Scene01:プロローグ
この作品はPC用ノベルゲームとして制作したものを投稿したものです。
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月が新円を描く夜。
少女と、一匹の白兎が静かに下界を見下ろしていた。
その眼差しは、橋の上に佇む一人の少年を見据えている。
ふと、少女は小さく笑みを浮かべて、深紅の瞳を細めていった。
「人は、自らの在り方に不満を抱く生き物」
「生まれついての顔立ち、与えられた声色……」
「果ては取り巻く境遇の全てにさえ……」
「絶望した人間ほど、興味深いものはない」
「短い人の生命、消えゆく前に、貴方は何を遺していくの?」
「さあ、今宵も視てみましょう。無様な彼らの生き様を――」
◇
『今度、生まれ変わる時も自分でありたい』
死ぬまでに、一度はそういう気持ちを抱いてみたかった。
今までの自分の人生を振り返ると、強くそう思う。
この世界は、理不尽かつ不平等だ。
生まれる国や性別はおろか、親を選ぶこともできない。
醜いアヒルが、実は美しい白鳥だったなんて、そんな都合のいい出来事は起きないんだ。
「……死にたいな」
県境にある穏やかな水流の河川を、ぼんやりと眺める。
老朽化が進んだ石橋の上は、冷たい12月の風が吹き荒れている。
手足が、凍りつくように冷たい。
数年前、酔っ払った男がここで居眠りをして、そのまま亡くなったこともあった。
当時は数多くあった献花も、今はほとんど目にすることはない。
人は呆気なく死んで、忘れ去られていく。
……羨ましい。
誰の記憶にも残らなくていいから、僕も、同じように消えてしまいたい。
死ぬ度胸もないのに、毎晩こんなことばかり考えている。
「……あの」
「え?」
「突然、ごめんなさい。最近いつもこの時間、ここで見かけていたので……」
「失礼ですけど、野口千秋さん……ですよね?」
「は、はあ……」
暗がりの中、いきなり女の子から声をかけられて、反応に困る。
どうして、僕の名前を知ってるんだろう?
しかも、今は深夜の3時過ぎだ。女の子がひとりで出歩く時間帯じゃない。
「なんで、僕の名前を知ってるの?」
「……中学の時、クラスが一緒だったんです。野口くんは、覚えてないと思いますけど……」
「…………」
声を聴いた限りでは、ピンとこない。
辺りが暗いこともあって、顔も僅かに輪郭が浮かぶぐらいだ。
「……ごめん。失礼だけど、名前を訊いてもいい?」
「あ……えっと、橋本です……」
「橋本?」
「……え、橋本って、橋本杏南さん?」
「はい」
え、ええええええぇぇぇぇーーーっ!?
心の中で思いっきり叫び声を上げる。
橋本杏南さんと言えば、中学の時、うちの学年で一番可愛いって言われていた女の子だ。
幼い頃からドラマで子役として活躍したり、テレビCMにも出たりしていて、当時は学校中で話題になっていた。
高校が別になってからは、僕が芸能界に興味がないこともあって、ほとんど名前を聞かなかったけど……
(……どうしよう。橋本さんと話をするのなんて初めてだよ……)
ビビりすぎて、唇が震える。
僕からしてみたら、高嶺の花どころじゃない。
同じ空気を吸うのも憚られるほど、存在がかけ離れている。
「驚いたな、あの橋本さんだったんだ……」
「……私のこと、覚えていてくれたんですか?」
「そりゃあ……うん……。橋本さん、当時から有名だったし……」
そして笑えることに、中学で一番ブサイクだと言われていたのが、この僕だ。
野口という苗字で、あだ名は『野グソ』。
女みたいな『千秋』という名前は、からかいの材料でしかなかった。
それに比べて、橋本さんは……
可愛くて、優しくて、勉強もできて、その上、みんなの人気者。
僕とは違う世界の住人、いや、別次元の存在だ。
「ひ、久しぶりだね」
「……お久しぶりです」
お互い改まった挨拶をして、気まずい沈黙が続く。
相手が相手だけに、気安く話しかけるのも、畏れ多い気がする。
……とはいえ、このまま黙ってるわけにもいかないか。
ただでさえコミュ障だから、こちらから話しかけるのは、苦痛でしかないけど……。
「こんな時間にどうしたの?それに、最近いつも僕を見かけてたって……」
「あ……ここの橋、よく通るので、それで何度か見かけていて……」
「ああ、そうなんだ……」
軽く笑いながら、視線を川面へと移す。
『実は、中学の頃から、野口くんのことが好きで……』
そんなサプライズが起きるわけもなく。
どうしようもない妄想をしてしまった自分に、ただ苦笑いするしかなかった。
「……野口くんは、いつもここで何をしてるんですか?」
声がこちらの耳ではなく、遠くに向かって投げかけられているのがわかる。
おそらく、同じように橋の上から川を見下ろしているんだろう。
中学時代、真逆の人生を送ってきた僕たちが、こうして一緒に話をしているなんて、驚きを通り越して、滑稽にすら感じる。
「別に目的はないよ。ただ……川の流れを眺めていると、心が落ち着くんだ」
「その気持ち、よくわかります。私も、つい足を止めてしまうので……」
二度目に訪れた沈黙は、お互い、川の水面を眺めたことから起きたものだったから……
最初の時よりも、ほんの少し気が楽だった。
それはそうと……
冷静に考えると、おかしなことが多い。
よく、ここで僕を見かけていたって、深夜の3時頃に?
