第4話 『講習1』
「きゃ――――ッ!! って、なんでみなさんそんな平然としてるんですかー!?」
陸が勢いよく飛び降りたというのに、誰一人として心配する様子を見せない。
一人は開けた窓を閉めて椅子に座り携帯をいじり始め、一人は読書を再開し、一人はにやついた顔で瞑目した。
どうかしている。それが彼らを見た琴美の素直な感想だ。
ここは三階。人が飛び降りていい高さじゃない。しかもとんでもないスピードで外へ出て行ったのだから、無事なわけがない。
「うん。落ち着いて。えっと…琴美ちゃんだっけ? 陸くんは大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないですよ! ここ三階ですよ?!」
「ああ、それも大丈夫だよ。誰も見てないから。というよりも見えないから」
「そんなのどうでもいいんですって!!」
話が噛み合わない。
悠長に笑みを浮かべている悠介の横を通って窓へと駆ける。
「え? もしかしてあなたも飛びたいんですか?」
瑠奈が真顔で琴美に尋ねた。
「違いますっ!」
何故この状況でありえないことを真面目な顔で聞いてくるのかが理解できない。
そう思いながら琴美は陸が出て行った窓を開けた。
想像したのは最悪の状況。地面が赤く染まり、その上に陸が倒れている光景。
そんな想像をかき消して琴美は下を見る。
「え…?」
なにもなかった。血なんて一滴もないし、人影なんてどこにもなかった。
何度瞬きしても、どこに目を向けても、何もなかった。ただの校舎裏だ。
「だから大丈夫って言ってるじゃないですか。そんな外出ると危ないですよ」
「ぬわ…っ!」
背中を強く引かれ、外へと乗り出していた体を室内へと戻される。以外に力が強かったために、琴美は尻餅をついてしまった。
「あ、すみません。怪我はないですか?」
白くて綺麗な手が差し伸べられる。
琴美が顔を上げるとそこには少女の顔があった。
その顔を見た琴美は思わず見惚れてしまっていた。
先ほどは慌てていたためまともに見てなかったが、少女の姿が琴美には天使のように見えた。そう思ってしまうほどに美しい見た目をしている。
「? どうかしましたか?」
「なんでもないです…!」
差し伸べられた手を掴んだ。
やはり小柄な割には少女の力は強く、琴美はほとんど力を入れずに立ち上がれた。
(本当に小さくて、綺麗な手…)
実に女子らしく、可愛らしい手だ。だからこそ、こんな手の少女が自分を容易に動かせる力を持っているとは到底思えなかった。
「――こちらから差し出しておいて言うのもあれですが、離してもらえますか?」
無機質な声で瑠奈はそう言った。
「あっ! ごめんなさい!」
掴んだままだった手を慌てて離す。
「って、そうじゃなくて! 桐原先輩は…」
「だから大丈夫ですよ。それに関しては安心してください。……それよりも自己紹介がまだでしたね。私は二年の天野瑠奈です。よろしくお願いします」
「あ、はい…。こちらこそ…」
瑠奈は自分の椅子に座ると、部屋の隅に置かれていたパイプ椅子を指さして「どうぞ」と口にした。
少し落ち着きを取り戻した琴美は、一旦深呼吸をして、言われた通り椅子に座った。
三人の様子からして陸が大丈夫であることは本当なのだと理解できた。
「先輩、お茶お願いできますか?」
「了解。瑠奈ちゃんは緑茶ね。琴美ちゃんは何飲みたい? コーヒーか紅茶か緑茶か」
「じゃあ…私も緑茶で…」
「うん。よかった。実は緑茶しかないんだ」
え? なんで三択だったの? という疑問をニコニコしているイケメンに対して口にする勇気は琴美にはなく、そのまま言葉を飲み込んだ。
「楓ちゃんはー?」
「…いりません」
「わかった~」
悠介は準備を始めた。手際が良く、終わるまではあっという間だった。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
瑠奈は湯呑、琴美には紙コップにそれぞれ緑茶が注がれ、それぞれ前へと置かれた。
「どういたしまして。僕は三年の月城悠介。よろしくね。あとそっちの女の子は立花楓ちゃん。瑠奈ちゃん、陸くんと同じ二年生だよ」
