【Xmas百合短編】白百合さんはクリスマスがお嫌い
昨日は珍しく雪が降ったからか、屋上の手すりには微かに雪が積もっていた。
寒風が微かに吹いて、微かに露出した肌から熱を奪ってくる。
年明けを目前に迫った師走の終わり頃、授業最終日の屋上はただひたすら寒かった。
だが呼び出されたからには答えないといけない。
「好きです白百合さん、付き合ってください!」
目の前の男の子は隣のクラスの子だったか。
文化祭のイケメンコンテストで優勝していた、学年一の色男だ。
――この季節は、本当に面倒です。
白百合は、やっぱりそうかとうんざりした情感を抱く。
クリスマスシーズンになるといつもこうなのだ。
しかし、そんな感情はおくびにも出さずに答えた。
「……ごめんなさい」
ああっーっと、屋上に上がるドアの端から声がする。
大方、告白しに来た男の子の友人たちだろう。
心底辛そうに、涙を堪える彼を見て、自分のどこが好きなのかと正直思う。
顔だろうか、それとも成績優秀なところだろうか?
そんな外面だけで何が分かるというのだろうか。
――何度かお話しただけなんですけどね。
しかし、本気で告白してくれたであろう彼に、適当に答えるのは失礼だ。
面倒でも、それぐらいの良心は白百合にもあった。
「――すみません、今は恋愛をする気がないんです」
白百合はにっこりと微笑み、全く心の籠っていない謝罪をした。
◇◆◇◆◇◆
白百合は告白を断った後、そのまま屋上に残っていた。
人目につかないところで、屋上の際の柵の先で足をプラプラさせる。
――先生に見つかったら、怒られてしまいますね。
白百合は学園の中では、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と例えられる才女だ。
しかし本人は、まるでつまらない漫画のヒロインのような評価だと、正直うんざりしていた。
実際の白百合は、どっちかというとちょっと悪い子だ。中学校の頃はよく、友達と内緒でお菓子や漫画を持ちこんでいた。まぁ最近はてっきりやらなくなってしまったのだが、それでも周囲の自分に対するイメージと自分自身に大きな乖離を感じていた。
ぷらんぷらんと、足を宙にただ漂わせる。
下を見下ろすと花壇が小さく見えて少し怖いが、なんだか今日はどうにかなりたい気分だった。
――ここから飛び降りたら、どうなるんでしょうか。
かなり高いので、きっと無事ではすまないだろう。
そんなとりとめもないことを考えていると、
「もうーーー優莉……、危ないよ?」
「……早かったですね、日向?」
危険行為を咎めるような同性の友達――樋本日向の声に、白百合――白百合優莉は思わず頬が緩みそうになる。
しかし、ここで頬を緩めてはちょっと情けない。
努めて凛とした表情を作ったまま、顔だけで後ろに振り向いた。
ぷにっと。
頬に日向の指が突き刺さる。
「……しょういうこどょもっぽいとこかわりましぇんね」
「アハハハハ、変な声―!」
振り向きざまに指を置いておいて笑うなんてまるで中学生みたいだ。
この軽いやり取りに懐かしいものを感じながら、優莉は微笑む。
優莉と日向は小学校の頃からの親友だ。
そして、白百合様になった優莉が唯一素で接することが出来る人間でもある。
ようやく待ち人が来たので、優莉は柵を超えて日向を見る。
日向は相変わらず小さい。
自分は大きく成長したというのに、日向は今も子供っぽいままだ。
ついでにリボンが上手く結べてないのも子供っぽい。
「……あぁ日向、リボンはちゃんと結ばないと」
「えぇ~~~、ボクそういうメンドクサイの嫌いなんだけどなぁ……」
「ダメです。ちゃんとしてください」
そう言って、優莉は日向の制服からリボンを抜いて、もう一度結び直す。
自然と顔が近づき、日向の肌が良く見える。
冬というのに少しだけ焼けた肌、きめ細やかな首筋、端正で中性的な顔つき。
見た目こそ幼いけれど、きっともう少し育てば――
「……ボクの顔見て、失礼なこと考えたよね」
「いえいえそんなことはないですよ? 日向は相変わらずちっちゃいななんて考えてません」
「それ考えてるって言ってるのと同じだよね!? ねぇ!?」
ちなみにこれは関係ない話なのだが、日向の両親はどちらも小柄だった。
「……はい、結び終わりました」
「別にボクはどっちでもいいいのにさー」
少し不貞腐れたように言う日向だが、優莉には少しだけ嬉しそうなのが分かる。
こういうお世話をしてあげると、日向はぶーたれながらも喜んでくれるのだ。
微細な変化に気づけず、表面だけを追うようでは日向検定1級には合格できない。
そんなバカみたいなことを考える程度には白百合は浮かれていた。
リボンを直した後、立ち話もなんだということで、座って話をすることにした。
すると、雑に座った優莉を見て、日向はまた文句を言ってくる。
「むぅ……立ち振る舞いに気を付けろっていうけどさぁ、優莉だってあぐら組んでるじゃん」
「今は誰も見てないからいいんですよ」
一度作られたイメージはいきなり崩すとロクなことにはならない。
優莉は白百合様のイメージをある程度意識して守っていた。
そんなことを知ってか知らでか、日向は悪戯っぽく笑って、
「へへー、さっきは優莉はモテモテだったねー」
「………からかわないでください。ほんっとに面倒なんですから、告白断るの」
優莉は頬をぷっくりさせて、無神経な日向に抗議する。
しかし日向は悪戯っぽく笑って――
「ええー、そんなこと言わないでくださいよ白百合様~~あいたっ!」
「そんなこと言う人間にはこうです」
ペチンと日向のおでこに渾身のデコピンを食らわせる。
そして、ため息をついてから一言。
「いやほんっと何なんですかね! 私詩集なんて読みませんよ!」
「詩集どころか、読むのは漫画ばっかりだもんね」
「ピアノも弾けますけど、コンクールで優勝って何ですか!? 嘘八百もいいところですよ」
「中学生の時に国際音楽団に首席で招待されたとか言われてたねぇ」
優莉は白百合様なる謎の人物の現状を大いに嘆く。
学生たちの間で作り上げられた白百合様のイメージはもはや原型を留めないレベルで昇華されており、白百合はそのギャップを埋めるために一生懸命にならざるを得なかった。
「でもさ、ボクは優莉のそういう頑張りやなとこは凄いと思う」
「……中途半端が嫌いなだけです。やるなら徹底的にやりますよ」
しかし、イメージは全てが嘘というわけではない。
現に勉学や運動については、本人の不断の努力で賄っているのだ。
特別な進学校というわけではないが、それでも学年1位は学年1位だ。
「そういう日向は変わりませんね」
「だってボクはボクだからね!」
えっへんとない胸を大きく張って、少しだけ偉そうに日向は笑う。
こういう根拠もない自信をもっているところが、自分と正反対で好きだった。
――やっぱり日向と話してる時が一番楽しいです。
