第40話 落ちこぼれ聖女候補
初めての野外実習を終えたその夜。
ユティナは寮の自室で、ひとり天井を見つめながら考えを巡らせていた。
「うー……何か、色々ありすぎて疲れたぁ……」
ぽふり、とベッドに倒れ込み、両腕を広げる。
高揚と緊張が抜けきらない身体が、ようやく重力を思い出したかのようだった。
「ユニコーン、かぁ……」
ぽつりと呟き、視線を宙に彷徨わせる。
「全然、実感ないんだけど……本当に契約なんて、したのかな……」
そう言いながら、無意識のうちに両手で下腹部を覆うように触れる。
そこには、確かに刻まれた“聖印”があるはずなのに――。
(なんだろう……)
胸の奥が、わずかにざわつく。
(このまま……今までみたいな平穏な日々が、少しずつ崩れていく気がする……)
理由の分からない不安。
それは確信には程遠い、けれど確かに存在する予感だった。
ユティナの脳裏に、野外実習の後――保健室での出来事が、鮮明に蘇る。
―――
「ハーリットさんの力は、どんな手を使っても――隠し通さねばならないのです」
ブレア先生の静かな言葉は、しかし鋭く、その場にいた全員の胸に重くのしかかった。
一瞬の沈黙ののち、アニヤ先生が戸惑いを隠せない様子で口を開く。
「……事の深刻さは理解しました。でも……これは、私たち教師の手に負える範疇を、明らかに超えているのではありませんか?」
カトリット先生は視線を伏せ、言葉を選ぶように口を開く。
「この件については学園長、そして――教皇様にも、正式に報告するつもりです」
その言葉に、アニヤ先生が思わず息を呑む。
「だ、大丈夫なのですか……? その……確かに、私たちだけで抱えるには荷が重すぎる案件ですが……教会側に伝えるとなると……」
言葉の端々に、拭いきれない不安が滲んでいた。
「アニヤ先生のお気持ちは、もっともです」
カトリット先生は頷きながら応じる。
「教会もまた、聖女を必要とする組織の一つですからね。ですが……今の教皇様であれば、問題はないと判断しています」
それに同意するように、ブレア先生が静かに補足する。
「そうですね。前教皇様とは違い、現教皇様は常に中立を貫かれるお方です。個人や組織の利ではなく、世界全体の均衡を第一に考えておられ……とても信頼のおける人物です」
その言葉を聞き、アニヤ先生はしばし視線を落とし、やがて小さく息を吐いた。
「……ブレア先生が、そこまで断言なさるのであれば……私から申し上げることはありません。それに、学園長への報告も……確かに、私も必要と思います。」
納得の色を浮かべながらも、アニヤ先生はなお不安を拭えない様子で問いかけた。
「……それで、そのお二人については、どうなさるおつもりですか?」
その視線の先にいたのは、アルマとマリアベルだった。
「シェルフィードさんも、ランカスターさんも――まだ学生です。この件に巻き込むことは、教師として……どうしても認められません……」
その言葉は重く、しかし同時に、この場に集った全員が心の奥底で抱えていた懸念を、はっきりと言葉にしたものでもあった
――学生という立場。
未熟さと、可能性を同時に抱えた存在。
そこに突きつけられた“ユニコーンとの契約”という現実は、あまりにも重い。
誰もが答えを持たないまま、重苦しい沈黙が保健室を包み込んでいた。
それに答えたのは、カトリット先生だった。
「……その点については、私も重々承知しています」
静かだが、逃げのない声音。
その一言には、教師としての責任と覚悟がはっきりと滲んでいた。
カトリット先生はゆっくりと視線をアルマとマリアベルに巡らせる。
「シェルフィードさん、ランカスターさん……今回の件では、結果的にお二人を巻き込む形になってしまいました。本来であれば、ここまで知る必要はなかったはずです」
一拍置き、深く頭を下げる。
「ですから――この件には、これ以上関わらないでください。そして、この話は他言無用でお願いします」
その言葉が落ちた瞬間。
アルマが一歩、前へ踏み出した。
「カトリット先生」
その声に迷いはなかった。
「ユティは、私にとって大切な友達です。もし私たちに出来ることがあるなら……どうか、協力させてください」
真っ直ぐな眼差し。
逃げず、背を向ける気もないと、その態度が語っていた。
続いて、マリアベルも一歩前に出る。
胸にそっと手を当て、気品を失わぬまま、しかし強い意志を込めて口を開いた。
「私からも、お願いいたしますわ。成り行きとはいえ、この事に関わってしまった以上……何も知らなかったふりなど、できませんもの」
覚悟を決めた者の声だった。
その言葉に、カトリット先生は思わず目を見開く。
予想していなかったわけではない。
だが――ここまで迷いのない返答が返ってくるとは、思っていなかったのだ。
