第299話 ~ラティスネイルの選択~
「で、なんでそれを僕に?」
藤色の瞳がじっと俺を見据える。俺はその目から逃れるように再び海に視線を逸らした。
「正義は、戦争を始めた時点でどちらの国の手にも存在しない……。“たとえ悪人でも人間には人間の物語があって、それは他人によって絶対に奪われちゃいけないもの”。お前がアメリアに言ったこの言葉、俺は好きだよ。だからこそ、お前は本当にこれでいいのか聞きたい。……まあ、聞いたところでどうしてやることもできないが、戦争に参加するタイミングを遅らせるくらいならできるだろうから」
魔王の娘とか、魔族とか、ラティスネイルの存在自体が有用だとかは今は置いておいて、正義の味方でありたいと願うラティスネイルを、流れで戦争に参加させてしまうのは俺は嫌だ。しかも魔王が後ろで手を引いているとはいえ今は人族同士の戦争だ。
だが今のままだと確実に、ラティスネイルは俺たちと共に戦争に参加してしまうだろう。魔族の彼女が表に出るのは最終手段だが、それでもこの地に残るということは、“正義の味方”ではなくなる。
「う~ん、僕は一応この地に残るってことになっているはずなんだけれど。君は僕を戦争の道具にするつもりなの?」
「……」
悪戯っぽく笑うその顔に、俺は返事を躊躇った。この状況下で、俺はそれを完全に否定することができない。つもりはなくても、そうなってしまうことだってあるから。
当初の予定では、ラティスネイルは大和の国で誰にも知られることなくひっそりと過ごすことになっていた。外出も念を入れて例の姿を隠す外套を使うようにと。おそらく荷物ももう屋敷の最奥の部屋に運んだ後だろう。なのになぜ今彼女が飛行艇にいるのかは知らないが、おそらく今日が最後の分かれ道だ。
ここに残って人族の戦争に関わるのか、それとも他の大陸で健全に仲間を募り、拡大する戦争に備えるのか。どちらにせよ、魔王がこの世界の住民を生贄として捧げるのなら世界中を巻き込む大戦は避けられないが。
俺はその藤色に輝く双眸を見つめて素直に告げる。
「それすらも、今は分からない。この国は俺たちの故郷に似すぎている。すべてが同じではないが、空気や雰囲気は変わらない。きっと俺たちはこの国に対して非情になりきれない。だから、お前を使わないという選択を取れるとも思えない。戦争が拡大すれば、良くて対魔王軍の旗印として担ぎ上げるか、最悪の場合お前を魔王の、すべての元凶の娘とお前を糾弾するかもしれない」
「未来のことは誰にも分からない……か。ま、そりゃそうだ。僕としては物騒な旗印も鬱憤を晴らすための的になるのも、どちらも嫌なんだけれどね~」
きっと、俺たちは望むと望まざると関わらず、この戦争に巻き込まれるだろう。俺もラティスネイルもそれだけは共通して察している。可能かどうかは置いておいて、俺たちはこの戦争を止めるためにここに来たのだから。
「君は本当に素直で優しいね。ここにいると最終的に決めたのは僕だし、僕も幼子ではないんだから、もしそうなったとしても、それは僕の選択だっていうのに。勇者くんたちへの過保護が対象を拡大したのかい?」
やれやれと嘆息し肩を竦めるラティスネイルに俺は苦笑する。
「別に過保護ってわけでもないだろう。ラティスネイルはもう俺たちの仲間なんだから、仲間は大切にする。当たり前のことだ」
俺の言葉に、ラティスネイルは意外な言葉を聞いたとばかりに目を見開いた。そして苦笑を零す。
「魔族の僕を仲間と呼ぶ、か。あー、ちょっとキュンとしちゃったな。……も~、アキラくんがアメリアのものでさえなければ、君に僕の大切な恋心を捧げていただろうに。残念ながら初恋は伯父さんに捧げてるけど!」
こいつ、初恋はサラン団長なのか。いや、よく考えたら意外でもなんでもないな。
金髪碧眼の優しくて色々と教えてくれるイケメンが身近にいれば恋に落ちるのも当然だろう。そういえばレイティス城でも城中の女性という女性の視線を奪っていたっけ。たまに男もだが。あ、久しぶりにちょっとイラっとした。イケメンめ……。
「あーあ、本当に惜しいなあ。僕が横恋慕とか、略奪愛とか不倫とか浮気とかいう不誠実なことが大嫌いなことと、正義の味方の恋っていうのはすべからく誠実に一途であるべしって決まってることに感謝してよね!」
そんなことが決まっていたのかと俺は首を傾げる。
というか、略奪愛や浮気や不倫はともかく、横恋慕は行動に移さなければ別に良くないか? 不毛ではあるだろうが。
