来訪
ソリニア大陸中央部に位置する大国、ローディオ。
その首都ハイリッヒは、白壁の建物と石畳の通りが瀟洒な街並みを作りだし、『ソリニア中央の貴婦人』とも呼ばれる。
ハイリッヒの中心に存在するのが、ローディオ国王が代々住まうヴァイスシュロースだ。
美しい白亜の宮殿は、ローディオの繁栄の象徴である。
常に華やかな活気に溢れるハイリッヒであるが、『異端の王国』と呼ばれるフェルメリアの国王が来訪する日ばかりは、朝から物々しい雰囲気になっていた。
ヴァイスシュロース前の大広場は、ハイリッヒ内の道と同じように一面に石畳が敷かれていた。大広場は広く、ハイリッヒで行われる祭典では必ず使用される。しかしながら、人っ子一人いない大広場は、平素より遥かに広く感じられた。色が異なる石畳が描く、巨大な幾何学模様を楽しめる機会など、滅多にあるまい。
「そろそろでしょうか、陛下」
正妃の緊張した声に、ローディオ国王テオドールは頷く。彼の傍らに立つ正妃は、彼と目を合わせ、それから大広場へ目をやった。
正妃の緊張は仕方がないと、テオドールは思う。なにしろ、フェルメリアの王の公式な訪問は、ローディオ建国以降初めてであるのだから。
――フェルメリアからの打診は、ローディオ内外の者達に大きな衝撃を与えた。フェルメリアの目的がローディオとの友好であるとはいえ、それを受け入れるには、フェルメリアとの過去が血生臭過ぎ、ローディオはフェルメリアを知らなさすぎた。
何度も議論を重ねた末に、ローディオがフェルメリアの訪問を受け入れたのは、見返りが大きかったためである。
フェルメリアの魔法具や魔石の質の高さは、大陸中に知れ渡っている。そして、ローディオへの訪問の際には、両国の友好の証として魔法具と魔石を大判振る舞いしようと確約しているのだから、当代のフェルメリア王は太っ腹なのかえらく腰が低いのか分からない。
それでも、混血への蔑視や宗教的な問題から、フェルメリアとの国交は避けるべきだという声は依然根強い。
中には、フェルメリア王の訪問を好機とみて、王の首をとりフェルメリアに戦を仕掛けようとする強硬派までいる。
しかしながら、戦を仕掛けたところで、ローディオがフェルメリアに勝利できるかどうかは未知数だ。戦をするよりだったら、フェルメリアと国交を結んだ方が、よほど確実に利がある。
ただし、実際の利益と感情は必ずしも釣り合う訳ではない。
フェルメリア側もそれを理解しているのだろう。
フェルメリアからの書簡には、訪問予定の日時と、予定時刻の前後ににヴァイスシュロース前の大広場を空けておいてほしいとの要望が書かれていたが、フェルメリアの使者がどのような道順でローディオに訪れるのかという記述は一切存在しなかった。
恐らくは、待ち伏せによる奇襲を警戒しているためだ。
だがテオドールは、今に至るまでローディオ国内にフェルメリアの使者らしき集団が確認されなかったことが気になっていた。
様々な種族の血が入り混じるフェルメリアに対して、人族中心のローディオでは、他種族は非常に目立つ。
異種族ばかりで構成された旅の集団が目撃されていないのは、ローディオに入国する前に何らかの妨害を受けたのではないか。
そう、テオドールは懸念していた。
もし、妨害を受けたとして、何も連絡がないのなら、フェルメリアには通信魔法を使用できる人材がいないことになる。
通常、他国間でのやり取りは通信魔法で行われる。書簡などよりも、確実に速く連絡を取り合えるからだ。
だとしたら、噂の割にフェルメリアも大したことはないと、テオドールは思う。
通信魔法は比較的扱いやすい魔法であり、ローディオに仕える宮廷魔道士であればソリニア大陸中とは言わず、隣のシェルバ大陸の国でさえも連絡を取り合う事ができるのだ。
ローディオの者ができることがフェルメリアの者にできないのであれば、それはそのまま両者の差を意味する。
フェルメリアがローディオに劣るとすれば、フェルメリア王の行動にも納得できる。
今回のフェルメリアからの贈り物が、フェルメリアとローディオの友好における価値が釣り合うのか、テオドールには大いに疑問であったのだ。
自分の予想があっているのならば、それはそれで悪くないと、テオドールが考えた時だった。
――突如、テオドール達の頭上に、巨大な陣が浮かび上がった。
ヴァイスシュロースの遥か上空、晴れ上がった青空をカンバスにして描かれたそれは、ハイリッヒを覆わんばかりに大きい。
ある種の魔法の発動の証として、虚空に浮かびあがる魔法陣は、魔法によって意匠は違えど、極めて複雑な紋様を有している。
