過去を否定する(前半、マリアンヌ視点)
私は今、あんな男の子どもを孕っている。
あれは一晩の過ちだ。
隣を歩くどころか、もう二度と、会うことすら許されない、そう思って。
玻璃越しの口付けに心を揺さぶられて。
それで犯した、過ちなのだ。
そもそもアイゼン王太子を見初めて、プロポーズをお受けしたのが間違いだった。
誰よりも高い場所に立ち、背筋を伸ばし、見た事もない程美しい所作でダンスに誘うその姿。
ダンスを踊る時、意味ありげな目線で私を蕩けるように見つめるから…。
ただそれだけのことで熱に浮かれてしまった私の人生最大の汚点。
(あんな人だったのね)
この胎には、あいつが侵食している。
もう死んでしまいたいけれど、あいつの子どもと一緒に死ぬなんて絶対に嫌だ。
医師が置いていった鉗子が目に入る。
衛兵達は、何やら扉の向こうの誰かとやり取りしている。
そっとその鉗子に手を伸ばした。
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「大変です!」
物々しい雰囲気の中、切り裂くような慌ただしさが到来した。
「静粛に。裁判中です」
窘められた衛兵はあわあわとしながらそれでもなんとか声を振り絞った。
「そ、それが!!マリアンヌ嬢が…自殺を図って…」
(何ですって!?)
私は思わず席から立ち上がった。
「い、妹は…どこに!?無事なのですか!?」
「……一時閉廷します。様子は?」
裁判官に問われた衛兵の顔は真っ青だ。
「医師による救命が行われています」
「妹のところへ連れていってください!」
「で、ですが…」
渋った衛兵は、裁判官をちらりと見やった。
「許可しましょう」
それで私は衛兵の後に続いて駆けた。
母はといえば…
何事もないような顔で前を見つめていた。
(この人は、本当に)
許せなくて、証言台に立ったままの母に掴み掛かった。
「マリアンヌが心配ではないのですか!?」
法廷内はどよめく。何度も木槌が叩かれて、衛兵が私の腕を引いた。
「…なぜ私が無意味なものの心配をしなければならないの?」
「無、意味…?」
「ウィルデルト様と添い遂げないなら、あんなもの無意味だわ」
「この……ッッッ!!」
ぐいぐいと掴まれた腕を引っ張られた。
アイゼン王太子はただただ頭を抱えるだけだ。
裁判官は何かを叫んでいる。
ウィルデルト様が静かに近づいてきた。
母の前で、跪いたので全員がしん、と静まりかえる。
「…デビアント・ブルターニュ婦人、あなたはこの世界を間違いだと言う」
「ええ、間違いです。あなたも間違っているのです、ウィルデルト様」
「僕は、何度この人生を歩もうと、ティファニーしか選ばない。婦人の言い方で言えば…ティファニーを選ばない人生は間違いです」
「……は?」
「失礼ですが、貴方は神ですか?」
さすがの母も口を開けたまま、何も答えられない。
「神なのですね、ああ!皆さん、この方は神なのだそうです!デビアント・ブルターニュ婦人!神ならばマリアンヌ嬢を助けて差し上げてください!!さあ!!!」
母は、口をぱくぱくとさせて、よろめき尻餅をついた。
そして、放心したまま、ウィルデルト様を見上げていた。