卒業式
講堂の出入り口で涙する卒業生と在校生を掻き分けて、急いで校舎へと戻ります。先程も確認したのですが、やはり卒業式の会場に先輩は居ませんでした。
無人の校舎の階段を駆け上がり、いつもの踊り場に到着します。
「先輩、居ませんか?せんぱーい!」
「おや、今日はどうしたんだい?」
呼びかけに答える様にいつもの場所、廊下からは見えない死角になっている階段の折り返した先から姿を現しました。
「どうしたんだいじゃないですよ、卒業式ですよ卒業式」
「ああ、そういえばもうそんな時季だね……どうだい、屋上に出て話さないかい?」
先輩の提案に頷いて、屋上へと進みます。普段は鍵が閉まっているはずですが、先輩がノブを捻ると何事も無かったかのようにドアが開きました。
屋上に出ると、心地の良い風が吹いていました。先輩の腰まである長い髪も風に靡いてはためいていました。
「先輩、今日まで有難う御座いました。あんな楽しい日々、絶対に忘れません」
「そうだね、君なら忘れないだろうね」
少し有った距離を詰めてこちらに近寄ってくると、大きな目を細めて笑顔で言葉を送ってくれました。
「卒業おめでとう、後輩君。私も非常に楽しい三年間だった、今まで君の様に私を私として見てくれる人は居なかったよ」
「昔から結構見える方なんですよ。でも、こんなに楽しかった人は初めてです。本当にありがとうございました」
僕は卒業証書の入った筒を持ちながら、先輩に対して深く頭を下げました。
「最後に聞きたいんだ。君には私がどう見えているんだい?」
顔を上げると、眼鏡の位置を直しながら先輩が尋ねてきました。
「外見はコロコロ変わりますけど、なんて言うか判るんですよね」
「あはは、そうなんだ。じゃあ君の記憶の中では私は一杯いるんだね」
「外見はそうですけど、先輩は先輩です。どんな姿でも俺の中では一人ですよ」
クルリと振り返り、ポニーテールの髪が揺れました。そのまま手摺まで移動してグラウンドを眺める先輩に僕からも質問をさせて貰います。
「ちなみに先輩はどういう人なんですか?」
「私はただのおしゃべりだよ、良く聞くだろう?『友達の友達に聞いたんだけどさ』って。私はこの学校のそういう存在、差し詰め『先輩の先輩』って所かな」
「なるほど、だからあんなに話し方が上手いんですね」
「それが取り得だからね。本当は誰にでも親しく話が出来て、それでいて誰からも個として認識されないはずなのにね。君に二回目に話しかけられた時は驚いた物さ。いつから気がついていたんだい?」
「二年生に上がる時ですかね。それまでは毎回イメチェンの激しい先輩くらいに思ってましたけど、三年生なのに卒業生に居なかったからおかしいなと思いました」
「あはは、じゃあ結構上手く騙せてたんだね。ちょっとは自信を取り戻したよ」
「別に僕は先輩がどういう存在でも構わないですよ。本当に三年間、楽しかったです」
「うん、そろそろ校舎に人が戻って来そうだね。じゃあお別れかな」
「はい、またこの学校に来ることがあれば、必ず踊り場に寄りますね」
「それまでにはもっともっと不思議を増やしておくよ、楽しみにしていてね」
振り返り、こちらに向かって歩いてくる先輩の顔が逆光でもないのにぼやけて見えました。僕の横を通り過ぎるときに小さい声で言いました。
「ばいばい」
視界の端から見えなくなって、意を決して振り向くと先輩は居ませんでした。屋上へのドアは開かれたままで、階段を降りた訳で無さそうです。
こうして僕の高校生活は、本当にあっという間に終わりを告げました。




