彼の国
ある日届いたその書簡は、ソリニア大陸の国々の中でも、大国の一つに数えられるローディオを、混乱の渦に叩きこんだ。
「――フェルメリアからのものだったんです」
未だ困惑したままであろう親友の言葉に、フィオナは少しばかり首を傾げた。
「フェルメリア? 異端の王国が、どうしてローディオに書簡なんか送ってきたのかしら?」
「分からないのですわ、フィオナ様。詳しい内容は、私にも伝わってきていないのです」
全くと言って馴染みのない国の名に、フィオナは眉を寄せた。
フェルメリア。
他種族国家。異端なる王国。神に見捨てられた地。
それらは、彼の国に捧げられた異名である。――フェルメリアという国は、噂ばかりが先行しており、ローディオ国内で実際にその内情を知る人間は酷く少なかった。
ただ確かなのは、豊富な資源と圧倒的な技術に裏付けされたフェルメリア製の魔法具の質と、彼の地に住まう人々の戦闘能力の高さだろう。
『神に見捨てられた』と評された土地は、豊かでありながらも厳しく、他国とは比べ物にならないほど強力な魑魅魍魎が跋扈している。高位の魔物により村が一つ壊滅したという話など、フェルメリアではざらにある。
恵み多くも峻厳な風土と恐るべき魔物達が、フェルメリアをフェルメリアたらしめる要因であった。
「ねえ、ユーリ、ローディオは、フェルメリアと国交なんてあったの?」
「少なくとも、聖国崩壊後にローディオが建国してからは、全く無かったと思います」
「そう、よね」
ローディオ正妃たるユーリディアの言葉に、フィオナは頷いた。フィオナは、自分の勉強不足がなかったことにほっとする半面、今回のフェルメリアの動きを怪訝に思った。
フェルメリアとローディオには、悪い意味で、浅からぬ因縁が存在していたからだ。
ローディオは、ソリニア大陸の中でも歴史ある国に分類されているが、フェルメリアの歴史はローディオよりもさらに古い。そして、フェルメリアとローディオの因縁は、ローディオ建国以前に遡る。
その昔、ソリニア大陸には、聖国と呼ばれる国が存在していた。
神に祝福されていたと言われる聖王を祖とする聖国は、一時は大陸の三分の二以上を手中に収めていた程の大国であった。
しかし現在、聖国はすでになく、嘗ての聖国領には大小数多くの国が乱立しており、その中の一つがローディオである。
――なぜ聖国は滅びたか。
その原因の一つが、フェルメリアであった。
唯一神を奉ずる聖国と、『神に見捨てられた』が故に神に祈らず、世界を構成するという精霊に助力を乞うフェルメリア。両国の在り方は、徹底的にそりが合わなかったのだ。
平和のため、神の名のもとに大陸の統一を果たそうとした聖国は、フェルメリアにもその手を伸ばした。
しかし、フェルメリアの民が選んだのは、聖国への従属ではなく、徹底抗戦。元は他国から放逐された者達を祖としたフェルメリアの民達には、祈る神もフェルメリア以外の居場所も、存在していなかったから。
そして、大方の予想に反し、聖国によるフェルメリア侵攻は困難を極めた。
国土が聖国の半分にも満たないフェルメリアが聖国に抗しえた理由は、その地に跋扈する魔物と、フェルメリアの民が多様な種族の混血ばかりであったことにあった。
まず、他国とは比較にならないほど強力な魔物達は、聖国の軍に対する生ける障壁となっていた。フェルメリアでは最下級とされ、フェルメリアの民ならば大人一人が楽に屠れる魔物でも、聖国の者だと熟練の兵士四、五人が死に物狂いになってようやく倒せたというのだから、その効果は如何程ばかりか知れるというものだ。
しかも、フェルメリアには、『災獣』と呼ばれ、局地的な災害に匹敵する魔物が頻繁に出没する。当時、聖国の者達はそんな存在と遭遇し、たった一頭の魔物に軍の半数近くが喰い殺された例もあったという。数は力であったが、それでも、フェルメリアの魔物達から聖国軍は大きな打撃を受けたのだ。
