第12話 『遭遇』
この世界に神というものはいるらしい。しかも意地の悪い神だ。
今まで特に神の存在など信じていなかった陸が、神の存在を実感していた。
というのも、あのままいい気分のまま帰宅できるかと思いきや、突如としてオメガが出現したのだ。これは神の悪戯だろうと言う他なかった。
そんなわけで今日も今日とて連続出勤である。オメガが二日連続で出現するというのは別に珍しいことではない。ノーマルは基本気まぐれで出現するので、その辺りは運だ。
「またまたここか」
アビリティによってオメガの出現位置の把握ができる楓が陸に行くように言った場所は、昨日と同じ路地裏迷宮である。
「ということは…」
路地裏に出現するオメガは、高確率でノーマルではなくレプリカのオメガだ。
何の期待もせず見つけたオメガは案の定レプリカだった。
「今日も気持ち悪い……あ?」
日が沈む寸前の夕方。日光が侵入しにくい路地裏はすでに暗い。だが、オメガはこちらを見ている。目はないのだが、顔は陸へと向けている。
陸はおかしく思った。オメガが顔を向けてきていることをではなく、様子がいつものレプリカとは違うことにだ。
「こいつ…」
瞬間、レプリカオメガの変形し、刃となった右腕が陸の首目掛けて振るわれた。
回避はたやすい。しかし問題はそこではない。気にするべきは別だ。
「なんでお前は腕を変形させるんだ?」
「グ、ギギギ」
「――――」
特に根拠もないが、笑われた気がした。
人間に馬鹿にされたり、陰口を叩かれたところで、さして気にしない陸ではあるが、このようなゲテモノに馬鹿にされるのは流石に彼のプライドが許さなかった。
「いいぜ、お前は特別だ。喰らって…と思ったけどレプリカは無理なんだよな…。そんじゃ作戦変更だ。死ね」
腕を捲る。これをやらないと服が破けてしまうのだ。そうなった場合どこぞのリーダーにお叱りを貰うのは目に見えているので、交戦前にはまずこれを行う。
そして、彼の右腕は程なくして刃へと変形した。
あとはやられたことをやり返すだけだ。踏み込み距離を詰めた陸はあっという間に右腕でレプリカオメガの首を刎ねてみせた。
「ほい、終了」
レプリカオメガは絶命すれば自然に消滅する。よって、帰宅。…とはならなかった。
「ギウゥゥゥッ!!」
「…! ――ほぇ…、お前頭なくなっても再生すんのかよ」
レベルCであるのなら首を切断すれば終わる。切断したというのに再生し、生きているということは…。
「レベルB帯か」
「グヴィェェ!」
「ホント鳴き方に統一性ねえな」
レベルB以上なのだとわかったのなら、相応の対処をするだけだ。しかし、昨日のレベルBとは違いこちらはレプリカだ。殺し方を変える必要がある。
「んだらば、これだな」
――形態変化。
陸の腕は元のものと比べると一回り大きい、黒く醜いものへと辺保を遂げた。特徴はその歪さと爪の長さだった。
陸は自慢の脚力で一気に距離を詰め、歪な腕をオメガの腹部に突き刺さる。
「地獄先生みたいな腕だよな、これ」
「ガ…?」
「ああ、わかんなくていいよ」
何をやってるんだこいつ、というを様子で顔を向けられている。
それもそうだ。この怪物にしてみれば、今の攻撃は少しチクッとしたぐらいなものなのだから。
「グゥ!!」
腹部に腕を突き刺している人間をオメガが放置しているわけがなく、陸のことを掴もうとする。…が、もう何をしても手遅れだった。
「――爆ぜろ」
オメガの体内に入った陸の腕は、膨張し、無数の槍となって体外へ突き出た。
さながら爆弾。体内で発生した異常な衝撃を受けて、オメガの上半身は跡形もなく消し飛んだ。残された下半身は力なく倒れ、すぐに塵となって消滅した。
「一件落着…なわけないよな」
レプリカオメガは今日悠介が琴美に説明していたように、最弱クラスのレベルCしかいない上に、オメガ特有の形態変化を使用できない。
そのはずなのだが、今殺したオメガは形態変化をやってみせた。さらに再生能力はレベルBプラスに相当する。
「成長か…?」
