第13話 『捕食』
――この気配を彼は知っている。
「昨日から随分とお盛んですねぇ」
「? なに?」
「いんや、何でもない。用事ができただけだ」
「は?」
「用事ができた」
「聞こえてるっての。なに急に?」
「連絡先交換しておきたかったんだけど、時間なさそうだな」
余裕があっても約一分。ひとまず優先すべきは倉園愛梨をこの場から離れさせること。
「逃げろ」
「だから何言ってんの、急に」
「いいからここから離れろって――」
予想よりも遥かに早く。それは倉園の背後に落ち、着地した。
「……?」
流石に背後に何か落ちてくれば、それも彼女よりも大きなものならば、音には気づく。
だから彼女は振り返った。
まさか黒色の怪物――オメガが背後にいるとは思わずに。
「ひ……っ!」
振り上げられた右腕、その腕は倉園をいとも容易く両断できる大斧の形状をしている。
躊躇いもなく、怪物は倉園に斧を振り下ろした。
その直後、金属音が路地に響き渡る。
倉園は唐突な出来事を前に、反射的に閉じていた瞳を開ける。その瞳には腕を盾に変形させて防御している陸が映っていた。
「俺のことがかっこよく見えてたりするのかしら。どうでもいいけど」
大斧の腕を弾き飛ばし、陸は盾とは反対の左腕を変形させる。
やることはレプリカにやったのと同じ。このオメガの上半身を吹き飛ばす。
醜く変形した左腕を、人間であれば心臓が収まっているであろう胸部に突き刺した。
「爆ぜろ」
特に言う必要はないが、一応口にする。
例のごとく、オメガの上半身は消し飛んだ。
「大丈夫か?」
パッと見た感じでは、倉園に怪我はなさそうだった。
「大丈夫だけど…本当に、オメガ狩りなんだ」
「そんな風に呼ばれたことないけどな。誰だよ、名付け親」
気になりはするがそれは後回し。聞くことを聞いてこの場から離れた方がいい。そろそろ騒ぎを聞きつけたオメガ討伐の特殊部隊であるヴォルフノーツが来てもおかしくないからだ。そのため陸は会話を再開しようとした。
が、形態変化を解除したことを含め、それは誤りだった。いや、慢心だったと言ってもいい。彼は油断していたのだ。オメガの到着が予想よりも早かったことを深く考えなかったことが油断の証。
「ヴァァア!!」
「こ――っ!」
自分と同じ形状の黒い手に頭部を掴まれる。殺したはずのオメガの手だ。
「桐原!」
倉園の声をかき消す轟音が響く。路地を挟む建物の外壁が突き破られた破壊音だ。
外壁は決してもろくない。だがこのオメガの腕力からすれば発泡スチロールほどの耐久度だ。陸は壁を突き抜け、もう使われなくなった無人の建物内へと投げつけられた。
「ギ、ギギ…!」
ダメージは与えている。ここで彼のことを放置するオメガではない。オメガ自身も建物へと侵入して、追撃を仕掛けにかかる。
「Bが出たと思ったら今度はA帯かよ。最近が景気がいいなぁ、おい」
口内に含まれた血液を吐き出しながら悪態を吐く。少なからず頭に血が上っていた。
上半身を吹き飛ばしても治る圧倒的な再生能力。レベルA帯なのは確実だ。
「体が変わってないから、Aマイナスってとこか…。いいぜ、やろうか。もっと気持ち悪い体に変形する前に終わらせてやるよ」
硬く冷たい瓦礫の上で立ち上がる。その直後、腕を大斧の形態にしたままのオメガが飛びかかってくる。
「バーカ」
それが悪手であるということが分かっていないあたり所詮は怪物。
陸ならば躱せる。
回避された大斧は地面に深く突き刺さった。ここでこの失態がオメガ自身に牙をむく。
大斧は攻撃力こそあれど、扱いが難しい。要するに小回りが利かないのだ。
斧を引き抜くよりも腕を元に戻した方がいいと判断したオメガ。いい発想ではある。判断を下すまでも早かった。相手が陸であることでそれは意味をなさないのだが。
「おせえよ」
腕が元の形状に戻るよりも前に彼の足がオメガに命中。蹴り上げられた怪物の体は、綺麗な斜め四十五度の角度で天井を何枚も貫通して、ついには屋外へと放り出された。
当然陸はこれを追う。オメガが開けた穴を器用に通って外へと飛び出た。
すると、
「ガァァ!!」
陸が飛び出してくるのを待っていたように吠えた怪物は、手を組み、彼を地面に打ち付けるように腕を振り下ろした。
「マジか……!」
これは陸にとって予想外の出来事だった。が、リカバリーは可能だ。
頭部にオメガの拳が叩きつけられる。地面へと直下するわけだが、その刹那、陸はオメガの脚を掴んでいた。
「テメェが先に落ちろ…っ!」
空中で体を回転させ、無理やりオメガの体を下へと持ってきた。
