『はるぶすと』16-1 歳時記 冬
冬至
一年で一番昼が短い日だ。
太陽は寝坊して起きてきて、夕方そそくさと姿を隠してしまう。
シュウが庭に出て来る早朝も、あたりはまだ闇の中。
白く見え始めた息を吐きながら、夜目が利く彼は草花の手入れを始める。
ほんのりと地平が赤みを帯びはじめると、彼はふと顔を上げ空の一点に目をやる。
そこには、昇る朝日に追い立てられるように上がってきた、新月間際の、細く研ぎ澄まされた美しい月があった。ふ、とかすかに微笑んだ彼は、しばらくその月を眺めていたが、やがて空に青みがかかる頃になると、月は光に溶けるように見えなくなった。
ちょうど定休日と重なったその日、オーナーの厳命により、従業員一同は例の梅林近くの温泉に連れ出される羽目になった。
昔からの風習で、冬至にはゆず湯に入るのだそうだ。
行ってみると、その温泉にもかなり大量のゆずが浮かんでいる。
「うわっすげえ! なんなんすか、これは」
夏樹などは大はしゃぎして、そのいわれを誰彼なく聞いて回っていた。
江戸時代から始まった風習だの、いや、平安時代からだの。ゆずの成分が湯冷めしないからだとか、いや風邪の特効薬だとか。
けれど、結局、確かなことは誰にもわからず。
「ええ? みんな違うこと言ってるんすけど。あ、冬里ならなんか知ってるっすよね? ねえ、教えて下さいよお」
と聞いたのはいいが。
「うん、教えてあげてもいいけど・・・」
「はい、お願いします!」
「タダとは言わせないよ?」
「へ? え、ちょちょちょ・・・・やめてー冬里ー! 椿、助けてえ」
とまあこんな具合に、また遊ばれたりするのだった。
無理強いする由利香にため息をつきつつも、温泉は好きなのでやってきたが。
なるほど、良い香りに包まれてゆったりと長く浸かれるからか、心なしかいつもよりポカポカとして身体が冷めにくいような気がする。
けれどそれは。
「あ、そうだ! シュウさん。いつも運転手任せて申し訳ないんで、今日は俺が運転して帰ります!」
そんな風に言った夏樹の言葉に甘えて、珍しく昼時から日本酒の杯を傾けたせいなのか。
自分で運転すると言い出したのに、うらやましそうにこちらを見る夏樹に、その地酒をこっそり買って渡したのは、彼へのお詫びと自分への戒めとして。
「とても美味しかったから。それに、飲んでみて感じたんだけど、このメモのような料理に合うと思うよ、試してみて」
「え? わ、はい、ありがとうございます! うっし、早速挑戦だ」
ガッツポーズでキッチンへと出陣していく夏樹を面白そうに眺めて、冬里が肩をすくめる。
「ホントに夏樹には過保護なんだから」
「運転手のお礼だよ」
「ふうん」
「なにかな」
「ううん、なんでもない」
いつもながらの読めない微笑みを返したあと、夏樹に「頑張ってね」と声をかけている冬里に、さて、どこまで気持ちに入り込まれたか、そんなに出したつもりはなかったけど、と苦笑する。
しばらくあとのディナーに、地酒を楽しむためのコースがメニューに追加されることとなった。
クリスマス
目に見えて長くなるわけではないが、冬至を過ぎると、太陽が徐々に早起きになる。
次にやってくるのが、サンディたちサンタクロースが、幸せを運んでくるクリスマス。
ディナーを提供するようになってからも、『はるぶすと』では、クリスマス・イヴはランチ営業のみだった。ただ、今年からはそれもやめようと3人の意見が一致し、イヴの今日、店はお休みしていた。
なぜかって?