「でもそうだな。俺はこれから先、何があってもアメリア以外を選ぶことはない。たとえアメリアが俺を嫌いになっても、それだけは確かだから」
「ふーん。ま、十数歳という若さでアメリアのような、世の何もかもに勝る美姫に捕まったのは、ある意味不運と言えるかもね。ご愁傷さまってやつだ」
確かにそうかもしれない。世の中に存在する他の女性を知る前に、最上を知ってしまった。それは外から見れば不幸なのかもしれないが、俺にとってはなによりの幸福だ。生きていて良かったと初めて思ったのだから。
「いい。……その上で、俺はアメリアや夜以外は俺の救いたい者だけを救う。すでにそれ以外を切り捨てる覚悟はできている」
「いいと思うよ? うん、いいんじゃない? 欲のない人間はただ時間を消費するだけの人形にすぎないからねえ。僕は無欲な君よりも強欲な君の方が好きだよ。それでこそ、人間だ」
ラティスネイルはそう言って、まるで太陽を直視したかのように眩しそうに俺を見た。
「ああ。……本当に、君たちは眩しいや。……ほんとに、本当に、いいなあ」
その目には歪んだ愛情や嫉妬などではなく、ただ羨望だけが浮かんでいた。
思えば、彼女を真に案じていたらしいサラン団長やカロン・クロネルはもうこの世に存在していない。そして母親は物心つく前に殺され、父親は彼女を見なかった。彼女を等身大の彼女として認識し、心配するのはもう俺たちしかいないのだろう。
「まあともかく、恋や愛っていうのはいいものだよ~。人に力や勇気を与えてくれる。それは寿命が違えど、種族が違えど変わらないからね!」
「きゅ、急になんだ」
無理やり空気を変えるようにそう言って目を輝かせ、ニヤニヤと笑うラティスネイルに、俺は一歩後ずさった。
「さて問題です! 何代か前の魔王はなぜ各大陸に迷宮を作ったのでしょうか!」
「ああ、そういえば、迷宮はいつの時代かの魔王が創ったんだったか。……あれ、いやなんで魔王が?」
俺は途中まで半眼で答えて、そして首を傾げた。
この世界において、魔王は勇者に倒される者。魔王曰く、そういう概念が初代勇者の頃よりこの世界に刻まれた。そして魔王が創ったと言われる迷宮は、勇者が諸々のレベルを上げるのに最も効率が良い場所だ。俺がここまで強くなれたのだって、カンティネン迷宮での経験が大きい。レベルはもちろんのこと、それ以外の経験という意味でも。
今代の勇者である佐藤たちは一度しか迷宮には潜らず、それも煙玉のせいでミノタウロスが出現し、中層に入ったあたりで引き返しているが、他のこの世界産異世界産問わず歴代勇者はそうではないだろう。おそらく、かつての俺と同じように代々の勇者は迷宮の下層以上に潜り、レベルを上げようとしたはずだ。
つまり、迷宮を創ったのが魔王だと言うのなら、魔王は自分を殺す勇者を育てる場所を創ったということになる。その代わりに迷宮の氾濫という手段を得たとはいえ、メリットとデメリットが全然釣り合っていない。
「先に言っておくけれど、迷宮が各大陸にできたのは初代勇者が魔族領の北半分を消し飛ばした後だよ?」
首を傾げて目を瞬かせる俺に、ラティスネイルは苦笑して先手を打ってくる。
「ならなおさら意味が分からない。どうして魔王は勇者を育てるようなことを? というかそれに恋だの愛だのがどう関わってくるんだ」
「んっん~、勇者をじゃ、ないんだよね~。それに育てる、でもない。救おうとしたのさ」
だが俺の答えを聞いて、ラティスネイルはチッチッチと左右に人差し指を振った。俺は眉を顰める。
対象が勇者でないのなら、その恩恵にあずかり、救われている者はかなり幅広い。なにせ、迷宮があればそれに挑む人が集まり、人が集まればそこで商売を始める者も出て、その地が発展し経済が回るのだから。実際に存在する例を挙げるなら、獣人族領のウルなんかは迷宮があるからこそ栄えた地だ。
「……つまり勇者を含めた人を? 初代勇者以降の魔王が、人間を救おうとしたのか?」
「そうだよ! 魔族は四種族の中で唯一魔物を従える能力を持つ種族だ。四種族が元々同じ人間という単一の種族だったってのは魔王が言っていただろう? ではなぜ魔族の祖先は魔物を従えるように進化したのか、それは、人間を殺すために神が創った生物、魔物から身を守るためさ。各種族に伝わる神話って、それぞれちょっとずつ違ってたりするんだけれど、神の怒りに触れた人間を滅ぼすために神が遣わした生物が魔物であるっていうのは共通しているんだ。大げさに言うなら存在が神罰ってこと。魔物は進化以前の人間にとって天敵だった。特に原初の魔物は強敵でね。それらから身を守るために、魔族は魔物を使役するという方向に進化したのさ。元々は君とヨルくんのように対等な関係だったそうなんだけれどね」
