レンタルヒーロー
前々から考えていた物語です。
少年漫画が好きになったのはいつからだろう。
兄貴がいつも週刊少年漫画雑誌読んでて、俺が「読みたい!」って言う度に「お前にはまだ早い」って俺の手が届かない本棚の上に積んで。いざ準備拵えて盗んでやろうって意気込むともう溜まりにたまったそれは廃品回収に出されてて。兄貴に泣いて「読ませろ!」って頼んでも「お前にはまだ早い」の一点張り。
中学に入ってから読んでみてわかったけど、別に早くなかっただろ。馬鹿兄貴。
と、文句を言いたかったが、それは無理だった。兄貴は俺が中学に入学するのと同時に死んでしまった。不慮の事故だ。俺が買ったその雑誌は、兄貴が先週号まで買ってたからなんだか「買わなきゃ」と思ったからであり、金があったからとか、そういうアレじゃない。そういうアレじゃないからこそ。
なに死んでんだよ。馬鹿兄貴。
高校に上がって、もうその雑誌を買うのが習慣になってて、まぁつまりは毎週月曜日が一番楽しみだったわけで。今週はどこにあの漫画があるだろうとか、新連載始まっただとか、そこらへんの話をクラスの男子共とするのも一つの楽しみになっていた。
中でも俺が気に入っているのは現在大人気連載中の「Ground Performance」という漫画だ。
海の消えた世界で、地続きのどこかに居るであろう親を探す物語。主人公は、手に触れた物質でなんでも製造できる能力を持っている。
単純に絵が上手いし、話の引きも丁寧で、そろそろ中堅ゾーンから飛び抜けそうな雰囲気。アンケートは出していないが応援はしている。
「あれってさ、前作すぐ打ち切られたよな」
クラスメイトのその言葉で俺はその作者が他の作品も描いていたことを初めて知る。へぇ、この作者も第一作の荒波に揉まれたのか。
「なんだっけタイトル」
俺は知らない。きっと俺がこれを買い始める前。つまりは兄貴が買って溜めて捨ててた時代に連載してたものだろう。
「「ジャックシャドウ」じゃね?」
へぇ。「ジャックシャドウ」。またなんか、場が場なら相当イタい名前を……「ジャックシャドウ」……へぇ。
「お前は知らないの?」
「ごめん、俺これ買い始めたの中学入ってからだわ」
クラスメイトはまぁ適当に「本屋にあるんじゃね」と流してさっさと次の漫画を読み始めた。いや俺まだ読み終えてないんだけど。
まぁ、いいか。読めない時間には慣れてる。
日中だというのにそこは夜のような重苦しい空気を纏っていた。路地裏に潜む一人と、一体。
車の排気音に紛れて一人の男が喋りだす。一体の獣は、男が黙った瞬間に姿を消した。
今日も平和に一日が終わった。だなんて思うようになったのはきっとあの漫画雑誌を買うようになったからで、きっと買ってなければ何の気なしに一日を終えていたんだろう。
俺はバッグに雑誌を詰め、本来あるはずの教科書を引き出しに残したまま学校を出た。頭に引っかかる「ジャックシャドウ」。聞き覚えは無いのだが。
部活に勤しむクラスメイトがこちらに手を振ってくる。
「よう帰宅部!」
「うるせぇ運動部。集中しろ!」
すると俺とそいつの境にあるネットまで近づいてきて、
「まだ部活始まる前だっつーのに。お前もやってく?」
サッカーか……
「いいや、眠い」
「無気力風船が」
なんだそれ。
「悪いけどお前ほど忙しくなったら夜眠すぎて死ぬように寝るから」
「ニートかよ」
すると背後からそいつの先輩が開始の合図を出した。
「やべ、始まった。また明日な」
そいつが去っていき、部活の輪に加わる姿を見届けて俺は校門へ向き直った。
獣は上空からその街をすべて見ていた。飛んでいるのではなく、跳んでいる。ビュウビュウとうるさい風を無視して獣が見るのは、人間。
「……」
獣は大きく目を見開いた。そして体をグルリと半回転させ、頭を地面に向けたかと思うと、獣は宙を蹴った。
ほぼ直下で、まるで流星のように流れ落ちる獣。その先は。
校門から出る直前、空に黒い線が入るのが見えた。
「……気のせ」
轟音が鳴り響いた。
そして振り向いたときには、もう景色が一変していた。
砂煙が上がり、その中から割れた地面の破片が校舎のガラスを叩き、決して軽くはない車が揺れ、というか地面そのものが揺れ、静まった。
砂煙で視界が定まらないまま俺は思い出した。
クラスメイトが、居たはずだ。
「だ、大丈夫か!!?」
