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私を悪役にしたその顔で優しくしないで

掲載日:2026/05/06


「近衛団長! 殿下を!」


 叫びが飛んだ瞬間、レオルド・シュバルツァーはすでに剣を抜いていた。


 夜の王城。晩餐会を終えたローランド王子の馬車が、東門へ向かっていた。灯りは少なく、石畳には馬車の車輪の音だけが響いている。


 その静けさを破って、黒衣の男たちが左右の庭木から飛び出した。


 数は六。

 護衛の死角を突いた襲撃だったが、レオルドにとっては遅すぎた。



「殿下、馬車の中へ」

「頼むよ、レオルド」


 ローランド王子の声は落ち着いていた。彼がそうでいられるのは、レオルドがいるからだ。


 レオルドは踏み込み、一人目の刃を弾いた。重い音が夜に響く。続けて二人目の手首を打ち、三人目の喉元に剣先を突きつける。


 殺す必要はない。

 捕らえ、吐かせる。

 それが騎士団長としての判断だった。


 だが、最後に残った暗殺者が笑った。


「遅い」


 男の手に握られていたのは、指輪ほどの小さな魔導具だった。


 赤い光が走る。

 レオルドは、考えるより先に体が動いた。


 魔導具の狙いはローランド王子の顔だった。馬車の扉の隙間から、炎が王子へ向かって噴き上がる。


 レオルドは王子の前に立った。


 次の瞬間、炎が顔の右半分を焼いた。



「レオルド!」


 王子の声が遠く聞こえた。

 痛みはあった。だが、それよりも先に確認すべきことがある。


「……殿下、ご無事ですか」


 焼けた皮膚が引きつり、声を出すだけで痛んだ。

 それでもレオルドは倒れなかった。


 ローランド王子は馬車から降り、血の気を失った顔で彼を支えた。


「僕は無事だ。君のおかげで」

「ならば、問題ありません」

「問題なら大ありだよ」


 そう言った王子の顔は、いつもの穏やかなものではなかった。



 暗殺者たちは捕らえられた。王子は助かった。近衛騎士団長レオルド・シュバルツァーは、王子暗殺を防いだ英雄となった。


 だが、その代償は大きかった。

 治癒魔法を尽くしても、顔の右半分に残った火傷痕は消えなかった。


 元々、レオルドは人に怖がられやすい男だった。背が高く、肩幅が広く、目つきも鋭い。無口で、冗談も得意ではない。


 騎士たちは彼を信頼していた。だが、貴族令嬢や使用人は、廊下で出くわすと道を空ける。子供は泣く。初対面の貴族は、まず顔色をうかがう。


 それでも、レオルドは気にしないふりをしていた。


 騎士は見世物ではない。

 任務に支障がなければ、それでいい。


 そう思ってきた。

 だが火傷を負ってから、周囲の反応はさらにあからさまになった。



 令嬢は悲鳴を飲み込むように口元を押さえた。使用人は目を合わせなくなった。舞踏会に警護として立てば、彼の周りだけ不自然に人がいなくなった。


 ある日、王城の回廊で小さな少年が彼を見て泣き出した。母親らしい貴婦人は慌てて少年を抱き寄せ、レオルドに何度も謝った。


 レオルドは「気にするな」とだけ言った。

 本当に、相手を責める気はなかった。



 しかしその夜、執務室で報告書を書いていると、ローランド王子が現れた。


「レオルド。君に受けてほしい術がある」

「治癒魔法なら、もう十分に受けました」

「治癒ではない。《貌写しの術》だ」


 レオルドは手を止めた。


 聞いたことはある。

 他人の顔立ちを写し、自分の顔を変える秘術。王家の許可なしに使うことを禁じられている魔法だ。


「必要ありません」


 レオルドは即答した。


「騎士の顔など、任務に支障がなければそれで十分です」


「君が支障だと思わなくても、君を見る者たちが勝手に支障を作る」


 王子は静かに言った。


「君は僕を守った。そのせいで、余計な傷まで背負った。なら、その(つぐな)いをさせてほしい」


「殿下、それは不要だと何度も――」


