第四話(完結)
(四)
我が「ウルトラスーパーひたち1号」は、引き続き北上を続けている。
東京駅からの走行距離は、すでに300kmを超えた。
なお、先ほど停車した原ノ町駅から、またパンタグラフを上げて走行している。
10時40分、相馬駅に到着、そして発車した。
相馬駅では、車内に残っていた人の半分ほどが下車していった。
その結果、私が乗車している7号車は、通路に立つ人はいなくなり、座席も空きが目立つようになった。
あとはもう、終点の仙台まで停車しない。車内に残ったのは、皆、終点の仙台まで乗っていく人たちだ。
相馬駅から浜吉田駅までは、2017年に復旧した区間だ。その際、新地駅の手前から浜吉田駅の手前までの区間で、線路が内陸に移設された。
10時45分、古い軌道跡と分かれ、復旧の際に新しく建設された区間に入った。そして、同じくその際に移設された新地駅を通過した。
この区間が復旧してまだ間もないころ、私も乗りに来たことがあった。
移設され開業したばかりだった、新地駅、坂元駅、山下駅はいずれも新品のピッカピカで、駅前は整然と区画整理がされているのだが、むしろその真新しさが風景の中に浮いているような感じがした。
しかし、それから年月を経て、少しは沿線の風景と、利用者の日常の中に溶け込むようになったであろうか。
鉄道というものは、利用者とともに歩み、そして利用者が育てていくものだ。言うまでもないが、その利用者とは、私のような通りすがりの人よりもむしろ、毎日のように、ごく当たり前に、そして生活の一部として、駅や列車を利用する人たちのことだ。
10時53分、2017年に線路が移設された区間を走り切り、常磐線のもとからの軌道に合流した。そして、浜吉田駅を通過した。
なお、新地駅と坂元駅の間で宮城県に入っている。この川を渡ったら、というような分かりやすい境界ではない。よって、いつの間にかといった感じだ。
車内販売のワゴンがやってきた。この7号車にまわってきてくれたのは、東京駅を出発して以来初めてだ。ずっと混雑していたので、指定席の車両しかまわることができなかったのだろう。
ワゴンを押すお姉さんの胸元に、
『祝 常磐線全線復旧』
と記されたワッペンが貼られている。
そういえば、東京駅を出発した直後の車内放送で、記念グッズや記念弁当を販売していると言っていた。
ワゴンのお姉さんを呼びとめる。
「すみません、全部売り切れちゃったんです」
ワゴンのお姉さんが、申し訳なさそうに言う。記念グッズも記念弁当も、あいにく全部売り切れとのこと。
そりゃそうだ。そんなもん、東京駅を出発してすぐに売り切れたに決まっているじゃないか。使わなくてもよいお金を使わなくて済んだ、と思うことにしよう。
進行方向左側に、4時間前に日暮里駅で別れた東北本線の線路が合流してきた。
そして、11時5分、岩沼駅を通過。
常磐線はこの岩沼駅までで、ここからは東北本線に乗り入れていく。
これで、日暮里駅から岩沼駅まで、常磐線の全区間を走り通した。
沿線の街並みが、都会らしくなっていく。
進行方向左側に、東北新幹線の立派な高架線が現れた。
『長らくのご乗車お疲れ様でした。まもなく、終点の仙台に到着します。お乗り換えのご案内をいたします。・・・』
速度を落とし、ポイントを通過するたびに線路が分岐していく。
そして、11時19分、我が「ウルトラスーパーひたち1号」は、終点の仙台駅に到着した。
□□□
午後8時、私は今、阿字ヶ浦の海に来ている。
「ウルトラスーパーひたち1号」で仙台駅に到着した後、すぐさま11時21分発の、いわき行きの特急「そうま4号」で引き返し、ちょうど2時間でいわき駅に到着した。
