婚約破棄、その日に選ばれる
「レティシア! 貴様とは今日限りで婚約破棄だ!」
あーあ、とうとう言われてしまった。
壇上でエドヴァルド王子が声を張り上げた瞬間、私は妙に冷静にそう思った。やっぱり、こうなったか、と。
隣に立つマルグリット嬢が、勝ち誇った顔で私を見下ろしている。今日は王立学園の卒業パーティー。無事に卒業証書を受け取り、ほっと気を抜いた矢先にこれだ。
「お前の地味で目立たぬ性根に、俺はとうに愛想が尽きていた! マルグリットとの真実の愛を、これ以上邪魔させはしない!」
会場の生徒たちが、遠巻きに息を呑んでいる。壇上では、絵になる美男美女の二人が私を見下ろしていた。容姿も、性格の悪さも、お似合いの二人を、皆は「真実の愛」と呼んでいた。真実の愛派の生徒たちの冷たい視線を浴びながら、私は静かに壇上を見上げていた。
分かっていたことだ。エドヴァルド王子が伯爵家の娘という理由だけで私を婚約者に選んだこと。地味な私より、華やかで愛らしいマルグリット嬢の方が好みだということ。
婚約が決まったのは、私が十歳の時だった。国王陛下から「エドヴァルドをよろしく頼む」と言われ、誇らしかったのを覚えている。だから頑張った。おだてて褒めて、機嫌を取って。けれどその努力は無駄だった。褒められると増長し、自分の成績が悪いと他人を引きずり落とすタイプの王子と、私が仲睦まじくなることはついになかった。陰では「ゴミスキル令嬢」と呼ばれていたことも、もちろん知っている。それでも「殿下はいずれ変わる」という陛下たちの願いで、婚約は付かず離れずのまま続いていたのだ。
変わらなかったのは、王子の方だった。マルグリット嬢と出会ってからの彼は、私を邪魔者としか見なくなった。「地味な女に用はない」と面と向かって言われたこともある。それでも婚約者としての務めだけは、最後まで果たそうとしてきたつもりだった。国のためにと、歯を食いしばって笑顔を作り続けた八年間だった。
「婚約破棄されて当然の女だ。大人しくこの国から――」
王子の言葉を遮るように、私の頭の中に声が響いた。
『レティシア、聞こえるか』
学園の裏庭に立つ、大樹のものだ。幼い頃からこっそり話しかけてきた、あの木の念話だった。私のスキルは「天候の変化」と「植物の変化」をいち早く感じ取れるというもの。とはいえ、雲を見て明日の天気が分かる程度のもので、皆からは地味で使い道のないスキルだと言われ続けてきた。
『北の空、様子がおかしい。氷と炎、同時に来る。急げ』
子供の頃、庭師に「明日は雨が降りますよ」と告げても「お嬢様の勘でしょう」と笑われるだけだった。花や葉の些細な変化に気づいて報告しても、家庭教師からは「気にしすぎです」とたしなめられた。誰にも本気にされないまま、私はいつしか自分の感覚を口にしなくなっていた。
血の気が引いた。数日前から感じていた妙な胸騒ぎ――気圧の乱高下と、庭の草木が奇妙に半分だけ凍え、半分だけ焼けたように萎れていたこと。あれは前兆だったのだ。天候と植物、どちらの異変も、私にははっきり感じ取れていたのに、確信が持てず黙っていた。
「王子、今すぐ北の平原に伝令を! 氷と炎、両方の魔物が同時に発生します!」
「は? 婚約破棄の最中に何を世迷い言を」
王子が鼻で笑う。だが私は構わず会場の隅にいた教師に駆け寄り、事情を告げた。教師の顔色が変わり、すぐに早馬が城へと走らされる。
どよめく会場を後目に、私はただ祈っていた。間に合ってくれ、と。祈ることしかできない自分がもどかしかった。
会場がざわつく中、大きな音を立てて入り口の扉が開いた。
「ただいま戻りました!」
土と煤にまみれた騎士科の制服姿の五人が、肩で息をしながら会場を横切り、壇上へ向かってくる。女生徒たちから歓声が上がった。皆、成績優秀者でありながら人当たりも良く、学園でちょっとしたアイドルのような存在だ。
「お帰りなさい!」「ご無事で良かった!」
声をかけられながら壇に上がった五人を代表し、寡黙で知られる副団長格のルーカス様が、珍しく大声を張った。
「北の平原にて、氷と炎、相反する異常気象が同時に発生。両属性の魔物が現れたが、事前の通報のおかげで避難と迎撃が間に合った。死者はなし、負傷者も最小限だ」
わあっ、という声で会場が揺れる。歓声が上がり、抱き合って喜ぶ生徒たちの中、明るい性格で知られる団員の一人が茶化すように付け加えた。
「本当に驚いたよ。俺たちが現地に着く前から、村の連中がもう避難を終えていたんだから。井戸の水すら凍り始めていたのに、怪我人ゼロだぜ? レティシア嬢様々だな」
