第239話 ~何者~
この情報屋は一体何者なんだ?
飲食店を構えているということは普段はこの場所からは動かないはずだ。店の扉にも定休日は週に一度だと書いてあった。その上従業員は見たところ看板娘とこのマスターだけ。人伝だとしてもこれほど正確に情報を収集できるものなのだろうか。ステータスにもそれを可能にするようなスキルは見当たらないが……。
「俺が一体何者なのか気になるって顔だな」
マスターは俺の表情を読んでうっすらと微笑んだ。
そのまま立ち上がり棚に並ぶ酒瓶から琥珀色の濃いものを取り出してグラスに注いで一口飲む。この人一応仕事中ではなかっただろうか。まあこれだけ酒を集めているのだから自身も酒に強いのだろう。
「俺の情報は基本的に魔族領以外から仕入れる。もちろん対価は支払うがそれは金ではない。例えば数十年間俺に情報を流す代わりに魔族領から出られない妹の逃亡を手引きする、とかな?」
先ほど請求された情報の対価は三人兄弟の大陸移動を手伝うことだった。つまりはそういうことか?
「魔王城の裏口やサラン団長の件は気になるが、人族に卸している水晶がどう関係あるんだ?」
一見俺たちとは関係のない情報に聞こえるが。
「いやいや、お前が一番関係あるだろう。今もお前のお友達がこいつの制御下にあるんだぞ」
マスターは苛立ったように指でトントンとテーブルを突いた。
そこまで言われてようやく俺は水晶がどう関係があるのか気づく。レイティス城の王女が勇者たちに『洗脳』をかけるための媒介にしていた水晶だ。サラン団長が殺され、城を出る前日の夜に俺が勇者の分を壊し、京介が六つ壊して残りは二十らしい。それによって今もクラスメイトたちは呪われてるかもしれない。
城に残してきたクラスメイトたちを忘れていたことについて少し言い訳をさせて欲しい。学びに行っているというよりはバイトとバイトの間の休息時間と認識していたために大して交流もしていなかった元の世界のクラスメイトよりもこちらの世界で出会った人の方が思い出として断然濃いのだ。ということで、すっかり忘れていた。きっと勇者とかクラスメイトとちゃんと交流していた人は逆に忘れることができないのだろうが。
「そういえばそうだったな」
何事もなかったかのように落ち着いて答える俺にマスターは仲が悪かったのか? と首を傾げた。
俺の場合、良いも悪いもなかったというのが正解だろうか。好きの反対は嫌いではなく無関心だと言うがまさにその通りだ。俺は京介以外のクラスメイトたちのことをなんとも思っていなかった。今でこそ細山や七瀬の名前を覚えているがその他の城に残ったクラスメイト達の名前は相変わらず知らないままだ。
「まあいい。明日の同じ時間に店へ来い。そこで情報の受け渡しと対価について説明をする。来なければこの話はなかったことにする。以上だ」
そう言ってマスターはさっさと部屋から出て行った。
俺たちを部屋に残したということは自分たちでちゃんと話し合えということだろうか。話し合う場なら船があるし不要なのだが。
「あ、これは僕のだから僕が飲む!」
本来はラティスネイルのものだった最後の一杯に伸びるクロウの手が空を掴んだ。いつの間にかグラスはラティスネイルの手にあり、それを呷って空にする。
外見では俺とそう年齢差があるようには見えないがそういえば魔族だからかなり年上だったな。酒も飲めるのか。
「おい大丈夫なのか?」
クロウはともかくラティスネイルが酒を飲むのは初めて見たため俺はじっとその顔色を窺う。
「大丈夫だって! 出されたの全部お酒じゃないし! ただのジュースだよ~!」
そういえば『世界眼』では毒の有無しか確認していなかったと思い返して瞳に魔力を籠めた。少しばかりグラスに残った水滴に焦点を合わせる。
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オランガの実を絞ったジュース 状態:とても甘い
・毒なし