話す話題は尽きない。
学業、先生、噂話。
そして、話題はという特別な日に移り変わる。
「そういや、今日はクリスマスだね――ってすっごい嫌な顔っ!!」
「………はぁ、私クリスマス嫌いなんですよ」
クリスマスといえば幸せに満ちた季節だ。
カップルがいない孤独な人もなんだかんだそれをネタにして楽しんだりする。
そんな中、優莉ははっきりと、クリスマスが嫌いだった。
「……面倒な告白を受けるから?」
「それももちろんあるんですけど……なんて言うか、私たちを差し置いてのハッピーな感じが、どうにも受け付けないんですよ。ていうかクリスチャンじゃないくせに祝うな! いいとこどりしやがって! 文化はオードブルじゃないんですよ!」
「おおっー、根室中のキレたナイフが戻って来たー」
「そんなあだ名無かったでしょう!?」
軽妙なやりとりに心を軽くするが、それでもやっぱりクリスマスは嫌いだ。
「クリスマスの良いところを強いて言うなら、イルミネーションが綺麗なことぐらいですかね」
普段は絶対に見せない黒百合の毒をまき散らす。
白百合はメッキ製なので、あんまり強い負荷が加わると中の黒百合が出てきてしまうのだ。
そんな不思議なイメージをしていると、ふと日向が声をかけてくる。
「それじゃあさ、今日の夜、イルミネーションを見に行かない?」
優莉は目を丸くした。
自分からならともかく、日向からそんな提案をされるとは思わなかったからだ。
それは、優莉にとって何よりも魅力的なお誘いだった。
◇◆◇◆◇◆
教師が年末の注意事項を事務的に述べるのを聴きながら、優莉はそわそわしていた。
今か今かと放課後を待ち望んでいるのだ。
もちろん白百合様はそんなことはおくびにも出さないが。
やけに時間が流れるのが遅くて、どうにも焦れてくる。
貧乏ゆすりをしたくなるのを堪えながら、しばしの時を過ごす。
退屈な時間というのは得てして長く感じるものだ。
しかし実際の時間は5分かそこらぐらいだろうか。
優莉はそれすら待てないほど、日向とのお出掛けを楽しみにしていた。
「――それじゃあ気を付けてな、良いお年を」
ぶっきらぼうに先生が手を振って教室を去っていく。
退屈すぎてぼーっとこの後の予定を考えていた優莉は、気が付くのが一拍遅れてしまった。
玄関が込み合う前にと急いで荷物を背負い、階段を駆けていく。
すらりと優雅に人の間をすり抜け、そしてお目当ての校門にたどり着いた。
今日の授業は日が沈みかけるまで続いたので、かなり暗い。
しかし優莉は気合の入った鋭い眼光で、直ぐにお目当ての人物を見つけた。
息が切れそうなのも忘れて、声を掛け――
「――ひな」
「あっ白百合さん!」
声を掛ける前に、横から別の声が飛び込んでくる。
緩んだ口角を引きしめて、声の主に振り向いた。
そこにいたのは3人組。
別のクラスだが、去年はそれなりに仲の良かった3人だった。
聞けばホームルームが先に終わっていたらしく、私のことを待っていたのだとか。
――今は急いでるのに
「……今日カラオケいこうよー!」
「白百合さんの歌カッコいいから聞きたい聞きたい!」
「私たち彼氏いない同盟に参加してくれない!?」
優莉は別に彼女たちが嫌いじゃない。
会えば話すし、遊びに誘われれば行くこともあるし、物の貸し借りは必要に応じてする。
彼女たちはいい友達だと思っている。
そう、そして同時にこうも思っていた。
――どうせ高校卒業したらなくなってしまう繋がり
どうせ全員学力が違うので別の大学に行くのだ。だから繋がりはそこで切れる。
優莉は決して百合の花の内側を見せようとしないし、彼女らも知ってか知らでか知ろうとはしていなかった。だがそれが逆に優莉にとっては付き合いやすくもあったのだが。
そんな『友達』である彼女らに優莉は申し訳ない表情を作って、
「……ごめんなさい、今日は先約があるんです」
そんな優莉の言葉に3人は顔を見合わせる。
「も、もしかして彼氏!?」
「ウチのクラスの風間君のこと!? 確か今日告白しにいったって……!」
「キャー!」
どうしてこんなに色恋が好きなのだろうかと呆れてしまう。
どうせ本気になっても、いつかは壊れてしまうのに。
出会えた喜びよりも、壊れた時の悲しみの方がずっと大きいというのに。
――だめだなぁ……、どうも今日は思考が落ち込んじゃってます。
黄色い歓声を上げる3つの花の誤解を解いて、ありきたりな弁解をした。
「――今日は、大切な家族と一日を過ごす予定なんです」
◇◆◇◆◇
鬱陶しい恋話に色づく花束と別れを告げて、優莉は校門を出る。
すると、外から見えにくい物影に隠れるように日向が立っていた。
「――お疲れ様、優莉」
「……はぁ、日向に声を掛けようとしたのにとんだ邪魔が入りました」
「邪魔なんて失礼だよ?」
窘めるような日向の言葉。
そして、さらに言葉を付け加える。
「いい友達じゃん! ……小学校の時の人見知りだった優莉とは思えないよ」
「私も、成長してますから――」
そう言って、優莉は昔と変わっていない日向を見る。
「――ボクは、変わってない?」
「ええ、ちっとも変ってません」
しばしの沈黙。
数秒にも、数分にも思える沈黙の後、日向は笑った。
「……そっか!」
笑った日向につられて、優莉も微笑む。
「それじゃ行こっか、クリスマスデートに!」
「はい、ってデートじゃないですけどね?」
そう言って、二人は雪と電飾の街に繰り出した――
――根室町。
都会に位置するこの町のイルミネーションは、毎年派手に行われる。
あらゆる動植物が電飾により形作られ、煌めく花畑で優雅に遊んでいる。
古代の憧れであった天空の星々は、人の手により地上に落とされてなお色褪せない。
「……きれい、ですね」
「そうだね」
そこには圧倒的なまでに美しい現代の芸術があった。
降り積もった雪にネオンが煌めき、訪れる人の瞳だけでなく言の葉までをも奪っていた。
マフラー手袋イヤーパッドを纏って上品に着こんだ白百合は感嘆の息を漏らし、冬なのにまるで季節を間違えたように薄着な日向も同意を示す。
これだけ見ているとやっぱりクリスマスは好きなのかもしれないと錯覚しそうになる。
しかし、優莉はやっぱりクリスマスは嫌いだと結論付けた。
なぜなら、
「それにしても、カップルが多いですね……」
「仕方ないよ、ここ一番の名所だし」
鬱陶しいと思えるほどのカップルが、そこでは肩を組み、手をつなぎ、時には体を寄せ合っていたからだ。一体どこから湧いてきたのだろうか。もしかして、この景色を邪魔するためだけに天上から降りて来たのではないか。そんな見当違いの感想を抱く程度には、優莉にとって彼らは邪魔な存在でしかなかった。
さながら鬱蒼としたジャングルのような人ごみの中、進もうとしても上手く進めない。
それどころか、一度人ごみに飲み込まれて離れそうになってしまった。
「……うっ」
――日向、どこですか……?