彼が見間違えるわけがない。今のオメガは確実にレプリカだった。
となると成長を果たしたということになるわけだが、なぜ急にそれほどの成長を遂げたのだろうか。一年近く変化がない贋作だったのに唐突に進化をした理由がわからない。
「しかも今喰えそうだったし…」
レプリカオメガには、ノーマルオメガとは違って今まで『捕食』という行為を行えなかった。だが今腕を刺した時に感じ取っていた。おそらくこのレプリカオメガは捕食できると。
弱いが故にあまりレプリカオメガを危険視していなかったが、これは流石に考える改める必要があった。
「――お前はどう思う?」
背後の曲がり角に向けて声をかけた。
先ほどからずっと視線を向けている輩がいるのだ。オメガは死んだというのに離れる気配がないので、声をかけることにした。
「アンタは……怪物なの?」
暗がりでも容姿は把握できた。
乱暴な口調ではあったが女子である。ショートカットのサラサラとした黒髪。年齢は陸と大差なさそうだった。十七歳前後といったところだろうか。
制服を着ている。見覚えはあるが陸と同じ学校のものではない。
「お、可愛いな。それでどなた? こんな時間に女の子が路地裏とか、いちゃいかんと思うんだけど。それとも淫乱な女の子だったりします? 僕はウェルカムですよ?」
次の瞬間。路地に響いたのは声ではなく、彼女が地面を強く踏みつけた音だった。音がして間もなく、少女は陸の目の前へと現れ、彼の頭部目掛けて蹴りを繰り出した。
(バカみたいな加速だな…)
とてつもなく速い。陸は普通に驚いてしまっていた。下手をすれば現段階の陸よりも速いまである。明らかに人間の脚力じゃない。
(アビリティの説が濃厚か…。とか分析してる暇ねえな)
陸は姿勢を低くして蹴りを回避した。
「な…っ! 避けた!?」
驚いているのはお互い様のようだ。
「――危ねえな。にしても白か。いいパンツのセンスしてるよ」
回避時に少し上へ向けた陸の目には、男にとってのエデン(股)が広がっていた。
(黒のパンツもエロくて捨てがたいけど、白はやっぱりいい。というかやっぱパンツって最高だな。なんなら初対面の可愛い女子のパンツは興奮する。……え、キモ。死ねよ)
「死ね!」
陸が抱いた感情と同じ感情を少女は抱いたらしい。
もしかしたら気が合うのではないだろうか、と馬鹿なことを考えている間にもう一発蹴りが飛んできた。やはり速いが、避けられないわけではない。しかし次の攻撃が来てまた避けるのも面倒なので、陸を醜くい右手で白パン少女の脚を掴んだ。その時だった。
「!?」
右手にありえないほどの衝撃が伝わった。積み荷を最大限積んだトラックに、全速力でぶつかられたのではないかと錯覚するほどに重い蹴りだった。
ふと足を掴んだまま振り返ってみると、少女の蹴りによって、そこには面白い光景が出来上がっていた。
「ハッ、なんだこれ」
「ちょ…! 離せ!!」
「おっと、暴れんなよ。というか焦った顔可愛いな。ポイント高い。それにいい太ももだ。やっぱり少し引き締まった太ももは最高だよな。俺の中での可愛い女子ランキング更新だ。お前は楓と同率の第二位だぞ。喜べ」
つまり堂々のベスト5入りである。
「嬉しくない! キモい! 死ね! ハゲ!」
「誰がハゲだ!!」
可愛い女子ランキングを自分の中で作っていることに対して、気持ち悪いと言われるのは別に構わない。自覚があるからだ。だが、ハゲは違う。言ってはいけない言葉だ。
「日本人はハゲに対してもう少し優しくしやがれ。あいつらが何したんだよ。ただ一方的に失っていっただけなんだぞ? むしろ被害者だろ」
「知るかっ!」
「はぁ…。ほら、離してやるよ」
「わ…っ!?」
唐突に手を離されたため、白パン少女はバランスを崩しそうになったが、何とか自力で体勢を立て直すことに成功する。
「で、どなた」
手を貸すことも、貸そうと考えることすらせずに、倒れるか倒れないかを観察していた陸は、彼女に問うた。
「――――――」
気遣ってまるで戦闘など起こっていなかったかのように、環境をリセットしようとしたのだが、対面する少女は無言である。