日本では、クリスマスはどこのレストランも趣向を凝らしたランチやディナーを提供しているので、選択肢は星の数ほどある。そこで常連さんに休むことをそれとなく打診したところ、特に支障はなさそうだったからだ。
さて、サンタクロースは遠い旅路の途中、担当の地域でしばしの休憩を取る。休憩所に選ばれるのは妖精や精霊が棲む森、教会、日本なら神社仏閣、あるいは彼らのような千年人のところ。
今年の休憩所は、他の誰かが立候補したらしい。『はるぶすと』に依頼は来ていなかった。
けれど上空を通過するとき、彼らにはピンとくるものがあるらしい。
「あ」
ソファでくつろぎながら、料理小説? を熱心に読んでいた夏樹が、ぱっと顔を上げ、急いでベランダのガラス戸を開けて空を見上げる。
「やっぱりそうだ。シュウさん、冬里。今、あそこを通ってますよ」
「ホントだー」
いつの間に来たのか、すぐ隣にはすでに冬里が立っている。
「冬里、早っ」
「今年は誰が担当しているんだろうね」
あとから来たシュウも、空を見上げてそんな風に言う。
すると。
ひら、ひら、 ひら・・・
と、小さな星が、さながら蝶のようにあちらへこちらへ寄り道しながら落ちてきた。
「(ホーッホッホッホー、今年はわたしだよ)」
「ウィンディ!」
手のひらで星を受け止めると、サンタのウィンディの優しい声が、彼らの耳に響く。
目をキラキラさせて手を振り、大きな声で答えようとした夏樹が、はっと気がついたようにその叫びをゴックンと飲み込むと、小さくささやいた。
「お気をつけて~」
その声に応えるように、キラ、と一瞬、星が輝いた。
「あーあ、行っちゃった。でもどこで休憩するんだろ。せっかくだから何かおもてなししたかったな」
ちょっぴりふくれっ面の夏樹に、シュウが困ったように笑ってから魅力的な提案をした。
「ウィンディにはおもてなしできないけど、今日はイヴだから、ご予定を聞いてみて、スサナルさんのお宅にケーキを焼いて持って行こうか」
「ホントっすか? いやっほーい、やったー! なににします、どんなのにします? やっぱブッシュドノエルっすか」
料理だけでなく、お菓子も命の中に入っているらしい夏樹が、また目をキラキラさせて聞いてくる。だけでなく、まだ行けるかどうか聞いてもいないのに、キッチンに入って基本の材料を用意し始めた。
すると。
「(わたくしはモンブランが良いわ)」
「(姉上ずるい~僕はイチゴのケーキが好きです)」
「(なんだあ、俺は洋酒のたっぷり入ったヤツが、いいぜえ)」
「(えーと、僕はケーキなら何でもいいや)」
案の定、家主でもないものたちが、やいのやいのとリクエストしてくる声が響き渡る。
「(俺ん家に持ってくるって、言ってるだろーが。俺のリクエストが一番だ!)」
スサナルのそんな声は、あえなくスルーされ。
イヴのスサナル邸は、一夜限りの、洋菓子店『はるぶすと』として営業したようだった。
年明け
もういくつ寝るとお正月。
12月も25日を過ぎると、日本はいきなり日本になる。
え? どういう意味だって? いや、そのまんまの意味。
昨日までツリーだケーキだジングルベルだと大騒ぎしていたのをぽいっと捨てて、さあ正月だ! 注連飾りだ門松だ鏡餅だ、お年玉は? 初詣はどこ行く? とまあ、こんな感じ。日本の日本たるところ、日本人の本領発揮ですね。
外国でずっと暮らしてきた彼らにとって、最初この変わり身の早さには正直とても戸惑った。特に、100何年か以前の日本を知っている冬里とシュウにとって、日本人自体の変わりようにも驚きを隠せない。
「幕末の日本でクリスマスなんて言っても、誰にも通じなかったもんねー」
「まあ、そうっすよね。なんたってその頃の日本って、まだ鎖国してたんすよね」
「だね」
ただ、彼ら千年人はすべてにおいてフリー。愛すると言えば人類愛、何処に定住することもなく風のように旅しながら生きている。なので、こういう自由な感覚は心地よいものでもある。