濁流のような人の流れ。恋人たちの喧騒がこれだけ騒がしいのに、いやむしろ騒がしいからこそ孤独を感じてしまう。
――ひなた、どこなの……?
なんだかどうしようもなく寂しくて、口をギュッと結ぶ。
それでも日向は見つからない。
――ひなたぁ、どこなのぉ……
段々涙が溜まってきてしまう。
人が多くて、温かいはずなのに、寒くて寒くて仕方ない。
「……あいたっ」
そしてとうとう、どこかも分からない場所で転んでしまった。
押されて転んでしまったが、誰も彼もが無関心だ。
だからこそ一層心が冷え込んでいく。
涙のダムに濁流が注がれていく。
あれだけ凛としていた白百合は、最早どこにもいない。
泣き虫で、弱虫で、日向に出会う前の情けないゆうりちゃんがそこにはいた。
日向と一緒にいるとどうにも弱くなってしまう。
「……っ」
ついに涙のダムにひびが入りそうになる頃、懐かしい声がした。
ずっと待ってた、あったかい声。
人波に抗ってきたのだろうか。日向は息を切らして――
「――優莉! やっと見つけた!」
それは優莉にとっての太陽だった。
昔もこうだった。
山で遊んでは転んで泣いて、鬼ごっこに混ざっては転んで泣いて。
その度にこうやって、日向が手を差し伸べてくれたのだ。
日向がいなければ、優莉はきっと生きてこられなかったとさえ思っていた。
鬱蒼としたカップルたちの喧騒も、流れるクリスマスのBGMも、もう何も聞こえない。圧倒的に美しかったあらゆるイルミネーションよりも、優莉は今の日向に目を奪われた。
冬の夜にあってなお輝く太陽のような笑顔。
「――っ!」
零れそうだった冷たいダムに、今度は温水が流し込まれた。
どうしようもなく胸が高鳴ってしまう。
忘れていたはずのものが、蓋をして抑えていたはずのものが溢れてしまう。
差し伸べられた手をとって、起き上がる。
手を伝って、体を伝って、それで頬が熱くなって、どうしようもなく鼓動が早くなって。
耳の中が煩くて、心臓の音が煩くて、溢れて溢れて溢れてしまう。
「……顔、赤いね」
「そういう、日向だって顔赤くないですか?」
きっと私は耳まで真っ赤になっているのだろう。
この溢れんばかりの想いを、隠すすべを優莉は持っていなかった。
だから言い返す。
「ボクは別に……、ってなんで泣いてるのさ……」
「な、泣いてなんか……」
温水によって温められ、ついに瞳から溢れてしまった。
この想いの答えを優莉はもう知っている。
しかし、それを言葉にするのはどうにも憚られた。
「カップルも多いですし、感動的な雰囲気にあてられちゃったのかもしれません」
「……そっか、それじゃせっかくだしさ、恋人いない同士一緒に遊んでいこう?
「そうですね、恋人いない同士で」
優莉も日向も、やけに恋人同士という言葉を強調して、それを否定する。
今日はデートじゃなくて、ただ親友として遊びに来ただけなのだ。
触れてはいけないタブーな気持ちを、親友という言葉で覆い隠して――
◇◆◇◆◇
――あっという間に時間は過ぎていく。
「ちょっと、頬にクリームついてますよ」
「ええっ、ボクから見えないんだけど……」
「見えるわけないじゃないですか――、ほら取れましたよ」
二人でクレープ食べて、頬ついてクリームを拭ったり、
「うわぁーー! いいなぁこの服……!」
「値段は………、うっ、別の見ましょう?」
「どの道ボク殆どお金持ってないけどね!」
偉そうにお金が無いことを自慢する日向とウィンドウショッピングしたり、
「うわっ、この漫画5巻分も更新されてたんだ!」
「ふふふ、私は少年シャンプーで追ってるので内容知ってますよー?」
「ちょちょっと! ボク楽しみにしてるんだからネタバレしないでよね!」
好きな漫画の更新を知らなかった日向と、単行本を見に行ったり。
夢のような時間を、二人で過ごす。
さながら、それは恋人同士のように。
傍から見れば、手を繋いで頬を赤らめた女の子同士がそれ以外の何に見えるだろうか。
しかし、時計の針は必ず同じ感覚で刻まれる。
幸せの魔法のような時間は刻一刻と終わりを告げようとしていた。
ネオンの街を抜け、旅の終着点は優莉の家。
少しでも長く、少しでも長くと、きっと日向も思っている。
けれど二人とも自然と、優莉の家で分かれることを暗黙の了解としていた。
コツ、コツ、コツとやけにゆっくり足音が響く。
時間がゆっくりになっているのか、いや違う。
優莉が、足を無意識に遅らせてしまっているのだ。
――ああ、どうして大好きな時間はこんなにも早く過ぎてしまうのでしょうか。
幸せな時間というのは得てして短く感じるものだ。
家が近づくにつれて足が遅くなっていく、重くなっていく。
これはきっと雪のせいだ。そうに違いない。
そう思っても、そう思い込めない。
思うことはたった一つのささやかな願い。
――このまま時間が止まってしまえばいいのに……。
取り留めもない談笑を交わし、互いの心を慰めあう。
しかし、別れの時は無情にも来てしまった。
――嫌、です。
優莉は嫌だった。
このまま、日向と別れたくなかった。
――嫌だ。
優莉は知っていた。
この気持ちが何なのか分かっていた。
――いやだ!
