第290話 ~救い~
魔族領、ヴォルケーノ大陸を離れてから十日が経過した。
行きは、獣人族領にあった先代勇者パーティーのセーフハウスから魔族領までは早くて三日で到着の予定だった。だが、道中にワイバーンやダリオン・シンクなどが襲ってきたせいで船底に傷がついてしまって、それに伴い船の速度を落としたため二日延び、結果的におよそ五日間の旅路となった。
ヴォルケーノ大陸から一番近い場所からが五日だったので、それ以上に離れている人族領へはさらに時間がかかると分かっていたものの、さすがに空路で十日は長すぎる。船底が傷つかず、船の速度が当初のままならば半分くらいの日数で着いていたのだとノアが言っていた。おのれワイバーン……。
ヴォルケーノ大陸で俺たちが出ている間に、余った材料やワイバーンの皮などを使用して船底の修繕はできたそうなのだが、万が一のために速度はそのままにしてあるのが要因の一つだ。もし速度を上げて大洋のど真ん中で船がバラバラになった、なんてことになれば確実に全滅するから誰も文句は言えない。もしもそれで生き残ったとしても、モルテで餓死していた人たちの二の舞になるのなら大人しく着くのを待つしかないだろう。
とはいえこの十日間、何もなかったわけではない。
行きと同じく腹減りのワイバーンや、飛行可能な魔物の群れが襲ってきたりとあまり平和とは言い難い日々を過ごす中、七日目あたりにモルテで救助した獣人族の一人が目覚めた。
モルテで佐藤たちが助けた七人は、あの日飛行艇に戻ってからアメリアの『強制睡眠』で眠らされており、負った精神的な傷がある程度癒えるまで目覚めることのないようにしていた。その効果は俺が身を以て知っている。つまり目が覚めたということは、多少なりとも回復した状態だということだ。あの地獄によって彼らがどれほど傷ついているのか推し量ることさえできないが、それでもこの短期間で目覚めたのは奇跡といえる。願わくは、この調子で全員の目が覚めるといいんだが。せっかく生き残ったのに死ぬまで寝たままというのはあんまりだろう。
あの日モルテにいた全員が、細山からの緊急の船内放送(船内の各所に設置されたウサ子110号からの音声)を聞いて、急遽三部屋をぶち抜いてベッドを並べて作った救護所のようになっている部屋へ急いで駆け付けた。
「あ……」
まだベッドに横たわったままだが、その目は確かに開いて所在なさげにうろうろと辺りを見ている。ベッドの横には細山とアマリリスがいて、目覚めた彼に今の状況や現在地なんかを教えていたらしい。
俺たちの顔を順に見ていたその目が佐藤を見つけて丸くなった。
「ゆう、勇者、様」
のろのろと重い体を起こそうと動くので体の負担にならないように支え起こしてやる。慌てて駆け寄ってきた佐藤が伸ばされた手を握った。
血の通った暖かい手に獣人族の男はほろりと涙を零す。
「勇者様、お、俺っ!」
自分の手を握って涙を流す男にはじめこそ戸惑った様子だった佐藤も、握られていない方の手でそっと肩を撫でる。
男はしばらくそうしていたが、突然ハッと顔を上げて周囲を見回した。
「た、助かった中に俺と同じネズミの獣人はいませんでしたか!?」
助けられた七人のうち人族が三人、獣人族は四人。その中でネズミの獣人はこの人だけだ。
勇者がそれを伝えると、男はがっくりと肩を落とした。
「もしご家族だったなら申し訳ありません。あの日助けられなかった方たち、つまりここにいない方たちはあの場で弔いました。遺品もなく、骨すらも残っていません」
「い、いえ。家族どころか、俺はあいつの名前も知らないんです……」
頭を下げて謝る佐藤に男は緩く首を振って語り出した。
曰く、彼は親戚の結婚式のために行った人族領から帰りの船でおそらく魔物由来の大嵐に遭い船が難破。一緒にいた家族たちとは逸れてしまい、彼だけが命からがら魔族領にたどり着いた。着の身着のままでたどり着いたために当然金目の物は一切所持しておらず、故郷への路銀を迷宮で稼ごうにも武器も武器を買う金もない。後払いにしてくれと頼みこんでも店主は鼻で笑うばかりで、しまいには他の冒険者に店から蹴り出されてしまった。彼はここでようやく、たどり着いたのが人族領ではなく魔族領であると気づいたそうだ。
