」


「……はい。今でも幽霊は苦手です……」


「小さい頃から見えてるなんて、それは大変だったんだろうね……てか、苦手なのに、よく私と一緒に来てくれたよね」


 遠藤は優しい笑みを愛莉咲に向けた。


「よしみつさんが、悪い霊ではないと思ったので。それに、貴女の事が気になりまして」


 愛莉咲は思ってもみなかった返答を受け、ドキリと心臓が跳ねた。動揺を悟られまいと平静を装いながら、辺りを見回す。


「よ、よしみつの体は何処にあるんかな?」


 少し離れた場所で暗い表情をしていたよしみつが目に入った。バスを降りてからずっと、よしみつは暗い表情で俯いている。


「おらは……」


「よしみつ~?どうした?」


 呟いたよしみつに、愛莉咲は近付き顔を覗き込んだ。愛莉咲の声に顔を上げたよしみつは、不安げに眉尻を下げ、助けを乞うような表情をしていた。


「愛莉咲……おら、思い出した……」


「え?何を?思い出したって?」


「ああ……おらは、よしみつ様じゃねえ……おらは百姓の孫七だ」


「え?孫七?そう……自分の事思い出せて良かったじゃん」


 あっさりとそう言った愛莉咲は、ニコッと口角を上げて孫七に笑顔を見せた。不安そうにしていた孫七は、ホッとしたように息を吐いた。


「それにしても、孫七の体は何処にあんのかねぇ……?」


「おらが死んだ場所を思い出せれば……」


「景色も昔とは大分変わっているでしょうし、覚えていても分からないと思いますよ」


 落ち込む孫七を慰めるように遠藤が言うと、愛莉咲は遠藤に向かってにんまりと笑った。その笑顔には、怖いと言っていたのに幽霊を慰めた遠藤に、やるじゃん、という意味が込められていた。

 その意図が通じたのか、遠藤もはにかみつつ軽く頭を下げ答えた。


 山を歩き回り、日が暮れ始めてきた。愛莉咲は疲れ、諦めかけていた。


「……ダ~メだ。見つかんね~!」


「そうですね。暗くなると山道は危ないですから、そろそろ山を下りましょう」


「んだ。残念だけんど、仕方ねえもんな」


 山道をぐったりとした足取りで、愛莉咲は下り始めた。運動は時々ジムに行って筋トレをする程度の愛莉咲は、今日の山歩きで足が痛くなっていた。階段を下りる度、脛が痛む。

 前方から、階段を登って来る人影が見えた。日暮れ時に登ってくる人もいるのだなと珍しく思いつつ、愛莉咲は、そちらを見た。


「あ!」


 吃驚した愛莉咲は、大きな声をあげた。遠藤は硬直し、孫七は唇をわなわなと震わせている。


「孫七!これ!?これそうか!?」


 愛莉咲が振り向き問いかけると、孫七は大きく頭を頷かせている。声にならないようだ。

 階段を登ってきたのは、首の無いボロボロの汚れた服を着た、痩せた小さな男だった。あまり防御力の高そうには見えない、貧相な胸当てを身に着けている。


「うわ~良かったなぁ~!見つかって~!」


「愛莉咲……あり……ありがとう……おら、愛莉咲に会えて良かった……愛莉咲のお陰だ……」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、孫七は愛莉咲に感謝を述べた。愛莉咲は優しい笑顔で孫七に答える。


「良いってことよ!孫七がこれで成仏出来るならさ~!この何日か、ホント、うざかったもんな~」


「愛莉咲、おめぇは本当に正直にものを言うなぁ……」


 歯に衣着せぬ物言いの愛莉咲に、孫七は呆れたように呟いた。あまりの言われ様に、涙も引っ込んだようだ。


「愛莉咲、ありがとう……おめぇのお陰で成仏出来る。おらの事を思い出せたし、およねちゃんの事を思い出せたのも、きっとおめぇが引き寄せてくれたんだ……ありがとう……」