優莉は恋をしていた。
どうしようもなく、どうにもならないほどに、この親友に。
「優莉――それじゃここで――」
「――待って」
無理に別れようとする日向。
しかし、優莉はその言葉を遮る。
「せっかくですし、泊っていきませんか?」
「………っ!」
震えた声で、優莉は日向に言う。
そんな言葉を受けた日向は、悲しそうな顔をして、
「ずるいよ………そんな、涙だらけの顔で」
そう、優莉は泣いていた。
別れが寂しくて、どうしようもなくて泣いていた。
「……だめ、ですか?」
「………もう、わかったよ、しょうがないなぁ優莉は」
泣いている優莉を見る日向の顔は、どこか悲痛に満ちている。
けれど、声色にはどうしようもない喜色も覗いていた。
◇◆◇◆◇
優莉の家は女の子が夜に一人で出歩くことを許すような家ではない。
そして、急に泊まりに来ることを許すような家でもなかった。
「ただいま」
「おかえり……早く荷物置いてきなさい、夕飯が冷めるわよ」
優莉は頷いて、荷物を置きに行く――ふりをする。
「(今、今のうちに入って! 靴も持って! 早くしてくださいっ!)」
「(そんなにせかさないでって!)」
そう、優莉は内緒で日向を自分の部屋に連れ込むつもりだった。
優莉の母親は人が止まりに来ると言えば、かなり気を遣って数日前から準備をする人だった。
日向を部屋に押し込み、ついでに夕飯も胃の中に押し込む。
そうして優莉はすぐに部屋に戻って来た。
「そんなに急がなくてもいいのに……」
「……夜は短いですから。明日からはお休みですし今日は徹夜しちゃいましょう」
「……徹夜できるかなぁ」
「やってください」
徹夜に対して心配そうに呟く日向に、優莉は強い口調で徹夜を強要する。
この辺りは優莉は自分の欲求に素直で容赦がなかった。
ショッピングの時に、実はホラー映画を借りてきていた。
なので、まずは映画観賞会をすることにした。
部屋の電気を消すと、カーテンを閉めるまでもなく部屋は真っ暗になった。
そして、映画をモニターに写し、二人で見る。
映画はしばらく退屈なものだったが、流石は人気映画。
突如として始まった恐怖の殺戮劇と追いかけっこに、否応に緊張が高まる。
そして突如として大音量で悲鳴が――
「――ひゃっ! あわわ」
「アハハハハ! ……もう優莉は怖がりなんだから」
「ち、違いますよ! いまのは大きな音にビックリしただけです」
優莉はビクッとなった理由を誤魔化す。
「本当に、大きな音がしたからびっくりしただけですって………」
ぷっくりと頬を膨らませ、ぺしぺしと日向に抗議する。
実際のところ、そこまでは優莉は怖がっていなかった。
が、まぁ全く怖くないわけでもない。
気を紛らわせるために、少し恋愛要素のあるこの映画のヒーローについて話していた。
「この作者の人、女の人なのかな? ヒーロ役の男の人のスペックが高すぎるよ」
「……あれですね、俗にいうスパダリってやつです」
「スパダリ……?」
言葉の意味が分からず首をかしげる日向に、優莉は言葉の意味を説明してやる。
スパダリとはスーパーダーリンのことだ。
「――見た目はもちろん、高身長・高学歴・高収入で性格までハイスペックな理想の男ってことですね」
ちょっとバカバカしくなるくらいの高スペック男が、ホラーに巻き込まれる女主人公ちゃんを初対面にもかかわらず身を挺して助けてくれるというストーリーだった。正直ちょっぴり馬鹿らしいと思う程度にはご都合主義なキャラである。
そう指摘すると、日向は少し笑った。
「えぇーーでも、優莉だってたいがいハイスペックだよね」
「……そうですか?」
努力はしてるが、これと比べられると首を傾げてしまう。
「勉強できて、可愛くて、気遣いできて、運動も出来て、料理も出来る! 最早スーパーハニーだよ! 優莉は言うなればスパハニだね!」
「……なんですかそれ」
ちょっと気恥ずかしくて目線を逸らしながら否定してしまう。
すると、余計な興味を持ったのか、
「……優莉ってさ、弱点とかある?」
「弱点……?」
弱点といえば、しいて言うなら日向だろうか。
認めるのは癪だけど、近くにいるとどうにも弱くなってしまう。
まぁそれを本人に直接言うのは恥ずかしいので、適当な弱点を教えることにした。
「――太ももとか、ですかね?」
「ええっ、そういう弱点じゃないんだけどーー、……まぁいっか」
そう言って座り込んだベッドの上から日向はすり寄ってきて、
「それじゃあ太もも触らせて―」
「ちょっちょ、ダメに決まってるでしょう!? こら! にじり寄ってこないでください!」
「あ、もうボクに触らせてよーー! ちょちょっと力強いって!」
両手の手の平を前に向けて、日向の猛攻をガードする。
大人しそうに見える優莉だが、小柄な日向よりもずっと力は強かった。
しばしの間、暗闇の中での攻防は続いたが、それは突然終わりを告げる。
ふと窓の外に指をさす日向。
「……あっ、流れ星」
「えっ、どこですか――っ!!!!」
瞬間、弱点に手を突っ込まれて反射的に声を漏らす。
「ちょっ、あっやめっんんんんっ!!」
悪戯おじさんのように内ももを撫でる日向の手は妙にこなれていて、ふとももからせり上がるくすぐったさに思わず喜悦の声を漏らしてしまう。それが恥ずかしくて必死に抵抗するが、感じ入ってしまった優莉は力が抜けて、うまく対抗できない。
そしてそのまま体がもつれて、ベッドの上に倒れこんでしまった。
「……んっ、はぁ」
「………」
暗く静かな部屋の中で、二つの双眸が交差する。優莉は押し倒され、その上に日向が跨っている。もみ合いになった結果、両手は日向の両手に封じられたまま、ベッドの上に沈み込んでいた。
日向の健康的な生足と自分の白磁の肌が擦れ合う。
栗のような柔らかい茶色のショートの髪から、いつもとまるで違う熱い視線が唇に注がれる。パーカーに短めのズボンというラフな格好なのに、ちらりと見える肌は妙に艶やかに見えた。暗い部屋のはずなのに、一度合った目線はまるで吸い込まれてしまったかのように離れない。
優莉はゴクリと唾を飲み込み、溢れそうな胸の高鳴りを誤魔化す。
「……な、何してるんですか」
「何だろうね………」
暗い部屋の中にいても分かるほど日向の顔は朱かった。
爽やかだったはずの瞳は潤み、熱に浮かされたように体を揺らし、ほぅと熱い息を吐く日向は明らかな情欲をその身に纏っていた。
もう一度見つめ合う。見つめ合ってしまう。
心臓の鼓動が早くなり、お腹の下の方が熱くなる。