悠介は琴美の横に椅子に座ると自分ともう一人の紹介もした。
琴美はその紹介された人物へと視線を向ける。
ちょうど楓も本から視線を琴美の方に移したようで、目が合った。
「――――よろしく」
しばらく琴美を見つめた後、短く言葉を投げかけると楓はまた本へと視線を落とした。
(なんかやな感じ…)
不愛想な態度を受けて、琴美は楓にあまりいい印象を持つことができなかった。
「悪気はないので許してあげてください。あっちの方が優先度が上なだけなんです」
緑茶をちょびちょび口に運びながら、感情の籠っていない声でフォローになっていないフォローをした。
(なんなんだろう。この人たちは…)
感情の変化がないような美少女、常にニコニコしていて何を考えてるかわからないイケメン、不愛想な読書に夢中の少女。なかなかよくわからないな人物たちだった。
「それで…桐原先輩はどこに行ったんですか?」
「どこって怪物退治ですよ。あなたを助けた時と同じように」
「あの怪物ですか?」
「はい。オメガです」
一年ほど前に琴美を襲った怪物――オメガ。
陸たちが生まれるよりも前に存在が確認…というよりも存在が世界的に発表された生命体。というのも存在自体は昔から確認されていたのだが、公表はされていなかったのだ。
何故急に公にされたのか明確にはわからない。
インターネットの普及によって、隠そうにも隠しきれなくなるの予見したからというのが通説にはなっている。実際、発表前から一般人による目撃報告はいくつかあったので、結局は時間の問題だったというのは事実だったようだ。しかしなぜ公表をしたのかは依然不明。そもそもそれまで隠していた理由ももわからないままだ。
「いつもやってるんですか?」
「やってますよ。オメガが出るたび、出るたびに彼が向かっています」
そこで彼女は確証を持った。
(じゃあやっぱり桐原先輩が噂の…)
陸らしき人物の噂は出回っていて割と有名だ。通り名のようなものもある。
だが、その人物が彼であった場合、疑問があった。
「…なんでですか?」
「というと」
「桐原先輩が怪物退治をしている理由です。対オメガの特殊部隊っていますよね」
「ああ、『ヴォルフノーツ』ですか」
オメガの存在を公表したのと同時に全世界で特殊部隊が結成された。いや、少し語弊がある。元々結成自体はされたいたのだ。が、表向きには同時に作られてたということになっている。それが『ヴォルフノーツ』。対オメガ専用特殊戦闘部隊である。つまるところ彼らという存在がいるのだから陸がオメガ退治をする必要がないはずなのだ。
「そうです。高校に来てるってことは、あそこに所属してるわけじゃないんですね。だったらなんで桐原先輩が戦ってるんですか?」
「――知ってますか? ヴォルフノーツって被害が出ないと動かないんですよ。正確には彼らの監視網にオメガが引っ掛かる、もしくは通報を受けてからなわけですけど、結局彼らがオメガのもとに到着するのは時間がかかるので…同じようなものですね」
また湯呑を小さな口へと運び、一口緑茶を口内へと入れた。唇から離した湯呑を机の上に置くと、瑠奈は琴美と目を合わせ、無機質な声で言葉を放った。
「だから彼がいなかったら、あなた死んでましたよ」
重みのある言葉だった。何より重く、現実を突きつけてきた言葉だった。
琴美は背筋に寒気を感じる。
そうだ。思い返してみれば確かにそうだった。
あそこにヴォルフノーツはいなかった。つまり陸がいなかった場合、琴美は死んでいたことになる。
そう考えただけで、恐怖が彼女の体を支配した。
「わかってもらえたみたいですね。彼がオメガ退治を行っているのは、なるべく被害を出さないためですよ」
「…でも、退治って言っても…どうやって倒してるんですか? ネットで調べたときにヴォルフノーツはオメガを倒すのに特殊な武器を使うって書いてましたけど…」
陸に助けられた後、琴美はオメガについて色々と調べた。その際、オメガ以外のことにつてもいくつか情報を手に入れていた。
そのうちの一つに彼らはオメガ討伐時に特殊な武器を使うというものがあった。理由はそれでしかオメガを倒せないからだという。
