肢体
彼女は横になり、散らかった床に視線を落としていた。僕は散乱している本やCDを拾い投げて、彼女の近くに座った。
ふと彼女を文章にしたくなった。
僕はポケットから携帯電話を取り出し、メール作成で文章を入力していった。僕が彼女を書き始めても、彼女はまだ視線を床に落としていた。彼女の黒い髪が力の抜けた右腕に流れている。
僕には不利な条件が揃っていた。僕は目の前で横たわる女性の名前しか知らない。彼女の年齢や趣味、仕事、好きな音楽や映画、嫌いな食べ物や言葉、彼女の過去。僕は何ひとつ知らない。外見だけで彼女を書くことは、僕にとって屈辱でしかなかった。
2人の間にはあまりにも距離があった。
僕は携帯電話を置いて彼女の腰に手を添えた。黒いワンピースごしに彼女の体温を感じた。僕の選択肢は少ない。僕を受け入れてくれるのか試してみたくなった。彼女は微塵も動かず、ただぼんやりと床を見ていた。
彼女が生きていることを不思議に感じる。冷たい床の上で無気力に横たわる肢体は僕をそんな気持ちにさせた。まばたきする虚ろな目も、呼吸の度に躍動するお腹も、彼女の存在を確実にはしなかった。
「眠い?」
僕の質問に彼女はそっと頷いた。
完成日不詳