恋愛なんて馬鹿らしいと思っていたのに、壊れると分かっていてするのは馬鹿らしいと思っていたのに、もう馬鹿みたいに、枯れていたはずの心は熱い液体で満たされてしまっていた。
――これ以上は、だめなのに……。
これ以上進んではいけないという本能の警告と、溢れんばかりの情欲が、星明りに照らされながら対峙する。しかし、あっけなく後者が勝利してしまった。
頭の中はまるで熱湯が注がれたかのように蕩けてしまっており、心臓はもう壊れそうなぐらい高鳴っている。体全体が熱を帯びて、もはや理性を思い出す余裕すら与えてくれない。
日向も一緒なのだろうか。とろりととろけた瞳と、赤さを通り越して熱くなった日向の顔が、徐々に近づいてくる。
無限に思えるような時間、張り裂けそうなほど高鳴る胸。
小さな時計の針の音がやけによく響いて聴こえる。
そして、ついに唇と唇が触れようとして――。
――トントン
「「っ!!!」」
部屋の扉がノックされた。
おそらく母親だ。
慌てて起き上がってから布団をひったくり、日向ごと布団をかぶって、そしてその布団を持ちあげつつ体を起こした。
ちょうどドア側から見て優莉と布団が日向を覆い隠す形となる。
「……あら、真っ暗じゃない。今日は体調でも悪いの?」
「い、いや、そんなことはないけど……」
「まぁいいわ。早く寝るならそれでも……おやすみなさい優莉」
大方テレビでも一緒に見ないかと誘いに来たのだろう。
突然来ないで欲しいと優莉は内心愚痴りながら、扉を閉める母親を見送った。
もし暗くなければ顔が紅いから妙な勘違いをされてしまったかもしれないと、内心ゾッとしながら、そして布団を持ちあげたまま日向に振り返った。
「……ふぅ、危ないところでした……っ」
「そだねー……っ」
さっきまで、何をしていたのか。
何をしようとしていたのか、二人とも思い出す。
「あははは……さっきはごめんね……」
「……日向」
優莉は謝罪を名を呼ぶことで無視する。
「……私、中途半端が嫌いなんです」
それはどこかいじけたような、熱に浮かされたような言葉。
そして赤くなった顔をそのまま――
――日向の唇に押し当てた。
「……っ…っ!」
「んんっ……っちゅ……」
どうしようもなく焦らされてしまった優莉の艶やかな熱が、日向の唇を貪っていく。
突然の優莉の行動に固まってしまった日向だが、再起動して優莉を離す。
「………なんで………?」
「さっきも言いましたが、中途半端が嫌いだから――」
途中まで言って、耐えきれずにもう一度艶やかな唇に吸い付く。
「……っ、んんんっ」
「……んちゅ、っちゅ……」
大胆な優莉の口づけに戸惑う日向は体をよじるが、本気の優莉からは逃げられない。次第に唇から体の力を吸われ、蕩けていく。そして、いつの間にか、無意識のうちに優莉の舌に自分の舌をからませていた。
「……んんっちゅ……っちゅ」
「……ちゅっ……んちゅ」
自然と体は互いに抱き合うような姿勢になり、腕を絡ませあい、互いの唾液をただひたすらに交換する。この瞬間、二人は口を通して心で繋がっていた。優莉は溢れんばかりの想いのダムをついに決壊させ、唇と舌を通して日向に流し込む。そして日向はカラカラに乾いた砂漠のようなため池で、ひたすらにその想いを受け止めていた。
「んちゅ………んんちゅ………んん」
「んむ………あむ…………んむっ」
一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。
数秒か、数分か、もしくは数時間か。
無限に思えるようなこの一瞬、二つの花は互いに蜜を垂らし、艶めかしい汗を垂らす。
「んちゅ………んん、んはっはっ…………んちゅ」
「んんん、あ…………んちゅ、むちゅ…………」
もう一度、もう一度とどちらからともなく求めあい、深いキスを交わす。
何度も、何度も何度も。
そうして、優莉の決壊したダムから迸る熱い思いがなんとか流れ切り、日向のカラカラに乾いていた情欲のため池が溢れんばかりに潤った頃、どちらからともなく唇が離れ、各々の半身にしばしの別れを告げた。
優莉は改めて日向を見る。
湯気が出そうなほどに上気した日向の頬に、優莉を見つめる潤み切った瞳。余りにも深すぎたキスの余韻か荒い息を吐きながら、悲しさと嬉しさの混じった不思議な顔で優莉を見つめていた。
「優莉ぃ……ボクじゃ、だめなん、だよ……?」
「――全然、そんな風な顔に、見えません、けど……」
優莉は再度唇を近づけるが、今度は拒まない。
そして数秒か、数十秒か、また口を介して深いところで繋がる。
「……日向は、私のこと、嫌いですか?」
これは、きっとズルい質問。
日向は必ず肯定を返してくる。
「……好きに、大好きに、決まってるじゃないか………」
「――じゃあ、一緒にいましょう? 今日もそしてこれからも……」
日向は無言でうつむいたまま、何も言ってこない。
こちらは、決して頷いてはくれない。
日向は優莉のことを好きだと言ってくれた。優莉はそれが嬉しかった。ディープなキスで、深いところで繋がりあって、互いの想いの丈も確認しあった。こんなに嬉しいことはない。人生でこれほど報われた瞬間は無い――
――けれど、日向は決して頷いてはくれない
こんなに嬉しいはずなのに、こんなに悲しい、だからやっぱりクリスマスは嫌いだ。優莉はそう結論付ける。
少し気まずくなってしまったので、優莉はベランダの戸を開けて外に出る。そしてそれに無言で日向もついてくる。
今日は雪の日の後だからか、空気が澄んでいてやけに星が綺麗だ。
隣に立った日向と、鮮やかな夜空に指をさして語り合う。
自然と指と指を絡めながら、ぴたりと体を寄せ合っていた。
そして、優莉は最期の誘いを日向に告げる――
「――親には内緒で、いつもの山に行きませんか?」
日向は少しだけ悩み、そして諦めたように神妙に頷いた。
◇◆◇◆◇
住宅街からありとあらゆる光が失われ、原初の恐怖を思い出させるほどの暗闇の中、二人は家を飛び出した。家族が全員寝静まるまで寝たふりをして、そして内緒で抜け出してきたのだ。
出し抜いてやったという悦びと、イケないことをしているという少しばかりの罪悪感が優莉をどうしようもなく興奮させる。
そして、二人は昔からよく遊んでいた山までやって来た。
「……暗いですね」
「これ懐中電灯がなかったら絶対無理だよね」
夜遅くなので電灯も消えているが、懐中電灯とスマホがある二人には問題はなかった。
まぁそれでも暗いものは暗いのだが。
取り留めもない話をしていると、ふと日向は優莉のマフラーが変わっていることに気が付く。