……芸能界の仕事で、帰りが遅かったりするのかな。
その辺の、橋本さんの近況というか、高校生になってからの情報が0に近い。
でも、クラスメートだったとは言え、目立たない僕を覚えていてくれたなんて、本当に驚きだ。
「あ……ところで、寒くない? ここ、風も冷たいし、風邪をひかないように、気をつけないと……」
「野口くんこそ、手袋もしないで平気? 私、カイロを持ってるから、よかったらこれ……」
「う……あ、ありがとう」
逆に気を使われてしまって、恐縮する。
しかも、それまで橋本さんの懐にあったカイロまで手渡されて……。
まともに顔を見られたもんじゃない。
そもそも、モアイ像と半魚人を足して、2で割ったような僕の顔面を向けるなんて、おこがましいにもほどがある。
「なんだか、夢みたいだよ。橋本さんみたいな可愛い女の子に、優しくしてもらえて……」
「…………」
お世辞だと思われたんだろうか。
ため息にも似た吐息が耳に届く。
まあ、可愛いなんて耳にたこができるほど、言われてるよな。
中学の頃も、教室でみんなに褒められると、慌てて否定してたし……。
そういう意味では、NGワードだったのかもしれない。
「……あれ? でも僕がカイロを貰っちゃったら、橋本さんは……」
「いいの。私には、必要ないものだから……」
「必要ない……?」
横を向くと、橋本さんは、じっと川の水面を見下ろしていた。
同じ人間とは思えない、繊細な顔の作り。
中学時代より、少し大人っぽくなっただろうか。
横顔だけでも、息を呑むほどの美少女っぷりで、モアイ顔の自分が恥ずかしくなった。
場違いにも程がある。
芸能人パワーを、まざまざと見せつけられた気分だ。
「……橋本さん?」
途切れていた会話を引き戻してみる。
『私には、必要ないものだから……』
そう言ったあとの寂しそうな眼差しが、気になって仕方なかった。
「野口くんは、高校生活楽しい……?」
「え……」
言葉に詰まる。
僕の高校生活に、楽しかった思い出なんて、ほとんどない。
このモアイ顔のせいで、第一印象は最悪。
小学校の頃から、あだ名は『野グソ』で固定。
下の名前が『千秋』だったせいで、女みたいな名前なのにと、比較して顔を笑われることもあった。
地獄の日々だ。
中立派は見て見ぬ振りをして、助けてくれる友達は、誰ひとりいない。
イジメられる方にも原因がある?
僕が何をしたって言うんだ。
このブサイクな顔に生まれて、親に与えられた苗字と名前を名乗ってきただけじゃないか。
「……楽しいと思ったことなんて」
久しぶりに会った同級生に、先の言葉を続けていいのか迷う。
でも、すぐに諦めの感情が胸を支配した。
今さら、橋本さんに何を思われようと、僕の人生が変わるわけでもない。
「地獄みたいな高校生活だよ」
吐き捨てるように言ったあと、欄干から乗り出す勢いで川を見下ろす。
何もかも、どうでもいい。
隠さず正直に話せば、それで終わりだ。
「本当は死にたいぐらいしんどくて……この橋の上から飛び降りたら、地獄から解放されるのかなって……」
「そんなことばかり考えてた。もう、生きてても楽しくないんだよ」
橋本さんから貰ったカイロを、破けそうなぐらい握りしめて。
僕は、今まで誰にも打ち明けられなかった、淀んだ胸の内をぶちまけた。
そのあと、激しい自己嫌悪の波が押し寄せてくる。
「……そうなんだ」
さほど驚いた様子もなく、橋本さんは澄んだ声を夜陰に融かしていく。
覚悟はしていた。
気持ち悪いと思われても仕方がない。
普通の女の子だったら、こんな夜遅くに、僕みたいな男がいたら怖くて逃げ出すだろう。
「ごめん。こんな話、するべきじゃなかったね」
「ううん」
隣にあった横顔が、静かに笑みを湛えていく。
そして橋本さんは、他人事のように空を見上げて言った。
「偶然だね。私も死のうと思ってたの――」
それは残酷なぐらい儚くて。
僕よりも遥かに強い覚悟の元、口にされた言葉だった。