「――用がないなら帰るぞ」
「な、ちょっと待て!」
横を通り過ぎて帰宅しようとした陸を焦った様子で少女が呼び止めた。
「なんだよ」
「アンタが……オメガ狩り?」
「なんて?」
「オメガ狩りかって聞いたの」
「だからそのオメガ狩りが何かって聞き返したんだけど」
「オメガを狩ってるやつのこと。噂で聞いたんだけどアンタのこと?」
「え、なに、その異名。全然かっこよくないじゃん」
せめてオメガスレイヤーなどが良かったと思う陸である。
「…それで、どうなの?」
「どうなのと言われてもな。そんな名前で呼ばれたことがない」
何度か一般人に姿を目撃されていることは知っていたが、オメガ狩りなんて名前を名付けられていることは知らなかった。
「じゃあ質問変えるけど、アンタうちの学校の生徒とやり合ったって奴?」
流石にここまで来て、今の言葉を下的な意味で解釈する陸ではない。
「――あぁ、その制服って駿河原のやつか」
胸の大きさをみつつ、制服を観察した結果、彼女の制服がどこの高校のものか思い出した。ここからそれなりに近い高校である。どうやらこの少女はその高校の生徒らしい。
高校はわかったので、彼女の質問について答えることにした。
「多分お前が言ってるのは俺だな」
駿河原高校にはこの少女とは別にアビリティを持った男がいるのだが、以前陸はその男を殴り飛ばしたことがある。別にむしゃくしゃしたからやったなんてことではなく、その男がアビリティを悪用していたようなので、陸が灸をすえたのだ。
「そう…」
と、今度は少女の方がジロジロと陸を観察し始めた。
「なぁ、お前可愛いから。抱き着いていいか?」
「死ね」
こちらを見る少女が可愛かったので我慢することができず、つい言葉を口にしていた。
「――さっきの腕を変形させるのが、アンタのアビリティなの?」
「そんなもんだ」
少女には攻撃の意思がもうないようだったので、陸は腕を元の状態へ戻した。
「お前の方は脚力増加とか……衝撃波を出すとかか?」
「まあそんなとこ」
実際には後者である確信があった。
さっき陸が見た面白い光景というのが、その確信に繋がっている。
少女の蹴りの延長線上にあった地面が抉れていたのだ。おそらく形態変化を使っていなければ陸の腕は吹き飛んでいただろう。これを脚力増加で説明するのには無理がある。
「強力なアビリティのくせに急に人に向けんなよ。俺じゃなかったら危なかったぞ」
「アンタが人をムカつかせるのが悪いんでしょうが」
「俺なんか言った?」
「言ったでしょ! 淫乱だとか、パンツ白いだとか、いい太ももだとか!」
「淫乱かは知らんが、パンツと太ももは事実だろ」
陸が見てきた中で女子の中で、彼女は一番いい太ももをしていた。
触りたいというのが素直な彼の感想である。
「殺す…」
「落ち着け。俺が悪かった。だからさっさと本題に入ってくれ。帰りたいんだ」
「――――わかった」
不満そうではあるが、本題に入る気になったようだ。
当たり前だが少女も無駄な時間を浪費したくないのだ。
「アンタ、自分が殴り飛ばした奴の名前覚えてる?」
「えーっと………なんだっけ?」
高校名とアビリティには覚えがあるが、名前だけは出てこなかった。
「原山」
「あー…そんなんだったっけ? まあいいや。それでそいつがどうしたんだ?」
わざわざ会いに来たのと、少女が可愛いという理由で、陸は一応話を聞くことにした。
「――原山を…原山たちをどうにかしてほしいの。――助けて」
少女の目を見やる。そして間を空けてから陸は口を開いた。
「めんどいんでパス」
聞く気はあるが、頼まれる気はなかった。というわけで足を動かす。
「ちょっ! 待てバカ!」
「悪口言わないと死ぬのかお前は」
「アンタが勝手に行くからでしょ!?」
大変ご立腹の様子だった。
「だって俺に関係ないだろ」
「あるから言ってんの」
「あ?」
関係のない案件だと思っていたが、声音からして陸が絡んでいるのは本当のようた。
「アンタが原山のこと倒したからあいつ荒れてんの」