「わ、そのマフラー今も使ってくれてたんだ」
「……はい、今日帰ってきたら母が直してくれてました。………日向からもらった大事なものなので」
「え、えへへ、そっかー、嬉しいなぁ……」
あんなことをさっきしたというのに、たかがマフラーごときで照れる日向を見ているとこっちまで恥ずかしくなってくる。中学生の時にもらった日向の手編みのマフラーは、決して出来の良いものではなかった。それでもずっと使ってきていたのだが、流石に毛糸がほつれてしまっていた。
そして優莉の母はクリスマスプレゼントとして、それを手直ししてくれていたのだ。
穏やかで、和やかな雰囲気のまま、手を繋いで暗くて寒い山道を登っていく。
こうしていると、昔を思い出す。
ちょっぴり悪い子だった日向に、大人しい子だった優莉。
あの時も手を繋いでこの山を駆けまわったものだ。もちろんこんなに寒くないし、暗くもない時だが。
「……日向は大きくなったよね、心も体も。昔はあんなに泣き虫だったのに……」
「うるさいですね……。前見てください前。ここらは石がゴツゴツしてるので転びますよ?」
「う、うわぁっ!」
案の定こけそうになった日向を引き戻し、戻す。
「……日向は軽いですねホントに」
「優莉が重くなっただけだよ」
「……今私のことデブって言いましたか?」
「言ってないよそんなこと!? ……たまに変なこと言うよね優莉って」
軽いやり取りをこなしていく。
まるで互いがそこにいることを確かめるように。
「……優莉はさ、綺麗になったよね」
「身だしなみには気を付けてますから」
散々話した話題を、また繰り返す。
「……子供の頃ってサンタさん信じてた?」
「……正直言うと、今も信じてます」
正直なところを優莉が告げると、案の定日向は大笑いした。
子供っぽいだろうか、子供っぽいだろうな。
でもいいじゃないか、クリスマスは優莉にとっては、特別な日なのだから――
「――クリスマスさ、優莉は何を願ったの?」
どこか、答えを知っているような、確認するような日向の質問。
「――日向と、もう一度合えるようにって、そう願いました」
「毎年毎年、変わらないね?」
コクリと頷いて、肯定する。
「――はい、日向が死んじゃったあの日から、ずっと願いは変わってません」
「……そっか」
事実を改めて突き付けられ、日向は少しばかり目を伏せる。
事実を改めて突き付けさせられ、優莉はズキンと胸の奥が痛む。
――樋本日向は、既に死んでいる。
やんちゃだった日向は、毎日つまらなさそうだった優莉にどういうわけか目を付けた。
それが全ての始まりだった。
最初は面倒に思っていた優莉だったが、日向の太陽のような笑顔にあてられたのか、少しばかり茶目っ気のある行動をするようになった。
そのうちの一つが、この山での山遊びだった。
木の周りを走り回り、落ち葉や紅葉を拾い、穴の開いたドングリを投げて遊ぶ。
そんな日々が幼き二人の日課だった。
しかし幸せな二人の日々は唐突に終わりを告げる。
ある日の帰り道、飲酒運転の暴走車にはねられて日向は死んでしまったのだ。
ありきたりで、ありふれた不幸。
だが、ここで話は終わらなかった。
この町では、昔から不思議なことが良く起きる。
実体を持った、幽霊伝説もその一つだ。
強い恨みを持つ人間が、1年にたった1日だけ肉体を持って復活するという都市伝説だ。
「……こんなに温かいのに、幽霊、なんですよね?」
「温かくするのは結構苦労するんだよー?」
ニシシと笑って告げる日向は、決して幽霊には見えない。
けれど、日向は間違いなく生きていてはいけない存在だ。
だから今日はイルミネーションを見るためにわざわざ顔見知りのいない隣町まで行ったし、家族にも友達にもその存在を説明しなかった。
「……幽霊、なんですよね」
「……うん、ごめんね、優莉」
改めて言葉に出すと、悲しみが溢れてきてしまう。
泣き出してしまった優莉を、日向は小さな体で抱き締める。
「……サンタさんも、もっとちゃんとした体で、届けてくれたらいいのに。そしたら毎年こんな、悲しい思いしなくていいのに……」
「――優莉、一つだけ、訂正させて?」
小さくなって抱きしめられたまま、日向に続きを促す。
「……サンタなんていないよ。ボクはボクの力で優莉に会いに来てるんだ」
「じゃあ、どうして……」
どうして毎年クリスマスに帰ってくるのだろう。
「ホントはね、いつも会わないようにって思ってるんだ……、
今日もそうだった。
でも、優莉が泣きそうだったから。
今にも消えちゃいそうだったから。
だから居ても立っても居られなくて。
だって優莉、屋上から飛び降りようとしてたじゃないか。
だったらさ、仕方ないじゃん。
会いたくなかった、ボクだって会いたくなかった。
大好きな優莉に、会いたくなんてなかったよ。
ずるいじゃん、あんなのさ。
手を繋いでイルミネーション見てさ、
クレープ食べて、本見て、ショッピングして、
ホラー映画もみて、挙句の果てにはディ、ディープキスまでしちゃって。
何も言わずに消えようっておもってたのに。
優莉のために、消えようって思ってたのに。
ずるいよ……」
優莉を抱きしめたまま、ついに日向は泣き出してしまった。
そんな涙に当てられて、優莉も泣いてしまう。
分かっているのだ、もう日向は長く持たないということが。顕現できる時間は1日というが、それは万全で全力で、完全な状態での話らしい。現に一緒にいられる時間は毎年短くなり続けている。そして、前回の日向は冷たかったはずなのに、今回の日向は温かい。心がじゃない、肌がだ。今日という日にどれだけの願いを日向が詰め込んで来たのか、無理をしているのかがなんとなく分かってしまうのだ。
「……日向、大好きです」
「……」
もう想いがぐちゃぐちゃで、情緒がめちゃくちゃで、うまく考えが纏まらない。だから思ったことを素直にぶつける。
「……日向、私、やっぱり日向のことが大好きです」
「…………っうぅ」
溢れる思いを、そのまま日向にぶつける。
「……愛してます、日向――」
「――ずるいじゃないかッ!!」
耳元で怒声を浴びせられ、思わず体がビクっとなる。
「ずるいずるいずるい!
僕だって優莉のことが好きなのに!
あんな優莉のいいとこ何一つわかってないやつらよりずっと好きなのに!
誰よりも誰よりも誰よりも大好きなのに!
なんでさ!
なんでだよ!
なんであの日車に引かれちゃったんだよ!
なんで1年に1回しか会えないんだよ!
僕だって、一緒にいたいよ!
優莉と一緒にいたい!
