13章:コンプリートブルー(16) SIDE 冷泉
SIDE 冷泉
今日は陽山さんと二人で歌の収録だ。
事務所は彼女と私のユニットデビューを企画している。
正直、私は乗り気ではない。
アイドル的な活動になることもだが、端的に言って陽山さんが苦手なのだ。
「アイちゃん! がんばろうね!」
スタッフさんがブース内でマイクの準備をしている横で、陽山さんが私の腕にぎゅっと胸を押しつけてくる。
発育の良い胸の形が変わるのを、スタッフさんが横目で見ているのもかまわず、彼女は無邪気な笑顔で私の反応を待っている。
他の出演者がいない場所ではいつもこうだ。
「近いよ陽山さん」
「だって、アイちゃんとユニットを組めるなんて嬉しくて!」
私が彼女を苦手な理由は、ファンから大人気なこの笑顔だ。
テンションの高い人全般が、そこまで苦手というわけではない。
そういった人も多い業界なので、付き合い方は心得ている。
笑顔の裏に私を陥れようとする邪悪な何かを持っているわけでもない。
ただ、強い下心を感じるのだ。
私の人気にあやかろうと近づいてくる声優は多い。
しかし陽山さんの場合、彼女の方が人気があるのだからそうではないだろう。
人気が落ちてきた時の保険ともとれるけれど。
もちろん、露骨に下心を覗かせるようなマネはしない。
むしろ私のことをよく気遣ってくれる。
逆にそのことが不気味ですらあるのだ。
歌の収録は難航した。
原因は主に私だ。
キャラクターとして歌うのならともかく、冷泉アイとして歌うのは、いまだに抵抗がある。
結果として、冷泉アイを演じながら歌うことになるのだが、これが思いの外難しい。
もともと歌が得意では無いことも災いしている。
自分を偽っている世のアイドルは、みんなこんな苦痛に耐えているのだろうか?
それとも、それすら楽しんでいるのだろうか?
だとしたら、やはり私にアイドルは向いていない。
そんな悩みを見抜かれたのか、何度歌ってもOKは出なかった。
今回の収録は、『激運動会』とのタイアップなため、本人の希望でアニメの音響監督も同席している。
この音響監督、最低な男だが悔しいことに腕は確かだ。
彼のディレクションは、演者やキャラクターの魅力を引き出すと同時に、お客さんに求められているものをしっかり提供する。
それだけに、生半可なことではOKが出ない。
休憩を入れられてしまい、落ち込む私を軽く慰めてくれた陽山さんはトイレに立った。
そんな時、静かなブースに入ってきたのは、音響監督の安西だ。
「苦戦しているね」
彼の口元に浮かぶのは、吐き気を催すほどのイヤらしい笑みだった。
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