さらに、13時23分発の仙台行き「そうま5号」に飛び乗り二度目の仙台へ、そしてその仙台に到着すると、わずか3分後の東京行き「ウルトラスーパーひたち58号」に乗車した。つまり、特急列車が復活したばかりの、いわき-仙台 間を2往復した。
ちなみに、特急「そうま」はいわき-仙台 間の特急列車で、「ウルトラスーパーひたち」と同じく今日から運行が開始された。「ウルトラスーパーひたち」を補完する役割を担う列車だ。車両は「ウルトラスーパーひたち」と同じだが、8号車から11号車の4両のみ、いわゆる付属編成が使用されている。
二度目の仙台駅から東京行きの「ウルトラスーパーひたち58号」に乗車した時は、もうこれで帰ろうと思っていた。
東京駅では徹夜で並んだし、その車内ではさすがに爆睡してしまった。
しかし、ふと目が覚めるとちょうど勝田駅に到着するところで、衝動的に下車し、ひたちなか海浜鉄道・湊線に乗り換えてしまった。
その時点で、すでに日は暮れていた。
勝田駅では、湊線の一日乗車券を購入した。さすがにこんな時間に一日乗車券を購入する人は、あまりいないのではないだろうか。だが、駅員さんは何も言わず、いつものように一日乗車券に今日の日付のスタンプを押してくれた。
勝田駅から乗車したのはたった一両のディーゼルカーで、乗客は皆、これから帰宅する地元の人たちのようであった。本を読む人、イヤホンをして音楽を聴く人、そして、友達と談笑する高校生たち・・・。きっと、この人たちにも、それぞれの今日という一日があったのだろう。
いったん那珂湊駅で下車し、窓口で阿字ヶ浦駅の駅名標をデザインしたキーホルダーを購入した。以前購入したものは、いつも使っているリュックサックに付けていたのだが、いつの間にか無くなってしまっていた。私は、購入したばかりのキーホルダーを、また背負っているリュックサックに取り付けた。
そして、次の列車で終点の阿字ヶ浦駅まで乗車し、またこの浜辺へとやって来てしまった。
少しばかり街の灯りはあるものの、真っ暗な浜辺に一人で佇むのは少々怖い。暗闇の中に、波の音だけが聞こえる。
今日という日を生きたことで、私の残りの人生は確実に一日減った。
しかし、常磐線と「ウルトラスーパーひたち」のおかげで、私はまた新たな宝に触れることができた。
人生は宝探しだ。人は誰でも宝を探す権利を持っている。だが、宝を探すには、一つだけ必要なものがある。それは、自分にとっての宝が何であるかを知るということだ。
私は、人生をかけて宝を探し続けることができた。そして、数えきれないほどの宝を見つけることができた。それは、鉄道との出会いがあったからこそであった。
今はただ感謝しかない。
そんな感傷に浸っていると、ふと腹が減っていることに気がついた。
そりゃそうだ、今日は朝から何も食べていないじゃないか。夢中で列車に乗っていたので忘れていた。
何か食べて帰ろうか。
幸いなことに、浜辺から道路を挟んだ向かい側の、見覚えのある食堂に灯りがついている。
次の湊線の列車まで30分ほどある。その列車に乗車すれば、勝田駅で東京行きの「ウルトラスーパーひたち72号」に乗り換えることができる。この「ウルトラスーパーひたち72号」が、東京行き「ウルトラスーパーひたち」の最終列車だ。
海鮮丼ぐらい、30分あれば十分だろう。
道路を渡り、食堂の扉を開いた。
するとあろうことか、店の中はどの席も客で埋まっていた。見覚えのある女性が、忙しく料理を運んでいる。
この客たちは近所の人たちなのか、それとも親戚の集まりか、はたまた団体客なのか、私には分からないが、皆、楽しそうだ。
「お客さん、すみません。ちょっと待っていただきますけど、いいですか?」
料理を運んでいた女性が私に気づき、申し訳なさそうに言う。酒も入り宴会モードになっている客たちが、そう簡単に重い腰をあげるわけがない。