いたい!いたいいたいたい!!」
日向だって同じなのだ。
どうしても一緒になれなくて、辛くて、悲しいのだ。
――それならいっそ。
「……私も、あとを追いますから。泣かないで日向」
「それはだめだ」
涙でしわがれた嗚咽交じりの声で、しかし強く否定する日向。
「……なんで」
「優莉は、生きて、その先で幸せになるんだ。それが、ボクの願いだから」
「そんなこと勝手に決めないで!! 私は、私の思うとおりに――っ」
怒りに任せて日向に言葉をぶつけようとするが、それは唇に受け止められた。
日向の切実な思いが伝わってくる。
いったいどれだけ悩んで、私が前を向けるように、悩んで来たのか。
どれだけ私のことが好きなのか。
「……私も、一緒に……」
「ダメだ優莉。――ボクのことが好きなら、死ぬことは許さない」
はっきりと言い放つ日向の強い言葉を前に、反論する意思を失う。
どれだけの願いと悲しみが籠っているのか、わかってしまったからだ。
どれだけの間二人で泣き続けていたのだろうか。
どれだけの間二人で抱き合っていたのだろうか。
落ち着いてからは、
どれだけの間二人で笑いあっていたのだろうか。
どれだけの間二人で口づけを交わしあっていたのだろうか。
楽しくない時間は無限に思えるというし、
楽しい時間は限りなく短く感じる。
この時間は、どっちの時間だったのだろうか。
どんな時間よりも長くて、どんな時間よりも短い時不思議な時を過ごす。
しかし、タイムリミットは必ずやってくる。
そして二人は最期の約束をした。
涙の枯れた後の赤い目で、優莉は日向に最期のお願いをする――
「――せめて、最期に、山頂の夕日だけは見に行きましょう?」
日向は、心底辛そうに頷いた。
◇◆◇◆◇
少し山向こうが明るくなってきた。
もう少しで、朝日が見られるはずだ。
山頂まではあと僅か。そして日の出までもあと僅か。
それなのに――
――体が、重い。
ボクの足は鉄球を括りつけられたように重い。
進まなきゃいけないのに、優莉のために進みたいのに。
どれだけ頑張っても前に進めない。
太ももに力を入れて必死に足を持ちあげる。
足を下すときだけは楽だから、出来るだけ前に体を倒し込む。
しかし今度は雪に足がめり込む。
体の中身がゴリゴリ削られていくような感覚。
もうとっくに燃料は切れてしまっているのだ。
ただでさえ無理をして、完全な状態で顕現したからだろうか。
今後十数年は付きまとうことが出来るほどの霊体の強い思いを全てかき集めて、ボクは今日という日に全てを掛けていた。
――あと、ちょっと、なのに……
日の出を見るって、約束したのに、進まない。進めない。
少し先行している優莉はゆっくりと歩いている。
それなのに、追いつくどころか、どんどん引き離されていく。
――はぁ、はぁ……っはぁ……
本物の血なんて無いはずなのに、喉からは血の味がする。
本物の筋肉なんて無いはずなのに、限界をとうに超えた手足は動かない。
本物の汗腺なんて無いはずなのに、汗が額から垂れてくる。
そして、とうとう終わりの時が来た。
淡い蛍のような燐光が体から立ち昇る。
体が、少しずつ体が、薄れていく。
――やっぱり、こうなっちゃったかぁ
知っていた、こうなるかもしれないと。
日の出までは持たないかもしれないと、知っていた。
約束を守れないことが悲しくて、いつでもちょっと足りない自分が情けなくて、そして――
「日向―! その体……っ!」
「ごめんね優莉……? これでもボク、全部振り絞ったんだよ?
来年からの分も、全部かき集めて、今日のために振り絞ったんだよ?
それでも、足りないみたい……、
ひどいよね、神様ってさ」
大好きな優莉を泣かせてしまう事が悲しくて、泣いてしまう。
もう涙なんて流しきったはずなのに、それでも湧いてくる。
「ごめんね優莉……! ボクここで、消えちゃうみたい……!
思い出すのは一緒の日々
泣いて、笑って、怒って、喜んで。
最高だった、優莉との日々。
「日向っ、日向っ、ひなたぁ! 日向がいなくなっちゃったら、私どうすれば!」
「大丈夫だよ。もう日向は、ボクなんていなくても生きていける」
この1年で優莉はずっと強く大きくなっていた。
凛とした立ち姿に、自信のある笑顔、鍛えた体に、鋭い頭脳。
「――だって優莉はもう、白百合様なんだから!」
「……っ……!」
あれだけ弱かったはずの優莉は、もうどこにもいないんだ。
「ひ、日向っ……っ、っぐす……ありがとっ、ひ、ひなたっ」
「ありがとね、優莉。
一緒に遊んでくれて、一緒に笑ってくれて。本当に嬉しかった。
優莉はいっつもボクに救われたって言うけどさ。
本当に救われたのはボクなんだ。
どこか八方美人なところがあったボクに、本当の友達を、初めての恋を教えてくれた」
優莉の涙を透けて来た手で拭う。
「だから、泣かないで欲しい。
こんなにいっぱいの幸せを貰ったんだから、幸せになってほしい。
そしてこれからは、一人で生きていってほしい。
ちゃんと生きて、ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと喜んで。
そして――」
――ちゃんと幸せになってほしい。
「うっ、ううっ、ぐすっ……っす」
光の勢いがいよいよ強くなり、体が燐光に飲み込まれていく。
まもなく、ボクは消えるだろう。
もちろん消えてしまうことは怖い。
でもそれよりも、ボクの中から優莉が消えちゃうことの方がもっと怖い。
だから、忘れない。ずっと、絶対に、忘れない。
「優莉……出会えて、本当によかった」
「………うん、わ、わたしもっ」
だから、これは最期のわがまま。
最後に掛ける、幽霊の呪いだ。
「……大好きだよ、優莉」
「………っ私も!!」
消えゆく体はもう動かない。
でも、強く大きくなった優莉が抱き締めてくれる。
暖かくて、優しくて、それでもどこか弱弱しい、そんな抱擁。
そして、大好きな優莉の腕の中で、ボクは消えていく。
――そっか、こんな最期なら、悪くないかな。
そんなことを考えているうちに、意識は空気に溶けていった。
◇◆◇◆◇
淡い燐光となって、日向は消えていく。
こんな消え方をしたことは見たことが無かった。
日向は言っていた。これが最期だと。全てかき集めたと。
それがもう二度と、日向と会えないという事実をどうしようもなく突き付けてくる。
もし今から日向を追えるというなら、私は追いたい。
でもどうだろう、友達、家族、みんなはどう思うだろうか。
それに、日向とも約束したのだ。
だから私はまだ死ぬわけにはいかない。
けれど悲しくて。
あれだけ幸せだったのに、今はどん底で。
こんなに悲しいなら、好きになってならなきゃよかったとすら思ってしまう。
日の出はもう目前だからか、それとも山頂に近いからか、懐中電灯の明かりはもういらなかった。
それよりも、前が涙で滲んでよく見えない。
足元に気を付けながら、前に進む。
けれど足は重いし、涙腺は痛いし、胸にはぽっかりと穴が開いていた。
枯葉をひたすら踏み締めるのを見ながら、とにかく前に進む。
空は明るくなってきているのに、本当は明るいはずなのに、目の前は真っ暗に思えた。
だからだろうか、小石に躓いてしまう。