 孫七の首は、孫七の体が大事そうに両手で抱えている。満足そうに微笑む孫七は、もうこの世に未練は無いようだ。

 どんどんと孫七の体は色を失い、景色の中に消えていった。

 その様子を目を丸くして見ていた二人は、完全に孫七が消えると顔を見合わせた。


「成仏……したんかな?」


「……きっと……したんでしょうね」


「すっげー!初めて見たよ!あははは!」


「私もです。ははっ」


 二人は確認し合うと、笑いだした。笑いが落ち着くと、愛莉咲は笑顔のまま息を吐き出した。


「はぁ~良いもん見た!さ、帰るか~」


「青木さん、もう東京へ帰るんですか?」


「ん?そうね。宿取ってないし、帰るよ。遠藤さん、付き合ってくれてありがとね。あ、連絡先交換しません?今度お礼させて欲しいし」


「……あの!」


 何かを決意したような表情をした遠藤は、愛莉咲を真っ直ぐ見つめた。愛莉咲はきょとんとした表情で、そんな遠藤を見返している。


「……折角来たんですから、少し観光して帰りませんか?案内させて下さい。あ!私の実家に泊まっていって下さい。」


「は?え?いや、そんな迷惑掛けられないって……」


「いえ!迷惑なんて!母は喜びます!きっと!いえ、絶対!」


「……何で?」


 余りに意味不明で、愛莉咲の思考は停止してしまった。遠藤の勢いに負け、とりあえず遠藤の実家に寄り、愛莉咲は何処かホテルを探そうと決めた。遠藤の言う通り、折角来たのだから、観光して帰るのも悪くない。


「驚かれると思いますし、信じられないと思うのですが……実はですね、青木さんの後ろに、もう一体霊が居るんです」


「はぁぁ?」


 遠藤はゆっくりと歩きながら、静かに口を開いた。愛莉咲は遠藤の言葉の不可解さに、思わず裏返った声を出し遠藤を見た。


「守護霊なんですが、初めて見ます。こんなに力の強い守護霊は。見た目もすごいインパクトがあるんですよ。金色の翼の付いた全身鎧を着ていて、兜まで金色なんです。」


「へぇぇ?」


 愛莉咲は後ろを振り向いた。やはり、何も見えない。


「まぁ、信じられないですよね。青木さんの守護霊は、かなり力の強い守護霊なのだと思います。心霊スポットに何度行っても幽霊を見た事が無いと仰っていましたが、この守護霊が居れば仕方ないと思いますよ。出てしまったが最後、消されてしまうでしょうからね」


「は……はぁ……」


 愛莉咲は遠藤の言葉を信じられなかった。数日前まで幽霊の存在を全く信じていなかったのに、今度は守護霊だ。愛莉咲は適当な返事を返し苦笑いで誤魔化した。

 二人はタクシーに乗り遠藤の実家に向かった。遠藤の言っていた、森手山神社が近所だという話は嘘だったらしい。遠藤の実家は、森手山神社から車で三十分の距離にあった。


「結構遠かったね、遠藤さんの実家」


 愛莉咲が遠藤にそう言うと、遠藤は困ったように笑った。


「すみません……どうしたら貴方とお近付きになれるか考えてまして……こんな嘘をついてしまい、すみませんでした」


「いや、別に責めてるんじゃないから。幽霊連れてんのとお近付きになりたいなんて、遠藤さん変わってんね」


「守護霊が……中で話しましょう。どうぞ」


 遠藤は玄関の鍵を開け、ドアを開いた。


「ただいま」


 遠藤が家族に聞こえるように奥の部屋へ声をかけると、パタパタと軽い足音が聞こえ小柄な女性が出迎えた。


「お帰りなさい。あら、その方は……あらぁ、まあ……大輝、良い方と出会ったのね~。初めまして。大輝の母の夏奈です。どうぞどうぞ!上がって下さい!遠いところ来てくれてありがとう!お疲れでしょう?お父さ~ん!」


 夏奈はキラキラした目で愛莉咲を見て、嬉しそうに奥へ向かった。初対面で「良い方」などとは中々言われない愛莉咲は、きょとんとした顔で遠藤を見た。遠藤も嬉しそうな笑顔で愛莉咲を家の中へ促している。