そんなある年の瀬のこと。
「で? 今年は何処へ行こうか」
冬里が聞いてきたのは、もちろん初詣のこと。
とは言え、彼らにとっての初詣は、願い事を叶えてもらおうと言うようなたぐいのものではなく、神様に会いに行く、と言う程度の軽い意味だ。
「なにもこの日に行かなくても、年がら年中会えるのにね」
「そうっすよね、ちょっと耳をすませば、普通に声が聞こえるのに」
「その時間もないほど、今の時代って忙しすぎるんだよねー」
「変な世界っすよね」
肩をすくめて言う冬里の言葉に、少し悲しそうな夏樹だ。
シュウはそんな夏樹を優しい表情で見ていたが、そのあとにまた魅力的な提案を持ち出した。
「今年はお世話になっている★神社に、おせちを持って行こうか」
「え? おせち? 」
そういえば夏樹は、日本にいるのにまだ料理としてのおせちを作ったことがないと言う事実に、今初めて気がついたのだった。
「ほんとっすか? いやったあ、おせちおせちー、って、名前は知ってるけど、実際どういうものですか」
「それは自分で調べるもの、だよ?」
可愛く首をかしげる冬里に、「はい!」と敬礼などして、
「まだ時間あるっすよね。ちょっと本屋へ行ってきます!」
と、ランチとディナーのほんのわずかの時間で、疾風のように本屋へ行き、今が季節の正月料理の雑誌や本をわんさと買い込んで来たのだった。
「けっこうあるんだね、おせち料理の本って。でも、こんなに揃えなくても、現代はネットの時代だよ? しかもうちには超一流の先生が2人もいるのに」
「てへっ、そうでした」
そう言ってぺろっと舌を出して頭をかく夏樹だったが、その横で、シュウがテーブルに所狭しと置かれた雑誌の一つを手にとって内容を確かめている。
「けれど、おせちも時代にあわせて相当変わってきているようだよ、冬里。洋風、中華、宗教的な意味で食べられない食材を使わないもの、完全な菜食のもの、他にもね」
「へえ、どれどれ、ってこれ、料理本じゃなくておせち考察の記事が載ってる雑誌じゃない」
「いや、何かの参考になるかと思って」
「ふうん」
おせちの作り方ならぬ、そんな雑誌まで買ってきた事に、今度はちょっと恥ずかしそうに頭をかいた夏樹だったが、冬里がそのままその雑誌を読みふけってしまったので、あれ、という感じでシュウを見る。
「なかなか興味深いことが書いてあるらしいね」
シュウは慣れたように少し苦笑すると、彼のことは放っておいて(そんな怖いこと、シュウにしか出来ないだろう)夏樹に提案した。
「では、この中で夏樹が作りたいと思ったおせちをピックアップしてくれる? そのレシピのまま作ってもいいし、アレンジしてもいいし。とにかく神様に喜んでもらえるようなおせちを作ろうか」
「はい!」
シュウの言葉に、夏樹は本当に嬉しそうに顔をぱあっと明るくした。
「でーもさー、三が日は神様たち、超忙しいよ。いちいち取り分けるんじゃなくてさ、サンドイッチみたいに片手で手軽に食べられるのも用意しておけば?」
横から、雑誌から目も離さず、さらっと言ってのける冬里。
「え? 冬里聞こえてたんすか? 」
「当たり前でしょ、こんな近くで話してるってのに」
と、目は雑誌の文字を追いながら、夏樹に答えている。
「でも、雑誌読んでますよね・・・」
「これくらい、同時に出来なくてどうするの」
「はあ」
冬里の器用さに、あらためて感心しつつも少し青ざめる夏樹と、その横で笑いをこらえるシュウがいた。
こんなに小さな都市なのに、★神社は毎年、結構な人で混み合っている。
一の鳥居を抜けて拝殿へと向かう両側にも、祭りの時のような屋台がずらりと軒を並べて賑わっている。
「日本人にとっては、正月もお祭りなんすかねー」
「うーん、まあ昔はほとんど娯楽がなかったから、正月も晴れの日に入ってたのかな」
「晴れ? お天気がいいって事ですか?」
「特別な日と言う意味で使う言葉だよ、夏樹」
「へえーやっぱ日本語は面白いや」
