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戦争では攻められたほうも悪いし、いじめはいじめられた方も悪い

作者: 夢野ベル子

 ウクライナは悪くなくて、ロシアが百パー悪いとか、そういう話をしている教授さんがいて、国際法の権威だって言ってたんだけど、幼女作家のわたしの視点だと、法律の問題としてみればそりゃそうだよねって思った。


 要するに法とは四捨五入なんだって。


 多量の"事実"を切り捨てているわけ。


 ある一定程度の事実状態から切り捨てて、結論を導いているの。


 これは日本の刑法とかで考えれば、もっとわかりやすくなるかもしれない。


 刑法では、構成要件というものがまず事実状態から選り分けられるの。


 刑罰にあたるためには、無限に広がる現実から、一定の要件にあたる構成要件を選り分けて、それで合致しているかどうかを判断するの。


 例えば、傷害罪だと、人の生理的機能を害することが構成要件的事実とされていて、誰かが誰かを殴ったり叩いたりしたことが、人の生理的機能を害するかどうかを判断するわけ。


 いじめだと、実際には殴ったり叩いたりだけじゃなくて、机のうえに落書きしたり、傷つく言葉を言ったりすることもあるだろうけれど、そういった事実は構成要件に該当しないから、ひとまず傷害罪というくくりでは問題にされないんだ。


 だから、切り捨てられる多量の事実と、よりわけられた構成要件的な事実、この2つが判断されるってことになる。


 じゃあ、切り捨てられる事実とそうでない事実は誰が判断するのかってことになるけど、これは日本の法律だったら国会だし、国際法だったら国際慣習法とか条約なんかになるんじゃないかな。極論すれば多数決的に多いほうの意見が法律という形で四捨五入する事実を判別するわけ。


 ウクライナとロシアの問題で言えば、四捨五入の『入』された事実は、侵略したほうが悪いって事実。


 でも、『捨』された事実だってなかったわけじゃない。


 例えば、ロシアにとってウクライナは外国ではなくて自分と同一民族で同一国家という見方もあるみたい。


 ウクライナの中枢は、ロシアにとってみれば、一地方を専横するナチスみたいだって言ってる。


 でも、法はそういった事実には目もくれない。現実は多量の事実にあふれているから、そういった細かいことに目を向けていると判断ができなくなるから。


 フレーム問題とも言えるかもしれない。


 有限の処理能力しかないAIは無限の事実に対応しきれないんだって。


 人間にとっても同じことだよね。ある一定のラインで"思考停止"する必要があるんだ。


 その線引のラインとして、法は有用ってわけ。


 法とは思考停止であり、四捨五入であり、あるいは人間の怠惰さによってもたらされるものといえるかな。




 いじめの問題もね。

 法的な思考で考えれば、いじめる側が悪いというのはわかるよ。


 例えば、殴れば傷害罪だし、あるいは暴行だろうし。

 侮辱罪とか名誉毀損とかそのあたりに該当する可能性もあるだろうね。

 金品要求とかしたら脅迫罪とかもあるかな。


 でも、例えば、いじめられる側の外貌や視線がキモチワルイとか、いじめられる側が生活保護を受けていて血税で暮らしているのにも関わらず給食費を払っていないとか、そういうところで一定程度の他害性もあるんじゃないかな。


 『わたし自身でどうにもならない属性でイジメないで』ってそうかもだけど、


 だったら『キモチワルイおまえの存在と同席しなくてはならないわたしの権利はどうなるの?』的な反論は存在しうるように思う。


 あ、ちなみに生活保護うんぬんは最近タコピー読んだから思ったんだけど。最後が百合エンドで尊かったよくらいしか覚えてないや。


 それはともかく。


 イジメられる側にもイジメられる原因はある。責任はないけど、因果関係はある。

 ただ、そういった事実も、多くは四捨五入するんだ。

 捨てられた事実は見向きもされないから、ふとしたはずみにイジメられる側とイジメる側が逆転してもおかしくはないと思う。


 例えば、『聲の形』という漫画では、主人公の男の子が耳の聞こえない女の子をイジメるんだけど、そのせいで一度クラスで断罪される。客観的に見れば、男の子のほうこそがイジメられる側になるわけだけど、法典に載っているという意味の狭義の意味で見れば、その男の子は周りの人間から忌避されているだけで、べつに暴力をふるわれたとかイジメとまではいえないレベルかもしれない。


 でも、イジメというのはグレーゾーン的な無視シカトするというのも含まれていて、ちゃんと文部科学省の文書にも書かれている。


 つまり主人公(男の子)は広義の意味ではイジメられているわけだけど、これはイジメられている主人公に原因があると言えないだろうか。


 どんなときでもイジメる側が百パー悪いとすれば、主人公を無視する周りの人間はみんな悪いってことになっちゃうけど。


 わたしはそうは思わないな。


 現実は複雑な因果関係が絡まりあってできている。


 だから、四捨五入しちゃってしまうと、つまりイジメる側が絶対的に悪だと断じてしまうと、とりこぼしてしまう事実があると思うんだよ。




 ……誰かに、この相対主義者めってののしられたような気がする。


 まあ、確かにさ。フレーム問題もあるから、ある一定の枠組みっていうのは必要だと思うよ。

 『絶対』とは違うけど、構成要件的に、この事実にあてはまればこのように解釈するというような枠組みね。


 だから、わかりやすい『人を殺してはいけない』とか『人のモノを盗ってはいけない』だとか、一考する余地もなく決め打ちするのは現実世界に適応するという意味では有用だと思う。わざわざ、トロッコ問題を持ち出してきて苦悩する意味なんて馬鹿らしいもんね。


