そして記憶の波へ5
全身を泡立つような気持ちの悪い感触が支配していく。
「ああ、レティアーナ。逃がすものか」
「いや……」
(おじ様もいないこの地で、こんな場所でどうやっても逃げられない)
抱くのは絶望だけ。目を閉じて涙だけを流していたその時、声が聞こえた。
『助けてあげましょうか?』
女の声だ。
『助かりたいでしょう?』
(助けて……)
声を出すことが出来ずに、レティは心の中で答えた。それなのに、相手にはしっかり聞こえるらしい。
『いいわ。貴女が憎いのは何?』
(憎い……?)
レティは目を開けた。すぐ右横に誰かが立っていた。鎧の一部と思われる黄金のブーツがある。
体を起こすこともその気力もなくて、見上げて顔の確認は出来なかった。ただ、声は酷く聞き覚えがある。
『そうよ。憎いの。どす黒い欲望を貴女にぶつけてくるこの穢らわしい男?それとも……こんな目に遭う運命を背負った貴女自身かしら?』
(私、憎んでるの?)
欲にまみれ、レティをものとしか扱っていなかった養父だけでなく、自分自身でさえも。
『憎しみを全部消してあげるわ。そうすれば怯えることも思い出すこともなく安心できる』
黄金の足から金色の波が流れ、レティたちや部屋を包んでいく。
『貴女の代わりに殺してあげる』
ブゥンという電気に似た音が聞こえ、透き通った黄金の剣の先が目に入った。
(剣……)
レティの睫毛が僅かに動く。頭の中に一瞬何かがちらついた。
(今、何かを思い出しかけた!?)
うっすらとしか開いていなかった目が、ぱっちりと開かれる。レティは上に視線を上げた。
黄金の剣を両手で振り上げ、下ろそうとしている誰かの顔がようやく分かった。
「……え?」
アプリコットブラウンの波打つ長い髪。藍色の瞳。金色の鎧と光を纏っている姿さえ除けば、間違いなく……。
「誰……なんですか?」
『私は貴女。貴女は私』
「!!?」
同じ容姿をしたもう一人の自分は、表情を変えず静かに答えた。
『この剣で、忌まわしい記憶ごと滅してあげる。全部』
黄金のレティは、養父に向かって剣を振り下ろした。
「だっ……、やめてぇええっっっ!」
目を閉じて叫んだ。切っ先が、養父の首に触れるか触れないかの距離でピタリと止まる。痛々しい音がしないので、レティは恐る恐る目を開けた。
『――どうして止めるの?』
藍の瞳同士がぶつかり合う。
『今の自分の姿、分かるでしょう?』
ファスナーを力ずくで開けられたワンピースは上半身がずり落ちて、腕に引っ掛かっている。
『恥ずかしくて情けなくて、誰にも顔向け出来ない私。そうしたのはこの男よ。嫌いでしょう?』
金属ブーツの足が養父の背中を踏みつけた。
『こいつを消せばいいのよ。自ら消してしまうほど、忌まわしい記憶なら』
「そうだとしても、自分の気が済むためだけに傷つけることもいとわないとしたら、私もこの方と何も変わらなくなってしまう」
『それは綺麗事よ』
「違うわ。それだけじゃない。貴女の言うことを認めたら、私は汚れてしまう。そんな後ろめたい気持ちで、『あの人』の隣に立てなくなってしまうのは嫌なの!」




