編入生ⅰ
十一月の春の陽気に多々(たた)羅アズは、授業が始まる前からすでに欠伸をしていた。
黒くて長い髪をカーテンみたいにして顔を隠しているから、授業中に寝ているかどうか分からない。座っている場所も成績順になっていて、最下位のアズは一番後ろ、窓側の席で教師もアズを気にかけることはない。
何よりなぜこの教室いるのか、アズ自身が理解に苦しんでいた。
授業開始のアナウンスが終わる前に、教室の扉が開いた。
「編入生を紹介する」
白髪で少し背中が曲がったお爺ちゃん担任は、教鞭に立つなり弱々しい、やる気がない声を発した。
アズには関係のないことだったから、ぼんやりと外を見て、声を聞き流していた。
「ハーイ! 周防カイですぅ。よろしくぅー!」
大きな、そして異様にテンションの高い声で、我関せずのアズも思わず前を向いた。
一人で五人分の賑やかな声に反して、教室では物を一つしない。アズはなぜ教室が静まり返っているのか、周防を見て、生徒が言葉を失っている現状を理解できた。
身長は一八〇センチくらいで細身。ただどう見てもこの教室の生徒と同年齢には見えない顔。少し不精ヒゲが生えていて、髪はパーマで軽く渦巻き、制服もかなり着崩している。というよりは、皺が目立っていてどこか小汚く見える。
「先生。その……周防くんは本当に同じ年なんですか?」
クラス委員で生徒会長、理事長の息子の九鬼トウヤが、生徒の声を代弁して手を上げた。
「えっと、ちょっと訳ありで、すこ~し年齢は上だけど、心は一六歳だから同じニャ」
周防は猫のポーズで、冷えた教室でただ一人浮かれていた。
「まあ、そういうことです。これは彼のプライベートな問題なので、あまり追求しないように。席は――」
担任一番前の席に視線を向けた。
「俺は、一番後ろのあの窓側でいいです。あの髪の長い女の子の隣ね」
周防の言っている人物がアズだと気づいて、久々に感情が荒ぶって体が硬直した。
周防はお構いなしに、隣の席にいた同級生を追い払い、机を持ってやってきた。
「どうも。これからよろしくね。カイちゃんって呼んで」
アズは俯いたまま、体を硬直させていた。
「一限目は先生の都合で自習になったから、九鬼くん。周防くんをよろしく頼むよ」と担任は、面倒事は手から離れたと言わんばかりに、教室から出て行ってしまった。
直ぐに九鬼が、周防の隣に立った。
「九鬼トウヤです。一限目は自習だから、学園を案内する前に一言だけいっておくね。その隣に座っている多々羅アズをいないものとして扱うこと。話掛けるのも禁止。これはこの学園での暗黙のルールなんだ。さて、自習だしこの学園を案内するよ」
九鬼は踵を返して、周防について来いと背中で指示した。
「ワールドJP支部管轄、ナショナルFAT学園理事長の息子、九鬼トウヤ。このトリプルAクラスは、学園の中でもトップオブトップでその中心的存在。そんな人物が、人を差別しちゃっていいわけ?」
周防は顔をヘラヘラとさせ机に足を載せている。椅子を絶妙なバランスを取って傾けて、揺り籠みたいに揺れている。周防が椅子で揺れる度にタバコの香りがした。
「君がどう考えようが、ルールには従ってもらわないと」
アズは髪のカーテンの隙間から、そっと九鬼を見た。
相変わらずスッとした目元と透き通った鼻筋。髪は栗色で、光が当たると金髪みたいにキラキラしている。
九鬼は理事長の息子というだけでなく容姿とその頭脳は、周りの環境を差し置いてもずば抜けていた。だからクラスのみならず、学園中の生徒から尊敬され崇められている。
そんな九鬼に、今まで誰も反論などした試しがなかったから、クラス中の空気が一気凍ったのも仕方がなかった。アズも、余計な真似はしてくれるなと心の内で毒づいた。
「俺は俺のしたいようにするし、誰の指図も受けない。だから学園の案内は、このアズちゃんにしてもらうから。ね? アズちゃん」
アズは、早く時間が過ぎてと、体を硬くして目線を下に向けて念じた。
「じゃあ、行こうか!」
体が重力を失ったみたいに浮いたかと思うと、縺れそうになる足を半ば引きずるように周防に引っ張られてアズは教室を出た。
「まずは食堂に行こうか」
周防は鼻歌を交え、足はスキップでもするみたいに軽やかだ。
ただアズと周防の歩幅にラグがある。そのために、散歩を嫌がる犬を無理やり引きずる飼い主の構図に近い状態になっていた。
「ちょ、ちょっと待って」
アズはやっとの思いで声を出した。
振り向いた周防が、息を切らしているアズを見て現状を理解したようだ。
「ごめん。ちょっとウキウキし過ぎた。歩くのが早かったかな」
「それより」言いたいことを言う前に、今度こそふわりと体が浮いた。
「ちょ、ちょっと! 何をするんです?!」
周防は軽々とアズを抱き上げた。それもお姫様抱っこ。
「アズちゃん。もうちょっと食べたほうがいい? 俺は、そのほうが絶対にいいと思う」
「お、下ろしてください!」
無理やり下りようとしても、固定されたみたいに体が周防から離れないから、アズは思いっきり足をバタつかせた。それでも周防は、お構いなし歩いている。
「ちょ、ちょっ! 痛い痛い。分かったから」
やっと足が床に付いてアズはホッとした。
「アズちゃんっていい匂いするな。食堂に着いたし、何か食べよう」
周防は力の抜けているアズの手を取った。
「あ、あの」
この人は、人の話を聞かない、自分本位の人間で関わりたくない。アズは抵抗しようとも、もともとそんなに体力もないから、結局は周防のテンポに引きずられたままだった。
ただ反省はしたのか、歩調だけはアズに合わせてくれている。
周防は、食堂のタッチパネルで何かを注文し、網膜スキャンで会計を素早く済ませて物を受け取ると席に着いた。
「アズちゃん。こっちこっち」
抵抗する体力もなく、アズは周防正面向かいの席に座った。
「違うでしょ」
周防が少し怒った口調で、席をアズの隣に移してくる。
「桜のパフェといちごジュース。俺は抹茶パフェな」
「あ、あの」
「うん?」周防は一口目を口にしていて、スプーンを咥えている。
「あの、何なんですか」
「何って、学園の案内をお願いをしたんだけど」
アズにとって周防の言葉に説得力はなかった。
「案内も何も、食堂の場所を知ってましたよね? それに……おじさんじゃないですか」
周防の眉が小さく波打った。
「おじさんって、アズちゃんと一〇歳くらい? そんなに変わらないだろ?」
「え? そんなにですか?!」
自分でも驚くほど大きな声は出たアズは「すみません」と悪くもないのに周防に謝った。
「だから、その辺は事情があるから詮索はダーメ。でないとその可愛い唇を、俺の口で塞いちゃうぞ」
周防は何が嬉しいのかウインクを投げてきて、アズの表情筋肉を瞬時に凍らせる。
「固まっちゃって、アズちゃんかーわいー。はい、あーんして」
周防は食べていた抹茶パフェを掬って、アズの口元に差し出してきた。
「や、やめて下さい」
「なんで? こういうのしたかったから」
「彼女か誰かとすればいいじゃないですか。それに、周防さんタバコ吸ってるでしょ? いいんですか?」
周防はスプーンを引っ込めて、自分の口に放り込んだ。