第279話 ~乱戦③~ 佐藤司目線
魔法陣が足元で展開され、咄嗟に動けなかった俺は気づいたときには晶に投げられ、いつの間にか謁見の間の扉の近くにいたNo.7のマスターの隣に体を捻って着地していた。空挺船をワイバーンが襲撃した際に夜さんに上空で投げられた経験がここで活きたらしい。
顔を上げると、それまで俺たちが立っていた場所に晶と朝比奈くんが取り残されていて、魔法陣は発動寸前だった。おそらく今俺が何しようが間に合わない。だが届かないと理解していても手が伸びる。光る魔法陣の中で晶も諦めずに朝比奈くんへ手を伸ばしていた。
「『反転』」
と、それまで誰もいなかった空間から凛とした声が響いた。謁見の間の隅、今は開いている扉近くの空間から一本の腕が突然宙に現れ、玉座の方へ伸びているのが視界の隅に映る。
同時に晶たちの足元に展開され、今にも発動されそうだった魔法陣が一瞬で掻き消えた。
「やあ、久方ぶりだね。今はNo.7のマスターと名乗っているのだったかな、愚兄の元側近カロン・クロネル。そして初めまして、先代勇者パーティーのクロウ」
空中に浮かんだ手が何かを剥がすような仕草をしたかと思うと、空挺船に残っていたはずのクロウさんがそこから現れた。手に持っていた黒い布をラティスネイルさんに投げ、そのまま当然のように晶の隣に並び言葉を交わす。
そういえば、ラティスネイルさんが身を隠す効果を持つ黒布の魔法具はアマリリスさんに貸し出しているとクルールの門前で言っていた。つまりはクロウさんが現れたときに大して驚いていなかった晶も含めてこの三人は共犯だ。クロウさんがこちらに来ていること、ノアさんやリアさんにはきちんと言ってあるんだろうな? 頼むから報告・連絡・相談を大切にしてくれ。本当に肝が冷えた。ブライス・オットー戦の無茶な戦い方も含めて、船に帰ったら絶対に話し合いだ。晶は引きずってでも参加させる。
俺たちが飛行艇を出立する頃のクロウさんは獣人族特有の急性な老化が最終段階まで進んでしまい、歩くのも辛そうに顔を歪めていたが、今は出会った頃のように軽い足取りだ。アマリリスさんが関わっているということは魔法ではなく薬学関係だろうか。
なにはともあれ、クロウさんが現れたことでこちら側に少し余裕が生まれた。何せ彼は先代勇者パーティーとして魔王まであと一歩のところまで迫り、さらにマヒロと戦って生きて帰った実績があるのだから。
玉座周辺に結界を張ったマヒロは晶とクロウさんが、そしてノレンという伝令役の魔族にはマスター率いる魔族の味方兵と朝比奈くんが行った。俺は結界の中で玉座に座ったままこちらを見ている魔王のもとへと向かう。
魔王は玉座に悠々と座したまま、俺を見て口角を上げた。
「何か言いたげだね、今代の勇者殿?」
マヒロの結界に守られて、玉座に悠々と座す存在。俺が、“勇者”が倒すべき“魔王”。
晶は召喚当初からそれを疑問に思っていたようだった。確かに俺たちが召喚された当初、レイティス王が言っていたように魔王が人族の領土へ侵攻しているなんてことはなく、人族の大陸は平和そのものだった。あの状況でレイティス王の言葉を信じて魔王を倒そうとしていた俺たちは確かに滑稽だっただろう。
だが結局俺たちが召喚された原因は魔王であり、魔王は世界征服どころか俺たちの世界への侵攻も企んでいると分かった。殺された妻たった一人を蘇らせるために。
俺を召喚した人物であり俺たちにとっての元凶とも言えるレイティス王でさえも彼の掌で転がされていただけの存在だった。
「貴方は、なぜ“勇者”が存在しているのだと思う?」
すらりと抜いた剣を結界越しに突きつけて問う。
卵が先か鶏が先か。ずっと気になっていた。
なぜ“織田晶”はこの世界の騒動に巻き込まれるのか、それは初代勇者が平行世界の晶自身であり、この世界の原初の人間を父にもつから。晶とこの世界には縁があり、ラティスネイルさん曰く戦神に愛されている。だが勇者は、俺はどうだ?
