月
あらすじを読んでからご賞味下さい。
先生はおもむろにベランダに出て夜空を見上げた。
生憎の曇のせいで星どころか月すらも見えない。
「徒然草は知っているかい?」
先生は何も見えない夜空を見上げながら尋ねてきた。
僕は「少し」とだけ答えて押し黙った。
「君は、どちらが良いと思う?今のように全く見えない月か満月が輝いて見えるときか」
僕は「後者の方ですかね…」と言うと、先生は普通だねと笑った。
なんだか腹が立ったので「先生はどうなんですか」と尋ねると先生は少しだけ考えてから「やっぱり満月かな」と言って笑った。
僕はそれがなんだか悔しいような嬉しいようななんとも言えない気持ちになった。
「先生はどうしてそのような質問を?」
「いや、徒然草で花は盛りに、月はくまなきを見るものかは……ってあるだろう?」
「はい。……もしかしてそれが?」
「まあ、戯れない戯言だよ」
先生は何故か遠い目をしていた。何かを悲観するようなそんな感じがした。
「先生はその考えをどのように思われますか?」
「う〜ん、そうだね〜。まずは君の意見を聞こうかな」
先生は僕の質問をはぐらかして逆に問てきた。
「僕は、反対ですかね。正直見えない月を見たって面白くなんともないですし」
そう言うと先生はまたもや大笑いした。僕はムッとした。「正直でいいね〜」と言っていたが全く褒められた気がしなかった。
「う〜ん、やっぱり兼好法師が言ってることは分からなくもないだがね。あ、そうだ。しっているかい?何かはちょっと思い出せないが、このことを否定している古文だってあるんだよ、それも理論建ててね」
僕はそのことを知って驚いたが、それ以上に腹が立った。先程から先生は何も自分の意見を言わないのだ。
「……なんで兼好法師が言ってることがわかるんですか?」
「そりゃあもし君が俳句か何かを作るときどういった情景を思いだてるんだい?例えば恋愛だったら」
「そりゃあ、花火を手を繋いで見てる、とか」
僕はそれなりに良い回答だと思ったのだが、先生は面白くなさそうに「やはり時代かな…」と呟いた。
「私の時代ではラブレターとかなんだがねろ」
「今で言うラインってことですか?」
「ハハハっ、大分違うよ。機械的な文じゃなく地の文だからね」
僕にはそれの何が違うかは分からなかった。
「昔はね…逢いたくても会えなかったんだよ。それこそ今ではラインでパパッと連絡が取り会えるかもしれないけど、昔はそうはならなかったからね。夜に公衆電話に十円片手に言って出来るだけ短く伝えたりだとか、いろいろだったんだよ」
「へぇ〜、」
「まぁ、それでもまだ電話があったんだよ。でもね、昔の人はそれすらなかったんだ」
「それが花は盛りと関係があるんですか?」
先生は少し雲が薄くなって淡い光が見える月を目を細めて眺めた。
「いつあえるかわからないんだよ」
先生は繰り返し言った。そのあえるの漢字は言う度に変わっていっる感じがした。
「だからこそこれを望んでいるのだろうね」
先生は微笑んで呟いた。
空を見上げると雲と雲の割れ目から月が奇跡的に姿を現していた
逢えない辛さと逢いたいという心(良い言葉が浮かばなかった)は相反するものなのだろうか?それは同時に起こることであり希望と絶望その2つが両立しあっているからこそなりたっているのではないか?
ものは捉えようと言う言葉があるが、それはこの場合にも当てはまるのだろうか?遠い場所から眺める月は少し雲がかかって見えにくいです。私の目の前にいないあなたのように…
それでも今同じ月を見て同じことをかんがえているのでしょうか?やはりどれだけ遠くに離れていても私達は何処か繋がっているのでしょうか?
世界の繋がりは全く測り知れることはできない。そうなのだろうか?
運命の赤い糸なんて本当は存在しない。
だってそれは私達が繋ぐものなんだから