第229話 ~禁忌~
「……僕の父さんは亡くした僕の母、つまりは妻を蘇らせようとしている」
蘇り、つまりは生き返らせようとしているというわけか。そしてそれをラティスネイルは止めてほしいと。
と、俺たち勇者召喚組とモリガン生まれの人たちで反応が異なっていることに気づいた。
「……わかっているのか? それは禁忌だ。いや待て、“もう後戻りができないところまで来た”と言ったか?」
ノアが顔を青ざめさせていた。初めて見る表情だがこれは恐怖か? あのノアが?
ジールさんやアマリリス、リアも同じような表情をしていた。特にアメリアは青を通り越して白い顔をしていた。体も僅かに震えている。
「話の腰を折って申し訳ない。禁忌とはなんだ?」
勇者が手を挙げて発言した。お前、空気を読めないのかあえて読んでいないのかどっちなんだ。よくこの空気の中で言えたな。
「お前たち、禁忌も知らないだと!?」
ノアの怒号が響く。
察するに、“禁忌”の名の通り“この世界で絶対に犯してはならないタブー”のようなものだろうか?
おそらく生きていく上で避けては通れないようなそんなものではないはずだ。そうならば必ずサラン団長ないしはジールさんが教えておいてくれただろう。だとしても、サラン団長とはこの世界の常識を教えてくれる代わりに俺たちの世界について教えるという取引をしていたが、“この世界の最もたる常識”である禁忌を教えてくれなかったのだろうか。
「すまないが俺も知らない。サラン団長から聞いた覚えもない」
説教モードに入りそうなノアに、話が長く脱線してしまうことを察して俺も手を上げて言った。
俺の言葉にノアは眉を顰めた。
「なに?」
「そうだ! 三番目!」
何かを考え込んでいたジールさんがハッと顔を上げる。
「そうか、それもあったな。それはサランも言いにくかろう」
なんのことだか俺たちにはわからないが、ノアはそれで納得したらしく先ほどまでのように俺たちに向き直って説明する態勢に入った。
「いいか、この世界モリガンにおいて“禁忌”とは絶対に犯してはならないことだ。その昔アイテルがこの世界を作った時に定めた、この世界で生きるのなら遵守しなければならない決まり事と言ってもいい。それを犯そうとした者はアイテルによって恐ろしい罰を受けると言われている。ここまではいいな?」
“絶対にしてはいけない”という言葉ほどしたくなるものはないが、どうやらそんなレベルの話ではないらしい。この世界に生まれたなら遺伝子レベルで恐怖を覚える本能的に避けるべきことなのだとか。
「……お前たちにとっては酷かもしれんが、しっかりと聞け」
念を押される言葉に俺は嫌な予感がした。
「まず一つ目、“過去や未来を変えることをしてはならない”」
人差し指を立ててノアが言う。
確かに、魔法や職業なんてものがあるこの世界ではやりようによってはできるものなのかもしれない。過去や未来の改変が碌なことにならないのは数多の創作物で見てきたので知っている。
「二つ目、“死者を蘇らせることはしてはならない”」
思わずアメリアを見た。確かアメリアの『蘇生魔法』はそれに真っ向から反抗している気がするのだが。
俺の視線に気づいたアメリアは静かに首を振った。その顔色は先ほどまでよりも色が戻ってきている。
「私は神子だからある程度許されている部分もある。それに、言葉遊びをするのなら一日しか遡って蘇生できない私の魔法は溺れて呼吸の止まった者に心肺蘇生するのと変わらないと思う」
アメリアの『蘇生魔法』を実際に見たことはないが、エルフ族領のフォレスト迷宮が氾濫した時に同胞を助けるために創ったと聞いた。魔物の攻撃で四肢が飛んだ者も元通り生活していると。それと正しい方法さえ知っていれば子供にも可能な心肺蘇生法を一緒にしていいものなのか?
一般的な人族であるアマリリスを見ると、“なに言ってんの?”とでも言いたげな表情をしていた。やっぱりそうだよな。
「いやそれは……。まあいい」
何かを言いかけたノアも諦めて口を閉ざしてしまった。諦めないでほしい。この世界で生まれたわけではない俺たちではどうしてもアメリアの言葉がこの世界としても正しいのか分からないのだから。
と、ここまでの禁忌でサラン団長が俺たちに言わないでいた理由らしきものは入っていなかった。ジールさんが言っていた三番目が俺たちにとって“酷”なのだろうか。
「最後だ。三つ目、“この世界から他の世界に渡ってはいけない”」
「……は?」
ノアの言葉を最後に、思考が停止した。
その瞬間、ブワっと俺の中の何かが湧き上がる感覚がする。
部屋の中の机や椅子がガタガタと震え、その影たちが蠢いた。
『主殿!? 主殿!!』
「アキラ! 落ち着いて!! 『影魔法』が暴走してる!!」
アメリアが俺の手を握ったのがわかった。
もう片方の手が俺の頬に伸ばされ、その真紅の瞳と目が合わされる。首の後ろにはおそらく夜のものだろうもふもふとした毛が当たっていた。
その体温に湧き上がった何かが鎮静されたのを感じる。
いつの間にか全員が立ち上がって俺を見ていた。ガタガタ動く椅子には座っていられなかったのだろう。
「アキラ、大丈夫だから。万が一の時は私がなんとかする。私の『魔法生成』知っているでしょう? 絶対に家へ帰れる。私が帰すから。約束する」
アメリアが耳元で囁く言葉に俺はそっと息をついた。視界がチカチカ瞬いていると思ったら息を忘れていたらしい。
「……悪い」
アメリアと夜、ノアたちに向かって言うと、ノアはどこか居心地が悪そうに視線を逸らしながら俺たちに謝ってきた。
「いや、私の方こそすまない。……そうだよな、お前たちはまだ十数年生きているだけの子供だったな」
そんなノアの言葉がシンと静まり返った部屋の中にやけに大きく響いた。