叡智の魔女3
セリオは手をついて夜の海原を見つめた。
暫くそうしていて、それからレティの悲しみに染まる顔へ視線を移して意を決した。
「まぁ……。知ってますよ。一人だけ」
「ホントか!?」
「その人は『叡智の魔女』と呼ばれています。昔はとある場所の森に居ましたが、それも僕が子どもの……十歳の頃の話ですから」
「普通に陸で暮らしていたら、そうしょっちゅう移動するなんてこと無いんじゃないか?」
「どうですかね?自分達と違うものや、種族を追い出そうとするのが悲しい人間の性ようです。だから『魔女狩り』なんて言葉が存在するんでしょう?でもまぁ……」
セリオは縁からぴょんと床に下りた。そしてレティの前に立つ。
「どうしても行きたいと言うなら、案内しなくもないですよ?僕は恋敵の男の運命など興味はない。ここで朽ちるならそこまでだったということです。けど、レティアーナのそんな顔は見たくないですから」
「私……?」
「まるで泣いてるみたいです」
指摘されて、思わず目元を触ったらセリオに笑われる。涙のあとは完全に乾いていた。
「泣いてるとは言ってませんよ?」
「無理すんな」
ユリウスが手を伸ばし、いつしかのように荒っぽく頭を撫でてくれる。
「俺たちも一緒に行ってやるから、心配しなくて良い」
レティは乱れた頭を両手で押さえた。
髪を手櫛で整え、レティは二人に向き合った。
「ユリウス様、セリオくん。ありがとうございます」
二人の優しさが心に染みる。
「もう泣くのはやめると決めました。どんな思いをしても、どんな目に遭っても、リック様はお助けします」
悲しみの中にも強い光を込めた藍の瞳。
けれどそんなレティの姿は儚くて、ふわりと夜風に吹かれた瞬間、空気に紛れて消えてしまうのではないかと見ている二人に思わせた。
ユリウスが咄嗟にレティの手を掴む。見守っていた今までの表情と変わり、厳しい顔になる。
「お前、死ぬ覚悟か?」
レティは月を見上げた。海を撫でる潮風が、アプリコットブラウンの髪をさらさらと揺らす。
思い出すのは、酒場から去る深紅の後ろ姿を追いかけた夜。
月明かりの下、初めて美しい狼のような瞳を見たあの瞬間。きっとその時に心を奪われてた。
(リック様……)
「私がしている覚悟は、生きる覚悟です。リック様と生きる」
きっとそれは諦めればいつでも迎えられる死とは違い、遥かに険しい道になるかもしれない。
死にたくなったとしても、生きることを決して忘れられないから。
「そうか……」
ユリウスが安堵の息をついた。
「もしお前が死ぬつもりなら、俺は力を貸せないところだった」
レティは微笑み、また二人に視線を戻した。
「どうか私を『叡智の魔女』様の所に連れていってください」
「分かりました」
「俺たちは必ず生きて戻る。そしてリック兄を助ける。誓え」
ユリウスの手を差し出され、レティがその上に重ねて一番上に小さなセリオの手が乗った。
「よし」
下から上に切られる形で手は離れた。
「とりあえず今日は……」
言いかけたユリウスの言葉を、ぐぅーという音が遮った。