どうやら、海鮮丼と「ウルトラスーパーひたち」の両立はできないようだ。どちらかを諦めなくてはならないが、答えは簡単だ。
私は、列車の時間があることを女性に告げ、店を後にした。そして、阿字ヶ浦駅へ向かう坂道を上り始めた。
海鮮丼にはありつけなかった。だが、何の悔いもない。むしろ清々しい気分だ。ありがたいことじゃないか。こんな幸せなことはない。「ウルトラスーパーひたち」に乗って、またやってくればよいのだから。
勝田駅から乗車した「ウルトラスーパーひたち72号」の車中、私は、また爆睡してしまった。
「ウルトラスーパーひたち」が奏でる音色とそれに合わせて刻まれるリズムは、私にとってとても心地よいものだった。
そして、23時11分、終点の東京駅に到着した。
今朝の6時53分に「ウルトラスーパーひたち1号」でこの東京駅を出発してから、16時間18分の旅であった。
- 完 -
特急「ウルトラスーパーひたち1号」時刻表
東京 6:53
上野(着) 6:58
上野(発) 7:00
日暮里 レ
三河島 レ
南千住 レ
北千住 レ
松戸 レ
柏 レ
我孫子 レ
天王台 レ
取手 レ
藤代 レ
佐貫 レ
牛久 レ
ひたち野うしく レ
荒川沖 レ
土浦(着) 7:41
土浦(発) 7:42
神立 レ
高浜 レ
石岡 レ
羽鳥 レ
岩間 レ
友部(着) 8:01
友部(発) 8:02
内原 レ
赤塚 レ
(臨)偕楽園 レ
水戸(着) 8:12
水戸(発) 8:13
勝田(着) 8:17
勝田(発) 8:18
佐和 レ
東海 レ
大甕 レ
常陸多賀 レ
日立(着) 8:33
日立(発) 8:34
小木津 レ
十王 レ
高萩 8:44
南中郷 レ
磯原 レ
大津港 レ
勿来 8:58
植田 レ
泉 9:06
湯本 9:11
内郷 レ
いわき(着) 9:18
いわき(発) 9:21
草野 レ
四ツ倉 レ
久ノ浜 レ
末続 レ
広野 9:38
木戸 レ
竜田 レ
富岡 9:50(4月1日から停車)
夜ノ森 レ
大野 9:58(4月1日から停車)
双葉 レ
浪江 10:07(4月1日から停車)
桃内 レ
小高 レ
磐城太田 レ
原ノ町(着) 10:23
原ノ町(発) 10:24
鹿島 レ
日立木 レ
相馬 10:40
駒ケ峰 レ
新地 レ
坂元 レ
山下 レ
浜吉田 レ
亘理 レ
逢隈 レ
岩沼 レ
館腰 レ
名取 レ
南仙台 レ
太子堂 レ
長町 レ
仙台 11:19
※竜田-小高 間 20XX年3月○○日復旧(*)
小高-原ノ町 間 2016年春復旧(*)
相馬-浜吉田 間 2017年春復旧(*)
(*) あくまでこの物語の(2014年9月時点の)想定であり、確定事項ではありません。
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この物語はフィクションです。
以下、補足です。
① 「ウルトラスーパーひたち」と「そうま」は、私の創作です。
② 常磐線の相馬-浜吉田 間は2017年春に復旧すると言われていますが、確定事項ではありません。ただし、新地駅の手前から浜吉田駅の手前までの区間で線路を内陸に移設し、それに合わせて、途中の新地駅、坂元駅、山下駅も移設される件は事実に基づいており、現在、その建設が進められています。
③ 阿字ヶ浦の食堂は、実在する特定の店舗をさしているわけではありません。私の創作とお考えください。
あとがき
この物語は、鉄道への感謝と、私なりの恩返しの思いを込めて書きました。
そもそも、震災に関する話を私が語れるわけがありません。
私は、私の家族を含め、特に被害は受けませんでした。住む家が無くなることもありませんでした。普通に電車に乗り、普通に生活をしています。むろん、それはありがたいことです。