「ずっと言われてたけど、本当に血も涙もねえ奴らだとは思わなかった! 獣モドキには残飯どころか泥を食っているのがお似合いだとよ! 魔物とかいう化け物に近すぎて自分たちが化け物になってる自覚がないらしいな。クソ!」
悔しそうに拳を握る男に、佐藤たちが何か言いたげな顔をしたが、一瞥して黙らせる。見て判別できるとも思えないが、とりあえずラティスネイルとソノラはこの部屋に近づかないように言っておこう。
眠りから覚めたものの完治したとは言い難い容態であるため、細山が話は今度にしようと促すが男は首を振って佐藤の手を握ったまま話を続ける。
佐藤に何か言いたいことがあるらしい。だがあまり話が上手いわけじゃないから一から話している感じだろうか。目覚めたばかりでこれだけ話せるなら大丈夫そうだな。瀕死の状態から七日間眠り続けたのにも関わらず調子のいいときの母より元気だ。支えている体も離して良いような気がしてきた。
「そのあと、どうにか飯にありつけないか、働けないかと街周辺を歩き回って力尽きて、行き倒れてるとき、助けてもらいました。俺と同じネズミの獣人族で、俺より少し前にたどり着いてどうにか暮らしていけないか模索していたらしくて、仲間になると言えば少しだが食える物もくれた。他にも人族もいてそいつが間に入ってくれて、本当は嫌だったけどいっぱい頭を下げて、そこまで他種族を嫌ってない魔族が仕事をくれるようにまでなったんだ……! そのときはまだみんな何とかなるって思ってたんです。生き残れるって! 家に帰れるって!」
俺たちは地獄になった状態のモルテしか知らないが、なんとか暮らそうとして足掻いた人もいたらしい。たしかにもし俺が男の立場でもなんとか生きようと足掻いただろう。それが跡形もなかったということは、それを妨害した者がいたということになる。
そこまで話して男は目を伏せた。
「それなのに、それなのに! 魔族の、ジューマカイギとかいうノレンって男と魔族の兵士たちがやってきて、俺たちが始めようとしてたものをめちゃくちにしやがった! そんであっという間に黒いスライムに全員のまれて、魔力を全部搾り取られて、あの場所に捨てられたんだ! 中にはスライムから出てきた時点でもう息をしてないやつもいて……!! 下等生物でも魔王様の力になれるのだからその無意味な命に価値ができて良かったなって! ふざけやがって!」
嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる男の言葉に俺は息を呑んだ。いつの間にか救護所に駆け付けていたアメリアとリアも“黒いスライム”という言葉に目を見開く。
おそらく黒いスライムというのはアメリアと初めて出会ったときに彼女を内包していたスライムと同じ魔物だろう。そしてリアの育て親を含めた村人たちを勇者召喚の生贄として捕らえていたのも黒いスライムだ。黒いスライムには内包した者を捕らえ、無理矢理魔力を抽出する能力が備わっているのだと考えられる。アメリアは長時間のまれていたがその魔力が無尽蔵だったおかげで無事だった。リアの家族は魔力が巡った残滓が残る肉体までもが消費された。
男が言うスライムから出た時点で死んでいた者もいるということは、おそらくその人はスライムの中で急速に減る魔力を命の危機として感じ取ってしまい、体が勝手に生命力を魔力に変換してすべて搾り取られたのだろう。この男を含めた数人はそうならなかったから生き残った。体の防衛反応が逆に人間を死へ追いやるとは皮肉だな。
リアの家族とは違って生きた状態で彼らがスライムから出され、モルテの裏に捨てられて死肉を食む魔物に喰われるそのときを待つだけになったのは、モルテで彼らへ仕事を斡旋しようとした魔族への見せしめだろうか。男の話を聞く限りNo.7のマスターのように友好的な魔族がいたようだから。
