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「こらああ、待てええ‼︎ このくそガキがっっ、おら捕まえたぞっっ‼︎ さあ、盗んだものを返すんだっっ‼︎」
着古され、汚れたエプロンをつけた恰幅のいい男に首根っこを掴まれて、ミランの小さな身体はぐんっと後ろへと引っ張られた。その拍子に着ていたシャツの、元々破れていた襟ぐりが裂け、ビリリと音がした。
死に物狂いで必死に手で掴んでいた小袋が宙を舞う。袋の口が開いて、中から小麦色の丸パンが数個、飛び出して散った。
「くそっ、こいつっっ」
男がミランをその場に引き倒す。ミランは後ろへと尻もちをつくと、顔を酷く歪めた。強く打ちつけた尻も痛かったが、咄嗟についた両手のひらが、砂地の細かな小石によって擦れて痛んだ。
男は倒れたミランに構わず、地面に転がった丸パンを一つ一つ拾い上げる。拾い上げては、手で払ったり息をふうっと吹きかけたりして、付いた砂を落としていった。
「これじゃあ、売り物になんねえだろうがよ。このくそガキがっっ」
振り返って唾をべっと吐き捨てる。その唾が、地面についていたミランの手の甲にかかった。ぬるっとした感触にミランは顔をしかめ、手の甲を慌てて、シャツに擦りつけた。
(あ、……)
男の足元に丸パンが一つ転がっているのが目に入った。灯台下暗しなのだろうか、男はどうやら足元に転がっている丸パンに気がついていない。
ミランは男が最後の一つなのであろう残りの丸パンを探しながら、周りにキョロキョロと目をやっている隙に、足元の丸パンにさっと手を伸ばして取った。そしてそれをシャツの中に滑り込ませると、痛む尻を我慢してよろりと立ち上がった。
(……一つだけでも、手に入れば、)
ミランが、ほっと安堵の色を見せる。
その時。
側頭部に衝撃を受けて、ミランは横へと吹っ飛んだ。男が平手でミランの頭を叩いたのだ。
叩かれることには慣れていたが、この先の市場で毎日、大荷物を棚卸するような屈強な大男に叩かれては、ひとたまりもない。
目の奥で火花が散ったかと思うと、地面にどっと倒れ込んでしまった。とっさに腹に入れた丸パンを庇ったので、肩口を砂地に打ちつけ痛みが走った。
それでもミランは倒れながらも、相手の大男を睨みつけた。
「なんだ、その目はっっ‼︎」
男は小娘に睨まれたのも気に入らなかったのだろう、地面を蹴って、ミランへと砂をかけた。
顔中を砂まるけにしたミランは、ゴホゴホと咳き込み、口の中に入った砂を唾と一緒に吐く。
「この泥棒猫めっっ‼︎ もう二度と市場に来るんじゃねえぞっ‼︎ 今度お前の顔を見たら、ぶっ殺してやるからな」
ミランはその大男には学がなく、数を数えるのが苦手で数字に弱いということを前から知っていた。
自分では全てを回収したと思っているのだろう。拾った丸パンの紙袋を大事そうに抱え、踵を返して去っていく。
(……良かった、一つだけでも……このパンがあれば)
ミランは、痛む身体を押して立ち上がった。