地面の振動がそのまま足に来たかのように震えていて、動かない。声だけしか前に出すことが出来ない。
俺はただ返事を待った。
返事を待つ。
返事を。
「返事をしろ!!!」
砂煙がパチパチ言うだけで、他の音が何もしない。学校には他の生徒も居るはずだ。何故。
やっと動きそうな足を無理矢理走り出させてクラスメイトの姿を探す。
「おい!大丈夫か!?お前だけじゃない!外で部活してた皆!!」
しかしその声空しく、誰も返事をしない。
何が起こってる。俺はやっと見え始めたグラウンドの様子を茫然と見つめていた。
まるで隕石が落ちてきたかのような、月の映像でしか見たことのないクレーターのようなものが、目の前に広がっていた。
そしてその中心で、蠢くものがある。
直感。人間ではない。
でも、だとしたら何だ!?俺はあんな生物を見たことがない。真っ黒な毛に、人何人分じゃ測りきれない大きさ。ゴリラでももっと抑え目なはずだ。
その毛の塊は、地面の破片を纏いながらゆっくり起き上がって、こちらを見た。
蛇に睨まれた蛙。動けない。
およそ人間とは言えない見た目。獣だろうか。獣の眼光はまるで漫画のキャラクターのようで、寒気がする。
そして向かってくる獣に対して俺は何もできない。
ただただ、叫ぶことしか。
「どこ行ったんだ!!!生きてるのか!!?」
本能が、まだあいつを探している。俺はこんな時まで、あいつの心配をしている。滑稽だ。だが、心配だろうがよ!
カタ、と傍らで音がした。妙な振動を感じた腕を見ると、バッグから光が漏れている。
「な、な、なんだ」
カタ、カタカタ、と進堂は大きくなり、バッグはどんどん膨張した。
「な、なになになに!」
途端、大きな破裂音と共に手元からバッグが消え、その代り光が満ち満ちた。
「覚ませ」
「目を覚ませ」
眩い光に目を閉じ、少しして目を開けるとそこはグラウンドではなかった。
「どこ、だ……?」
「アンケートをとるからじっとしてろ」
声はどこからともなく響いてきて、淡々と話を進めていく。
「は、アンケート!?」
「自分より他人か?」
「は?」
突然の質問。自分より他人?
「……先ほどの行動から見て、yesだな。次」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
俺の言葉は聞き入れられないらしい。
「漫画は好きか?」
そんな質問に答える義理などない。ちょっと待てよ。
「……普段の生活から見て、yesだな。次」
「待てって!」
この声。質問なんかより、重要だ。
「お前は束集エイジの弟、束集ヒイロか?」
俺はこの時確信した。この質問をしてくる声。最初はぼんやりしていたがすぐに確信した。そして確信に確信が上塗りされ、やっと俺は質問に答える。
「あぁそうだよ……。俺は束集エイジの弟、ヒイロだ!この糞馬鹿兄貴!!」
少しの沈黙の後。
「あぁ、そうじゃないとおかしい。この物語の主人公は、お前しかいないよ。ヒイロ」
目の前には黒い獣。たった一瞬で俺は戻ってきた。
主人公?そもそもなんで兄貴が?聞きたいことはいっぱいある。が、今の俺にはまずやらねばならないことがある。
少年漫画的に、今光輝いているこの雑誌を手に取らなければ、俺は死ぬ。
俺はそれを手に取って、広げる。そのページは、「Ground Performance」の1ページ目。
スウと指先から何かが流れ込んでくるイメージ。なるほど、漫画の主人公ってのはこうやって「力」を知るんだな。
わかったよ。やってやる。
俺は高らかに叫んだ。
「力を貸してくれ!!ヒーロー!」
雷のような光が降ってきて、力がみなぎるのが分かる。そして、今俺が、俺じゃないということもわかる。
「Ground Performance」の主人公、アークの力が俺には宿っている。
つまり。
俺が地面に手をついて念じれば、そこには俺の想像する何もかもが製造される。
唐突に地面から生える壁に獣は反応できなかった。
鈍い音を立てて飛んでいく獣。しかしすぐ獣は体制を立て直し、こちらに向かってくる。
「な、なにか、何か!!」
俺は咄嗟に近くにあったゴールポストに触れた。
金属が生え、獣の勢いを殺す。しかし鉄は歪曲し、獣の勢いを殺しきれなかった。
吹き飛ばされて壁に背中を打つ。
「ぐあっ……!」
コンクリートってこんなに痛いのか……!