淡い光で描かれた様な魔法陣には、神秘的な美しさがあった。
テオドールが微かに息を呑むのと、魔法陣の中心で光が弾けたのはほぼ同時。
眩しさに目を細めたテオドールは、光から飛び出す黒点を捕らえた。
黒点は瞬く間に騎影を形作る。
ローディオの人間達が見守る中、勢いよく大広場に舞い降りたのは、一頭の天馬――鳥に似た翼を有した馬――だった。各国で騎獣として親しまれている天馬だが、この天馬の様に青毛の個体は珍しい。また、通常の天馬は、ただの馬より華奢な身体つきをしているのだが、テオドールの前にいる天馬は、鋼のような、という形容詞が相応しい堂々たる体躯をしていた。
天馬に騎乗していた人物達は、一人は地に降り、一人は宙に浮かんだ。
どちらも、テオドールには印象的な人物だった。
地に降りた方は、人族と変わらない容貌である。ただ、色素の薄いローディオの民とは対照的な、褐色の肌を持っていた。服装は、ゆったりとしていて、昔見た砂漠の民の民族衣装に似ている。頭に布を巻いているところも、砂漠の民と同じである。
宙に浮かんだ方は、人の形をしていなかった。カピバラとかいう大きな鼠を二足歩行にして、背中に白い鳥の翼を付けたらこれになる。身長は、もう一人の半分以下で人族の幼児と大差ない。パタパタと忙しなく翼が動く様や、つぶらな瞳は愛嬌たっぷりだが、人族至上主義の大臣などは、人族でないという事だけで拒絶するに違いない。
「――お初にお目にかかります。私は、フェルメリアに仕える、ジャワードと申します」
「同じくフェルメリアに仕える、トーポと申します」
彼等は堂々と名乗りを上げ、テオドールに向かって丁寧に頭を下げた。
「我等が王と同朋をこの場に迎えるため、恐れ多くもテオドール陛下ならびにユーリディア陛下をお待たせすることをお許しください」
ジャワードと名乗った男の言葉を少々怪訝に思いながら、テオドールは頷いた。
すると、トーポと名乗った亜人がどこからともなく身の丈ほどの杖を取り出す。
《大いなる大地は 不動にて揺らがず 我 求めるは 堅き盾 強き鎧》
そしてトーポは、柔らかな光を帯びた杖の先で、足元の石畳を叩いた。杖に纏わりついていた光は、あっという間に大広場中の石畳に伝わり、日の下でも確かな輝きが大広場をある種異様な空間に変える。
「もう、いいですよー」
トーポが、頭上に向かってそう言った途端、未だヴァイスシュロース上空に鎮座していた魔法陣の中心から、数十の影が飛び出してきた。
それらの姿がはっきりするにつれて、ローディオ側の人間達から小さな悲鳴が上がった。
――下位の亜竜であるワイバーン。半鷲半獅子のグリフォン。グリフォンの亜種とも言える、半鷲半馬のヒッポグリフ。それらなら、ローディオでも騎獣にしている。
問題なのは、その後だ。
地響きを立てて着地した煉瓦色の亜竜は、明らかにワイバーンより高位のもの。黒兎に似た亜人が跨っているのは、羽を生やした巨大な虎――テオドールは知らないが、窮奇という魔物だ――。まだ空中にある巨鳥は、ズーという魔物だろう。どれもこれも、格が違う――騎獣にするどころか、とても徒人の手には負えない存在だった。
呆気にとられる人々の耳に、獣のものとは違う咆哮が響いた。
――そして、緑の翼が舞い降りる。
絵姿でしか見たことのなかった、その威容。宝石の様な緑の鱗に覆われた、しなやかな身体。蝙蝠によく似た、しかし、ずっと力強い翼。黒と緑、異なる色を宿した瞳は、人に在らざる硬質な輝きを宿す。
「――『竜王』――」
誰かが漏らした呟きは、驚嘆と畏怖が綯い交ぜになっていた。
緑竜の着地の際には、地面に一際大きな衝撃が走った。
大広場の石畳が一枚も割れていないことが、不思議なくらいである。
緑竜の、テオドールを見据える瞳には、獣にはない理性的な光があった。
と、騎獣達の中心にあった緑竜の輪郭が崩れた。
溶け落ち、裏返ったその存在は、瞬く間に小さくなり、遂には人の形をとった。
黒と緑の、硬質な輝きを宿す双眸はそのままに。肩にかかるほどの癖のある黒髪。やや黄味を帯びた肌。中肉中背の身体には、黒と緑を基調とした礼服を纏う。
「初めまして、ローディオのテオドール陛下」
色違いの瞳を除き、彼の容姿は至って平凡。
「私は、フェルメリア国王、クライドロ・D・シアリオス・フェルメリスと申します」
それでも、『竜王』と呼ばれる青年は、フェルメリアの者達の中で、一際存在感を放っていた。
フェルメリアの皆さんは、転移魔法できたのでした。