だがリンガたちの母親について話を聞く限り、まだ先代魔王が統治していた時代のモルテも同じく他種族が死を待つ場所になっていたようだから、あえて捕らえられ魔力を搾り取られたこの男たちが特殊だったのだろうか。静かに死を待てばよいものを、絶望することなく領民も力を貸すくらい器用に立ち回る異種族の存在は確かに統治者としては脅威だな。いつか下克上されるかもしれない出る杭だったから早々に打たれたとみるべきか。
生命力はあっても魔力がなくなればどれほど体が重く辛いか、俺はよく知っている。なにせ俺でさえウルで『影地獄』を発動し魔力をほぼ使い切ったときは気を失って三日間寝込んだのだから。誰も看病する人がいなくて、食料もないモルテという場所でどうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。
魔王の話を聞く限り、彼らは自分たちがしていることを初代勇者や俺に責任転嫁したいようだが、なんてことはない。妻を殺されたのは確かに同情するが、それ以降に彼らが行ったのはただの残虐行為だ。一瞬でも同情してしまったのを後悔した。どの口で人族をこき下ろしていたのか。やっていることの悪辣さはそう大して変わらないだろう。
この世界では魔物に家族を喰われた殺された人たちは大勢いる。その中には自称勇者のような自分勝手な者がいる可能性だってあるが、それでも大多数は前を向いて今を生きているのだ。一つでも大きな不幸があれば、同種族であれど関係ない者にまで復讐をしてもいいのか。いや、そんなわけない。
魔王は、魔族は超えてはならない線をいくつも超えてしまっている。やはり俺には彼らを救うことはできない。
ぐずぐずと鼻をすすりながら男は続けた。
「俺、勇者様がいらっしゃったとき、あのとき本当は死にたかったんです。だってあそこはそのくらい地獄でした。希望なんて一晩もしないうちに潰えて、辛すぎて何か武器を持っていればすぐにでも喉を掻き切ってた。だけどそんなものすらあそこにはなくて、だからずっと早く早くって……」
自分が助けた者の悲鳴に佐藤たちは絶句する。きっと、今佐藤たちは助けない方が良かったのではないかとか思っているのだろう。
だが男は言葉とは裏腹に光の灯った目で佐藤を見た。
「でも、勇者様のお声で目が醒めました。俺たちはあんなところで死ぬために生きていたんじゃない。幸せになるために生まれてきたんだ。勇者様方、助けていただいて本当にありがとうございました!」
そう言ってまだ三十代だという獣人族の男はくしゃりと笑ってベッドの上で頭を下げる。
彼はあのとき佐藤が一番に水をやった人族ではないが、彼も近くにいてあのとき勇者の言葉で目に光が戻った一人だったらしい。
勇者は深々と頭を下げる男の肩に手を添え彼の頭を上げさせると、泣きだしそうな顔で笑った。
「俺も、俺たちも、あなたを助けられて良かった。話してくれてありがとうございます。今はどうかゆっくり体を癒すことに専念してください」
「はい!」
レイティス王といい、魔王といい、この世界の生者は死者に執着する傾向にあるように思う。もしこの男の家族が大嵐ですでに亡くなっているのなら、死者に囚われることなく幸せになってほしいものだ。もちろん、全員生きているのが一番だが。
「おーい、人族領が見えてきたぞ!!!」
見張り当番だった和木からの知らせに、船内の全員が甲板に上がって少し前までは水平線しかなかった海を見渡す。
おそらく高レベルの魔物が多数生息している魔族領付近より格段に穏やかな海の先に、この世界で一番豊かな大陸が姿を現しつつあった。
「……カンティネン大陸。戻ってきた、か」
思えばレイティス城を出てからすぐ迷宮に潜ったためこうして外からカンティネン大陸を見るのは初めてだ。見えているのはおそらくレイティス国ではなく“大和の国”だが。
「さて、ここから俺はどう選択するんだろうな」
佐藤と京介に言った魔族の殲滅をしないで済むのか、それとも有言実行するのか。なんにせよ、俺たちは自ら国家間の戦争に巻き込まれに来たのだ。
一度も手を汚さずに平和解決なんてことはきっとない。
願わくは、他人を助け人を守る彼らの手が俺と同じように汚れないことを祈ろう。
本日はアニメ四話の放送日ですが、放送時間と各種動画サービスでの配信が30分後ろにズレるそうなのでご注意ください!