俺は朦朧としながらコンクリートに触れた。
きっと、出来るはず。
俺は覚えている。アークが地面の土から勝手に動く土人形を作っていたのを。
だから、俺にも、出来る!!
強く念じて、コンクリートから人型を捻りだし、すべてに自分の全てを注ぎ込む。
人型が、段々と俺の姿に近寄り、そしてそのコンクリート人形は勝手に動き出した。
俺はその隙を見て逃げる。そして考える。
この際俺以外の人間が居ないことに関しては後からわかると信じ、他にあの獣を倒す方法。
雑誌をバラバラと捲る。しかし上手くイメージが出来ない。きっと、他の作品のヒーローの「力」を理解できてないんだ。
人生で初めてだ。漫画をしっかり読んでなくて後悔するのは。
でも、俺が今までにしっかり読んできた漫画なんてこれくらい……いや。
「ジャックシャドウ」だ。
俺はあの時、その名を初めて聞いた気がしなかった。今思えばそんなの当たり前だ。
だって「ジャックシャドウ」は、兄貴が唯一俺に見せてくれた漫画。しかも単行本でだ。
じわじわと思い出してくる。「ジャックシャドウ」がどんなストーリーだったか。主人公がどんな「力」を持っていたか。
「いけるか?いや、きっと大丈夫だ。やれる!」
今の俺にはアークの性格も混ぜ込まれているんだろう。嫌に前向きだ。
俺は渾身の力で叫んだ。
「ジャックシャドウ」の主人公、シャドーの力を宿すために。
「力を貸してくれッ!!!ヒーロォォォォッ!!!!」
その漫画は、すでに終わっている。よって、今開かれている雑誌のどこを開いてもそのページは無い。でも今俺が手に持ってるのはただの雑誌じゃない。ヒーローと俺を繋ぐ扉だ。
グラウンドに向かうと、すでにコンクリート人形はすべて破壊しつくされていた。
「よう」
獣は俺に気付く。俺は目が合ってから、距離を詰め始めた。
「聞きたいことは山ほどあるが、まず一つだ。ここの生徒をどこにやった。教えろ」
さっきまでとは違う、静かな闘志。これだ。シャドーは決して叫ばない。
獣は唸るだけで何も言わない。
「答えねぇなら、もう要らない」
俺は影に溶ける。
シャドーの能力は影に溶け、離れた影から出ることが出来る能力。
背後に突然現れた俺に獣は驚き飛びのいた。が、時すでに遅い。
シャドーの能力はそれだけではない。
影を、切る。
「!?」
獣が初めてたじろぐ。それもそのはずだ。俺に触れられてもいないのに腕が斬られ、落ちたのだから。
轟くような鳴き声が聞こえ、俺はゆっくりと獣に近寄る。
「お前、その影本当に必要か?」
俺は眼前にしっかり怯え切った獣を見据え、その足元へ目を向ける。
獣の足から伸びる影。俺は、スッとその境目をなぞった。
「影すらも勿体ねぇよ、お前」
霧散する獣を背に、俺は消えた生徒たちを探し始めた。
後日、俺の周囲は依然と大差ない日常が流れていた。
差があるといえば、俺が雑誌を手放さなくなったことと、時折この街で大暴れする悪が現れるようになったこと。それ以外は別段気にすることもないような平和だ。
あの時ずっと置き去りになっていた疑問。なぜ兄貴の声だったのか。それは雑誌から伝わってきた。
兄貴も、同じ力を持っていた。漫画のヒーローから力を借りる力が。
そして、その戦いのさなか兄貴は死んだんだ。何者かによって。
兄貴が漫画を読んでいたのは、力を効率よく使うため。まぁ純粋に漫画が好きだっただけなのかもしれないが。
俺に読ませなかったのは……なぜだろう。
でもきっと、俺にも弟がいたのなら、この雑誌は読ませないな。
俺はあの日から、とりあえず連載してる作品をしっかり読むようになった。なんだ面白い作品結構あるじゃねぇか。
如何でしたでしょうか。頭の中にあるレンタルヒーローの方がとてもまとまっててもどかしいです。とても。