どっと笑いが起こる。別の団員も続けた。
「炎の魔物と氷の魔物が同じ場所でぶつかり合うところなんて、初めて見たぞ。あれで村が無事だったのは奇跡だ」
弓の名手だという団員が肩をすくめながら付け加えた。
「正直、伝令が来たときは半信半疑だったんだ。婚約破棄の最中に飛んできた急報だなんて、誰が本気にする? でも現地に着いたら、村人が言うんだ。『伯爵家のご令嬢が、天候と草木の異変から教えてくれた』ってな。あれには驚いた」
残る二人も口々に頷き、北の村の子供たちが「ありがとう」と手を振ってくれたことを、嬉しそうに語っている。五人はそれぞれ得意な武器も性格も違うが、揃って面倒見が良く、遠征先でも子供たちの人気者だったらしい。今回の悲劇の記憶が、あの子たちの心に暗い影を落とさずに済んだことに、私はほっと胸を撫で下ろした。
ルーカス様の視線が、まっすぐに私を捉えた。
え、何? と思う間もなく、つかつかと歩み寄ってきたルーカス様が、私の前でひざまずいた。他の四人も倣う。
「レティシア嬢の予知がなければ、俺たちは間に合わなかった。此度の功、騎士として、この国に生きる者として深く感謝する」
会場が静まり返る。壇上の反対側で、王子とマルグリット嬢が呆然とこちらを見ていた。先ほどまでの勝ち誇った表情は、もうどこにもない。
「あ、あの、頭を上げてください……!」
申し訳なくて起きてもらう。慌てる私に、ルーカス様はぼそりと付け加えた。
「……昔から、お前の力は本物だと思っていた」
昔から? 初耳だ。だが問い詰める間もなく、彼は仲間に背中を押されるようにして立ち上がり、そそくさと会場の隅へ引っ込んでしまった。耳が赤かった気がするが、気のせいだろうか。
会場は一転して祝賀の空気に包まれ、私はこっそりとその場を抜け出した。婚約破棄のことを、父に報告するために。
翌日、我が家の居間には求婚状の山ができていた。城から帰宅した父は、それを見て眉を上げた。
「王家は昨夜のうちに、エドヴァルド殿下の処分を決めたそうだ」
「昨夜というより、以前から決めていたのでしょうね。あの方はいつか問題を起こすだろうと」
母が容赦なく言い切る。
「殿下とマルグリット嬢は結婚し、二人で辺境の開拓地へ向かうことになった」
「あら、お似合いですこと。あちらのスキルなら、王都より開拓地向きでしょうし」
良かった良かった、と話を終わらせようとしたら、
「それでは次は、レティシアの新しい婚約者だ」
と言われた。うぇ、という気持ちを隠さずにいる私を無視して、父と母は次々と求婚状を開封していく。
「あら、サイラム侯爵家からだわ。こちらの子息、以前あなたに『地味で使えない女だ』と言っていたはずですけれど」
「ライト伯爵家の方は『陰気な顔で王子の隣に立つ気か』と、確かおっしゃっていましたね」
「こちらの方には『さっさと身を引け、身の程知らず』と」
「こちらの方に至っては『真実の愛を引き裂く悪女』とまで」
「こちらの子息など、去年の夜会で挨拶すら返してくださいませんでしたわ」
「………」
「なぜそんな侮辱を受けて、これまで黙っていたのだ!」
二人から同時に怒られてしまった。父に至っては、
「これは丁寧にお断りの返事を書かねばならないな。ご子息は殿下とマルグリット嬢がお好きなようだから、辺境の開拓地へ行かせてやれ、と添えておこう」
「他にも、似たような文言の手紙が山ほどありますわ。皆さん、手のひらを返すのがお早いこと。昨日までの侮辱をすっかり忘れたかのような文面ばかりで、いっそ感心してしまいますわ」
母が呆れたようにため息をつく。求婚状の差出人の顔ぶれを見るに、私を侮辱していた家がそっくりそのまま、手のひらを返して縁談を持ち込んできているらしい。数日前まで陰口を叩いていた相手からの甘い言葉の数々に、私はいっそ笑いたくなってしまった。
周りに黒いオーラが渦巻いている。私はしどろもどろになりながら答えた。
「え、えーと、心の中で何を思うかは自由ですし、口に出すのは軽薄だなぁと思ったくらいで、特に気にしていなくて……」
「お前は昔から、妙に肝が据わっていると思ってはいたが……人はもっと、辛い時は辛いと言っていいのだぞ」
父の思いがけない優しい言葉に、少しだけ胸が熱くなった。
父が頭を抱える横で、母が一通の手紙を手に取った。
「あら、これは求婚状じゃないわ。『明日、お会いしたい』ですって。ルーカス・ヴァレン様から」
「ルーカス様が……?」
胸の奥が、妙にざわついた。彼とは学園の行事で言葉を交わす程度で、特別親しかったわけではないはずなのに。