「それに、隣国ヴェルノア公国との合同社交パーティーが近い。君にも出てもらう」


「俺が社交パーティーに?」


「そう。警護としてではなく、僕の随伴者として」


 レオルドはしばらく黙った。


 社交など得意ではない。むしろ苦手だ。剣で囲まれる方がまだ楽だった。


 しかし王子の目は真剣だった。

 命を救われた恩義だけではない。

 何か、別の考えがある目だった。



「任務ですか」


「半分はね」


「では、受けます」


「もう半分は、僕の個人的な願いだよ」


 王子は微笑んだ。


「君が、誰かに顔だけで怖がられない時間を持てるように」


 その言葉に、レオルドは返事をしなかった。

 どう答えればいいのかわからなかったからだ。




 数日後、秘術は行われた。


 術式を刻んだ鏡の前に立ち、宮廷魔術師たちが魔力を流し込む。顔に冷たい感覚が広がり、皮膚の下で何かが組み替わっていく。


 痛みはほとんどない。

 だが、自分が自分でなくなっていくような奇妙な感覚があった。


 術が終わり、鏡に映った顔を見たとき、レオルドは言葉を失った。


 銀灰色の髪。整った輪郭。甘さのある目元。令嬢たちが好みそうな美青年が、そこに立っていた。


 だが背筋はまっすぐで、目つきだけは騎士団長のままだった。



「……これは、本当に俺か?」

「正確には、今の君だね」


 隣で王子が楽しそうに言った。


「違和感がある」

「大丈夫、すぐに慣れるよ」

「やはり元の顔に――」

「ダメだよ。その顔で社交パーティーへ行ってもらう」


 レオルドは王子を見た。


「殿下。何か隠していませんか」

「少しだけね」

「説明を求めます」

「後で必ず」


 王子はにこやかに目を逸らした。


 この時点で問い詰めるべきだった。

 レオルドはのちに、少しだけそう思うことになる。




 合同社交パーティーの会場は、王都の大広間だった。


 高い天井から大きなシャンデリアが下がり、白い壁には両国の紋章が並んでいる。演奏隊が穏やかな曲を奏で、着飾った貴族たちが笑顔で言葉を交わしていた。


 レオルドにとっては、敵の数がわからない戦場より疲れる場所だった。


 しかも、顔が変わったせいで周囲の反応も変わった。

 以前なら、近づく前に距離を取られた。なのに今は令嬢たちが微笑みかけてくる。


 以前なら、貴族たちは必要最低限の挨拶で済ませた。

 今は名乗る前から親しげに話しかけてくる。



「まあ、ローランド殿下のお連れの方ですの?」

「なんてお綺麗な髪色。どちらのご家門の方かしら」

「ぜひ一曲、お相手いただけません?」


 レオルドはすべてに硬い表情で応じた。


「申し訳ない。俺は踊りが得意ではない」

「まあ、ご謙遜を」

「謙遜ではない。本当に不得手だ」


 令嬢は困ったように笑った。

 別の意味で距離を取られた気がする。


 ローランド王子は少し離れた場所で、楽しそうにその様子を見ていた。


 助ける気はないらしい。

 レオルドが無言で抗議の視線を向けた、その時だった。



「こんなところにいたのね!」


 鋭い声が、大広間に響いた。


 演奏が一瞬だけ乱れた。


 レオルドが振り返ると、金髪の令嬢がこちらへ歩いてきた。


 豪奢なドレス。艶のある縦巻きの髪。目立つ宝石。背筋を伸ばした姿は気位が高そうに見える。


 だが近づいてくる彼女の目は怒りで潤み、指先はかすかに震えていた。



 周囲がざわつく。


「隣国のセレスティア・ローゼンクライツ様だわ」

「例の悪役令嬢の?」

「また何か騒ぎを起こすのかしら」


 その声は小さかったが、レオルドの耳には届いた。

 セレスティアと呼ばれた令嬢は、レオルドの前で足を止め、扇を突きつけた。


「わたくしから逃げておきながら、今度は隣国の社交場で別人のふりですの? ()()()()()!」


 レオルドは数秒黙った。

 聞き覚えのない名だった。



「人違いだ。俺はレオルド・シュバルツァーという」


