第14話 『自宅』
陸はマンションに住んでいる。
エレベーターを使って四階まで上がり、端から二番目である自宅を目指す。
エレベーターから降りた時点でドアは見えた。これで無事帰宅となるはずだったわけなのだが、ドアの前には一人のおっさん座っていた。
またかよと呆れながら口にすると、そのどこぞの燃え尽きたボクサーみたいに座るおっさんに軽く蹴りを入れた。
「ぬうぉう!」
「え、なにその声…」
何回かこの状況を経験しているが、初めて聞く声だった。中年男性の出す高音というのはなかなかに気持ちが悪い。
「ほら、起きろよ。突き落すぞ」
「うぉ…陸か…。何で五階にいるんだ?」
不確かな呂律ではあるが、言葉は聞き取ることはできた。
「ここ四階な。あんたが間違ってんだ」
「ふぇぇ?」
「!? 酒くさ! どんだけ飲んだんだよ」
おっさんの吐息の臭いは強烈であった。
「ほら、しっかりしろ~」
「あぅぅ…」
「ダメだな…」
まともに脳みそが働いていないようなので、いつも通りの対処を行うことにした。
まず鍵を開ける。次におっさんの首根っこを掴む。最後におっさんを家の中に放り投げる。以上だ。
下の階に住民がいたらいい迷惑だろうが、いないので関係ない。
正常になるまではとりあえず廊下に放り出したまま放置だ。
投げつけたおっさんに続いて陸も家へと入る。すると音を聞きつけて家の中にいた人物が出迎えに来た。
「お疲れさまでした。おかえりなさい」
キャミソール姿の学校一の美少女。天野瑠奈である。
「ただいま」
驚いた様子もなく、陸は当然のように返事をする。なぜなら当然だからである。
「楓は?」
「あの後は普通に家に帰りましたよ」
「了解。今日は色々と報告がある」
「奇遇ですね。こちらからも報告があります。でもその前に夕食です。静波ちゃんが待ってますから」
「別に律義に待たなくていいんだけどな。毎度毎度」
「そうわけにもいかないんでしょう。…あの子にとって、一緒に食卓を囲むことのできる血の繋がった家族はあなただけしかいないんですから」
「――――」
陸が早く帰りたがっていたのはヴォルフノーツが来るからというのもあるが、妹が待っているというのが主な理由だった。
「あ、ちなみに今日は生姜焼きです」
「おう! いいねぇ!! 早く食べよう!」
急に這いつくばっていたはずのおっさんが立ち上がった。
「なんだよ、起きてんのかよ。ていうか人の家で飯食うのいつやめんだよ」
このおっさんは不定期に陸の家に来ては夕食を食べて帰っているのだった。
「いいじゃないかよ~。飯は大勢で食った方がいいって~。それにさ~、俺とお前の中だろうぅ? 陸~」
「うぜぇし、酒臭え…」
肩に乗せられた手を即座に払う。めげずにまたおっさんは手を乗せてくるが、負けじと陸はその手を払う。
「てか、ノンアルしか今月飲まないとか宣言してなかったか?」
「おっさんってのはな、なんやかんや言って結局は飲んじまうんだよ…。極上の酒ってやつをヨォ!」
「知らねえよ、どんなテンションだ」
カッコよく語り始めたと思ったら後半はテンション爆上がりだった。
「お前もいつかわかるさ。アルコールには抗えないのだよ」
「残念ながらそんな日は来ない。おれは酒を飲まないって決めてるんだ。飲むとしても甘酒だけだ」
「なんで?」
「どっかに反面教師がいるおかげだよ」
このおっさん。現在彼らの住まう小規模マンションの管理人である人物なのだが、この人を見て陸は絶対に酒を飲まないと心に決めていた。
「あの、酒を飲む飲まないはどうでもいいので、さっさと夕食にしましょう」
反論なんて出るわけもなく、陸たちは短い廊下を歩いてリビングに到着した。
「――おかえり、お兄ちゃん」
部屋に入った陸に向けて、静かな声ではあるが、明るい笑顔を向けたのは彼の妹である桐原静波だ。
「おう、ただいま」
陸の妹だけあって顔はとても整っている。十分可愛いと呼べる容姿だろう。
「悪いな、待たせて」
「ううん。大丈夫」
「んじゃ、飯食おうぜ」
「手洗いと、うがい忘れずにね」
「あいよ」
唯一血の繋がった家族である妹の言葉を受けて、さっさと洗面台に向かう。
なんらおかしなことはない。これがいつもの光景であり平和な日常だ。
可愛い妹、幼馴染の同級生、酒臭いおっさんと陸は食卓を囲む。
***
疑問は色々あるだろう。
まず陸の両親が家にいないのは、仕事などではなく、すでに故人だからである。
五年前にこの街で起きた大規模な火災。それによって両親と外出していた陸は眼前で二人を亡くした。妹の静波はというと、事故当時は家にいたので火災に巻き込まれることはなかった。
家に血の繋がった家族が妹しかいないのは、それが理由だった。
次に瑠奈が桐原家にいる理由。これにも五年前の火災が関わってくる。
桐原家と天野家は仲が良く、その日は共に出かけていた。そして運悪く出くわしてしまったのだ。人ならざる者の起こした事象に。
両親を失ったのは陸だけでなく、瑠奈もだったのだ。
そんな共に親を失った二人ではあるが、完全に同居して生活しているわけではない。半同居といったところだろうか。瑠奈は就寝時間以外を彼の家で過ごしているのだった。