次に、フェルメリアでは異種族婚、ひいては異種族間での混血児への忌避というものが存在しない。
ほとんどの種族に存在する、異種族間の婚姻の禁忌は、妊娠・出産の危険性や、生まれた子が障害を抱える確率が跳ね上がることから生まれたものだ。
しかし、多くの危険を抱えるフェルメリアでは、そのような些事など気にする余裕が無かったし、異種族間の混血児は、純血種の子供より障害が起こりやすい一方、両親より優れた資質を示す確率もまた高かった。それゆえ、数が多くとも純血の人族ばかりで構成されていた聖国軍と、数は少ないながらも異種族間での混血児ばかりのフェルメリア軍の地力には、大きな差が生じていたのであった。
そうして、戦は長引き、先に焦りを感じ始めたのは、当たり前と言うべきか、意外にもと言うべきか、フェルメリアの方だった。
魑魅魍魎が蔓延るフェルメリアでは、外敵へ戦力を割き続けるのはとても難しいことであったから。
それ故、一刻も早く戦を終わらせるため、フェルメリアの王は他の国々の誰もが思いもよらなかった行動に出た。
それは、聖国の首都にある王城への、遠距離魔法による攻撃。
攻撃の起点と聖国王城を隔てる長大なる距離故に、他国の常識では不可能と断じられたその作戦は、古き叡智とフェルメリアの傑出した技術、豊富な資源により、実行に移された。
その時用いられた魔法は、五連式広域殲滅型戦略魔法〈神々の黄昏〉。それは、本来机上の空論で終わる筈だった、北方の神話上での神々の滅び時の名を冠した魔法である。〈神々の黄昏〉は、その名に恥じることのない威力を発揮した。
その結果、王城は聖王ごと跡形もなく消滅したのであった。そして、聖王という柱を失った聖国は、後継者争いによる内乱のため、呆気なく瓦解した。
聖国にとっての最大の不運は、王城や聖王と共に、国を支える重臣や次代を担う人材をことごとく失ってしまったことだったろう。
聖国とフェルメリアの争いは、多くの犠牲と混乱を生みだした後、ようやく終結した。
しかしながら、その記憶は未だに残っているのだろうか。聖国崩壊後建国された国々は、皆一様にフェルメリアという国を忌避し、フェルメリアもまた、聖国の系譜を引く国々に対して沈黙を守り続けていた。
――そう、今までは――。
「――聖王の血が、まだ途絶えていなかったから?」
独り言の様なフィオナの言葉に、ユーリディアは目を伏せた。絶世の美女と名高い、ローディオ正妃ユーリディア。彼女の金糸銀糸が入り混じった美しい髪と、紫宝の瞳は、聖王の血を引く者の証であった。聖国崩壊の中、途絶えてしまったと思われた至高の血脈は、細いながらも続いていたのである。
「ユーリは大丈夫よ。ローディオにとって、大事な人だもの」
何処か、不安というよりも悲しげなユーリディアの様子を見てとって、フィオナは無理にでも明るく言う。それでも、フィオナの胸の奥底では、黒いものが燻り続けているのだった。
正妃の部屋を辞したフィオナは、独りで自分の部屋へと続く回廊を歩いていた。すれ違う侍女たちの目は冷たいが、もう、慣れてしまった。
と、突然フィオナの身体を冷たい感触が襲う。水を掛けられたのだ。
「――あら、身支度もせずにはしたない」
フィオナに投げかけられる嘲笑。フィオナは口元を固く結び、それを耐えた。泣いたところで、誰も助けてはくれないのだ。
このような時、いつも心に浮かんでいた面影が変わってしまったことに気付き、フィオナは余計に惨めになった。
こんな浅ましい女だったから、彼の人に愛想を尽かされてしまったのだろう。
ローディオ第十一妃、フィオレンティーナ。本来、最大でも十人しか妃を持たぬローディオ王の異例の、最下級の側妃。正妃ユーリディアを不遇な境遇に貶めた悪女と囁かれる少女は、とぼとぼと、仮にも大国の側妃らしからぬ、貧相な己の自室に戻っていくのだった。