もしも晶が前に言っていたように魔王が何も企んでいなかったら、“勇者”の存在意義とはなんだろうか。事実、初代勇者がこの世界に来てから俺に至るまで、一度も途切れることなくこの世界に勇者は存在している。その間のすべての魔王が今代の魔王のように魔族以外の殲滅や異世界への侵攻を考えていたわけでもないだろう。だというのに、わざわざ異世界からも呼んだ“勇者”が存在しているのはなぜだ?
「さあ、興味がないね。その質問にも、君自身にも」
「では話を変えよう。ラティスネイルさんが貴方のことを立ち止まったまま後ろばかり見ている王様だと言っていた。だがそれ以上に、俺は王として最低最悪の愚王だと思う」
「だから?」
玉座に頬杖をついた、完全にこちらを見下し真剣に会話をするつもりすらないらしい。晶とは長々と話していたというのに。
俺は瞬間的に感じた苛立ちのまま、剣を振り上げて目の前の透明な壁に叩きつけた。
「貴方の妻を生き返らせるのに魔力が必要ならなぜ戦争という手段をとった!?」
もしかするとクルールに張られていた結界のように触れてはならないものである可能性は十分にあった。だが振り下ろさずにはいられなかった。
魔力が必要だというのならなぜ母数を減らそうとしているのか、なぜ仲間が死ぬ手段をとるのか、俺には理解できない。ましてや戦争など。
「憎しみは憎しみを生み、復讐は復讐を生む! もしも貴方の計画がすべて上手く進んで妻を蘇らせても、貴方は戦争を始めた者として生き返った妻諸共すべての人間から忌まれ恨まれる! なぜそれが理解できないんだ!」
ガギンッと硬いものがぶつかり合う音が響き、結界が波打つ。
いつの間にか近くに来ていたラティスネイルさんと夜さんがハッと息を呑む音が聞こえた。
「先ほどの話を理解できていなかったのかな。私にとって戦争は手段でしかない。魔族以外のすべてを殺すのだから。虫を一匹一匹潰すのは骨が折れるが同士討ちさせて数を減らせば後が楽だろう? どうせ人族から得られる魔力なんてたかが知れているし、計画を進めれば我々に復讐する人間もこの世界から居なくなる」
初めて得られた魔王からの答えに思わず剣を振り下ろす手が止まった。
この人、本当に理解できていないのか。俺の言っている“すべての人間”には魔族も含まれていることに。魔族が裏切る可能性は今ここで戦っている兵やNo.7のマスターの存在が裏付けている。
もしかしてこの世界では仲間の裏切りで滅んだ国はないのだろうか。独裁者の行く末など歴史を学べば一目瞭然だろうに。
魔王は俺の反応を不思議がることなく言葉を続けた。
「君が何を言いたいのか分からないが、私がなんの策もなく、望んであれだけ長々と君たちと話したとでも? 当初の目的である裏切り者のあぶり出しは成功した。そして勇者である君とは永遠にここでお別れだ。次の勇者が今生まれても、戦争を止めるには間に合わない」
「……なるほど、ラティスネイルさんからの謁見の申し出を断らなかったのは魔族領内の不穏分子を一網打尽にできる絶好の機会を作るためだったのか」
わざわざラティスネイルさんの話を聞いたのも、晶へ初代勇者の話をしたのもすべてそのため。一石二鳥どころではない。
元サラン派、現ラティスネイル派は魔王にとって目の上のたんこぶだったのだろう。人口が少なく、情報が回りやすい魔族領でどこに潜んでいるか分からない獅子身中の虫はいつ牙を剥くか分からず致命的だ。だからラティスネイルさんを利用しておびき寄せようとした。そして実際にNo.7のマスターとその仲間である兵たちが釣れた。愚王ではあるが無能ではない。むしろ周りを使う能力がある分非常に厄介だ。
殺せるのか、俺がこの人を?
振り上げた剣が一瞬躊躇するように止まる。
「安心したまえよ。君の家族や友人は私の妻を蘇らせるための養分となる。君たちの世界であの世と言うのだったかな、きっとすぐに会えるさ。……さて、いつまで遊んでいるんだい、マヒロ」
その言葉を聞き、湧き上がった感情に応えるように剣が聖剣術の光を帯びた瞬間だった。魔王の言葉に反応するように俺たちの背後、謁見の間の扉付近で戦っていた晶たちの方で大きな爆発音が響き、地面が揺れ、一瞬で広がった煙が視界を遮った。
「晶!?」
吹き荒れ、体に叩きつけられるような風に顔を庇いながら思わず俺は振り返り、息を呑む。
「え、クロウさん!?」
煙の隙間からわずかに見えたのは、武器を持ってマヒロと対峙するクロウさんの姿だった。