第304話 ~タカネ村~ 朝比奈京介目線
大和の国は、現在レイティス国と戦争をしている。
“戦争”という言葉自体は知っているし、どういうものかは分かっていた。
国家間でたくさんの人たちが殺し合いをして、兵士もそれ以外も、たくさんの人が不幸になることだ。どちらが勝ってもどちらが負けても、その後何百年何千年経とうと遺恨は残り続ける。戦争は戦争を生み、悲しみと憎しみだけを生む。
ただ、知っていると言っても、俺たちの暮らしている国で戦争があったのは俺たちが生まれる前のことだった。世界のどこかでは戦争をしている国は存在しているが、すべてテレビの向こう側のことで、“異世界の出来事”と捉えていたというのが正しい表現かもしれない。
だからきっと、俺は“戦争”を分かっているつもりになっていたのだろう。
俺たちがこの大和の国に上陸した時点で、レイティス国側国境付近に存在する砦三ヶ所のうち、二ヶ所が陥落し占領されたそうだ。あの日馬車の窓から見えていたのは、その黒煙だった。残りレイティス国側に存在する砦は一ヶ所のみ。それも陥落した二つの砦に挟まれた位置にあるそうだから、そこが崩れるのも、もう時間の問題かもしれない。
すべての砦が占領されれば、レイティス国軍は国内に入り、北上し城攻めを行うに違いない。そうなるとこの世界から大和の国は消える。
最も、それを前にしたところで余所者の俺たちにできることといえば限られているのだが。
俺と細山と和木の三人は、大和の国の冒険者ギルド経由で細山にされた治癒の依頼のため、晶たちと離れて前線に近い、タカネという名の村に来ている。おそらく漢字で書くと「高嶺」だろうな。その名の通り、山の上にある村だ。新しく拠点になった屋敷から馬車で一日以上かかった。
その村がある山の、隣に位置する山にあったのが陥落した二つの砦のうちの一つらしい。だからその砦で負傷した兵は、救える者のみこの村に運び込まれたそうだ。救える者のみということは、すでに手遅れの者や、物資を圧迫しかねないほどの怪我を負った兵たちは見捨てられたのかもしれないな。
言葉にこそ出さないがそんなことを考えながら、俺は戦場が近い場所ゆえか、重く陰鬱とした雰囲気の村人たちを馬車の中から眺めていた。
「よ、ようこしょ! たかにぇ村へ!!」
馬車から降りた俺たちを緊張の面持ちで迎えたのは、俺たちと同じくらいの年齢の青年だった。村のあちこちにいる兵たちと同じ装いをしているものの、その装束は戦いを経験していないように見える。初陣がまだなのか、それとも別に仕事をしているのか。
おそらく用意していたセリフを噛んでしまった彼との間に冷たい風が流れる。
「こんにちは、大和の国冒険者ギルドからの依頼で参りました、治癒師の細山です。他の二人は護衛と作業の手伝いのために来てくれた、私の仲間の和木くんと朝比奈くん。限られた時間ですがよろしくお願いしますね」
そんな空気をものともせず、細山が何事もなかったかのように、顔を赤く染める彼をフォローした。俺や和木だとこうも自然にはいかないだろう。さすがだ。
細山に助け船を出された青年が目を輝かせて頷く。
「はい、はい! 僕、皆様の案内及び、村滞在時のお世話を任されました、ラークと申します!」
「よろしく、ラークさん。では早速ですが案内してもらえますか?」
「承知いたしました!」
ラークはおっちょこちょいなのか、この村の出身だというのに俺たちを負傷兵が集められている場所へ案内する少しの間にも二回何もない所で躓き、一回はそのまま転んだ。躓いた二回も、転倒する前に俺がそれを防いだための二回だった。つまり、俺がいなければこいつは三回転んでいる。多少坂になっているとはいえ、踏み慣らされた道でこんなにも足をとられるかとも思ったのだが、周囲の人たちの空気的にいつものことらしい。
「本当にこの人これで大丈夫なのかよ……」
言葉には出さないが、和木の呟きには完全に同意する。こいつが戦場に出たあかつきには敵兵よりも味方兵の方に被害が出そうだ。
だが、俺たちがわずかでも笑みを浮かべ、緩くあれたのはそこまでだった。