などとたわいもないことを話しながら、彼らは参拝の列に並んだ。
一般人? に混じって基本通りのお参りをしたあと、3人はとっとと神社をあとにする。そのまま神社の周りに張り巡らされた白壁に沿って歩いていると、ふいに壁に小さな出入り口が現れた。
彼らは何食わぬ顔をして、その出入り口を軽々と開けて中に吸い込まれていった。
「ようこそ」
彼らが中へ入ると、目の前に立っていたのは、なんと、この神社を任されているアマテラスその人だった。
「あれえ、今日は超忙しいんじゃないの?」
驚きもせずに冬里がおどけた口調で言う。
「おや、わたしを何だと思っておられる」
「アマテラス」
こともなげに答える冬里に、ちょっと意表を突かれたアマテラスだったが、なんのそんなことでまいる神様ではない。
「忙しい事は忙しいが、わざわざ料理を持ってきた者を無碍になどしませぬ。早う奥へ」
「ははー!」
またおどけて最敬礼などする冬里に、アマテラスはやれやれと言う顔をすると先へ立ち、手をひらひらと振って3人を建物の中へと招き入れる。
「失礼します」
「失礼します!」
「お邪魔しま~す」
三者三様の挨拶で、彼らはえも言われぬすがすがしさを醸し出している建物に入っていくのだった。
「あーいつ来ても神社って良いですねー」
夏樹が深呼吸しながら嬉しそうに言う。
「そだね」
冬里も心持ち深く息を吐くと、靴を脱いで玄関を上がる。
「これはどちらに」
そこで初めて、シュウがどこからかきっちりと風呂敷に包まれた重箱を取り出す。
「こちらでお預かりいたします。シュウしゃま」
するとおなじみ、アニメネズミがどこからともなく現れて隊列を組み、手を万歳のように上方に突き上げている。ここへ乗せろと言うことだろう。
「ありがとうございます」
シュウはゆっくりと彼らの手の上に重箱を置くと、完全に手を離してしまう前に聞く。
「重くありませんか?」
「なんのこれしき」
アニメネズミたちはシュウの思いやりに頬を紅潮させつつ、「では」と足並みを揃え、スススと奥の方へ消えてしまった。
アマテラスはそのやりとりの間にいつの間にか姿が見えなくなっていた。けれど誰に案内されるでもなく、彼らは屋敷の奥へと進んでいく。いくつかの角を曲がったところで足を止めると、横のふすまがすいっと開いた。
「おおー、よう来なさった」
「もうはじめておるぞ」
「さて、楽しみ楽しみ」
中は大広間になっていて、大勢の神様が杯やグラスを手に楽しそうに歓談している。それらが一斉に声をかけてきたのだから、たまったものではない。
夏樹は「うへ」と、擬音ともつかないような声を出してちょっと焦り気味。
冬里は、面白そうに肩をすくめている。
シュウは冷静にあたりを見回すと、冬里に声をかけた。
「御台所へ行ってくるよ。あの量ではとても間に合わない」
「はぁい」
予期していたように良いお返事の冬里。それにちょっと微笑んで、今度は夏樹に声をかける。
「夏樹、手伝ってくれるかな」
「へ?」
「おせち作りだよ、こんなに沢山いるってきいてなかったもーん」
「え? いまから? 作るんすか? うおお、頑張ります!」
少し引き気味にあたりを見回していた夏樹に冬里が説明すると、予定通り? 彼は大ハッスルして、今にも飛び出して行こうとしている。
「まって」
その襟首を、クイとつかむ冬里。
「とりあえず、アマテラスに年始の挨拶してからねー」
「は、はい」
言われて夏樹が部屋をよく見ると、遙か彼方の一番奥まったあたり、床の間を背にして、アマテラスが優雅に鎮座している。
冬里がニッコリと微笑んだのが合図のように、3人はあっという間にアマテラスのすぐ前に移動していた。立て膝でゆったりと座っているアマテラスに向かい合うと、まず彼らはきちんと正座して手をつき、丁寧にお辞儀をする。
「明けましておめでとうございます」
「明けまして、おめでとうございます」
「あけましておめでとうございます!」