「具体的には?」
「自分の力使って周りの奴を奴隷みたいにしてる」
「前と変わってなくないか? 落ち着いたって聞いてたけど」
改心したわけではないだろうが、原山は自分のことを殴った陸に、もう二度としませんと言っていたのだ。リーダーの瑠奈もその時は一、二週間様子を見た結果落ち着いたと判断してその件を終わりにしていた。
「それがぶり返したの。もう一人アビリティ持ちが出てきたから…」
後半、浮かない顔をする少女であったが、陸は視界の視界にそれは入っていなかった。聞き逃せない単語を彼女が発していたのだ。
「現れた? 現れたって言ったか?」
「言ったけど…」
「転校生とかって意味か?」
「違う。もともといた一般生徒。それがアビリティ持ちになったの」
「なるほど…。そいつ実は元からアビリティ持ちだったという可能性は?」
「…ないと思う」
「根拠はあるか?」
「――ない…でも今まで割と長い間あの子のこと見てきたけど、一度もそんな力使ってなかった」
「ほぉ」
話を聞いての第一印象は面倒くさそう、というものであった。なぜなら普通の人間がある日突然アビリティ持ちになるなんてことはあり得ないからだ。
「発現者かぁ…」
これは早急に瑠奈に知らせる必要があった。
「ちなみにお前は生まれつきか?」
「アビリティ持ってるかってこと? 私の場合はそうだけど?」
「ならいい」
これで駿河原にいる『発現者』は二人目となった。
「――で、俺にそいつらをどうにかしろと?」
「…うん」
「――?」
どうも少女の様子がおかしかったが、何がおかしいのかなど陸の観察眼ではわからないことだった。それにそれよりも気になる点が一つある。
「お前が能力を上手く使えば自分だけでどうにかできないか? というか原山ぐらいが相手なら前回もできただろ」
少女のアビリティは強力な攻撃系。
事戦闘においては当たりと言えるアビリティだろう。
「――――」
黙り込んでしまった。
「――まあいい。二人目の名前を教えてくれ」
口を開く気配がないので、陸は諦めて名前だけ聞くことにした。
「空沢春菜」
以前の愛想を振りまいていた時とは違い、積極的に人に関わることがなくなった陸は、最近人の名前を聞いても覚えようとせずに聞き流してしまうことが多かった。だが、発現者となると陸も役目というものがあるので覚えなければならない。スマホを取り出して、滅多に使わないメモ機能を起動し名前を打ち込んだ。
おそらく瑠奈に報告をした後は二度と確認することはないだろう。
打ち込みが終わった陸は携帯をポケットに再び収めた。
「そうだ。お前の名前は?」
白パンJKと呼んでも構わなかったが、またあの蹴りが飛んできても困るので名前を聞いておくことにする。ちなみにこちらはメモ機能を使用しない。可愛い女子ならば容易に記憶できるのがこの陸という男だ。
「私は倉園愛梨。駿河原高の二年」
脳内の可愛い女子一覧にメモする。
「俺は桐原陸だ。青巌高の二年だから同い年だな」
「それは知ってるから別にいい。聞きたいのは私の頼みを引き受けてくれるのか」
とても頼む側だとは思えない倉園の態度であるが、自分の言葉遣いも乱暴だと陸は自覚があるので特に咎めることもない。むしろ彼女の乱暴な口調がいいなと思い始めていた。
「ああ、引き受けてやるよ」
陸たちの領分の案件だ。ならば引き受けるのは当然だろう。
「――頼んでおいてあれだけど、意外とすんなり引き受けるのね」
「そりゃ引き受けるさ。こういうのは正義の領分のお仕事だろ?」
「…アンタ自分のことそんな風に思ってるの?」
「ちょっと大丈夫かこいつみたいな目で見るんじゃねぇよ。俺のことじゃないから。自分のこと正義の味方だなんて言ってたら痛い奴だろ? 俺はただのお手伝いだ」
正義の味方だなんて大層な人物ではないことは彼が一番よく分かっている。
あくまで一緒にいさせてもらっているだけの影法師に過ぎない。
「んなわけで……」
言葉を区切り、ふと視線を上に向けた。
――この気配を彼は知っている。