第3話 『再開』
「ぬおぉ!! 消し飛べぇ!!」
「負け…ない」
「よく避けたな。だが、残念。カウンターだ!」
「な…」
「これで勝負は…って、どなた?」
プロジェクターによってスクリーンにはゲームの画面が映されていた。
これに熱中している最中、唐突に扉が勢いよく開かれた。陸はそちらへと目を向ける。
(なんか見たことあるような…)
見覚えのある気がする少女が入り口に立っていた。
誰だっただろうかと記憶を探っていると、
「…よそ見」
「な、ずるいぞ楓…って、うおぉ!?」
スクリーンに表示されるフィニッシュの文字。これは勝負の決着を意味していた。
「私たちの勝ちなので、ジュース買ってきてくださいね」
「待て、今のはノーカンだ! よそ見がなければ勝ってた!」
「自分からどんなことがあっても勝負に負けたチームは走ってジュースを買ってくるって言いましたよね。まさか約束を破るんですか?」
「ぐ…っ!」
確かにこの今日発売の新作格闘ゲームでチームを組んで戦い、負けたほうがジュースを奢ると謎の勝負を提案したのは陸だ。
(くそっ! なぜこうなった…!)
陸はダウンロード版を事前に予約購入し、配信開始直後からみっちり練習して今日は登校していた。そう。準備万端の状態で彼はこの戦いに挑んでいたのだ。
そしていざ男女で別れて二対二の勝負を開始した。早々に悠介が「わー」とかやる気のない声を出して退場し、二対一に追い込まれたわけだが陸にはそれでも勝つ自信があった。実際に瑠奈は難なく倒したのだ。なのになぜか楓を倒すのに時間がかかっていた。
いや、ほぼ互角の勝負をしていたのだ。
「――――!」
そこで陸は気づいた。
「楓、まさかお前も…!」
「ようやく気付いた…。甘いよ、りく。私もダウンロード版を予約してた」
「お前も練習してたのかよォ!」
流石に陸にとって予想外だった。
「え、桐原くん初めてプレイするって言ってませんでした?」
「本番に向けて練習をしてたんだよ…。夜中にな」
「あー、だから昨夜ベットから抜け出してたんですか…」
小声で呟き、瑠奈は一人で納得している。
そして「それってズルじゃないですか?」と言葉を続けた。
「おかしいな…。楓も同じ立場のはずなのになぁ…」
なんだかんだ言いながら陸は立ち上がった。楓には普通のジュースを、瑠奈にはこの時期にはそんなにいらない暖かいコーンスープを買ってこようと心に決めながら。
「あ、あの…」
入口から申し訳なさそうな声が陸の耳に入り込んでくる。
今のやり取りの中で完全に忘れていた。
「それで君はどなた?」
陸は二年生の顔は全員覚えている。この顔はその記憶のリストに該当しないので、高校二年生ではないことは確実だった。残るは一年か三年。容姿と制服の着方からして一年生だろうと彼は予想した。
「わ、私、一年の小川琴美っていいます。佐倉由紀先輩にこの場所を聞いて来ました。――桐原先輩ですよね」
「うん。そうだけど…。何か用かな?」
琴美がここに『来れた』ことをおかしいと思いつつ尋ねた。
「実は、私が中三の時に桐原先輩に路地裏で怪物に助けてもらったことがあって…そのお礼がしたくて来たんです…」
「……路地裏…怪物……。ああ! 思い出した!」
彼の脳内にあった記憶が呼び覚まされる。
(一年経つか経たないかぐらいか…)
陸に覚えてもらっていたからか、琴美は心なしか嬉しそうにしていた。
「にしても、今になってそんなに前に会った人にお礼を言われるとは思わなかったな」
「すみません。去年何度かお礼しようと思って来たんですけど桐原先輩見つからなくて…」
「あ、君を責めているわけじゃないよ。俺はほぼ毎日この部屋いただろうから見つかりにくかったと思うし、安心して」
捉え方によっては、なんでもっと早く礼を言ってこなかったんだと皮肉を言っているように聞こえることに気付いたので、念のため訂正しておいた。
「――――」
「どうかした?」
不思議そうに琴美は陸の顔を見ている。訝しむように、のほうが正確かもしれない。
「あ、いえ! ただなんか変な噂を聞いていたので、少し不安だったんですよ」
(む、流石に知ってたか…。その上でくるってなかなかすごいな、こいつ)
噂を聞いた上で礼を言おうとしていた琴美の度胸は陸の思った通りなかなかのものだろう。少なくとも彼が同じ立場だったら近づくことはない。
「ま、噂は結局噂ってことだよ」
「そうですよね。やっぱり誰かが流した噂ですよね」
「――どれもこれも遠からずって感じだけどねぇ」
楽しそうに笑う男の声。この部屋にいる男子は陸を除けばもう一人しかいない。
「黙っててくれますか? 悠介先輩」
「あは、怒られちゃった。怖いよう、瑠奈ちゃん」
「私のこと見られても困ります。…そんなことよりも桐原くん。癖が出てますよ」
つまらなさそうな声を投げつけられたところで、ようやく自覚した。
「…なんかもう言われるまで気づかないな」
「癖ですからね。そんなものなんじゃないですか?」