三者三様に年始の挨拶をすると、アマテラスは鷹揚に頷いて「まあごゆるりと」とだけ返してくれた。だがその表情には慈母のような優しさがにじみ出ている。
「早速で申し訳ないのですが、御台所をお借りします」
「ほう? いかな理由で?」
アマテラスはわかっているのに面白そうに問いかける。
「おせちをお持ちしたのですが、どうも量を間違えたようですので」
そんなアマテラスに応酬するように、シュウが微笑みつつ言う。
するとアマテラスは、今度は可笑しそうに笑い出した。
「ほほ、お前も言うようになったものよ。実は我が弟がつい口を滑らせての、あとはこの始末」
「なるほど」
どうやらその弟とは、スサナルの事らしい。3人が正月に料理を持ってやってくると、年の瀬の集まりの折りにうっかり喋ってしまったようだ。
「そりゃー来るよねえ。なんたってシュウのおせち料理だもん」
冬里がこちらも可笑しそうに言うと、アマテラスが修正する。
「お前たち3人の、だ」
それを聞いた夏樹が、やにわに張り切りだしたのは言うまでもない。
「わ、ありがとうございます! それなら早く行きましょうよ、シュウさん、冬里」
「んー、僕はパス」
夏樹のお誘いに、何やら考えつつ首をかしげて冬里が言う。
「へ? なんでっすか、冬里」
「だってさ、それなりに時間はかかるよね? だったらその間の時間つなぎに、余興でもしようかなーって思ってさ。きっと料理がすぐに出てこないとうるさいよみんな」
「そう、っすかね?」
怪訝そうに夏樹がシュウの方を向くと、彼ではなくアマテラスが答える。
「まあそうでもなかろう。されど手を煩わせるのだから礼はせねばならぬの。さて、ではわたくしも余興に参じよう。舞でよいか?」
「うん、そう来ると思って、持ってきた」
そういう冬里の手にはいつの間にか横笛が持たれていた。
「ほほ、冬里らしい」
2人のやりとりに驚いていた夏樹の表情が、次の瞬間残念そうになり、思わずつぶやいてしまう。
「冬里の横笛に、アマテラスさまの舞っすか? ・・・見てみたい」
「じゃあ、夏樹も残りなよ」
「え?」
冬里の提案に、またまたおどろく夏樹。
「だって有能な助手もいるし?」
アニメネズミのことを言っているのだろう。ただ、そうはいっても夏樹はやはり夏樹。
「うー、いや、ここはやっぱりシュウさんと一緒に行きます!」
と、迷いながらもきっぱりと言い切った。
そして、先に廊下へ送り出してもらったシュウのあとに続く。廊下に出てからも名残惜しげに部屋の中を覗いている夏樹の前へ行くと、珍しいことにシュウは少しの躊躇もなくふすまを閉じた。
ふすまが閉じられるその一瞬に、冬里と視線を交わすのを忘れずに。
御台所へ着くまではほんの少ししょんぼりしていた夏樹だが、いざそこへ入ると、色とりどりの食材、整えられた包丁とまな板、大小の鍋などにたちまち目を輝かせる。
「おお、準備万端っすね」
「あなたたちが用意して下さったのですね、どうもありがとう」
丁寧にお礼を言うシュウと、瞳をキラキラさせながら腕まくりする夏樹に、ネズミたちはたいそう嬉しそうだ。
「シュウしゃま、夏樹しゃまのお役に立てれば、本望でございます」
ちょこんとお辞儀して居並ぶ様子を頼もしそうに見やったあと、シュウが静かに宣言した。
「それでは始めましょうか」
その頃。
大広間では、神様たちが案の定ぶーぶー言い出していた。
「おおい、料理はまだかいの」
「そうじゃあ、それを楽しみにしてきたんじゃあ」
とは言え、皆、上機嫌で本当に怒っているわけではない。はやし立てて楽しんでいるのだ。
「言ったとおりでしょ?」
「やれやれ。これは後日、スサナルにそれ相応の報いを受けてもらわねば」
「こわーい」
ふざける冬里を少し睨むと、アマテラスはその存在を大広間いっぱいに誇張する。
「「おおーーー! 」」
神様方はその勢いに一瞬ひるんだほどだ。
