第188話 ~寿命~ ノア目線
「ジール坊、あの者はなんだ?」
先代勇者のセーフハウスとして機能していたその建物に向かう真っ黒な後ろ姿を見送り、私は隣を通り過ぎようとしていたジール坊に聞く。
立ち止まったジール坊は私の隣に立った。
彼に初めて出会ったのは、愚息のせいで彼が母親を失った頃くらいだった。
私と同じくらいの背丈だった少年は私の背をはるかに超え、そろそろ若々しさが薄れてきていた。
当初は生意気な口調だったがそれもいつの間にか矯正されている。
長い時間を生きてきた私としては、その年月は瞬きをするくらいの一瞬であったが、こうしてみるとなにやら感慨深い。
「何、とは?」
首を傾げるジール坊に、私は顎でその後ろ姿を指す。
つい先ほどの問答で、彼の中のすさまじいまでの決意がうかがえた。
十年や二十年を生きただけではここまでのものにはならないだろう。
若いのにずいぶんと老成した口をきくものだ。
「ああ、彼は……。その、私にもよく分からないのです。言うのなら、あのサラン団長が彼を、彼だけを贔屓していたように思えます。そして、事実彼は勇者であるサトウ君を含め私たちの中で一番強い」
歯切れ悪く言うジール坊の言葉にほぉと呟き、私は人差し指で唇を撫でる。
確かに、私の攻撃を避け続けたその身のこなしといい、先に着いていた勇者たちの誰よりも動きが良かった。
そういえば、私の拳を避けたのは彼が初めてだったかもしれない。
しかも殺気すら見せずにだ。
それに、あのサラン・ミスレイが数ある勇者召喚者たちの中から彼だけを贔屓にしたとすると、彼にはなにかあるのかもしれないな。
私の仕草を見た隣に立つジール坊の身体がびくりと震えた。
「あのサラン・ミスレイが……ね」
サラン・ミスレイが贔屓していたのなら、私も目をかける価値があるということだろう。
真っ黒なその姿が建物の表に消える。
角を曲がる一瞬、漆黒の瞳と目が合った気がした。
彼が視界から消えた後、私はジール坊に向き直る。
「……ときにジール坊、あの愚息はあとどれほどもつ?」
自分の息子の寿命を、あの小僧の言葉を聞くまでは私は欠片も気が付かなかった。
そうだ。
私の息子ならば、私に仲間が殺されかけていればなりふり構わず戦闘に飛び込んできていただろう。
例え実力的にも信頼している人間だったとしても、目の前で傷つくかもしれない可能性があれば身を挺して庇う。
それが私の息子だった。
だが、先ほどは声こそ上げれど私たちの中に入ってくることはなかった。
いや、入ってこなかったわけではなく、入ることが出来なかったのだ。
老化によって体がついてこなかったのだろう。
まったく、実の息子の異変にも気づくことが出来なくなったとは、不老不死であるにもかかわらず老いた気がするな。
「……私の感覚でですが、何もせずに療養していれば一年は。ただこのまま戦い続けるとなると……」
ジール坊はまるで泣きそうな顔で押し黙った。
「……そうか」
ああ、私は今どういう顔をしているのだろうか。
娘は早くに死に、自分と同じ不老不死だと思っていた息子が老化で寿命が近いという。
長く生きていると親しい人間のほとんどが故人ではあるがそれでも慣れることはない。
「私はまた置いていかれるのか·····」
小さく呟いた声が聞こえていたのか、ジール坊が居心地の悪そうに身動ぎした。
「いつもすまないな」
「い、いえ。·····ですが、後悔しないうちにしっかりお話された方が良いと思います」
ああ、そうだ。
今のうちに話さなければならないことが沢山ある。
そのためにわざわざ拠点をこちらに移したのだから。
「ああ。そうだな」
ただ、あの子は私の話を聞いてくれるだろうか。
昔は"ママ、ママ"と私の後ろをついて歩いていたというのに、今ではあの有様だ。
寿命が近いなら反抗期も終わっているはずなんだが。