「……」
「っ!」
「おぇ……」
ラークが案内したのは、平時であれば村の集会所として使っているという茅葺屋根の平屋だった。
中を見た俺と細山は息を呑み、和木が血の匂いと饐えた匂いに小さくえずく。
出入り口の近くにいる兵は右手と右足があるはずの場所にそれが存在しなかった。その隣では指を数本失い包帯の巻いた頭を抱えた男が仄暗い顔つきでブツブツと何かを呟いている。中でも、彼らはまだ中傷程度の方だ。奥の方となると、そもそもぴくりとも動かないために生きているのかもわからない、真っ黒焦げの人が数人寝かされている。
ラークはここが細山が治療を依頼された軽傷者たちが集められている場所だと言ったが、これで、こんな惨状で、この場にいるのがまだ軽傷な方だというのか。
細山は平屋内をぐるりと見渡し、サッと顔を青ざめさせるとすぐに部屋の中央へ進みでた。
「……個別だと三人ほど間に合わない。この建物全体に回復魔法をかけます」
「そんなこと可能なのか!?」
「やったことはないけど、やらないと。朝比奈くんは重傷で動かせる人を私の近くに集めてくれる? 和木くんは手伝いの人に全員建物から出るように伝えて」
「ああ」
「わ、分かった!」
細山の号令で俺と和木が動き始めた時、外が少しばかりざわめいた。
「す、すみません! ホソヤマ様、案内したいのはこちらの平屋ではなく隣の方でした! すぐにそちらへお願いいたします!」
ラークが顔色を悪くしてそう言ってくる。どうやらそもそも案内した場所が間違いだったらしい。なるほど、彼のような人をドジっ子と呼ぶのだったか。初めて会うタイプの人間だ。
だが細山はラークの声に首を横に振った。例え依頼と違っていたとしても、ここにいる人たちを見捨てることはできない。俺も同じ気持ちだ。
「いいえ。まずはこちらを治療します。ここにいる方たちはすぐに治癒魔法をかけなければ危険ですので」
「いや、それはならん」
「カ、カンゾウ様!?」
ラークの後ろに現れたのは、カンゾウと呼ばれ御三家との会談で木花サクヤの後ろにいた老兵。だが、アマリリスに対して強面の表情を崩していた好々爺はそこに存在しない。
明らかに戦場をくぐり抜けてきたであろう細かい傷がついた甲冑に身を包んだカンゾウは、険しい顔で平屋の中に入ってくると細山の前で立ち止まり、威圧するように見下ろした。
彼が入っただけで、その身から漂う血の匂いのせいで室内の空気濃くなった気がする。俺は細山の後ろですぐに庇える位置に立った。
「ホソヤマ殿、こんな場所まで御足労いただき感謝申し上げる。だが、貴殿がすべきことはここには存在しない。それは隣ですべきことだ」
「……それは、ここにいる兵たちはこのまま見殺しにしろということでしょうか」
細山が眉を寄せ硬い声でそう返す。
その言葉に、カンゾウは瞬き一つせず平然と頷いた。
「そう言っている。ここにいるのは、国のために戦場で死ぬこともできんかった腰抜け共がお情けで助けられたにすぎん。手足を失ったまま生きていくよりもこのままここで死んだほうがこいつらの為よ。貴殿は貴殿に頼まれた仕事をせい」
「なっ! 前線で戦った兵にそんな言い方……!」
声を荒げてカンゾウに掴みかかろうとする和木を俺は手で制して止める。ここでのリーダーは細山だ。護衛や手伝いで来た俺たちじゃない。
細山は少し目を閉じたものの、すぐに開いて頷いた。
「……わかりました。隣へ行きます。仕事ですから」
「ほう、存外道理の分かる小娘らしい」
平屋から出るために踵を返した細山がカンゾウの零した言葉に足を止めた。いつもは浮かべている柔和な笑みすらそこにはない。
俺は初めて細山の人間らしい激情を見た。
細山は半身だけ振り返ってカンゾウを見上げる。
「ですが、私たちがあなたの部下ではなく、というかそもそもこの国の人間ですらなく、異世界から召喚された人間であることをお忘れなきよう。仕事さえ終われば自由にさせていただきますね」
「ならば貴殿も国に属する冒険者ギルドを通してここにいることを忘れるな」