初めて聞くその話に聞き入る。
だが、目的があったとはいえ原初の魔物とされるヒラエスが初代勇者と親し気な様子だったのはどういうことだろう。もし異世界の人間は例外なのだとしても、あの場にはアメリアや夜もいたのだから、この世界の人間を滅ぼすための存在ならアメリアや夜だけでも排除していても不思議ではないはずだ。もちろんそうならなかったことは素直に嬉しいが。俺との交渉を上手く進めるためだろうか。
「たとえ魔物が人間をすべて殺しつくそうとしても、魔族だけは生き残る。今は迷宮の地下に閉じ込められている最下層級の魔物が、当時はそこら辺に普通にいたらしいからね。人々の安寧の地は壁に囲まれた大都市だけで、それ以外に住む人たちは日々怯えて暮らしていた。だけど、とある魔王が勇者に恋をすることでそれは変わったんだ」
「は? ……は!? 恋!?」
思わず顔を上げて彼女を二度見した俺を、ラティスネイルは腹を抱えて笑う。
「ふ、うふふふふふふっ……。良い反応だね、アキラくん! ほ、ほら、よくあるだろう? 敵同士がそうとは知らないうちに友好を深め、互いに恋に落ちる。けれど世間や立場がそれを許してはくれなくて……。なーんて、何度も擦られ続け擦り切れてくたびれた話が」
「それを魔王と勇者がか?」
にわかには信じられない話に、俺は続きを促した。
「そう、魔王と勇者が。さっきも言ったけれど、当時は小さな村のすぐ近くの森を迷宮最下層級の魔物が棲み処にしている、なんてこともあったし、そんな村が魔物によって全滅するってこともしょっちゅうだったそうだよ。そしてその勇者はそんな小さな村の生まれだった。幼い頃に父親を魔物によって亡くし、母親も同じ魔物に、彼女が勇者として村を出る前に殺されたそうだ。そんな境遇を、身分を隠して親しくなった彼女から聞いた魔王は哀れに思い、すべての魔物を操って迷宮へ押し込めた。彼女が力をつけて自分に会いに来てくれるように、そして魔物なんかに殺されないように、ご丁寧に難易度別に階層を分けて強い魔物は最下層に押し込めて……っていうのが魔族の間で密かに語られている恋物語の一つだよ。まあ実際にあった話なのかは知らないし、色々と尾ひれはついているだろうけれど、信憑性は高いと僕は思うな。長い魔族領の歴史で勇者と恋に落ちる魔王だっているさ。きっと、そのときの魔王はたとえ自分を殺す存在だったとしてもまた会いたかったんだろうね。僕、このお話が大好きでいつも伯父さんにねだってたんだ。懐かしいな……」
結ばれるまでに障害の多い恋って、どこの世界でも好まれるもんなんだな。ロミオとジュリエット異世界バージョンか?
とはいえ、かつて魔族が文明の最先端をいっていたって話、天敵である魔物に脅かされることがなかったからこそ思う存分発展することができたって感じか。それで、初代勇者の自爆と魔王の恋によって今は他種族がリードしていると。
もしかすると、この世界の方が魔物のせいで文明の発展が遅れているだけで、俺たちよりも長く存在している可能性もあるか?
「その魔王は勇者と再び会えたのか?」
「さあ? そこまでは語られていないから知らな~い。でも、その方が色々と想像の余地があって僕はそれでいいと思う。だって、その後魔王と勇者が心を通じ合わせて死ぬまで共に暮らしましたとさ、でもいいんだから」
目を伏せてラティスネイルは言う。
「まあ、そういうことで、恋や愛には多大なる力が眠っているのさ! 素敵だよね!」
俺は思わずラティスネイルの顔をじっと見た。俺の視線に気づいたラティスネイルは目を眇める。
「……なんだい、その顔は」
「いや、悪い。ラティスネイルはそういう愛だとか恋だとかに興味ないと思っていたから。意外だった」
「僕だって女の子だもん。……だけどまあ年齢差もあるし、そういうのを考えられなくなったってのもあるよ。長く生きる者の宿命だね。……とはいえ、僕は“みんなの”正義の味方だからね! もしもこの先恋することがあっても、それはきっと素敵なものに決まってるんだ!」
なんというか、恋に恋をしている状態なのだろうか。この調子だとサラン団長以降好きになった人もいなさそうだな。まあ俺もアメリアが初恋で最後の恋だから人のこと言えないけど。
いや、なんでこんな話をしていたんだっけ?
