壊してしまいたい(前半、デビアント・クラウディア伯爵夫人視点)
こんな世界は間違っている。
どこから狂い出したのだろう?
ティファニーを産んだのは私だなどと夫が世迷言を言い出すからだろうか。
気がついたら、私はフォークを掴んで夫に飛びかかっていた。
「あっ!!!!」
ウィルデルト様が夫の肩に載せていた手に、ぐいと力が込められて、夫の体が床に沈んだ。
(ああ!止まらない!)
勢いを殺せないまま、ウィルデルト様にフォークが刺さろうとした刹那、ティファニーが覆い被さった。
ざっくりと背中に深く刺さるフォーク。汚い血がドレスに一気に滲んだ。
「ぐっう……!!」
震えるような唸り声だ。
「ティファニー…?…ティファニー!!!」
なぜウィルデルト様は蹲るティファニーを揺さぶるのか。
「ウィルデルト様、そんなものより、マリアンヌの方へ」
「貴様!!!ティファニーの母親とはいえ、許されないぞ!」
そうだ、ティファニー!
ぽん、と手を叩く。
「ティファニー!あなたに対してよくやったと初めて言いたいわ!ウィルデルト様に傷が付かなくて済んだもの」
「…お、義母様」
「おい、しっかりしろ!君、早く医者を!」
侍女が戦慄くように頷いて、青い顔をしてすっ飛んでいった。
「デビアント…!お前は…なんということを…!」
「貴方がちゃんと刺されなかったのがいけないのでしょう?ウィルデルト様が危険な目に遭うところだったじゃない。本当に焦ったわ」
「気が狂ったのか!」
「いいえ。狂っているのはこの世界よ。水は低きに流れ、白い雲は青空を泳ぐ。紅葉が道を染めるのは秋だし、星が煌めくのは決まって群青よりも濃い夜の闇。それが世の常、世界の理だわ。ウィルデルト様がティファニーを選ぶ世界なんてあってはいけない。太陽が西から昇るのが許されて?ウィルデルト様の隣は、マリアンヌでなくては」
ぐいぐいとマリアンヌを強引に引き摺る。
「や、やめて!お母様!痛い!」
押し込むようにウィルデルト様の隣にマリアンヌを納めた。
「ほら!ぴったり。美しいわ。まるで蜂が作り出す六角形の様。六角形の隣はやはり六角でなくては。そこに三角だの四角だのがあったらおかしいでしょう?」
マリアンヌはよろよろ立ち上がり、涙で顔を濡らしながら後退した。
「おかしいのは、お母様よ…」
「マリアンヌ、ウィルデルト様の隣に来なさい」
「や、やだ…お母様…怖いわ…どうしちゃったの…?」
「良いから来なさい!!!」
ビリビリと空気が振動する。
その場の全員が息を呑んだ。
それでも尚、マリアンヌは後退して、窓辺にぴったりと背をつけた。
「いらっしゃい、マリアンヌ」
「嫌よ、もう嫌」
「デビアント・クラウディア伯爵夫人!」
ウィルデルト様が私の名を呼ぶ。
笑顔で振り向き、頭を下げた。
けれど聞こえてきたのは予想外の言葉だ。
「なぜこの私が、伯爵夫人の指図を受けなければならぬのだ?それから、例えクラウディア伯爵やティファニーに向けた凶器だとしても、結果、王族である、僕を殺めようとしたことに変わりはない」
「…はい?」
「罪は重いぞ」
「わ、私は世界の理を説いただけ…。それに、間違ってもウィルデルト様を殺めようなどとしておりませんわ!何を仰って…」
「いや?僕は身の危険を感じたな。王城の地下牢にて相応の沙汰を待て」
へなへなと床に座り込んだ。
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大きなガーゼを何枚も使っての止血は成功した。
感染症を防ぐ頓服薬と、毎日替えるようにと何枚かガーゼを貰った。久しぶりに横になる我が家のベッドに、少しだけ安堵の気持ちが湧き起こる。
医師の見立てでは、背中の傷は痕になるだろうとのことだった。
今更痕など気にはならない。それも背中だ。傷跡も、深さはあれど、表面上はごく小さい。
控えめなノックが響き、入室したのはウィルデルト様だった。
「ウィルデルト様…まだいらっしゃったのですか?」
ぎゅうと抱きしめられたまま離してくれそうもない。
「母君の投獄で、君の診察についていてやれなかったから…すまない」
「そんなこと…」
「僕が無理に母君を投獄させたこと、謝らなくては。でも、あのままでは…」
ふりふりと頭を横に振った。
優しく髪を撫でられる。
「どうする、僕と一緒にいるか?それとも僕と一緒に王城に来るか?」
「?それ、どっちも答えが同じでは…」
「他の選択肢などない」
「婚約式も終えていない段階で共に暮らすなど…ぅっ!!!」
「!痛むか!?」
「ええ、少し。でも、血は止まりましたし…」
「やっぱりダメだ。…僕がちゃんとガーゼを交換して、毎日君にご飯を食べさせて、僕が湯浴みしなければ気が済みそうにない」
「なぜそうなるのですか…」
「…僕なんて庇うから…」
「えっ…」
肩に頭を擡げるので、ほのかな熱が伝わってくる。
「全部が許せない。こんなに痛い思いをさせて」
ゆっくりと見合う格好になり、揺れる瞳はしっかりと私を捉えた。
くちびるが近づいてくる。
そこに突然父の声が響いた。
「ウィルデルト様!馬車を用意させますのでそろそろ…あっ…」
「「あっ…」」
大変気まずい雰囲気のまま、父の強い勧めもあって、ウィルデルト様は一人で王城に帰られた。