「ね?言ったでしょう?母は絶対喜びますって」


「何で……?お邪魔します……」


 促されるまま、愛莉咲は居間に通され遠藤の父らしい男性と顔を合わせた。男性は少し驚いたように愛莉咲を見ている。通常通りの反応をされた愛莉咲は、少し安心感を覚えた。


「こ、こんばんは。いらっしゃい。こんな遠くまで、よくいらっしゃいましたね。私、大輝の父の智樹といいます」


「青木愛莉咲です。お邪魔します」


「愛莉咲さん、というのね!可愛らしいお名前!ご飯は食べた?まだなら一緒に食べましょう!」


「うん。まだ食べてないんだ」


 遠藤が答えると、一緒に食事が出来ることが嬉しいのか、夏菜はパッと花が開いたような笑顔を見せた。


「良かったぁ!じゃあ、準備しちゃうわね!」


「お、お手伝いします……」


 何故かすごい歓迎されている事に戸惑いながらも、愛莉咲は慣れない手伝いを申し出た。夕食の準備は殆ど終わっているようで、愛莉咲は食器を運ぶ等の手伝いだけで済んで内心ホッとしていた。


「大輝が久しぶりに帰って来るから、張り切ってご飯を作っておいて良かったわぁ」


 食卓につくと、夏菜はニコニコと嬉しそうな笑顔を愛莉咲に向けた。愛莉咲は遠藤が食べ始めたのを見て、味噌汁に口を付けた。


「うま……」


 思わず声が出てしまった。温かい家庭の味は、愛莉咲にとって久々に口にするものだった。胸に広がる味噌汁の温かさと、優しく美味しい味わいが心に沁みた。


「嬉しいわぁ。沢山食べてね」


 夏菜は本当に嬉しそうに瞳をキラキラさせて愛莉咲を見ている。


「ところで大輝。愛莉咲さんとは、どんな出会いだったのかしら?」


 愛莉咲は遠藤を見た。このように聞くという事は、夏菜は愛莉咲と遠藤がお付き合いをしていると勘違いしているのかもしれない。


「青木さんとは、今日新幹線の中で初めて会ったんだ。で、母さんは分かるだろ?すごいんだ。彼女の守護霊。全部消えたんだよ」


「うん。分かる。本当にすごいわ。お母さんでも初めて見る位すごい。大輝に何も憑いてないなんて、こんな時が来るなんて思わなかった」


 愛莉咲は二人の会話がよく分からなかった。しかし、智樹の方は理解したのか、成程と頷いている。

 眉を顰めている愛莉咲に気が付いた遠藤が、愛莉咲に説明を始めた。


「先程、話が途中になってしまっていましたよね。私が貴方とお近付きになりたいと思ったのは、守護霊が他に類を見ない程強力だった事が始まりです。私は昔から、幽霊を寄せ付けてしまう体質でして、中には悪霊もいました。その度に、実家でお世話になっている霊媒師の方に祓っていただいていたんです。今回の帰郷も、それが目的でした。でも、貴方と同じ新幹線に乗ったら、憑いていた霊が全て消えたんです」


 愛莉咲はポカンとした表情で遠藤の話を聞いていた。夏菜はうんうんと頷いている。理解が追い付いていない愛莉咲に、智樹が助け舟を出した。


「私も幽霊を見た事がなくてね。大輝は昔から体調を崩すことが多かったんだ。寝込む事もよくあって……妻はすぐに除霊が必要だと言っていたんだが、私は病院に連れて行くべきだと、一度喧嘩をしたんだよ。妻は、いつも温厚なのに、この時ばかりは本当に頑なで……妻が昔からお世話になっているという霊媒師の方にお願いすると、良くなるんだ。毎回ね……しかも、風邪の時は妻は病院に連れて行くんだ。だから、妻には見えていて、原因が分かっているんだと、今はもう信じているんだよ」


「そう、なんですか……」


 愛莉咲は孫七と数日過ごした事で、幽霊の存在に否定的な考えは改めていた。しかし、幽霊に悪い影響を長年与えられていたという話は、現実味が無く夢物語のように感じる。

 何と言っていいのか言葉が見つからない愛莉咲だったが、遠藤が話を切り替えた。


「青木さんと出会った時、青木さんは生首の幽霊と一緒だったんだ。孫七さんという幽霊なんだけど、青木さんはその幽霊に頼まれてここまで来たんだって。孫七さんは、体を見付けて成仏したんだよ」