「で、お前は結局このままでいいのか?」
「あぁ、誤魔化されてはくれないか。さすがアキラくん……」
がっくり肩を落としたラティスネイルに少しだけ申し訳なくなった。話の流れとはいえ魔王の恋物語を語ったのは話を逸らすためだったか。
俯いたまま、ラティスネイルがぽつりと零す。
「一度……本当に一度だけ、父が僕のことをまっすぐに見た記憶があるんだ。まだ周囲の言葉すらも分かっていない、たぶん立ち上がれもしなかった頃じゃないかな。乳母に抱かれた僕を、父はまっすぐに見てくれた。僕はそれを覚えている。たぶん死ぬまでずっと忘れることができない。どれだけ今の僕が冷遇されようとも、いつか同じように僕を見てくれるんじゃないかって思ってしまう。それが最後の最後であったとしても。僕は父を諦めることができない。だから、戦うよ。僕も君たちと共に最後まで」
「……そうか。ならいい」
ちゃんと自分で決めているのならそれでいい。
頷く俺に、ラティスネイルは顔を上げてふにゃりと力なく笑った。
「君と出会って分かったことが一つあるんだ。僕は所詮、なんちゃって正義の味方だった。きっと本当に世界を救って平和をもたらすのは君のように筋の通った欲を持つ人間なんだと思う。善く在りたいだけの僕よりも、きっと世界は君を選ぶ。だって僕の願いはマヒロが言っていたように、人によっては偽善と呼ばれるものだから」
「そんっ……」
そんなことはないだろうと言いかけた俺の言葉をラティスネイルは手で制してそのまま続ける。
「これは僕自身の気持ちだよ。だからね、僕はなんちゃってだとしても、正義の味方を目指した者として、君の味方になりたい。他ならぬ、“仲間の”君のね? まあ自分でいうのもなんだけれど、僕は便利で使いようのある立場だと思うよ~? それに、そもそもの寿命が違う僕は、例え酷い汚名を着せられたとしても何百年かひっそりと暮らしていれば、僕の顔を覚えている人間もいなくなっているだろうし~? 無駄に長い寿命もたまには役に立ってくれないとね」
「……」
ぱっちりとウィンクを飛ばしてくるラティスネイルに俺は言葉を失う。
つまり、仲間であり彼女が認めた俺のためなら、ラティスネイルはこれまで忌避していた目の届く範囲での殺人すら許容すると言っているのだ。そして、自身に汚名を着せるのも許すと。
「ああ、必ず。お前の決意は無駄にしない」
俺はこれから失われる多くの命を見殺しにする。この手で終わらせることも、きっとあるだろう。
それでも、止まることは許されない。俺自身が許さない。
「まったく、それにしても君はかっこつけだな~。アメリアは君の無様な姿を見ても幻滅したりしないよ」
「知ってる。けど、好きな女には格好つけたいもんだろ」
「そういうもの? 僕は一応女だから、分からないなぁ……」
ラティスネイルは肩を竦めてそう言った。
俺は彼女の善性に報いなければならない。
そして夜が明けてまだ日が完全に登っておらず、空が藍色に染まっている時間、リアたちを乗せた飛行艇はブルート大陸獣人族領へ飛び立っていった。
「ではな」
そう言って向けられたノアの小さな拳に俺も拳を合わせる。
「ああ。気を付けろよ」
「馬鹿言え。こちらはただ家に帰るだけだ。むしろ危険なのはそちらだぞ」
「分かってる」
細山と共に前線に出ていた傷兵の治癒に言っていた京介曰く、突如大和の国の港に現れた巨大な空飛ぶ船を警戒したレイティス国側の侵攻が一時的に止まっているらしく、木花サクヤからもしレイティス側に行きたいのなら今が好機だと伝言をもらっている。
きっと今日中には勇者たちレイティス国へ向かうメンバーもこの国を旅立つだろう。
ここからが正念場だ。
2025年の更新はこれで最後になります。
今年はアニメ放送や四年ぶりの新刊発売と忙しい年でしたが、皆様の応援もあり、無事に乗り越えることができました。本当にありがとうございました。
2026年も「暗殺者である俺のステータスが勇者よりも明らかに強いのだが」を、どうぞよろしくお願いいたします。
また来年お会いしましょう。よいお年を!