 でも、法は多数決で決められたものであって、わたしが決めたものじゃないよ。


 わたしの正義には反しているってことだってありうる。


 聲の形では、主人公くんがイジメられていてかわいそうだった。いや、社会的に見れば、それは『罰』なんだろうけどね。


 イジメた罰。


 だから、赦されるなんておこがましいと主人公くんは自己嫌悪しているわけだけど、視聴者というわたしは赦されてほしいと願う。


 加害者が赦されてほしいと願うのは傲慢だろう。


 例えば、イジメというのがイメージしにくいのであれば、殺人でもいいんだけど、人を殺しておいて赦されたいとか、あるいはオレは悪くねえみたいなことを言う人がいたとして、その思考に邪悪さを感じるのは自然であると思う。


 ただ、この点も法律は情状酌量というシステムで、多少の裁量範囲を設けているのがおもしろいところだよね。四捨五入するのが法なのに敗者復活戦みたいなノリを持ちこんでいるんだ。


 まあそんなわけでさ。


 世論というのは、答えを求めているんだと思うよ。


 答えっていうのは真実。真理。あるいはそう……かくあれかしという言葉。


 だから、絶対的にこうであるというふうに決めちゃうのは、楽なんだ。だって、いつもいろんな要素を考えるのは疲れちゃうからね。


 で、多数派は多数であることで、ますますソレが真実であると思いこむってわけ。




 ……誰かに、この反社会性人格障害者めってののしられたような気がする。


 まあ確かにさ。公の場でウクライナも悪いとか、イジメられた方も悪いとか言い出したら、その子は常識がないって話になると思うよ。


 わたしもエッセイの思考実験的な場所でしか、こんなこと言えないから言ってるだけ。


 常識というのは、時空間に縛られた言葉なのだからね。


 わたしだってTPOくらいはわきまえます!


 で、時空間を抜きにして、夢を見るように語ってみたわけだけど、


 結局何が言いたいかっていうと、最近の子たちって法……つまり規範ルールに敏感すぎないかなって思うんだよ。


 法は論理的には多数派によって形成されるものだから、多数派の意見に流されているともいえる。


 世の中は、いままさに『いいね』の数を競い合うパワーゲームになってきているといえるんだけど、そのルールに乗りすぎ。


 しかたなく乗っているのか、あるいは乗りこなそうとしているのかはわからないけどね。




 ……誰かに、啓蒙でもしようとしているのかこの魔女めってののしられたような気がする。

 

 まあ確かにさ。もっと考えてみてって言ったわけだけど、多くはわたしの自衛に起因するんだ。


 だって、まがりなりにも作者というのは自分の妄想世界をおしつけるものだからね。


 どうしても、その思想はにじみ出ちゃうからね。


 つまるところ思想開陳罪が適用されてしまうわけで、世の中の多数が思考停止していると、まあ無難な話しか書きづらくなっていくだろうから。


 突飛な話を書けってことじゃない。


 言葉に魔術をのせるというか。


 魔法陣のような構造物にするというか。


 記号ではなく象徴へ。


 そういう話です。




 ……意味わからなくなったんだけど、って困惑されている気がする。


 まあ確かにさ。ちょっと最後はわかりにくかったかもね。


 なので、言葉の象徴化について少しだけ付け足すことを許してくださいな。


 その昔、ガン末期で死にかけの男が大量の蚊に自分の血を吸わせて、これで自分を遺すという意思を完遂するような小説を書いた覚えがあるのです。


 で、死にかけの男さんは主人公にその思想を開陳するんだけど、主人公は自宅に帰ってきたあと最後に漂ってきた一匹の蚊をパチーンって叩き殺すの。


 セリフとしては「バーカ」みたいな感じだったかな。


 死にかけ男さんは自分の思想をのべつまくなしに詳密に語るんだけど、対して主人公さんはわりと寡黙というか。


 最後の最後でパチーンするところくらいしか主体的な行動はなかったかな。


 で、この主人公のパチーンってする行動は、正確にはそう書かれた言葉は、記号的ではなく象徴的だよねって話。


 読者さんにそのことを褒められたような覚えもあって、うれしかったです(小並感)。


 でもこれって、ラノベというよりはどっちかというと純文学方面の話かもしれないかも。


 今では反省して、TS幼女がチート能力でわちゃわちゃする話を書いています。だいぶん記号的になったね。わたしも……。


 じゃあ、そういうわけで閉廷。みんな解散! 愛だよ愛。


でも、なろう小説風小説を書くのはうまくなったような気がします。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 否定的な意見なので送信するべきか迷いました。 気分を悪くされるなら、すみません。 >『キモチワルイおまえの存在と同席しなくてはならないわたしの権利はどうなるの?』 その場合、「わたし…
[良い点] 完全同意です(作者さまの頭の中がわかった、という意味ではありません) ウンウンうなずきながら読んだエッセイは初めて ルールが切り捨てる些細な人間らしさを私は書いて行きたいです(*´ω`*…
[良い点] 夢野ベル子様 ちょっとだけ、夢野ベル子様の頭の中を、盗み見しているような、そんな不思議な感じのするエッセイです。 ふと、規範的ではなく記述的って、大好きなフレーズが浮かんでしまった。 …
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