「いい加減直したほうがいいかしら」
「いや、先に直すべきはその口調がたまに変わるやつですね」
電話をする際に声が変わる人がいる。
別に悪い変化ではない。どちらかというと良い変化だろう。なぜならそれで相手にとっての印象が良くなるのだから。しかし、その変わる瞬間を見た者、もしくは変わる前を知っている者はそれをどう思うのだろうか。
「私はどっちのりくもいいと…思う」
「僕は素のほうが好きだなぁ」
「えっと…、どうしたんですか?」
急に置いてけぼりにされた琴美が少々困った顔をしていた。そのまま放置するわけもなく、陸は見えない仮面を外し彼女に応じる。
「お前が気にすることじゃないよ。愛想振りまいてるか、振りまいてないかの違いだ」
笑顔は消えた。作り物だった表情が剥がれたのだ。
先ほどまで愛想よくしていた彼はいない。
瑠奈たちと会話する時と同じではあるが、琴美と会話を始めてからの口調と比べると落差は激しい。
琴美は怖がっただろうか。
けれど仕方がない。もう人前で仮面をかぶり愛想を振りまくのはやめたのだから。これで怖がられたとしても文句は何一つない。
「よかった…。やっぱり本物だった」
「は?」
急に優しい口調から変えたため、怖がらせたものとばかり思ってしまったのだが、実際は真逆だった。琴美は陸が路地裏で助けたことを覚えていた時よりも安心している。
「なんかあの時と口調が違うから別人なんじゃないかなんて思ってたんです」
そういえばあの時仮面を被って喋っていただろうか。
「…あの時は気にしてなかったかもしれないな」
「でも私、今の桐原先輩の方がいいと思いますよ。さっきのなんか胡散臭かったので」
「………」
「あ! すみません。なんか調子乗りました…」
琴美の言葉を聞いて思わず陸の口から笑みがこぼれてしまう。
「いいよ。なんならそうはっきりと言ってくれる奴の方が俺は好きだ。お前とは仲良くなれる気がするよ」
「す、すき…」
「? どうした?」
「い、いえ! なんでもない…です…」
「そうかい」
本人がそう言うのなら、陸がそこに切り込む必要はない。だから話を変える。
「――で、だ。お前とは是非とも仲良くなりたいところだけど、さっさと帰れ。用事は済んだんだろ?」
「え? なんでですか?」
急に帰宅を促されたため、琴美は戸惑っている。
「お前は入学したてだろうから知らないだろうけど、俺らってこの学校ではなかなかの有名人なんだぞ? 悪い意味で」
「は、はぁ…」
「俺らといるとお前も同類扱いされるってことだ」
言ってしまえばここにいるメンバーは例外なく、学校でのはみ出し者だ。陸なんかは二年生だけでなく、三年生にも嫌われている。もちろん二、三年の全員が陸を嫌っているなんてわけはない。噂を耳にした生徒すべてが陸を意識するなんてことはないのだから。けれど、いい印象は持たれていないことは確かだ。
だから琴美は陸と接触してはいけない。
人間は見たものを勝手に解釈する。陸と琴美の二人が一緒にいるところなんて見たらどう思われ、どんな解釈をするかなんて想像に難くない。
「ほら、さっさと帰れ。それと二度と俺には近づくな」
琴美のためだ。
入学して、陸たちのようになると今後確実に辛くなる。一年近く前のお礼を言いに来てくれた少女が、今の自分と同じ境遇に陥るのは流石に陸も容認できない。
「その…」
「さっさと帰れ。人って怖いんだぞ? 噂なんて面白ぐらいすぐに広まる」
扉の前から琴美は動こうとしない。俯いて何かを言おうとしている。
「おい。小川」
声をかけると小川はバッと勢いよく顔を上げ、陸の瞳を見据えた。
「わ、私は…っ!」
「――りく。仕事」
見計らったのではというぐらいにタイミングが悪い。
琴美の言葉を遮り、楓は手元の本に落としていた視線を陸へと向けていた。
「…あいよ。場所は?」
ため息をつきつつも陸は琴美から楓へと視線を移動させる。
「駅の近く。多分あの路地裏」
「いつもの場所な」
駅の方はビルなどの建造物が立ち並んでいる。
近年造られた高層ビルや経済的余裕があった時にとりあえず建てられた建物などだ。
そして後者の建物が密集している有名な場所がある。
迷路のように路地裏が広がっていて、様々な類の人間がうろついている。通称、路地迷宮。この街に住むほとんどの子供ならそこには近づかないように教えられているだろう。
一年ほど前に陸が琴美を助けたのはそこだ。
「小川、悪いな」
ここでわざわざ彼女にかける言葉はない。時間もないのだ。別れなんてこんなものでいいだろう。あとは瑠奈たちに任せるだけだ。
「はい、どうぞ」
瑠奈はどこからか取り出した黒色のウインドブレーカーを陸に投げつけて、真後ろの窓を開けた。
「サンキュ」
陸はブレザーを脱ぎ、ウインドブレイカーを着た。そして開けられた窓へと彼は走って外へと飛び出る。窓から外へ出た瞬間、悲鳴のようなものが聞こえたが、陸は気にせず着地して現場へ向かった。