第195話 ~言葉~ 津田友也目線
「これは酷いな」
崩壊した、かつては魔族領と獣人族領を結んでいた通路を見て、クロウさんはそう呟いた。
彼がかつての勇者たちとつくったものが完全に壊されている。
地下を他の大陸まで掘り進めるのに一体どれだけの時間と労力がかかったんだろう。
僕でもわかるくらい濃密な魔力を残していることから、やったのは魔族であるとわかる。
『悪いが、嘆いている暇はない。この中でまだ使えるものはあるか?』
通路を照らす役目をしていた魔石の灯りや、どこか不思議な色をしている鉱石を見て夜さんが言う。
黒猫の姿をした夜さんは、互いに火花を散らしているようにみえる戦闘部隊が出発した後すぐに到着した。
彼が持ってきた薬草を見たアマリリスさんの姿は正直思い出したくない。
コンテストで優勝したほどの美貌で、貴重な薬草をよだれを垂らしてギラギラとした瞳で眺めていた。
さすがの夜さんも引いていたように思う。
「……こっちの魔石と鉱石はまだ使えるだろう。わずかに魔力の気配がする。こっちは完全にだめだな」
どこか意気消沈したような面持ちでクロウさんが答えた。
彼にとって、先代勇者たちはどういった存在なんだろうか。
クラスが同じだっただけの僕たちよりもきっと親密な関係だったのだと思う。
「……アオイ、ルーク……リッター……」
瓦礫を見てぽつりと彼が呟いた呪文のようなそれを、心で繰り返す。
誰かの名前だろうか。
『これと、それだな。よし、崩れる前に撤退しよう。クロウ、さっさと次に行くぞ』
淡々とした夜さんの声に、僕はぶつりと何かが切れた音を聞いた気がした。
まったく、空気が読めないにもほどがある。
こういうところはきっと織田くんに似てしまったのかもしれない。
目の前をぽてぽてと歩く黒猫のその後ろ首を掴んで、目の前にぶら下げた。
多くの猫がそうなるように、魔物である彼もそこを掴まれると力が入らなくなってしまうらしい。
『おいなんだ!離せ!!』
リアさんに目配せをして、僕は夜さんを掴んだまま二人を残して地上に出た。
リアさんの結界ならば、クロウさんと自分を守り切ることができるだろう。
『おい!離せと言っているだろうが!!』
一瞬だけその体が大きくなり、僕の手から逃れた夜さんが小さなサイズの姿で地面に降り立ち、僕に威嚇をした。
そう言えば、ばあちゃんの家で飼っていた猫もこんな感じで威嚇してきたな。
『一体何なんだ!!』
シャーっと猫のような音を出す夜さんの前に僕は仁王立ちした。
「あなたには感情がないのか!?クロウさんのあの姿を見て何も思わなかったんですか?」
『感情はあるとも。だが、あんな様子だとすべてをまわるのに何日かかるかもわからん。お前も分かっておるだろう?』
確かに彼の言い分も一理ある。
このまますべての場所で悲しんでいたら日が暮れるどころか何日も経ってしまう。
それくらい、クロウさんたち先代勇者パーティーが残した通路は多く、しかもご丁寧にそのすべてが壊され、今にも崩れそうな状態だった。
このまま時間を消費していけば、いくつか完全に崩れて塞がってしまう可能性もある。
だけど僕はその主張を肯定したくなくて、癇癪を起こした子供のように激しく首を振った。
「そうじゃない!……そうじゃないんです。魔物のあなたは近しい誰かを亡くしたことがないかもしれませんが、永遠に会えなくなるということは誰もが堪え切れることじゃない!ましてやクロウさんはたくさんの大切な人を亡くしたんだ。たった一人亡くすだけでも耐えきれない人がいるのに!!」
知ったように言っているが、かくいう僕も近しい人間を亡くしたことはない。
だけど、あれだけ悲痛な声を聞いた後では黙っていられるわけなかった。
『……俺には、あいつを気遣う資格はない』
生まれて初めて感情的に、口から言葉が飛び出るまま叫んだ僕は肩で息をして夜さんを睨み付ける。
まっすぐに僕の目を見てその言葉を受け止めた夜さんは、その目を逸らすことなく僕にそう言った。
『俺が魔王様から生み出され、魔王様の右腕として働いていたのは聞いたな?』
そういえば城を出て初めて織田君と獣人族領のクロウさんの家で合流したとき、意識不明の織田君が目覚めるのを待っている間にクロウさんやアメリアさん、さらには彼本人から色々と聞いた。
あのときは魔物の中にもこんな面白い猫がいるのかと話半分に聞き流したような気がする。
『クロウが死ぬ思いで先代勇者と魔王城にたどり着いたとき、俺は魔王様のお側にいた。万が一のときは魔王様をお守りし、逃がすためだ。玉座の間の扉の前で魔族の二番手に奴らが敗北し、逃げ帰ったときは他の魔族たちと一緒に奴らを嘲笑った』
静かに話を進める夜さんに僕は息を呑む。
織田君の肩に乗っている今の姿からは想像することができない。
織田君に出会ってから何があったのか、出会う前に何があったのかは分からないけど、夜さんは心身ともに“魔王の右腕”だったらしい。
てっきり、嫌々魔王の元にいたのだとばかり思っていた。
『さらには“アドレアの悪夢”。その時にグラムに避難船を降ろされたあいつの妹は建物に押しつぶされて死んだそうだが、そもそも魔王様に命令されて“アドレアの悪夢”を実行したのも、建物が倒壊するほど暴れまわったのも俺だ。俺が、魔王様のお力になりたくて望んで暴れまわった結果だ』
僕はまだ夜さんが戦っている姿を見たことがない。
アメリアさんが自慢げに夜さんと初めて会ったときに『変身』していたらしいドラゴンについて話していた。
もちろんその場を見ていない僕の足りない想像力ではそれを脳内再生することはできなかった。
僕の反応を気にすることはなく、夜さんは罪の告白を続ける。
『後に建てられた石碑を見てからこそ後悔したが、それまでは一体何が悪かったのか、俺が誰の何を奪ったのか興味すら湧かなかった』
ふと、金の一対の瞳が僕を射抜いた。
知らずのうちに体が強張る。
殺気を向けられたわけでも、何かの魔法をかけられたわけでもないのに、凪いだその瞳を見ただけで動くことができなくなった。
『わかったな?俺はお前の言うあいつが亡くした“たくさんの人”を殺した側だ。殺した側が殺された側の人間を気遣い、慰めることができるわけないだろう?』
そういうのは主殿やリア殿に任せることだ、と呟いて、その尻尾を垂れ下げたまま夜さんは地下の方へ戻っていってしまった。
僕は夜さんがいなくなったあとも動くことができずにその場に突っ立っている。
初めて言いたいことをまっすぐ相手に言えたのに、その心が満たされることはなかった。
「……難しいなぁ」
元の世界にいたときは、“言葉”がここまで難しいものだと思ったこともなかったのに。
澄み渡ったようなきれいな青空は、僕の心とは裏腹にとても暖かかった。