臭いおっさんはというとマンションの管理者であり、陸たちの親代わりをしている恩人でもある。最近はどっちが世話をしているのかわからなくなってきているが。
陸、静波、瑠奈、おっさんの四人で今日は夕食をとっている。
ここにたまに楓が加わることがあるのだが、それはごく稀だ。
料理を作った調理人は天野瑠奈。桐原家にて料理を作るのは基本彼女だ。陸の分の弁当も彼女が作っていたりする。陸も作れないことはないが、瑠奈の方が料理の腕が圧倒的に上手いのでほとんど任せっきりである。
「おいしいです。瑠奈さん」
「ありがとうございます」
褒めても無機質な声と素っ気ない態度で礼を言われるだけ、でも内心は喜んでいるということをここにいるメンバーは知っているため、彼女に対して何か思うこともない。
数分後、食事はすぐ終わる。というのもこの四人の中に大食いが存在しないからだ。
そそくさと陸、瑠奈、静波は片づけに移行する。おっさんは食事中に夢の国へと旅立っているのでテーブルに突っ伏したままだ。
「おっさん働かねえな」
「いつも通りですね」
手際よく食器を片づけていく三人。テーブルの上はあっという間に綺麗になった。
「今日は俺が皿洗うから、静波は風呂頼むわ。どうせまだ洗ってないだろ」
「うん。洗ってくる」
リビングから静波は風呂場へと向かった。
これでここにいるのは陸と瑠奈と意識のないおっさんのみ。
「――で、報告がある」
洗った食器を真横の瑠奈に渡す。瑠奈はそれを受け取って拭いている。この二人の動きは実に手慣れたものだ。何年も同じ時間を過ごしているので、当然と言えば当然だが。
「レベルBのレプリカが出た」
「…間違いないですか?」
「ああ。俺が間違えるわけないだろ」
「それもそうですね」
瑠奈は特に驚いた様子を見せないが、陸は報告を続ける。
「あと今日もノーマルオメガが追加で現れた」
「それは立花さんから聞きました。レベルはどれほどでしたか?」
「Aマイナスだ」
「なるほど…」
今度は興味深そうな声を漏らした。
「どうでした? あなたから見て」
「ただの再生能力が高いだけの奴だったな。喰っても特殊なところはなかった」
「捕食したんですか?」
「したよ」
「二日連続ですね」
「仕方ないだろうが、ヴォルフノーツ来る前に決着つけたかったんだよ。あいつら到着遅いくせにめんどくさいし」
「…それは同感です」
次々と食器は綺麗になっていく。流れ作業のように見えて二人は丁寧にやっている。
「あともう一つ報告があるんだが、お前駿河原高の発現者覚えてるか?」
「もちろんです。硬化のアビリティの男子生徒ですよね。それが?」
「またなんかやってるって話だ。どうも発現者が新しく現れたらしい」
後天的にアビリティ持ちになった者は『発現者』と呼称される。
これらがアビリティを悪用する者たち。つまるところ陸たちの敵となることが多い。
「――月城先輩が言った通り放置は甘いということでしょうか…。それにしてもまた厄介な話を持ち込んできましたね」
「好きで持ってきてるわけじゃない。依頼されたんだよ、依頼」
「依頼…? 誰から?」
不思議そうな顔で尋ねる瑠奈。
それもそうだろう。今まで依頼なんてされたことがないのだから。
「駿河原高の可愛い女の子…いや、すごく可愛い女の子。Aオメガが出る前に会ったんだ。んで、発現者のせいで学校がやばいからどうにかしてくれって言ってきたんだ」
「あなたのことを知っていたのですか?」
「みたいだな。なんでか名前まで知ってる。あ、そうだ。面白いことがあるんだよ。俺オメガ狩りなんて一部で呼ばれてるらしいぜ?」
「逆に知らなかったんですか? …まあ、あなたネットは利用するのに流行りに疎いですからね」
「お前は知ってたのかよ。てか、ちゃんとネットとか現代人のツール使うんだな」
「ええ。虚偽も多いいですが、意外とネット上には興味深いものが多いですからね。――それはさておき、あなたが出会った女子生徒についてですが…」
「アビリティ持ちだよ。ちなみに発現者じゃない」
「…ならよかった」
なにがよかったのか聞くのは無粋だと判断して、陸は何も言わなかった。
「ほい、終了。やっぱ汚れたもの綺麗にすると達成感あるよな」
真剣な話をしていた割にはなかなかの手際だったと言えるだろう。
食器の汚れを全て落とすことに成功。陸は達成感に満たされていた。
「そんでお前の方の報告は?」
「青巌高校の周辺で人食事件が起きたようです。詳しい話は明日します」
「あいよ」
そろそろ静波が戻ってくるころだと判断して、瑠奈は最低限のことだけ報告すると区切りをつけた。
彼女の読み通り、数十秒後に静波は風呂場からリビングに戻ってきた。
「終わったよ。お兄ちゃん」
「うい、お疲れさん。そんじゃ沸いたら入っていいぞ」
妹を労いつつ、そう言った。
桐原家では風呂に入る順番は静波、瑠奈、陸となっている。瑠奈に関しては就寝以外の時間をこの家で過ごしているため、当然風呂も桐原家のものを使用していた。
着替えはすでに持ってきているようだった。部屋の隅に彼女の手提げがあるのでそれに入っているのだろう。
風呂が沸く時間を潰すために少女二人はソファに座り、桐原家の小さいとも多い糸も言いにくいテレビをつけた。
そして陸はというと、
「起きやがれ、おっさん」
酒臭いおっさんを蹴り飛ばしたのだった。