自転車(空気入れ)泥棒(9)…実際の話
ここらで小噺(もう大噺レベル?)の締めに入りたく存じますが…えー、しかしまだだいぶ先かな?ま、とにかく、冒頭に引き合いに出しましたイタリアのネオレアリズム映画の名作「自転車泥棒」内の主人公アントニオの顛末のごとき、まことに哀れな私野郎の現況ではございます。自身は自転車を盗まれ…い、いや、自転車空気入れを盗まれ、このあともし、きゃつらに自転車のタイヤの空気を抜かれるかあるいはパンクでもさせられれば、私は満足に勤めに出ることも覚束なくなります。なぜならこの団地は駅から離れた丹沢山麓の高台にあり、まして彼は70を超えた老人ですから、そのような次第と相成る分けです。私にしてみればこんな老人を、責め苛むことで世過ぎとしやがって、銭を得やがって!…と、こう云いたくなる分けですが、しかしこれもやはり高座に私語をはさむ分けにはまいりませんので、えー、戻りますが…えーそれで、これまで縷々申し述べた諸事情のために私野郎は警察に被害届を出す分けにも行かず、畢竟ただうなだれ、くやしさに唇を噛むばかりでございます。この景を称するに、まことにアントニオ同様、不条理を極める、現今の世の中と云う他はありません。裕福で生活に余裕のある皆様方にしますれば「たかが自転車の空気入れごときで」と一笑に付されましょうが、しかし格差の底に住む者にとってはその「たかが自転車の空気入れごとき」で、生活が立ち行かなくなることもある分けでございます。これはまっこと「自転車泥棒」と同じ次第ですが往時と違うのは「(超)格差」と「執拗さ」でしょう。これまで縷々と語りました国内外における大事件の数々、9・11とかに於て、真相と真犯人が追求されることはまずありません。なぜならこれらの仕手が権力者であり資産家であるからです。彼らは事の次第を偽装しそれをそのまま飲めとマスコミや人民に要求致します。そしてマスコミや人民はそれぞれ唯々諾々とこれに従い、あるいは騙されます。




