表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/16

第六話 現状把握

説明回で、いつもの信長様の一人語りです。


 データをまとめてさせているうちに、状況を整理しておくとするか。


 俺が家督を継ぐのは、二十歳(はたち)前だったはず。

 今が十五だから、残りは三、四年あることになる。


 ふむ、まずは何から始めるべきか?


 浮かんだ知識によると、俺が尾張を統一するのは桶狭間の直前であり、この時代は家臣といえども所領をもった独立した領主であり、奴らの協力がないと兵が集まらん。

 統一したばかりで、尾張の国人衆・土豪が日和見を決め込み今川の三分の一の兵しか動員できなかったはずである。

 

 尾張を50万石として、対する今川は駿遠三を併せて80~100万石くらいだったかな?

 国力としては倍になる。

 今川は古くからの名門で譜代も多い。

 それに武田・北條との三国同盟によって尾張に兵を集中することができる。

 

 尾張は美濃・伊勢と隣り合っているので守りにも兵を割かねばならない。

 こちらから先に三河へ討って出ることは基本難しいだろう。

 今川はいずれ尾張に向かってくるので、歴史どおりに義元を桶狭間に引き込んで叩くしかないであろうな~。

 

 そこを目指して今から計画を立てて準備しとかなきゃな~、

 なにもしなければ俺の死亡フラグが立つ。

 俺が生き残るためには、尾張の統一を早め、国力を上げる政策を敷き、対抗できるだけの軍隊づくりを目指すしかないだろう。


 ただし、尾張国内の状況は複雑であった。

 織田弾正忠家の立ち位置は、下半国守護代である織田大和守家の一家臣でしかない。

 

 尾張守護である斯波武衛家は遠江の守護でもあったが、駿河の今川家に力ずくで奪われており、先代の守護斯波義達が奪還を目指して両守護代らの反対する者を討って遠江に兵を進めたが、今川に敗北して捕虜となってしまった。

 斯波義達は今川の親族であった尾張那古屋の養子に末子を今川の末子入れることと、子に家督を譲ることを条件に帰国することができたが、後継の現守護義統は幼少であったため織田大和守家が後見となり、自分の居城である清州城いれて、傀儡としてしまった。

 一連の経過によって守護・守護代ともども大きく力を落とし織田一族は分裂状態となり、駿河今川家に押されていた。

 そのままでは、尾張は今川の傘下になるしかなかったであろう。


 それを防いだのは、父信秀であった。

 織田弾正忠家は織田大和守家の分家の重臣であったが、力を落とした守護・守護代にかわって尾張に勢力を伸ばしつつあった今川を追い払ったのである。

 

 弾正忠家の躍進は、祖父信定が商業地である津田湊を抑え、中島郡と海東郡の境に勝幡城を築城したことが始まりであった。

 

 父信秀は先代織田大和守達勝の娘を正室にしていたが、のちに離縁し主家との争いまでに至ったが、和睦して主家から半独立することとなった。

 

 当時の京の幕府は将軍・管領細川家が二派に分かれて合従連衡を繰り替えして争う混乱状態であり、誰が主導権を握るかわからない状況で、尾張守護職も今川にわたる可能性があったのである。

 親今川派の動きをしていた織田大和守達勝に逆らい、尾張の対今川派の主導権を握ったのである。


 父信秀は反今川派を表明するため、まず、義元の末弟である氏豊の居城である那古屋城を策で奪い、居所を移した。

 その後に、今川の後ろ盾を受けた三河の松平清康が尾張に攻め寄せてきたが、動こうとしない守護・守護代に代わって、守山城で清康を打ち取って撃退し、弾正忠家の実力を尾張中の国衆に示した。

 これらの活躍によって尾張国衆を支持を受け、守護・守護代にかわりに尾張国人たちをとりまとめ、国主並となった。


 その後、那古屋城に拠点を移して愛智郡に向けて勢力を伸ばし、古渡城を築城して商業地である熱田を傘下にして尾張八郡のうち二郡を弾正忠家の支配下に置いた。


 上半国守護織田伊勢守家の後継を大和守家から出させ、弟の叔父信光を後見役として尾張上四郡にも影響力を伸ばし、更に尾張中に一族の者や譜代の家臣を配置している。

  

