理解の範疇を超えている(前半、クラウディア伯爵夫人視点)
何ということだろう。
どういうことなのだろう。
つい昨日まで行方が分からなかったあの子が、ティファニーが帰ってきた。
それも、ウィルデルト様と共に。
侍女が震える手で二人に紅茶を出した。
ティファニーはハーフマスクで醜い半顔を隠している。
それでもなお、醜さが滲み出てくる。
夫のクラウディア伯爵は、娘の帰還をまるで一筋の光のように喜び、冷や汗でウィルデルト様を出迎えた。
「ウィルデルト様…その、どうして娘と一緒に…」
ウィルデルト様はにこにこしながらも、どこか申し訳なさそうな顔をして夫を見た。
その微かな動きにすら見惚れてしまう。
何と美しい天使のような人。
長じてかなり男性らしくなったけれど、幼い頃からのその神々しさにも似たオーラは何も変わらない。
「ご連絡ができず申し訳ありません」
「そ、そんな!頭を上げてください!ティファニー、どういうことなのか説明しなさい!私はもう、何が何やら…」
「いいえ。これは男の責任です。僕から説明を」
「は…?あの…」
語られる全ての言葉がまるで弦楽器のよう。高く低く、それは一つの音楽のようだ。
ああ、マリアンヌ。こんなに近くで貴方達を眺められるなんて夢のようだわ。
(そうか、なるほど。きっと大人になり、マリアンヌの美しさに気づいて求婚しにきたのではないかしら?ティファニーがウィルデルト様をご案内しているのね。じゃなければ二人が一緒にいる説明がつかない)
昨日まで行方不明だった理由などどうでも良い。
この家にわざわざご本人がいらっしゃるなんて、マリアンヌへの求婚以外に何があろう。
男の責任とは、やはりそういうことなのだ。
それがなぜか、ウィルデルト様はティファニーのハーフマスクをその長い指で外した。
なぜウィルデルト様がティファニーを触るのかが理解できない。
ただ息を止めて見ることしかできなかった。
かちゃり、
と金属音を鳴らして、ハーフマスクがテーブルの上に置かれる。
「…ティファニー…?」
「ティファニー殿は、本来の美しさを取り戻すことができたのです。僕はそのお手伝いを」
(ああ、なるほど、この世界は間違っている)
そう思って私はティファニーに飛びついた。
「どういう魔法で!?何を使ったというの!?化粧!?これは化粧で隠しているの!!!?」
ゴシゴシゴシゴシと何度もハンカチで醜かったその半顔を拭いた。
けれど、拭いても拭いても落ちないのだ。醜い爛れが露出しない。どうなっている。
「!!!やっ!!やめて!!!」
腕を掴まれる。
ウィルデルト様だ。
「何をしていらっしゃるのか」
近くで見ても何と美しい。
「ウィルデルト様、今日はマリアンヌへの求婚にいらっしゃったのでしょう?」
「お、お母様!!!何を仰って…」
マリアンヌは親の干渉に怒るけれど、顔を赤くしているじゃない。早く治るところに治ったら良いのに。
なのにマリアンヌときたらとんでもないことを言い出した。
「お母様!!私はアイゼン王太子殿下に求婚されたのです!!私はアイゼン様と……」
ぴしゃん!!
右手がジンジンする。
マリアンヌは美しい顔が取り柄だから、手など挙げたことがないけれど、せっかくウィルデルト様が求婚に来たというのに馬鹿なことを言うなら容赦はしない。
「うっ……っっ!!!」
床に蹲るマリアンヌにティファニーが駆け寄った。
「マリアンヌ!!!」
「お姉様ぁ!!」
それがあんまり気に食わないので、ティファニーを蹴り上げる。
「マリアンヌに触るな醜女ぇ!!!」
「あ゛っっっっ!!!!!」
ごろごろと脇腹を抑えて転がっていった。その様もなんと醜いのだろう。しかし、その醜いものをまるで宝石が落ちたかのように追いかけたのはウィルデルト様だった。
「ティファニー!!!」
なぜウィルデルト様がティファニーを庇うの?
触ってはダメよ。醜いのが伝染するわ。
「もうやめろ!!!デビアント!!!」
夫が私の腕をつかむ。
「離しなさいよ。元はといえば、貴方が子連れなのがいけないのでしょう?ティファニーがこの場にいるのさえウィルデルト様に対して失礼だわ。弁えさせなさいよ」
「…お前、まだそんなことを言っているのか?」
「そんなこと!?私にとっては大問題よ!!!」
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お父様は少し窶れた。
少なからず私を心配してくれていたんだろう。
義母があんなに取り乱す姿は初めて見る。
父と母が同じ場にいること自体珍しいくらいの家族なのに。
「デビアント、何度も言うがな、私は連れ子なんていないぞ。ティファニーは私とお前の長女だろう!?何度も言っているのに、どうして分からないんだ!?」
「貴方の言い分は聞き飽きたわ!!!私がお腹を痛めて産んだのはマリアンヌだけよ!!!!」
どういうこと?何の話をしているの?
私とマリアンヌは目を見合わせた。
(だって、私は父の前妻との子だと、そう聞かされて…)
父は私にゆっくりと説明した。
「…ティファニー、デビアントはお前が生まれた時、産後の肥立が悪くてな。初めての子どもということもあってノイローゼになってしまったんだ」
「待って…?お義母様は、私の本当のお母様なの?」
父は、ため息をついて遠い目をしている。
「……あれから、十八年経つんだな。デビアントは、自分が母親になるということを頑なに認めなかった」
お義母様は青い顔をして床に手をついている。
「ティファニーが二歳になる頃、もう一度ちゃんと母親になりたいとそう言ってできたのが、マリアンヌだ。でも、母親としての自覚はマリアンヌに対してしか湧かなかったらしい。ティファニーの事は、自分の子どもだと認めなかった。あろうことか私に前妻がいて、その子どもだと理解する事で自我を保った」
私の本当の母親が、義母だと思っていた人。
(なるほど…)
私を避けていたのは、顔に火傷を負わせた後ろめたさではなく、疎ましかったから。
卒倒しかけて、ウィルデルト様が私の体を支えた。
彼も顔が真っ青だ。
「…お父様は…どうして教えてくださらなかったのですか?」
「嫌だろう?…自分のことを蔑ろにして、妹ばかり可愛がる義母が実は本当の母親だなんて」
「お父様…」
勝手に肩が震えて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになる。
「私が悪いんだ。産後、あいつが取り乱す様を見たら、その場その場を治めることだけで精一杯で、その時の最善だった。何度も何度もティファニーとてお前の子だと説明する度に、幼いティファニーを殺そうとするんだよ…。こんなに拗れて尾を引くなんて……っ!私を責めてくれ…」
父は床に膝をついて嗚咽を漏らした。
私と同様涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で私の顔を撫でた。
「火傷の跡を、こんなに綺麗に治してもらったのか?」
こくこくと頷いた。
「ウィルデルト様…」
父は床に正座して彼をしっかり見つめてから、頭を垂れた。
「娘を、ティファニーをよろしくお願いします」
「僕が全力でお守りします」
ウィルデルト様は父の肩に手を載せた。