「その顔で、その声で、その背丈で、人違い? よくもそんなことが言えますわね!」


 セレスティアの声が震えた。


「わたくしの名誉も、家の信用も、友人も、全部踏みにじって逃げたくせに。今さら騎士のふりをするなんて、どこまで人を馬鹿にすれば気が済みますの!」


 周囲の視線が集まる。

 好奇心。嫌悪。面白がる気配。


 レオルドは、その視線に覚えがあった。

 顔を焼かれてから、何度も向けられたものだ。

 噂や見た目だけで、相手を決めつける視線。


 セレスティアは怒っている。

 だが、それ以上に傷ついている。

 レオルドにはそう見えた。



「落ち着け。事情を説明してくれ」


「落ち着けですって? わたくしをここまで追い詰めておいて、よくそんな顔で言えますわね!」


「俺はその男ではない」


「逃げるなんて許しませんわ!」


「逃げてはいない。人目が多すぎる。静かな場所で話そうと言っている」


 セレスティアが一瞬、言葉に詰まった。


 周囲から小さな笑いが漏れる。

 その笑いに、彼女の顔が青ざめた。

 先ほどまで怒りで赤くなっていた頬から、血の気が引いていく。



「やっぱり噂通りの性格ね」

「人違いで騒いだのでは?」

「見苦しいわ」


 囁きが広がる。


 セレスティアの指が扇を握りしめた。

 それを静かに見ていたレオルドは一歩前に出た。


「彼女は錯乱しているのではない」


 低い声が広間に通った。

 騎士団長として、兵を制する時の声だった。


「俺について、確認すべき事情があるだけだ。無責任な噂は控えてもらおう」


 周囲が静まった。

 セレスティアは目を見開いた。


 なぜ庇うのか。

 そんな顔だった。


 レオルドにも、はっきりした理由はわからなかった。


 ただ、見過ごせなかった。

 彼女が向けられている視線を、自分は知っていたからだ。




 会場の奥にある休憩室へ移ると、ようやくセレスティアは少し落ち着いた。


 室内にはレオルドとセレスティアのほか、扉の外に王子の近衛が二人いる。誤解を避けるため、扉は少し開けたままだ。


 セレスティアは長椅子に座り、レオルドを睨んでいた。


「本当に、リュシアンではありませんの?」


「違う」


「では、なぜ同じ顔をしていますの」


「魔法で変えた」


「顔を?」


「ああ」


 セレスティアは黙った。

 あまりにもまっすぐ答えたせいか、疑う余地を失ったようだった。



「……普通、もう少し言い訳を考えるものではなくて?」


「事実を言っただけだ」


「あなた、社交には向いていませんわね」


「自覚はある」


 セレスティアは疲れたように息を吐いた。

 怒りが抜けると、彼女は思っていたよりも若く見えた。


 だが、派手な化粧の下に、眠れていない目元がある。



「リュシアン・ヴァルスナー」


 彼女はぽつりと言った。


「わたくしが、愚かにも初めて恋をした男ですわ」


 レオルドは黙って聞いた。

 セレスティアは最初こそ強がるように話していたが、少しずつ声が小さくなっていった。


 没落貴族の青年リュシアン。

 美しい顔と甘い言葉で、多くの令嬢に好かれていた男。


 セレスティアは彼に恋をした。

 彼の家の借金を肩代わりした。彼が起こした揉め事を侯爵家の力で収めた。彼の立場を守るため、社交界で敵も作った。


 彼に近づく令嬢と揉めたとき、悪者にされたのはいつもセレスティアだった。


 それでも、彼は言った。

 君だけが僕を理解してくれる。


 その言葉を信じた。



「なのに結局、あの人は別の女と姿を消しましたわ。……わたくしには、悪評だけが残りました」


 セレスティアは自嘲気味に笑った。

 だが、目は笑っていなかった。


「嫉妬深い令嬢。男を縛ろうとした悪女。社交界を荒らした悪役令嬢。滑稽でしょう? わたくし、あの人に愛されたくて悪役になりましたのに、最後には悪役だから捨てられたんですの」