「皆、聞かれよ。料理が遅れておることはわたくしも重々承知、ここに謝罪いたします。その埋め合わせと言っては何だが、このアマテラス、年始の舞をご披露いたしましょう」
しんとしていた大広間に、神様方のやんやの声が響き渡る。
「これはめでたい」
「アマテラス直々の舞など、なかなか見られませぬぞ」
「やんやあ」
そのアマテラスの目配せ一つで、床の間が大舞台に変わる。
その上冬里の衣装までもが変わっている。以前、フェアリーワールドでコスプレしたときの、牛若丸のような出で立ちだ。
「うぬ、よく似合っておる」
満足げに頷くアマテラスに肩をすくめた冬里は、そばに控えていた眷属に何やらささやきかけた。
「承知いたしました」
頭を下げて、ふい、と消える眷属の方を見つめて冬里はつぶやいた。
「ほんと、過保護なんだから」
大広間ではアマテラスの舞が始まったようだ。
ほのかに聞こえる横笛の音に、シュウは思わず夏樹の方を見やる。
けれど料理に集中している夏樹は、他のことに気を取られる様子は見受けられない。その姿に満足そうに微笑むと、シュウは自分もまた持ち場に集中するのだった。
料理は瞬く間に完成していく。
やがて、美味しそうな煮物のにおいが入り交じる御台所の、最後のかまどの火が落とされた。
「よし、これであとは冷めるのを待つだけっす」
「それは我々にお任せを」
と、どこからか大きなうちわを取り出したネズミたちが、鍋の前でそれを一降りすると、一瞬にして煮物は冷めてしまう。通常冷ます過程で起きる煮汁の吸い込みまでやってのけているようだ。
「盛り付けも私たちがいたしますので、お二方はしばらくお休み下さいませ」
ネズミたちの言い分に、夏樹は少し不服そうだったが、そこでようやく大広間の事を思い出したらしい。
「あ~あ、そういえば、もう舞は終わっちまったみたいですね。残念だあ、見たかったー」
すると、1人のネズミがすす、と前に進み出て言った。
「先ほどの舞は、冬里しゃまのお計らいで、録画しております。よろしければ今ここでお楽しみ下さい」
「へ?」
驚く夏樹がネズミの指さす方を見ると、なんと御台所のやや広い空間に美しい幕が下りてきた。
「うわっすごいっす。ねえ、シュウさん! シュウさんも一緒に見ましょうよ!」
「ああ、そうだね」
微笑んだシュウは、夏樹に手を取られて連れられるままに幕の前へ行き、用意されていたチェアに腰掛ける。
映画のようにただ映し出されると思っていたそれは・・・
なんと!
立体映像だった。
まるで目の前でアマテラスが舞っているような感覚。
冬里の奏でる心地よい笛の音。
夏樹は子どものように目を輝かせて、食い入るようにそれを見つめている。
その横顔に十分満足したシュウは、音も立てずに隣にやってきた眷属に「ありがとう」と声に出さずに伝えたのだった。
どうやらさっき冬里と交わした目配せは、このことだったらしい。
次々に運ばれてくるお重のふたを開けた神様たちは、扇をふりつつやんやの喝采を送る。
「良き年開けじゃあ」
「おお! これはひとくちでいただけるぞ」
「こっちは片手でポイ! じゃあ」
「楽しや嬉しや」
「やんややんやー」
「やんやあー」
料理は最高級。
余興も最高級。
幸先の良い年開けの、ちょっと変わった初詣のおはなし。
冬から春へ
店の出入り口を開けると、そこは銀世界だった。
シュウは庭の手入れをするべく足を踏み出そうとして、ふと思いとどまる。
まあ、今日はこのままにしておきますか。
優しい笑みを浮かべてドアを閉じると、そのままキッチンへ入り、珈琲でも入れようかとポットを火にかけた。
しん、と音がしたような気がして、窓から外を覗くとそこは銀世界だった。
冬里は足跡一つ無い庭を眺めて、可笑しそうに微笑む。
まーた過保護な誰かさんが誰かさんのために、新雪のままにしておいたんだろうね。
ふわあ、とあくびをすると、彼は朝の支度をするべく部屋を出ていった。
リビングのカーテンを開いて外を見ると、そこは銀世界だった。