しかし、そうであるからこそ、私のような人が、震災のことを語るなんてできるわけがありません。
この物語の中に、「震災」をはじめ、それを象徴する単語が出てこないのは、私のそういう思いによるものです。
ですが、私は鉄道ファンです。何の力も持っていないただの鉄道ファンでしかありませんが、そんな私のような人だからこそ、そういう人の視点でこそ語ることができる未来というものもあるのではないか、と思うのです。
そういう私なりの思いを、読んでいただいた方に、少しでもご理解いただくことができたなら、私にとってこんな幸せなことはありません。
最後の最後に、(※2014年9月時点です)仮の終着駅になってしまっている竜田駅の現在の様子と、建設が進む坂元駅の様子をに掲載して、この物語を終わりたいと思います。
※以下はすべて2014年9月時点です。
~竜田駅と移設先で建設が進む坂元駅の現在の様子~
●1.仮の終着駅になっている竜田駅の現在の様子
現在、東京側から 常磐線 に乗っていくと、いわき駅 から7つ先の 竜田駅 までしか行くことはできません。
竜田-原ノ町 間 の復旧は、現時点では未定です。
以下の写真は、すべて(2014年)9月2日(火)に撮影したものです。
↑竜田駅と、竜田駅に到着した普通列車
↑竜田駅のホームから、原ノ町方面をのぞむ
レールが錆びているのがお分かりいただけるでしょうか。
↑竜田駅 駅舎
現在、この辺りの地域は、立ちいることは認められていますが、宿泊を含む活動は認められていません。
↑井出陸前浜街道踏切から原ノ町方面をのぞむ
竜田駅 の北側にある踏切から、原ノ町方面を写したものです。
少し先に行ったところから、線路が雑草に埋もれているのがお分かりいただけるかと思います。
↑竜田駅前にあった看板
竜田駅 のすぐ近くに、こんな看板がありました。
レジャー施設の看板ですが、イベントの案内が記されています。
その期間は、2011.3.19 ~ 4.5 とあります。
●2.移設先での建設が進む、坂元駅の現在の様子
(2014年9月時点)現在、常磐線 は 相馬-浜吉田 間 でも不通になっていますが、この区間は 2017年春 の復旧を予定しています。
その際、新地駅 の手前から、浜吉田駅 の手前までの区間は、線路が内陸に移設されることになっており、それに合わせて、新地駅、坂元駅、山下駅 も移設されることになっています。
以下は、移設先で建設が進む、坂元駅とその周辺の現在の様子です。
写真は、すべて(2014年)9月14日(日)に撮影したものです。
↑坂元駅 建設現場の看板
坂元駅 が移設されるのは、相馬-亘理 間 で運行されている 列車代行バス の 坂元駅(バス停) のすぐ近くです。
↑坂元駅 建設現場
坂元駅 はこの辺りに作られます。
重機が入ってはいますが、まだ駅の形にはなっていません。
↑坂元駅 建設現場にあるイメージ図
この図の上の方に、高架の 常磐線 と 坂元駅 が描かれています。
駅の周辺は区画整理が行われ、住宅も作られることが分かります。
↑坂元駅 建設現場の周辺
区画整理が行われ住宅が作られるあたりの、(2014年9月)現在の様子です。
↑坂元駅 建設現場の周辺
坂元駅 の周辺は 高架線 になります。
高架そのものはまだ形になっていませんが、足場のようなものが組まれているのが分かります。
繰り返しになりますが、2017年春に開通し列車が走る予定です。
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以上で、この 「ウルトラスーパーひたち」 という物語を終わります。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。