 レオルドは、すぐには答えなかった。


 慰めの言葉は得意ではない。

 軽い言葉で済ませるべきではないとも思った。


 だから、正直に言った。



「大事な相手のために自分を悪く見せることは、愚かかもしれない」


 セレスティアの肩がわずかに震えた。

 レオルドは続けた。


「だが、笑うことではない。むしろ俺はその献身を美徳だと思う」


 彼女は顔を上げた。

 金色のまつげが震えている。


「……どうして、あなたはあの人と同じ顔で、あの人と違うことを言いますの」


「俺はその男ではない」


「それは、もうわかりましたわ」


「なら、よかった」


「よくありませんわ。顔を見るたびに腹が立つのに、言うことだけは妙にまっとうで、怒り先が迷子になりますの」


 セレスティアはしばらくレオルドを見つめ、それから小さく笑った。初めて見る、怒りの混じっていない表情だった。


 その時、扉の外で近衛の声がした。



「何者だ」


 次の瞬間、短い金属音が響いた。

 レオルドは即座に立ち上がった。


 近衛が倒されたのか。

 いや、倒されたにしては音が軽い。


 扉の向こうで、何かが床に落ちる音がした。続いて、布が擦れる音。誰かが倒れた気配がある。


 レオルドはセレスティアを背に庇うように立った。


「下がれ」

「え……?」

「俺の後ろに」


 セレスティアは言われた通りに動いた。まだ状況はわかっていない。それでも、レオルドの声に逆らう余裕はなかった。


 開いていた扉が、外側からゆっくり押し開けられる。


 最初に入ってきたのは、黒いドレスの女だった。

 喪服のような黒。赤い唇。長い黒髪。

 社交場の貴婦人として見れば、目を引くほど美しい。だが、その目には人を値踏みする冷たさがあった。


 女の後ろから、もう一人の男が姿を見せた。


 銀灰色の髪。

 甘い目元。

 整った顔。


 レオルドと同じ顔の男が、そこに立っていた。



 セレスティアが息を呑む。


「リュシアン……」


 男は彼女を見て、面倒そうに眉を寄せた。


「何だよ。よりにもよって、君までいるのか」


 その一言で、セレスティアの顔色が変わった。


 本人だ。

 レオルドにも、それはわかった。


 ただ顔が同じだけではない。セレスティアを見た時の態度に、過去の関係を知る者だけが持つ雑な親しさと苛立ちがあった。



 レオルドは剣の柄に手をかけた。


「貴様が、リュシアン・ヴァルスナーか」

「そうだよ。君は誰? いや、聞くまでもないか」


 リュシアンはレオルドを見て、唇を歪めた。


「僕の顔で騎士ごっこをしている男だろ」


 レオルドは答えず、黒いドレスの女を見た。


「近衛に何をした」


 女は小さく笑った。


「眠っていただいただけです。騒がれては困りますもの」

「名を名乗れ」

「イザベラ・フィヨルド。王国の未来を憂う組織の一員……とでも言っておきましょうか」


 セレスティアの肩が震えた。


「あなたが……リュシアンと一緒に消えた女ですのね」

「ふふっ。私も貴女のことは存じてますわよ」


 イザベラはセレスティアを一瞥した。


「ずいぶんと便利な令嬢だったそうですね。資金、人脈、悪評の肩代わり。ここまで尽くしてもらっておきながら捨てるなんて、リュシアンもなかなかひどい男です」


「イザベラ、余計なことを言うな」


 リュシアンが不機嫌に言った。


 セレスティアは唇を噛む。だが、先ほどまでのように怒鳴らなかった。レオルドの背の後ろで、震える手を握りしめている。



「目的は何だ」


 レオルドが問う。

 イザベラは隠す気もないようだった。


「あなたを消しに来ました」

「俺を?」

「ええ。王子殿下のそばに、リュシアンと同じ顔をした騎士がいる。それは私たちにとって、とても邪魔です」


 イザベラはリュシアンの肩に手を置いた。


「けれど、考え方を変えれば好都合でもあります。あなたが消えれば、ここにいる本物を“レオルド・シュバルツァー”として王子殿下の近くへ戻せる」


 レオルドは目を細めた。


「入れ替わるつもりか」

「短い時間で十分です。夜会は混乱している。肩でも負傷したふりをして王子殿下に近づけば、誰もすぐには気づきません。暗殺には一瞬あれば足ります」


 セレスティアが小さく息を吸った。


「王子殿下を、暗殺するつもりですの……?」


 リュシアンは目を逸らした。

 その反応が、答えだった。



「リュシアン。まさか、あなたが王子殿下の暗殺未遂に関わっていたのですか」


「仕方なかったんだよ」


 リュシアンは吐き捨てるように言った。