「まぁ……」


 夏奈が感銘を受けたように目を輝かせている。


「愛莉咲さんは優しいのねぇ……」


「いや、孫七が五月蠅くてですね……」


「中々出来る事じゃないねぇ」


「あの……」


「ね。素敵な人だよね」


 遠藤一家は口々に愛莉咲を褒める。普段こんな褒められ方をされない愛莉咲は参ってしまった。





 翌日、午前中を観光して過ごし、愛莉咲と遠藤は帰路に就いた。新幹線の座席に座り、愛莉咲は背もたれに体を預け力を抜いた。


「色々案内してくれてありがとう。楽しかったよ」


「はい。私も、青木さんと一緒に居られて楽しかったです」


 遠藤は優しい笑顔を愛莉咲に向けた。この男は昨夜からずっとこうだ。愛莉咲はこの笑顔を向けられると調子が狂うので、毎回気まずい思いをしながら目を逸らしていた。


「青木さん。これからも、私と会ってくれませんか?」


「ん?いいよ。遠藤さん大変らしいもんね。幽霊寄ってきちゃうから」


「……そうじゃなくて……」


 遠藤も彼の家族も、愛莉咲の守護霊を高く評価しているのだろう。彼等は愛莉咲の人間性を褒めてくれていたが、愛莉咲自身はそれが過大評価だと思っているし、あの評価を素直に受け取れずにいた。

 だから、愛莉咲は遠藤が勇気を出して言った言葉の受け取り方を間違えた。愛莉咲は窓の外を眺めているので、遠藤の表情を見ていない。


「青木さん」


「ん?」


 遠藤の呼び掛けに、愛莉咲は窓の外を見たまま声だけで答えた。


「……愛莉咲さん」


「え?」


 今度は愛莉咲は遠藤の方を向いて答えた。突然名前で呼ばれた事に驚いたからだけではない。遠藤は左手を愛莉咲の右手を包むように触れていた。


「私が愛莉咲さんに会いたいとおもっているのは、貴方に好意を持っているからです。あの、恋愛感情を、貴方に抱いています」


 真剣な瞳で愛莉咲を見つめる遠藤の頬と耳は、赤く染まっていた。


「ほ、本気か……?」


 動揺しつつ遠藤に聞き返した愛莉咲も、遠藤につられて顔が赤くなるのを感じた。


「勿論、本気です。本心を言いますと、結婚を前提にお付き合いを申し込みたいところですが、まずは友人としてお互いの事を知っていけたらと思います」


「そっ……か……?」


 愛莉咲はこれまで、このように真剣な告白を受けた事が無かった。「付き合う?」「あー?いいよ?」といった、軽いものが大半であった。

 なので、愛莉咲は柄にも無く照れてしまっていた。それを悟られたくなくて、遠藤から目を逸らそうとしたが、優しく微笑んでいた遠藤がまた真剣な顔をした。


「諦めるつもりはありません。ですので、すみませんが、ここは愛莉咲さんが諦めてください」


「なんだそれ。めちゃくちゃじゃん」


 思わず愛莉咲は吹き出して笑った。その笑顔を見た遠藤も、嬉しそうに笑う。


「愛莉咲さんの笑った顔、好きです。いや、笑った顔()好きです。どんな表情も可愛いですけどね」


「んな~~~……よくそんな事、恥ずかしげもなく……!」


 愛莉咲は顔を真っ赤にして窓側に身を引いた。言われ慣れない甘い言葉を貰い、恥ずかしかった。しかし恥ずかしいだけでなく、嬉しく思う自分もいて、ニヤけてしまいそうな顔を隠すように窓の方へ向けた。


「今日は送らせて下さい。夜道は心配ですから。次の予定は……」


 真面目そうな顔をしたこの男は意外と押しが強い。愛莉咲は窓の外を見ながら、存外悪くないと静かに溜息をついた。




 数ヶ月後、献身的で包容力のある遠藤に愛莉咲が甘やかされる事となるのは、また別のお話……。

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