想定外の前線(前)
――数日後の竜王都。
朝から快晴ではあるが、空の半分は雲に覆われている。その空の下で、市街戦に伴う煤煙が幾本も立ち上っていた。神殿軍の防衛線は、竜王配下の軍の猛攻撃に押されて、かなり後退している。
竜王配下の軍を指揮しているのは、猛将として有名な大型竜体の竜人だ。小さな街区の下町に住む小型竜体の竜人を両親としながら、大型竜体の持ち主として夢のような立身出世を遂げたという経歴の持ち主だ。竜王の側近中の側近――『英雄公』の二つ名を取る大将軍ラエリアン卿である。
なお、大型竜体を持って生まれた竜人は、『卿』を付け加えた呼称となるのが定番だ。その突出したドラゴン・パワーに敬意を表しての事である。『卿』が付けば、ほぼ大型竜体の竜人と判断して間違いない。
今日のラエリアン卿の軍事作戦は、橋頭保の確保であろうと知れた。前線となったスペースは、大型竜体の着地に耐えられる巨大な見張り塔を備えた、街区のメインストリートだ。
見張り塔は、城壁に挟まれたメインストリートを横断する、これまた城壁素材で出来た巨大アーチの上に建築されている。神殿への攻略ルート上にあるメインストリートの通行状態を眼下に望み、かつ左右する位置にある。軍事的に見れば重要なポイントだ。
前線では、戦闘モードたる竜体に変身した、数多の神殿隊士と、ラエリアン軍の武官とが、空中戦を展開していた。街区を彩る高層建築の屋上や壁の間を飛び交いながら、ドラゴン・パンチやドラゴン・キックを繰り返している。
それぞれの後方に集結しているのは片や神殿の下級魔法神官、片やラエリアン軍の魔法使いだ。自軍を有利に導くために、四大エーテルの《雷攻撃》魔法を展開する。複雑な魔法は人体でないと発動できないので、魔法使いは人体のままだ。
《雷攻撃》魔法による四色の閃光が激突するたびに、きな臭い煙を伴った爆発音が幾つも轟く。摩天楼の建材が砕け、散弾銃さながらに超音速の砕片を爆散させた。その場に居た竜体の幾つかが、爆発の熱や砕片に襲われて、鱗に次々に穴を開け、痛みで悶える。
――赤い《火雷》、白い《風雷》、青い《水雷》、黒い《地雷》。
魔法使いが発動する強烈な《雷攻撃》魔法は、数多の竜体を一斉に翻弄していた。
無数の《風雷》がゴウゴウと音を立てて弱い建物を木っ端みじんに切り刻み、その陰に潜んでいた竜体の全身の鱗が切り飛ばされて行った。そこへ襲いかかった《水雷》が、強化バージョン《水砲》さながらに竜体を打ち、城壁に叩き付ける。
エメラルドは腕の立つ神殿隊士の一人として、竜体に変身した状態で前線近くに出張っていた。エメラルドの竜体は均整が取れていて、敏捷に動ける事を示唆している。その鱗は、人体の時の髪色に準じた、ムラのあるエメラルド色だ。濃いアッシュグリーン色が標準的な中にあって、その宝石のような澄んだきらめきは、目を引くだけの物はあった。
一方で、竜体に関しては、色合いの揃った美しい鱗であれば鱗の強度も揃っているという、重要なポイントがある。故に、色ムラのあるエメラルドの竜体は、竜人としての美的感覚に照らせば、美点も欠点もある平均的容貌という事になる(完璧美人では無い)。
だが、エメラルドの竜体の能力の高さは、人体の時の物と同様、平均を遥かに上回る緩急自在の身のこなしとして、明らかに示された。
「重傷者、多数! 前線に出動して、回収可能な隊士を全て回収せよ!」
指揮官によるゴーサインに応じて、エメラルドは、他の救助部隊の隊士と共に前線に飛び出した。数多の《雷攻撃》魔法をほぼ見切り、白い翼でジグザグに滑空しつつ、舞踏の名手さながらに次々にかわして行く。
エメラルド竜は、前線で動かなくなった神殿隊士を目指して突進した。《風雷》でボロボロになり、更に《水雷》で城壁に叩き付けられて全身骨折する羽目になった、あの哀れな竜体だ。
突進の勢いを利用して、妨害して来た敵方の竜体の腹部にドラゴン・パンチをお見舞いし、地面に叩き付ける。更に襲って来た《水雷》を、《風魔法》をまとったドラゴン・ブレスで丸め込んだ。《水雷》だったものは、ドラゴン・ブレスの強風を食らって一瞬ジュッと音を立てた後、水球となってプカリと空中に浮かんだ。
微小な水滴であれば、魔法が無くても物理的現象として空中を漂うが、このような大きな水球を浮かべるだけの《風魔法》となると、《風霊相》生まれの竜体としても大したものだと言える。