「家は借金だらけだった。誰も助けてくれなかった。僕には道がなかったんだ。イザベラだけが、僕に逃げ道をくれた」


「逃げ道?」


 セレスティアの声が震えた。


「人を殺すことが、逃げ道ですの?」


「綺麗事を言うなよ。君だって、僕のためなら何でもするって言ったじゃないか。借金も、揉め事も、全部どうにかしてくれた。だったら最後まで助けてくれればよかったんだ」


「わたくしは、あなたに人殺しをしてほしくて尽くしたのではありません」


 その言葉に、リュシアンの顔が歪んだ。


「今さら被害者ぶるなよ。君は悪役令嬢なんだろ? みんなそう言っていた。だったら最後まで僕の悪役でいてくれよ」


 セレスティアの顔から血の気が引いた。



 だが、今度はうつむかなかった。


「いいえ」


 小さな声だった。

 それでも、はっきり聞こえた。


「もう、あなたのための悪役にはなりません」


 リュシアンが息を詰まらせる。

 イザベラの目が細くなった。


「困りましたね」


 彼女は静かに言った。


「その令嬢は、あなたを見分けられる。しかも、先ほどの話まで聞いてしまいました。入れ替わりの邪魔になります」


 リュシアンはイザベラを見た。


「まさか」

「黙らせなさい」


 イザベラの声は冷たかった。


「あなたが助かりたいのなら」


 リュシアンの手が震えた。


 一瞬だけ、迷いが見えた。

 だが、それはセレスティアを思っての迷いではない。自分の手を汚すことへのためらいだった。



 リュシアンは懐から短剣を抜いた。

 セレスティアが動けなくなる。


 レオルドはすでに踏み出していた。

 リュシアンの刃がセレスティアへ向かう。


 レオルドは彼女の前に入り、左肩で刃を受けた。

 布が裂け、熱い痛みが走る。

 それでも、レオルドは下がらなかった。


「レオルド様!」


 セレスティアの悲鳴が聞こえた。

 レオルドはリュシアンの手首を掴み、短剣を床へ叩き落とした。続けて足を払う。リュシアンの体が崩れ、床に押さえ込まれる。


「ぐっ、離せ! 僕は悪くない! こうするしかなかったんだ!」

「その言葉は、刃を向ける前に言うべきだったな」


 レオルドは低く言った。


「大事な人を盾にして逃げる男に、この顔は似合わない」


 リュシアンは暴れた。

 だが、騎士団長の腕から逃げられる力はなかった。



 セレスティアは、血を流しながら自分の前に立つレオルドを見ていた。


 リュシアンは、自分を悪役にした。

 レオルドは、自分を人として守った。


 同じ顔なのに、どうしてこんなにも違うのか。



 その時、廊下の奥から複数の足音が近づいてきた。


「そこまでだ」


 扉の向こうから、ローランド王子が入ってきた。

 近衛兵たちが続く。倒れていた二人の近衛も、別の兵に支えられて起き上がっていた。


 イザベラはすぐに逃げようとした。

 だが、廊下側にも兵がいた。

 退路はすでに塞がれている。


「……ずいぶん準備がよろしいのですね」


 イザベラが言った。

 ローランド王子は穏やかに微笑んだ。


「君たちが動いてくれるのを待っていたからね」

「待っていた?」


 レオルドは肩を押さえながら王子を見た。


「殿下。説明を求めます」

「もちろん。ここからは僕の番だ」


 ローランド王子は得意げな顔になった。



「実はレオルドの顔をキミの顔にしたのは、僕の仕業なんだ」

「な……」


 リュシアンの顔が青ざめた。


「襲撃の夜……暗闇の中だったし、レオルドは僕を庇うのに必死だっただろう。けれど、あのとき僕は見ていたんだ。ローブの奥に隠れていた、君の顔をね」


 王子はレオルドを見る。


「そのときの記憶を頼りに、他人の顔を映す魔術をレオルドに使わせてもらったんだ」


「俺には説明がありませんでしたが」


「説明すれば、君は断っただろう?」


「当然です」


「だから言わなかった」


 レオルドは深く息を吐いた。

 説教が必要だ。

 しかも長いものが必要だ。



 ローランド王子は、少しだけ申し訳なさそうにした。少しだけだった。


「イザベラ。君たちにとって、リュシアンと同じ顔で僕のそばにいるレオルドは邪魔だったはずだ。けれど同時に、利用もできる。レオルドを消し、本物のリュシアンを彼に成り代わらせれば、僕に近づけるからね」


 イザベラは黙っている。

 否定しない。


 王子は続けた。



「だから君たちは必ず接触してくると思っていた。セレスティア嬢の騒動でレオルドが休憩室へ移った時点で、近衛を集めさせた。少し危険な賭けだったけれど、間に合ってよかったよ」