「言ってもいいと思いますか?」
「任せるよ」
「なら言いますね。私は責任取らないのでよろしくお願いします」
「えー、責任が瑠奈ちゃんが取ってよ~」
「それで桐原君がどうやってオメガを倒しているかですが…」
悠介を無視して瑠奈は回答へと移った。
「特に武器は使用してません。生身で殺してます。以上です」
「でもオメガって倒すのに特殊な武器がいるんじゃ…」
「別にそんなことはないですよ。やろうと思えば包丁とかでも殺せます。桐原君の場合は違いますが」
「違う…?」
「うん。琴美ちゃんはごく稀に特殊な能力を持った人間が生まれてくることがあるって知ってるかな?」
「あ、はい。一応は…」
ヴォルフノーツ同様、オメガについて調べていた時に見た情報…というよりも噂話。
それは特殊能力を持って生まれてくる人間がいるというものだ。
「けどそれってただの噂話ですよね」
「火のないところに煙は立たないって言うよね。いるんだよ。特殊能力――アビリティって僕たちが呼ぶものなんだけど、そういうのを持って生まれる人間は本当にいるんだ」
「それが桐原先輩ってことですか?」
「――そういう認識でいいと思います」
少しの間の後に瑠奈が答える。
しかし琴美にはその回答がなにかを誤魔化そうとしているように思えた。
「まあ、彼に限らず私たちも似たようなものなんですが」
「え? 先輩たちもその…アビリティっていうのを持ってるんですか?」
嘘を言っているようには見えないが、正直信じられない話だった。
「楓ちゃんと僕はアビリティ持ちだね。見てみる?」
悠介の提案に琴美はとりあえず頷いた。
それを見た彼はパチンと指を鳴らす。すると悠介の指先に赤く燃え盛る炎が出現した。
「!?」
琴美は驚き、立ち上がった。
「手を近づけてみるといいよ」
言われた通り琴美は手を炎に近づけた。
そこで確信する。これは紛れもない炎だと。
「手品、ですか…?」
「ううん。違う。僕のアビリティ」
手品でも何でもない。何もない指先から悠介は炎を出現させた。
「こんなこともできるよ」
悠介の指先にあった炎はひとりでに動き出す。蛇のように長く伸びたその炎は、部屋の中をぐるぐると回り始めたのだ。
「だ、大丈夫なんですか!?」
燃え移るのではないかと琴美は思ったが、杞憂だった。
「大丈夫だよ」
ぐるぐると回っていた炎は悠介の手のひらに移動した。それを確認すると彼はそのまま拳を握る。
再び開かれた手を見るとすでに底から炎は消え失せていた。火傷の跡もなく、きれいな手があるだけだった。
「はい終了。楓ちゃんのは感知系で見せようがないけど、今ので信じてもらえた?」
「えっと、その…」
実物は見せられた。でも整理はできない。
ひとまず琴美は椅子に腰を下ろした。
「理解できないのは仕方がありませんよ。人間、今まで非常識だと思っていたことを、常識だと改めるには時間が必要ですから。とりあえずアビリティは存在するとだけ言っておきます」
ここまで証拠を見せられたら琴美もアビリティの存在を認めざるを得なかった。
「――その、アビリティを持っているから桐原先輩は大丈夫なんですよね」
「うーん…。陸くんはそもそも――」
「――先輩。るな」
悠介の話を楓が遮った。
特に気にした様子もなく悠介は「どうしたの?」と聞き返す。
「二か所で乱れ発生。規模的に一体ずつだと思う。…あと多分レプリカじゃない」
「お、判別できるようになってきたんだ」
「…一応」
「今後もその調子でよろしく頼むよ。――さてと…」
悠介はのんびりと立ち上がった。
「それじゃ僕も行ってくるかな。場所は?」
「駅の方だと思う。詳しい位置は自分で探して」
「陸くんとは違って僕はオメガの位置の感知できないんだけどなぁ。ま、致し方ない」
「私は行く必要ありませんか?」
「いつも通りでやろう。アビリティ持ちがいたら連絡するよ」
「わかりました」
やり取りを終えた悠介は扉の方へと歩いていく。ドアノブに手をかけたところで、彼は振り返って琴美のことを見た。
「――そうだ。琴美ちゃん、ついてくる?」
「へ…?」
悠介は笑顔のまま琴美に尋ねた。