「うわっ雪だ! しかもけっこう積もってますよ、シュウさん! 冬里! うわあ珍しい~なんかこんなの久々だぁ」
温暖な★市では、積もるような雪が降ることは年に数えるほどだ。なので夏樹が雪を見て喜ぶのも無理はなかった。
降雪地帯の人にとってはやれやれだろうが。
けれど夏樹ははじめて雪を見たわけでもないし、むしろ雪深い土地に暮らしていたこともある。ただ、この冬の間に、★市でこんなに沢山の雪が降ることはもうないだろうとシュウが考えて、今朝の庭仕事を取りやめにしたのだ。
「あれ、でも今日はシュウさん、まだ庭の手入れしてないんすか?」
「ああ、夏樹に足跡のない綺麗な雪景色を見せてあげようと思ってね」
「シュウさん・・・」
感激してちょっとうるっとしている夏樹に、冬里ではなくシュウが笑って言う。
「だけど、あのままだと店をオープンできないから、アプローチの雪かきはお願いできるかな。たぶん昼までに少しは溶けると思うけれど」
そのセリフに、今度はちょっとホケッとしていた夏樹だが、すぐさま「ラジャ!」と、コートと手袋をひっつかみ、嬉しそうに裏階段を下りていく。
窓から外を見ていると、新雪にポスポスと足跡をつけては振り返り、大喜びでいったんガレージへ行き、スコップを持ってきてせっせと雪をかき始めた。
そんな様子を苦笑して見下ろすシュウの隣に、冬里がやってきた。
「嬉しそう」
「ああ、子どもみたいだね」
「と言うより、犬は喜び庭駆け回り、かな」
思わずうつむいて笑いをかみ殺していたシュウだが、さっと気分を立て直して言った。
「さて、朝食の準備をしますか」
「でもさあ、こんなに寒くても、もう春なんだよね」
サラダにかけるドレッシングを作りながら、冬里が唐突に言う。少し考えたシュウが納得したというように答える。
「? ああ、暦の上では、だね」
ついこの間、立春を迎えた矢先の、今日の大雪だったのだ。
「そ、冬ってさ、なぜか追いやられてるよねー春が待ち遠しいのはわかるけどさ」
そんな言い方をする冬里を珍しいと思いつつ、シュウは自分の正直な思いを述べる。
「そうかな? 考えたこともなかったけれど。私は凛とした寒い冬は好きだよ」
すると。
「俺も冬は大好きです!」
リビングのドアが開いて、夏樹が上気した赤い顔で2人の会話に参加する。
「雪かき、終了しました! 楽しかったっすー」
「どうもありがとう」
「ちょっと汗かいちまったんで、シャワーしてきます」
本当に楽しそうに言うと、夏樹はいったん自室へと消えていった。
その姿を見送りつつ、何やら思案顔だったシュウが思い出したように顔を上げる。
「そういえば、奈良ではお水取りが終わると春が来ると言われているんだったね。3月12日にすべての行事が終わるから、それまでは冬と言うこと。だから一概に立春が冬の終わりとは言えないよ。旧暦は、現代とはかなりずれているから、そう気にしなくても・・・」
冬里はシュウの説明を聞くうちに、ふっと微笑んでさも楽しそうな顔になる。
「やーっぱり、シュウってさ、過保護で天然で、だよ」
「なんでそうなるのかな」
少し苦笑いのシュウと可笑しそうな冬里と。
そんな2人を見上げるように、庭には、春夏秋冬のつもりだろうか、4体のスノーマンが仲良く並んで立っていた。
こんな寒い日は、暖かいお飲み物をご用意して皆様のお越しをお待ちしております。
『はるぶすと』は本日も、通常通り営業しております。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
『はるぶすと』シリーズ第16段です。今回のシリーズは、季節ごとの短編と言うことではじめさせていただきました。なぜか冬から始まる四季の歳時記です。追々、春夏秋冬が出そろったら、まとめて長編にするかもしれません。かなり時間がかかるかもしれませんので、どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。