「少しどころではありません」


 レオルドの声が低くなる。


「俺を囮にしたうえ、セレスティア嬢まで危険に晒しました」


「そこは謝る。だが、君なら彼女を守ると信じていた」


「信頼と無茶振りを混同しないでください」


 王子は目を逸らした。

 セレスティアは、そのやり取りを呆然と見ていた。



 やがて、リュシアンが叫んだ。


「違う! 僕は悪くない! イザベラに言われただけだ! 王子を殺せば、借金も家もどうにかなるって!」


 イザベラが冷たい目で彼を見た。


「最後まで見苦しい男ですね」

「君がやれって言ったんだろ! 君が!」

「痴話ゲンカの続きは、牢屋のなかでやってもらおうか」


 ローランド王子が静かに言った。


「リュシアン・ヴァルスナー。イザベラ・フィヨルド。王子暗殺未遂、ならびにその再実行計画、セレスティア・ローゼンクライツ嬢への殺害未遂。十分だ」


 近衛兵たちが二人を拘束する。

 リュシアンは最後まで喚いていた。

 イザベラは黙っていた。



 連れていかれる寸前、リュシアンはセレスティアを見た。


「セレスティア! 君ならわかるだろ? 僕は追い詰められていただけなんだ!」


 セレスティアは、もう彼に駆け寄らなかった。

 泣きもしなかった。

 ただ、まっすぐ見返した。


「わかりませんわ」


 声は震えていた。

 それでも、逃げなかった。


「わたくしが好きだった人は、もうどこにもいなかったのだと。それだけは、よくわかりました」


 リュシアンの顔が歪む。

 近衛兵に引かれ、彼は廊下の向こうへ消えていった。



 部屋にはしばらく沈黙が残った。

 王子暗殺未遂の真相は明らかになった。

 同時に、セレスティアがリュシアンに利用されていたことも公になる。


 もちろん、彼女が過去にしてきたことがすべて消えるわけではない。傷つけた相手もいる。やりすぎたこともある。


 だが、すべての罪を彼女一人に押しつけることは、もうできなかった。




 騒動のあと、レオルドは庭園で治療を受けていた。

 夜風が熱を持った肩に触れる。

 治癒術師の処置で出血は止まったが、しばらくは腕を動かしにくいらしい。


 レオルドが包帯を見下ろしていると、背後から足音がした。

 振り返ると、セレスティアが立っていた。


 先ほどまでの気丈な態度は少し薄れ、目元には疲れが残っている。


「……なぜ、庇いましたの」

「刃が向けられていたからだ」

「わたくしは、あなたをあの人と間違えて、散々失礼なことを言いましたわ」

「それでも、斬られていい理由にはならない」


 セレスティアは唇を噛んだ。


「あなたは、あの人ではありませんのね」

「最初からそう言っている」

「ええ。ですが、ようやく心の底から信じられました」


 レオルドは少しだけ肩の力を抜いた。


「なら、これで誤解は解けたな」

「いいえ」

「いいえ?」


 セレスティアは一歩近づいた。