「ギ、ギィ!」
陸の下敷きになるような形で、オメガは地面に落下する。
人間の質量以上のものが、数メートル上空からとてつもない勢いで地面へ衝突する音はすさまじい。爆発音を思わせる激しい音を轟かせ、コンクリートによって整備された道は割れる。
「ギィィィィ!!」
「うるせえな。お前じゃもう脱出できねえよ」
身動きは取れない。いくら暴れようともオメガは完全に陸に押さえ込まれていた。
禍々しく変形した手をオメガの顔面に突き刺す。
「お前は人を喰らう。なら俺はお前を喰らってやるよ」
昨夜のレベルBと同じく、陸はこの個体を捕食する。
「いただきます」
右手にオメガは吸い込まれていく。
「ちょ、ちょっと、桐原」
「少し待ってろ。捕食は専門じゃないからAぐらいだと時間がかかる」
待つこと十秒ほど。完全に姿は消えた。あの個体が残した痕跡は戦闘の跡のみである。
「二日連続で喰っちまったな」
基本的に高レベルのオメガが出現することが珍しいので、普段はこの対処法をあまり行わない。二日連続で捕食したのは久しぶりのことだった。
「てなわけで終わったぞ」
「――意味わかんないんだけど…」
「安心しろ。お前のアビリティも一般人からしたら意味わかんないもんだから」
「いや、アンタのは、その…違うでしょ?」
「それは否定しないな。気持ち悪い自覚はあるが…そんなことはどうでもいいんだ。それよりもさっさと連絡先教えてくれ。時間がない。鈍くても、流石にそろそろヴォルフノーツが来る」
一応フード付きのウインドブレイカーを着ているので顔は隠せるが、できれば遭遇すらしたくはないのだ。出くわした場合、面倒なのは目に見えている。
「ああ、うん」
慌てた様子で倉園は携帯を取り出した。まだ先ほどの自分が殺されると思った瞬間の光景が、脳内に残っているのだ。冷静でいられる方がおかしい。
陸も携帯を取り出して連絡先を聞く状態に入るわけだが、また余計なことを口にする。
「そういやオメガが出てきた時に可愛い声出してたな」
「死ね!」
顔を赤くしながら格闘家も褒めるであろう見事の蹴りを繰り出す倉園。幸いなことに陸の腕はまだ気持ちの悪いままだ。その手で足を掴んでひとまず自分の死から逃れられた。
「ほら、そういうのいいから。さっさとしろ」
「アンタが言ってきたんでしょ!? ていうかこの手離せ!」
「悪うございました。はい、謝罪終了」
パッと手を離す。今回は学習したようで、バランスを崩すようなことはなかった。
「ったく…。いちいち疲れるな」
「俺と関わるんだったら諦めろ」
こんなやり取りの後ではあったが、陸は連絡先の追加を開始する。
「……今どきLINEやってない奴とかいるんだな。電話番号の交換とか久々だわ」
「やってない奴ぐらいいるでしょ。現に私がそうだし。あれ絶対面倒でしょ」
「確かにな」
非SNS利用者である倉園の意見に同意する陸であった。
「――こんなもんか…。お前のせいで変に時間掛かったじゃねえか。絶対に俺が番号聞いてから電話かけて連絡先に登録した方が早かったぞ。それに流れでやったけどメアドまで交換する必要なかっただろ。電話番号だけでもメッセージのやり取りできるからな?」
「うるさい…」
倉園の文字入力方法がスマートフォンだというのにフリックではなくトグル入力だった上に、打ち込みがとんでもなく遅かった。しまいには陸が入力を行っていたのだった。
しかもメアドまで交換したせいで予想外の時間をここで使ってしまった。
「まあ無事に終わったからいいや、とりあえずなんかあったら連絡しろ」
「わかった」
「なんかなくても連絡してもいいけど。デートのお誘いとか大歓迎な」
「死ね」
「あら冷たい」
そこがいい、などとは口にしないで言葉を呑みこむ少年であった。
「そんじゃ今日はこれで解散で。あ、一応これ貸してやる」
陸は着ていた黒のパーカーを脱いで倉園に投げつけた。
「なにこれ?」
「いや、パーカーだけど。知らないの?」
「知ってるっての。なんで渡すの?」
「そりゃどうせこの周辺騒ぎを聞きつけた馬鹿どもが集まってきてるだろうからな。それ使えば顔隠せるだろ」
陸は建物の上を移動できるため正直なくても問題はない。
それならば倉園に渡した方が賢明だろう。
「…ありがとう」
「お、可愛いなその顔」
「! うるさいっ!」
「おお、怖い怖い。また蹴りかまされる前に帰ろ」
そのやり取りを最後に二人は別れた。
「――はぁ…。めんどくせぇ」
陸は帰宅中一人でそんな言葉を漏らしいていた。