翌日、応接間で待っていると、執事が「ヴァレン様が庭にてお待ちです」と告げに来た。なぜ庭だろう、と首をかしげながら向かうと、そこには珍しく私服姿のルーカス様が、大きな苗木の鉢を抱えて立っていた。
「これを、届けに来た」
「木、ですか?」
「学園の裏庭のと同じ種類だ。お前がよく話しかけていたと聞いた」
心臓が跳ねた。まさか、あの念話のことを知っているのだろうか。動揺する私をよそに、ルーカスは苗木を庭のガゼボに下ろし、ぶっきらぼうに続けた。
「異常気象の予兆、俺たちだけじゃ気づけなかった。お前と、その木のおかげだ。だから、礼がしたかった。団の中では、お前の報告がなければ今頃どうなっていたか分からない、という話で持ちきりだったくらいだ」
侍女がお茶を運んでくる間、私たちは無言で苗木を見つめていた。うららかな陽の下、小さな葉が風に揺れている。
『久しぶりだな、レティシア』
苗木から、聞き覚えのある念話が届いた。裏庭の大樹と同じ木らしい、幼い声だった。
『こやつ、お前のために似た木を、街中探し歩いておったぞ。三日もかけてな』
「ちょっ、木、余計なことを言うな……!」
慌てる私の顔を、ルーカスがじっと見ている。
「三日も、探したんですか?」
「別に。ただの礼だ」
耳が赤いのは気のせいだろうか。ぎこちなく視線を逸らすルーカスを見ていると、こちらまで笑いがこみ上げてくる。しばらく無言で苗木の世話をする私たちの間に、穏やかな沈黙が流れた。それは気まずさではなく、不思議と居心地の良いものだった。
ルーカスは口数が少ないが、苗木の葉の向きを気にして水やりの角度を細かく調整するなど、意外なほど世話焼きな一面を見せた。無骨な指先が小さな葉をそっと支える様子に、私はつい見入ってしまう。
「そんなに見られると、やりにくい」
「あ、ごめんなさい。つい」
二人して気まずく視線を逸らし、また同時に小さく噴き出してしまった。
ふと、遠い記憶の断片がよぎる。こことは違う、もっと騒がしい世界で、誰かと並んで木を見上げていたような――そんな懐かしさだった。うまく思い出せないが、悪くない気分だった。
「その、木と話せることは、いつから知って?」
「団の古老が知っていた。木々は正直者を好むと。お前のことは、昔から気になっていた」
思いがけない言葉に、今度は私の頬が熱くなる番だった。
「これから、団の遠征が増える。お前の力がまた必要になるかもしれない」
「はい、いつでもお申し付けください」
「それに、お前が長年、その力を誰にも信じてもらえなかったことも、団の古老から聞いた。……悔しかっただろう」
思いがけない一言に、胸の奥が詰まった。誰にも言われたことのない言葉だった。
「……少しだけ、悔しかったです」
素直にそう答えると、ルーカスは僅かに口元を緩めた。無口な彼にしては、精一杯の表情だったのだろう。
「……それと、俺自身も、また会いに来たい」
思わず顔を上げると、ルーカスは真っ赤な顔で視線を逸らしていた。
『そういえば、こやつ、求婚の言葉を用意してきたはずだが』
木がぽつりと漏らした一言に、ルーカスの肩がびくりと跳ねた。
「お前、それは言うなと言っただろう……!」
「求婚の、言葉?」
私が聞き返すと、ルーカスは耳まで真っ赤にして黙り込んでしまった。しばらくの沈黙のあと、絞り出すように一言だけ。
「……また、来る」
そう言い残して、逃げるように帰っていく背中を見送りながら、私は笑いを堪えきれなかった。
昨日まで、私は婚約者に選ばれなかった、地味で価値のない娘だった。今日、私は木にまで急かされる不器用な騎士に、選ばれかけている。
人生とは、分からないものだ。地味だと言われ続けたスキルも、認められなかった八年間も、無駄ではなかったのかもしれない。
その夜、裏庭の木にそっと話しかけると、笑いを含んだ念話が返ってきた。
『次は、ちゃんと言えるといいがな』
私も、同じ気持ちだった。
数日後、ルーカス様から届いた手紙には、次の遠征の予定と、あの苗木の名を一緒に考えてほしいという、なんとも彼らしい不器用な一文が添えられていた。名付け親を任されるほど、木にも懐かれる私の日々が、これからも少しずつ賑やかになっていくらしい。
地味だと笑われ続けたスキルが、こんな未来を連れてくるとは思わなかった。婚約破棄されたあの日から、私の世界は確かに変わったのだ。
窓の外では、庭の木々が夜風にざわめいている。その中の一本が、まるで私を見守るように、いつもより優しく葉を揺らしている気がした。
誰にも信じてもらえなかった小さな声に、これからはきっと、耳を傾けてくれる人がいる。それだけで、十分だった。
完