エメラルド竜は水球を蹴鞠と見立て、《風魔法》の威力を加えたドラゴン・キックを繰り出した。水球は、《風魔法》によって生じたジェット気流に乗って、元の方向へと正確に飛び去って行く。
豪速球ストレートさながらの水球は、ラエリアン軍の魔法使い(人体)の1人を見事、捉えた。
想定外の反撃を食らう羽目になった魔法使いは、自分の後ろに居た大勢のバックアップ部隊を巻き込みつつ弾き飛ばされた。雨水処理用の水槽に落ち、続いて落ちて来た水球の形崩れによって、水位の増した水槽の中に浮かぶ。誰かがタイムリミットまでに救助しなければ、余分な水を流す水門に吸い込まれ、下へと向かう水路に乗って、遂には一番麓の回廊を巡る水路の何処かで、赤っ恥と共に拾われる事になる筈だ。
エメラルドは、前線における戦闘プロセスを可能な限りの短時間で切り上げ、敵を深追いはしない。前線の押し戻しは、あくまでも前線部隊の担当だ。エメラルドは、目的の竜体状態の隊士の脚部を竜の手で引っつかむと、赤い《火雷》が猛然と飛び交う中を、高跳びと滑空を繰り返して後方に退却したのであった。
エメラルドが、意識を失った重傷者を最後方の治療部隊に引き渡したところで、神殿の軍全体に、《風魔法》を使ったアラートが響き渡った。ラエリアン軍の側に内容が洩れぬよう、ノイズ暗号による機密保護が施されている。
「緊急応援、求む。我が神殿直下の街区、第3階層、第4街区の広場、ラエリアン軍に属するバーサーク竜1体、出現。既に下級魔法神官による防衛がスタートしている。バーサーク討伐および捕獲レベルに到達せる上級武官は、可能な者は全員、アラートに応じよ。繰り返す――」
エメラルドは竜体状態のまま、長い首を鋭く巡らせた。頭部の後ろへと生えている2本の竜角を改めて調整し、繰り返されたアラートを一字一句、洩れなく捉える。違和感がぬぐえない。
(1体のバーサーク竜だけでも相当数の被害が出る――ラエリアン卿の軍事作戦の一環か? それにしては妙なパターンだ)
神殿攻略ルートからは、明らかに外れているのだ。軍事作戦の常道で行くとしたら、バーサーク竜は陽動作戦の側だ。先にバーサーク竜で派手に混乱を起こしておいて、本命の方、メインストリートの攻略を容易にする。作戦を遂行する順序が、明らかに逆である。
更に別の懸念が浮上して来た。神殿の上級魔法神官によるバーサーク出現予測の占術の精度が上がって来て、特にバーサーク化しやすい『バーサーク危険日』が特定されるようになって来たが、今日は『バーサーク危険日』では無い。
最近は神殿の奥にまで侵入して来る敵側のスパイ活動が激しくなり、『バーサーク危険日』の情報が漏洩するようになっている。ラエリアン卿が、『バーサーク危険日』に合わせてバーサーク化しやすい武官を差し向けて来る事が増えて来ており、それは今や一種の様式美と言えた。猛将ラエリアン卿は容赦なく、使える戦力は何でも使うのだ。
だが今のところ、ラエリアン卿は、『バーサーク危険日』では無い日に、特定の武官を思い通りにバーサーク化させる方法は見つけていない筈である。神殿の方でも、それは同様だ。
――それなのに、バーサーク竜が出た? ラエリアン卿の――或いは、竜王の――配下の魔法使いの誰かが、遂に『禁断のバーサーク化魔法』を開発したのか?
(胸騒ぎがする)
エメラルドは上級武官――ベテランの一人だ。竜体を解除し、素早く人体に戻る。髪留めでもって、緑色の髪を高い位置の武官仕様ポニーテールにまとめ、白い武官服をまとう、いつもの姿だ。手には魔法の杖を握っている。今までの多彩な《風魔法》は、この魔法の杖を介していた物だ。
エメラルドは人体の姿を取るが早いか、目的地までの最短ルートを疾走した。武官として訓練された身体能力を発揮して、自陣のテントの屋根やバリケードを幾つも飛び越えて行く。
「相棒!」
声を張り上げると、いつも通り、相棒のクラウン・トカゲが、戦闘を避けて身を隠していた建物の陰から姿を現して並走して来た。エメラルドはストリートの石畳を蹴り、空中でヒラリと身を浮かべ、後ろから追いついて来たクラウン・トカゲの背にまたがる。
人馬一体となったエメラルドとクラウン・トカゲは、瞬く間にトップスピードに達した。対バーサーク緊急招集に応え、エメラルドに先行しているクラウン・トカゲと神殿隊士は、数人も居ない。少し遅れて、後ろから駆けて来る数の方が多いくらいだ。