 西三河へも進出し、桜井松平家に妹を嫁がせて松平一族を分裂させ、さらに安祥城を手に入れ今川からの援軍を小豆坂で撃退している。

 

 それにより尾張知多郡と三河国碧海郡に勢力をもっていた水野信元が今川を裏切って父信秀についたことから、尾張のほとんどの国衆を掌中に収めたことになる。


 親父は朝廷に献金を行い三河守に任じられ、官位としては大和守家よりも上位となった。

 

 ここまではよかったのだが、追放されてきた美濃守護土岐頼芸に協力して朝倉とともに美濃に出兵したことが躓きのはじめである。

 特に二度めの出兵である昨年の戦いで、叔父の信康を失うという大打撃を受けた。

 続いて三河松平の援軍にきた今川に負けるなどの敗戦が続いている。

 

 守護代織田大和守信友がそれにつけ込んで、勢力を取り戻そうと裏で画策しているのが現状である。

 

 叔父信康の後を継いで犬山城主となった従兄の織田信清も弾正忠家から独立しようと画策している。


 尾張はいつ爆発するかわからない、火薬庫の状態におこれている。


 父は美濃の蝮と同盟はしたものの、外には今川、内には大和守と敵対している状態である。

 しかも、表だって敵対してこないので、こちらからは手出しができないために始末が悪い。


 浮かんだ知識よれば、父の死後に織田大和守家が弟の信行を後継に押したため、兄弟同士の家督争いが起こる。

 父の居城である末森城は、信行が城主となり父の直臣のほとんどを受け継ぐので、弟のほうが戦力的に優勢であった。


 叔父の守山城主信光が俺につくが、他の一族や国人どもは日和見を決め込むため家督相続の決着つくまで動かないはずである。

 敵対勢力を一つ一つ地道に潰していくが、その間に美濃の蝮が子の義龍に弑逆されて後ろ盾を失い、逆に義龍が反対勢力を唆すしてくる。

 斎藤義龍や今川義元がいちいちちょっかいを掛けてくるので、反乱が相次いでピンチの連続となり尾張統一が遅くなったはず。

 そのため、尾張統一に十年近く費やすのだったな~


 ふむ、どうせ後の世で悪逆非道の魔王と呼ばれることになるのだから、悪名を恐れることはない。

 父の死後、すぐにでも尾張統一に動くべきであろう。

 信行は二歳下であるので、俺が尾張をまとめられるだけの力があることさえ示せば、柴田や林らは俺についてくるしか道はなくなるはずだし、そうなれば当然一族の者らや国衆らもこちらにつくであろう。


 まずは戦に勝つため俺の手足となって動く軍隊が必要になる。

 父はまだ健在なので、いまは密かに子分を増やし鍛えていくしかないか。

 

 軍隊を作るためには資金が必要になる。

 自由に使える資金がどれだけあるか、足りなければ稼ぐしかないだろう。

 未来の知識を使って、何か商売ネタが見つけるしかない。

 

 それと軍隊は兵の数だけでなく、それを指揮する者も必要になる。

 林は裏切る可能性があるので、頼りになるは平手の爺だけだな、

 佐久間はわからん。

 

 知識にある信長の初期武将は、丹羽、前田、佐々、柴田、佐久間、林、村井、

 あと外には・・・

 

 え~と、森蘭丸の父と、金森、川尻、原田だったか、


 秀吉と滝川一益は在野からのスカウトして、蜂須賀小六は何かイベントが必要だったかな?


 森、金森、川尻は父のところにいる。

 美濃出身だから、頼めば俺の直臣にできるであろう。

 

 あれ、原田なんて奴いたっけかな?

 尾張に原田なんて氏の者はいなっかたはずである。

 あれ、知識に齟齬があるのだろうか?

 

 やはり検証しながら、慎重に進むしかないだろう。

次回、更新は未定

6/5、少し直し

東海道の勢力関係を詳しくて解説してある資料をみつけることできた。

狸が先祖の動きをあいまいにしたおかげで、三河の当時の状況がつかみづらかった。

推論の粋であるが、納得できる内容でありました。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