第306話 ~一の方~ 朝比奈京介目線
炎に包まれたタカネ村から脱出した俺たちが乗る荷馬車はガラガラと激しい音を立てて森の中を駆け抜ける。
馬に跨り手綱を握っている俺も、今自分たちがどこにいるのか、そしてこの先に何があるのかも正確には分からないまま、馬車が通れる道に我武者羅に馬を走らせた。相手の戦力規模も分からず、戦うことができるのが俺しかいない以上、逃げるしかない。できるのなら、レイティス兵に見つかる前に迷わず目的地に辿りつくことができればいいんだが。
もしも晶なら、あの場で戦っただろうか。兵を、人を殺してでも。
「なあ朝比奈、これってどこ向かってんだ!?」
細山が展開している魔法陣に入らないように荷台の縁に腰かけ、馬と荷台の間にあるスペースで和木が、車輪が大きな石を撥ねる度に全身に力を込めて荷台にしがみつきながら、怒鳴るように俺に尋ねた。
手綱の長さ的に、本来は和木がいる場所で馬を操るのだろう。だがそうすると俺が乗るスペースがなくなるので、馬には申し訳ないが辛抱してほしい。
「分からない! だが、もしこの先に橋のかかった川があるならおそらく、この先はミヤマ村のはずだ!」
「ミヤマ村って、陥落したもう一つの砦に一番近い村だろ! むしろレイティス国に近づいてねぇか!?」
「幸いにも、レイティス国兵は俺たちが逃げ出したことに気付いていないはずだ! 車輪跡で気づかれても、それは明日の陽が登ってからだろう!」
ミヤマ村は、本当なら明日俺たちが向かうはずだった村だ。
タカネ村と同じく、近くに陥落した砦があり、負傷者が運び込まれている。
「だから、気づかれる前にここらで一番力のある人がいる場所へ行く!」
「そうか、ミヤマ村にはあんときのおっさんが! でも、いいのか? この人たち連れて行ったらまた……」
ラークからは、タカネ村よりもミヤマ村の方が負傷者が多いと報告を受けていた。それに、偵察でタカネ村に立ち寄った兵たちと、細山が治療した軽傷兵たちが次はそちらの村に向かったことも。
ここからまた一日近くかけて拠点になった屋敷や城へ戻るよりも、もしかするとミヤマ村も同じく襲撃に遭っているかもしれないが、多くの兵がいると知っている場所へ向かった方がいい。俺のスキル『勘』も、そちらがいいと告げていることだし。
タカネ村でカンゾウが重傷兵を前に言い放った言葉を思い出したのか、和木は荷台を振り返って顔を顰めた。
「それを言わせないために、今細山が治療してるんだろ。あと二時間あれば回復していたと言っていた。二時間あればミヤマ村には着く」
しばらくして俺の考え通り、前方に大きな川にかかった石橋が見えた。
幸いにもかなり頑丈そうで、荷馬車で渡っても問題なさそうだ。
俺は木々に身を隠すように橋の手前で荷馬車を停めた。ここまで駆け続けた馬も、できるなら休憩させてやりたいが、少しの間止まるくらいしかできなそうだ。
「和木、周囲の警戒を頼む。橋の上は遮蔽物がない。いい的になる」
「分かった。サル、頼む」
和木の言葉に頷いたサルが荷台から近くの木へ飛び出し、スルスルと木々を伝って行った。
その視覚を共有した和木が目を閉じて頷く。
「ん。今んとこ敵影はなしだな。川があるから向こう側は分かんねえけど」
「了解した。一気に駆け抜ける。準備はいいか?」
「おう!」
サルが戻り、和木が頷いたのを確認して、俺は馬の腹を蹴った。
ガラガラと大きな音が森に響く。
橋の真ん中に差し掛かったとき、俺は急に膨れ上がった殺気に俺は刀を抜いた。
「朝比奈!?」
「身を屈めろ!」
風を切る音に対してなんとなく感覚で刀を振るうと、飛んできた矢が真っ二つに斬れた。
それを二度三度繰り返す。矢切なんて初めてしたが、できるものだな。
「チッ。向こう側から飛んできてるってことはレイティス兵か、それとも味方兵か、分からんな」
「マジかよ」