体が倒れそうになる――
――しかし、不思議とすぐに態勢を立て直すことが出来た。
「(………これは)」
ふと感じたのは、胸の中にぽっかりと空いた真っ暗な穴の中に芽生えた、小さな若芽。
日向の燐光のような光を纏ったそれは、小さいのにどこか存在感があった。
ここで気が付いた。
私は、一人じゃないんだ。
日向は確かに消えてしまった。
けれど、今も、そしてこれからも、見守ってくれている。
それはきっと心の中にあるもの。
人は、人の繋がりは、死んでしまっても決して消えない。
忘れてしまわない限り、人は人の中で生き続ける。
それが、ずっと忘れないってことなんだ。
ぎゅっと手を握り、大地を確かに踏み締める。
もう、私は昔のような弱い私じゃないのだ。
もう、転んでも助けてくれる日向がいなくても、私は生きていけるし、生きていかなきゃいけないんだ。
「………着きました」
そして、山頂に、たどり着いた。
山頂は整備されていて、もう足元を見る必要はない。
そこで顔を上げようとして、ふと突風に見舞われる。
すると首元に巻いていたマフラーが解けて、空高く舞い上がってしまった。
そしてここまでずっと、下げていた目線を初めて持ちあげる。
「……あっ」
そして、言葉を失う。
――朝日だ
空を優しい日向色に染め上げ、目覚めるものを平等に祝福する。
暗闇の中にあった私の心、そして心の中に芽生えた若芽をも照らしてくれた。
ほどけたマフラーは、まるで意思でも宿ったかのように宙を舞い、私の新たなる門出を祝福してくれる。静止画でしかなかったはずの日の出は、やかましいマフラーによって動くアルバムに早変わりした。
きっとそれは、どんな日の出よりも綺麗な朝日だった。
ふわりふわりと宙を舞った日向のマフラーは、奇跡のように私の元に戻って来た。
思わずおかしくて笑い声を漏らしてしまう。
これじゃあまるで………
――日向が祝福してくれてるみたいじゃないですか
私は忘れていない。
私の太陽と出会ったあの日を。
悪口を言われて泣いていた私、連れ出して慰めてくれたあの日を。
珍しくやったいたずらで先生に怒られたあの日を。
宿題写してといつもギリギリの時間になって言ってきたあの日を。
大好きな日向がくれた言葉も思い出も、全部私の中にある。
そう、彼女は私の中で、いつまでも私を見守ってくれているのだ。
私が忘れてしまうその日まで。
だから、ぎょっとマフラーを握って言葉にすることにした。
「日向・・・・ありがとう! 絶対にっ、忘れないからっ!!!」
◇◆◇◆◇
季節は廻り、またクリスマスの日が訪れた。
毎度毎度授業日と重なるのはどうなのだろうかと、白百合は思う。
「ちょっと先輩! 行きますよー! なにもたついてるんですか!」
「……間に合うから問題ないですよ。優月はもう少し落ち着くべきじゃないですか? そんなんだからモテないんですよ」
「ええっ! それはひどいですよぉ……! というか先輩だって彼氏いないじゃないですか!」
「私は作ろうと思ったらいつでも作れるので………まぁ別に男に興味ないんですけど」
先輩後輩の関係ながら、それなりに親しい二人は砕けたやり取りをする。
白百合は、少しだけ強くなった。
誰にでもよい顔をするのではなく、少しは毒を漏らすようになった。
「………あっ先輩! 今日の放課後、ショッピング行きませんか?」
「別に用もないのでいいですけど、どうしてですか?」
後輩が誘ってくることは珍しくないが、買いたいものでもあるのだろうか。
「いえ、そのマフラーちょと解れてるなと思うので、私が先輩にプレゼントしちゃおうかなって!」
「……これ、私にとってはちょっと大事なものなんですよ」
白百合は今も日向のマフラーを自分で手直しして使っている。最早別物になってきているような気もするが、それはそれ、これはこれである。
そしてこういうデリケートな部分にこの後輩はは余計に踏み込んでこない。そういう部分が白百合は好きだった。
「じゃあそれはそれでいいいんで、私が先輩に別のやつ買いましょうか? 前のお礼もしたいですし………あっでもお金が足りないので、代わりに私にクレープ奢ってください」
「ふふふっ、いいですよ?」
そう言ってにっこり微笑むと、何故か後輩は顔を赤くする。
それにクリスマスにわざわざクレープとは。たまたま偶然なのだろうけれどちょっと笑ってしまう。
この子との関係も、高校卒業したら薄くなってしまうような繋がりなのかも知れない。けれど、今はこの繋がりを大事にしていきたいという気持ちがあった。去年仲良かった3人組と何が違うのだろうか。それとも自分が変わったのだろうか。
そんなことを考えていると、後輩がいよいよと急かしてくる。
「ほらほら、もう休憩終わっちゃいますって!」
「………ホント一回落ち着いた方がいいですよ」
全くもってせっかちな後輩である。
と、何故か後輩は片手を差しだしてくる。
「……それじゃ、先輩のペースで連れて行ってくれませんか?」
つまり、手を握って連れて行って欲しいということだろう、
いきなり何を言い出すのだろうかこの子は。
当たり前だが握ってやるわけない。ぺちっと手を払い、誰かさんみたいな悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「お断りします」
「ああっ! 手を払いましたね先輩! 可愛い後輩に対する慈悲とかないんですか!」
「ないです」
ぶーぶーとぶー垂れるヘンテコな後輩だが、白百合にとっては可愛い後輩だ。
しかし甘やかすと際限なく付け上がるダメな子でもあるので、甘やかしはしない。
「……私はこんなにかわいいのに――ブヘッ」
「ふふふっ………!」
冬には珍しい温風が吹いて、マフラーの端が後輩の顔に叩きつけられて思わず笑ってしまう。
マフラーといえば、あの日の朝日の時もマフラーがヘンテコな動きをしていた。
ふと空を見上げると、太陽がいつものように私たちを照らしていた。
知っているだろうか。白い花は真っ白な太陽の光の受けるから、白く光るのだと。
誰よりも美しい白百合の花、それは柔らかな日向があるからこそ輝けるのだ。
――日向はこれからも、ずっと私の中にいます。
「あぁ! 本当に遅れちゃいますよ優莉先輩!」
「――! 私を名前の方で呼ぶの、初めてですね」
「……な、なんでだろう? あれ、そんなこと考えてなかったのに、自然に……あれ?」
……日向のマフラーに打たれて頭がおかしくなったのだろうか?
まぁ、別にどちらでもよいか。
流石に時間が無くなってきたので移動し始め、すぐに分かれ道まで来る。
「それじゃ靴箱で合流しましょうね白百合先輩! ……今日は楽しいクリスマスにしましょう……ってすっごい嫌な顔してる!どうしたんですか!」
「はぁ……そういえば今日ってクリスマスでしたね……」
なぜ嫌な顔をしたのか不思議がる後輩に、白百合は満面の笑みで告げた。
「――だって、私、クリスマスは嫌いですから」
それ笑顔でいうことじゃないですよとの後輩の言葉を受けて笑ってしまう。
コロコロと顔色が変わる後輩を見ていると、なんだか結構楽しい。
今年のクリスマスはきっと楽しいものになる。
白百合はそう思った。
よかったら感想ください