俺たちはペコペコと頭を下げるラークに案内されて、今度こそ軽傷者が集められた平屋に入った。人数こそ隣より多いが、血の匂いはこちらの方が断然マシだ。
先ほどしたように全体を見回した細山は一つ頷いて呟く。
「……この分なら全員軽い治癒魔法で大丈夫かな。隣の分の魔力は温存できそう」
「無理はするなよ」
「うん。でも、私にできるのはこれくらいだから。さ、朝比奈くんも和木くんも、早く仕事が終わるように頑張ろうね!」
「……」
「おう!」
細山のことは苦手だが、なんとなくこういうところは晶と似ているのかもしれないと、その小さい背を見て思った。
その後、全員の治療を半日で終わらせた細山は、休む間もなく隣の平屋に入って、宣言通り建物全体に大規模な治療魔法を展開した。
細山の邪魔をしないように平屋から出た俺は、少し離れた場所で包帯を生活魔法で洗浄するラークの隣に座り、それを手伝う。魔力が枯渇するギリギリまで粘っている細山と違って、俺は一度も魔法を使っていないから魔力は有り余ってるのだ。
既に空は薄紫色に染まっていて、太陽は山の間に沈んでしまった。
「お前、俺たちを隣に案内したのはわざとだろう」
「……やけに確証のあるご様子ですね?」
「俺は勘がいいんだ。それ以外にも理由はあるが」
俺の言葉に顔を強張らせたその反応が答えな気もするが、視線は宙に水と共に浮かぶ包帯に向けたままどうしてそう思ったのか答えてやる。
「確かにお前は肉体の扱いが下手なようだが、頭はそう悪くない。記憶力は言わずもがな。細山の指示にもちゃんと従えてたしな。あのとき転けて隣の平屋を指したのならともかく、お前の歩みに迷いはなかった」
「ああ、そうですね。カンゾウ様や村の人を含めて誰も気づかなかったのに。よく見ていらっしゃる」
自嘲気味に笑ったラークはぼうっとした目で細山の魔法が展開されている方の平屋を見た。
「……あの中には僕の幼馴染がいるのです。僕は見ての通り戦闘はからきしで、運動能力もなく、戦いに出せばむしろ味方が傷つきかねないということで最前線の砦行きを免れましたが、兄弟のように育った幼馴染はそうはいかず、……村に帰ってきた時には臓物をいくつかと足を失っていました。あの平屋の中心付近にあります」
「ある?」
「元は明るく闊達な性格だったあいつは見る影もなく、目を開けてももう僕の顔どころか自分の親の顔も分かっていないようでした。あれはもう人じゃない。物だ。もしも魔法で救えるのなら救ってやってほしいと思って、あんな手を使ったんですが……」
「……そうか」
「優しいあなた方なら、一度あれを見たら救おうとしてくれるのではないかと思いました」
「賭けには勝ったわけだな」
「ええ。でもカンゾウ様が偶然いらっしゃって……」
結局、陥落した砦の偵察へ向かう道中たまたま村に立ち寄ったカンゾウに見咎められ、止められてしまったと。
つまり、それ以外の村人や兵たちは知っていながらラークの行動を見逃していたのか。
「カンゾウのあの言葉、どう思った? お前も聞いていただろう」
グルグルと空中で水洗いをしていた生活魔法が脱水の段階に入った。宙に浮かんでいた水が桶の中に落ちていく。ずっと思っていたが、この魔法って全自動洗濯機みたいだな。
「……この戦争もそこまで来たか、という感じですかね。もはや負傷した味方を荷物とみなすほどに物資を圧迫され、切り捨てなければならないところまでこの国は追い詰められているのだなと。今まで国境での小競り合いは何度もありましたが、ここまで本気で殺しに来ているのは初めてで。だからこの村は戦争が始まるまで平和だったんです。正直、動揺しています」
あの状態の味方を敵兵へ向かわせることなく、生まれ故郷へ帰したのはカンゾウの指示だという。
助けると決めたのも、それ以上助けないと決めたのもカンゾウだ。
「でも、あれが温情と言うなら、せめてひと思いに殺してやってほしかったなぁ……」
「……そうか」
俺と同じ年齢の青年が、そう虚ろな目でぼやいた。
晶も、こんな気持ちだったのだろうか。モルテで誰にもいわず黙々と救えない命を消していたあいつも。
そしてその日の夜、タカネ村は火に包まれた。