それほど兵が潜んでいるわけではないらしく、多くても五人。十人規模で大量に射られてはいないが、それでもいつ馬に当たってもおかしくはない。
間合い外から飛んだ矢が二本ほど荷台に突き刺さっているし、手綱を握ったまま刀を振るうのもそろそろ限界だ。小さい頃に乗馬をした経験と、こちらの世界に来て向上した筋力のおかげでどうにかここまで来ているが、騎乗戦の訓練を受けたわけではないのだから。
「何が狙いなんだこいつは」
「……まだ馬が無事ってことは馬狙いとか?」
と、和木が呟いた矢先に、一本の矢が馬に深々と突き刺さった。
「う、わっ!」
「朝比奈!」
ヒヒーンと悲痛な叫びを上げて嘶いた馬が俺を乗せたまま前足を高く上げる。
「くそ!」
俺は馬と荷台を繋いでいた轅を叩き斬った。
荷台を鞘で突き、馬から離す。
「わっ!?」
がくんっと後退した荷台から和木が転げ落ちたのを後目に、俺は暴れる馬の上で立ち上がり、もう一振りの刀を抜く。
「すまん!」
馬が倒れる前に足場にして飛び上がり、空中で飛んでくる矢を斬り捨てながら、矢が射られていた木を一刀で切り倒す。
荷台から離れないようにしながら、それを三度繰り返した。
「クソォォォ!!」
切った木から落ちてきた兵が俺に向かって剣を振り上げる。
俺は瞬時に刃を返し、その胴に叩き込んだ。
「……レイティス兵、の残党か」
レイティス城で見覚えのある鎧に、俺は唇を噛んだ。
襲って来たことを考えると、偵察隊ではないだろう。鎧についた傷から考えるに、この近くで村を襲い、返り討ちにされて荷馬車という足が欲しかったのか。
向こう側から来たことを考えると、俺たちが向かっているミヤマ村から逃げてきたと考えるのが自然だ。
考えている間にも、一人、二人と刀の峰で兵を失神させていく。
兵はおそらく四人、ならあと一人いるはずだ。
「朝比奈君、後ろ!」
「出るな細山!」
荷台から顔を出した細山を目がけて後ろから放たれた矢を刀で切り落とす。
だが、最後の兵の狙いはその瞬間だった。おそらく矢を斬った瞬間が一番無防備になると思ったのだろう。一刀持ちの兵ならそれが正しい。が、見えていなかったのか、俺はすでに二刀目を抜いている。
「しまっ!?」
矢を射た瞬間に剣を振り上げ飛び出してきた兵へ、反射的に刀を向けた。峰に返していない方の刀を。
まるでスローモーションのようだった。これまでの戦闘が身についた体は、心とは別にその殺気に反応して相手の急所に吸い込まれる。
殺してしまう。
『――まったく、主殿の相棒を自称したくせになんだその体たらくは!』
と、この場で聞こえるはずのない声が響いたかと思えば、三メートルは超えた巨体の猫がその手で敵兵をペイっと払った。
暗闇に紛れるようにして木々の間からのっそりと出てきたのは黒猫の魔物。晶の従魔だ。
「夜!?」
思いもしなかった方向からの攻撃に、敵兵は簡単に吹き飛ばされ、木の幹に背中を打ち付けて昏倒した。
『易々と我が名を呼ぶな! 今の貴様は我が好敵手にすらならんわ、この路傍の石が! 今ここでお前が死ねば俺が主殿にその死を伝えねばならんではないか! 全く情けないにもほどがある!』
ギャオギャオと鳴く夜に俺はホッと息を吐く。
別にこれくらいの兵に殺されるほど弱くはないんだが、助けられたのは確かだ。
「助かった。晶が来ているのか?」
『まさか、貴様なぞのために主殿が出るわけがなかろう。勇者共が無事国境を抜けてレイティス国へ入るまで見てきたついでに貴様の無様な面を拝みに来ただけだ』
「そうか、わざわざ助けに来てくれたのか。ありがとう」
『だから違う!!』
シュルシュルと小さくなりながら地団太を踏む夜に少し笑い、切り離した荷台に駆け寄る。
和木と細山が俺が峰打ちで倒した兵たちを荷台にあった縄で縛っていた。
「無事か?」
「お前のおかげでなんとかな。馬はどうなった?」
「……まだ状態を見てないが、おそらく殺してやった方が賢明だろう」
「そうか」