 金色の髪が夜風でわずかに揺れる。



「誤解は解けましたけれど、責任は取っていただきます」

「俺が何の責任を?」

「わたくしに、同じ顔でも中身が違えばここまで胸が騒ぐのだと教えた責任ですわ」


 レオルドは固まった。

 戦場なら、敵の動きに反応できる。

 暗殺者の刃にも対応できる。


 だが、こういう言葉にはどう返せばいいのかわからない。



「……すまない。こういう場では、何を言えば正解なのかわからん」


「なら、これから覚えてくださいませ」


「任務か?」


「任務ではありませんわ」


 セレスティアは少しだけ笑った。

 その笑顔は、悪役令嬢と呼ばれた女のものではなかった。

 恋に傷つき、それでももう一度誰かを見ようとしている女性の顔だった。



 そこへ、軽い咳払いが聞こえた。


「二人とも、事件後の事情聴取があるんだけどね」


 ローランド王子が庭園の入り口に立っていた。


「まあ、治療も大事だろうし。少しくらいなら待とうか」

「殿下」


 レオルドは低い声で言った。


「俺を囮にした件についても、後ほど謝罪を求めます」


 ローランド王子はにこやかに目を逸らした。

 セレスティアが小さく吹き出す。


 それから彼女は、レオルドの肩の包帯を見た。


「では事件が起きた原因の一端であるわたくしも、謝罪をしなくてはね」

「いや、貴女にそんな必要は……」

「いいえ。責任を持って、彼の看病はわたくしがいたしますわ。……というのは、ちょっと無理やりかしら?」


 レオルドは返事に困った。

 社交辞令ではないとわかるから、なおさら困った。


 だが、断る理由もなかった。



「……なら、頼む」


 セレスティアの表情が明るくなる。


「ええ。お任せくださいませ。悪役令嬢と呼ばれた女の看病ですもの。逃がしませんわ」

「逃げる気はない」

「知っていますわ。あなたは、逃げない人ですもの」


 セレスティアは楽しそうに笑った。

 レオルドは困った顔をした。



 奇妙な縁、というより腹黒王子の策略で出逢った二人。

 だが、庭園を並んで歩く二人の距離は、最初に大広間で向かい合った時より、少しだけ近くなっていた。


拙作をお読みいただき、本当にありがとうございます。

皆さまからの応援が、日々筆を取る力になっています。

もしお気に召しましたら、★評価などいただけましたら嬉しく、今後の創作の励みになります。

これからも少しでも楽しんでいただける物語を紡いでいければと思っております。

心より感謝をこめて──今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
王子が1番の上手だった。リュシリアンが犯罪者として裁かれることで多少は悪評はましになるかもだけど、セレスは外国にお嫁入りした方が一からやり直し出来そう。
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