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確かにお酒ではなくただのジュースだったらしい。だからクロウのペースも早かったのだろう。ということはクロウはただ喉が渇いていただけだったのだろう。
「じゃあなんで最後にラティスネイルが飲んだんだ?」
「んー、まあ僕も久しぶりに飲みたかったんだよね。このジュースをさ!」
いつものように元気よくにっこりと笑うラティスネイルだったが、その表情は聞かないでくれと言っているようだった。
「ごめん、おニーサン。先に船の方に向かっててよ。すぐに追いつくから!」
「忘れ物か?」
「んー、そんなとこ!」
船まで帰る途中、そう言ってラティスネイルが俺たちから離れる。
少し気になるが、まあ放っておいても大丈夫だろう。
『主殿……』
「いや、いい。俺たちはこのまま帰るぞ」
夜がラティスネイルの後ろ姿を見て俺の顔を覗き込むが、俺は教えてもらった生活魔法を発動しながら首を横に振った。
ラティスネイルが先ほど出て行った店まで戻れば、お目当ての人物は店の裏の扉に背を預けてタバコを吹かせていた。
ラティスネイルは晶たちの船に飛び入り乗船した時にも着ていた使用者の姿や気配までもを消す黒布を着用したままその隣に降り立つ。
「ねえ、君は今でも叔父さんが魔王になればよかったと思ってる?」
突然虚空から話しかけられて驚いたマスターは少しだけ目線を彷徨わせたものの、声で先ほど話していたラティスネイルが近くにいるのだと察してそっとため息を吐いた。
そういえばこの人は誰に似たのか、いつもどこからともなくひょっこりと現れては人を驚かすのが好きな人だった。誰だこの人に初代勇者が使っていたと言われる国宝の“知らずの布”を渡したのは。
「……まさか私なんか下っ端の顔を覚えておいでとは」
「覚えているさ。叔父さんにお話を聞きに行っていたとき、側付きの従者だったあなたによくジュースを入れてもらった。あの甘いジュースが僕は大好きだったんだから。さっきのも色はちょっと違うけどあの時と同じ味がしたよ」
「ただのオランガの実を絞っただけのジュースですがね」
「で? どうなのかな」
話をすり替えようとしたがもう昔のように引っかかってはくれないらしい。
マスターはもう一度ため息と共にタバコの煙を吐いた。
「……魔族にもかかわらず先天的に魔力が少ない私を拾っていただいたサラン様にこそ我ら魔族を統治していただきたかった。例え弟君であってもナルサ様にサラン様と同じことができるとは思えない。まぁあの方は私たちが思うよりもずっと自由でしたが」
「そうだね。ここで情報屋なんてお父様に目を付けられるようなことをしているのはなぜ?」
「あの方はマヒロとかいうナルサ様の側近の大規模な魔法陣によってこの大陸に魔法で出入りすることができなくなりました。もし帰って来られるとするなら海か空からしかない。ここでならサラン様のお帰りを私が一番に知ることができます。もう、意味のないことですが。そもそも情報屋なんて言い出したのは先代勇者の悪ふざけですよ。情報屋として客をとったのは先代勇者とあなた方だけです。サラン様に関連することしか外から仕入れていませんから」
「なるほど、だからか……」
「もうよろしいですか。私も仕事中ですから」
おそらくラティスネイルがいるであろう方向に背を向けて、マスターはタバコを潰してもたれかかっていた扉を開けようと手を伸ばした。
「うんごめん、最後に一つだけ。暗殺者のおニーサンに優しい対応をしてたのは彼が叔父さんの最後の弟子だったからかな?」
最後に問われた質問にピタリと手を止める。
“優しい対応”確かにそうかもしれない。それでも、それはあの少年と青年の狭間に居る彼の為ではない。
「……いいえ。あの者の中にはあの方がいらっしゃるからですよ。私の忠義はずっと変わらずあの方、サラン・エルメス様に捧げられている」