ここまで全速力で駆けさせ、さらには矢を射られてしまった。あのままタカネ村に居れば焼かれ死んでいたとはいえ、これではどちらが良かったのか分からないな。
「私が治すわ。ここから先まだ距離があるんだから、馬がいないと……」
「いや、細山は兵の治癒が終わったら自分の魔力の回復に努めてくれ」
「でも!」
「分からないのか? 今のお前に来られると迷惑だって言っている」
老兵たちの分魔力の消費量が減ったのか、先ほどの平屋で見たほどではないにしても、魔力不足で顔から血の気が失せた細山は正気とは言い難い。
突き放すように言うと、和木が苦笑いで俺の肩に手を置いた。
「朝比奈、気持ちは分かるけど言い方」
「悪い。だがお前の力は今は兵に使ってくれ」
俺はそのまま細山の顔を見ることなく振り返り、馬に駆け寄る。
「……ごめんな」
首元に矢が突き刺さり、浅く呼吸をする馬の首に刀を振り下ろした。
『で、荷台を引くあてはあるのか?』
刀についた血を払い、馬に手を合わせていると、てっきりすでに帰ったと思っていた夜がまだそこにいた。
「俺が引く。走れはしないが、引くくらいはできるだろう」
部活の練習で腰にロープを巻き付けてタイヤを引いたりしたが、さすがに荷台を引くのは初めてだな。
『……はぁ~、一つ貸しだからな』
「夜?」
俺の言葉に大きなため息を吐いた夜は馬に『変身』した。
「お前……」
『ブルルッ! そら、さっさと行くぞ。主殿の元へ帰るのが遅くなるではないか』
「ああ。ありがとう」
『……』
夜のおかげで、俺たちは無事にミヤマ村にたどり着くことができた。夜と村の手前で分かれ、残りは俺が引く。
細山が治療していた兵も完全に回復し、痛みのない体に、生えた手足に目を白黒とさせていた。
幸いにもカンゾウはまだミヤマ村にいた。
ミヤマ村の兵に治癒した兵を託し、細山は和木に託して俺はカンゾウが敷いている陣に入る。
「何!? タカネ村が!?」
俺の報告にカンゾウに左右に控える人が叫び、それを聞いてざわりと揺れる空気にカンゾウは顔を顰めた。
「なんだと!? まだ中央の砦が陥落との知らせは来ていないぞ! このままだと中央の砦は孤立する!」
「……裏切りか、それとも伝令が遅れているのか」
カンゾウのぼやきに息を呑む。
伝令が遅れているよりも先に裏切りが来るのか。
「まあ良い。いつかはそうなると思っていた」
驚いた様子ではないカンゾウに、俺は眉を寄せる。
「あんたに一つ聞きたい」
「なんだ?」
「あんたは、タカネ村が落ちると知っていたのか。知っていて、兵士を引き上げたのか」
「……そうだと言ったら?」
試すような口調に、俺は歯を食いしばる。
怒りの感情がこみ上げて、そしてそれはすっと引いた。
「いや、ただ聞きたかっただけだ。悪いな」
俺はそう言ってカンゾウに背を向け、陣を出た。
山の限られた敷地にあったタカネ村よりも、このミヤマ村は数百の兵を受け入れることができるほどに広い。タカネ村と違ってヴェンデス国にも近いが、そちら側は攻め難い崖だ。警戒するのは三方でいい。
なぜタカネ村を見捨て、あちらよりも砦に近いこのミヤマ村は見捨てなかったのか。
守りやすく攻めにくいからということなのだろう。
「ああはなりたくないものだが……」
一を捨て十を取る。戦争をしている国の将としては正しい選択なのだろう。
俺も先ほどは細山を取って馬を見捨てた。細山が助けたがっていた兵を一人でも助けるために老兵を犠牲にした。交戦せず確実に逃げるために生き残りの村人を探そうともしなかった。
俺にはカンゾウに怒りをぶつける資格はない。
神様じゃあるまいし、どちらが本当は一なのか分からないというのに、命に優劣などないと言いたいのに、それでも俺たちは選ぶ。
「お前のようにはいかんな、晶」
タカネ村があった山の間から陽が顔を出す。
和木が呼びに来るまで、俺はしばらくその朝日を眺め続けた。