「……しかし、それはあまりにも危険です。いくら何でも、学生である貴女たちを関わらせるわけにはいきません……」
「そうです!」
アニヤ先生が思わず声を強める。
「貴女たちはまだ学生の身。こんな危険な事態に巻き込むなど、教師として到底認められません!」
その必死さは、間違いなく彼女たちを案じてのものだった。
しかし――。
「それでも、私はユティを守りたいんです」
アルマは震えを押し殺した声で言い切った。
「大切な友達だから……。放っておけません。どうか、私にも協力させてください」
そう言って、深々と頭を下げる。
マリアベルもまた真剣に、そして強い意志を込めて告げる。
「私からも、お願いいたしますわ。ユティナさんは大切なクラスメートですもの。このまま見て見ぬふりをしてしまえば……それはランカスター家の名に恥を刻むことになります」
そして、彼女もまた深く頭を下げた。
「どうか……協力させてくださいませ」
「……」
その光景に、カトリット先生はしばし言葉を失った。
「……お二人のお気持ち、確かに受け取りました。本当に……感謝します」
静かに、しかしはっきりとそう告げる。
「カトリット先生!?」
アニヤ先生が驚愕の声を上げる。
「いったい、何をおっしゃっているんですか!?」
「責任は――私が持ちます」
迷いのない一言だった。
「ですが……!」
「アニヤ先生、お願いします!」
「お願いいたしますわ!」
アルマとマリアベルが同時に声を上げる。
「あなたたち……!」
そのとき、ブレア先生がそっとアルマの肩に手を置いた。
「この子たちは、ただ――友達の力になりたいだけなのです」
穏やかな声で続ける。
「その真剣な想いを、少しだけでも理解してあげてはいただけませんか?」
「ブレア先生……」
アニヤ先生はしばらく目を伏せ、考え込む。
やがて、大きく息を吐いた。
「……はぁ。分かりました」
そして、観念したように告げる。
「彼女たちにも――協力してもらいましょう」
その瞬間、アルマとマリアベルは顔を見合わせ、ぱっと表情を明るくする。
「ありがとうございます、アニヤ先生!」
「ありがとうございますわ!」
「私からも、感謝いたします」
カトリット先生は軽く頭を下げた。
「良かったですね、二人とも」
ブレア先生は、安堵と優しさを滲ませた微笑みを向けるのだった。
ユティナは、その一連のやり取りを、ただ呆然と見つめているしかなかった。
(なんだか……私抜きで話がどんどん大事になっていってる気がするんだけど……)
戸惑いと居心地の悪さが胸に広がる。
状況を理解する間もなく、事態だけが先へ先へと進んでいく。
その時だった。
「さて――ハーリットさん」
カトリット先生の声に、空気が一段引き締まる。
先ほどまで柔らかかった表情は消え、真剣そのものの眼差しが、まっすぐユティナを捉えていた。
「は、はいっ!」
反射的に背筋を伸ばし、声が裏返りそうになる。
「もう分かっているとは思いますが、この件については――他言無用です。くれぐれも、細心の注意を払ってください」
一拍置き、言葉を選ぶように続ける。
「特に……ユニコーンの力を使うことは、固く禁じます」
その声音には、忠告以上の重みがあった。
それがどれほど重大な意味を持つのか――ユティナにも、嫌というほど伝わってくる。
「は……はい……分かりました。で、でも……ユニコーンの力って言われても、正直どうやって使うのかも分からなくて……」
困惑気味にそう答えるユティナに、カトリット先生は小さく息を吐き、顎に手を添えて思案する。
「……そうですね。何かの拍子に、静密の森の時のように力が暴走してしまうのも困ります……」
その沈黙を破ったのは、ブレア先生だった。
「それでしたら、私に任せてください」
穏やかながらも芯のある声で、はっきりと言い切る。
「私が直接、ハーリットさんに聖力や聖魔法の扱い方、そして制御方法を指導しましょう」
「……そうですね。その件に関しては、聖女であるブレア先生が最適任でしょう。どうかよろしくお願いします」
カトリット先生は一礼すると、ふと思い出したように視線を隣へ移す。
「それと、アニヤ先生……お願いしたいことがあります」
「……何でしょうか?」
「シェルフィードさんと、ランカスターさんを指導していただきたいのです」
「お、お二人を……ですか?」
アニヤ先生が戸惑いを隠せずに問い返す。
「はい。シェルフィードさん、ランカスターさん」
呼ばれた二人へ、カトリット先生の視線が向けられる。
「お二人に、ハーリットさんの護衛をお願いできませんか?」
「カ、カトリット先生!? 一体何を……!?」
アニヤ先生が思わず声を上げる。その驚きは、アルマとマリアベルも同じだった。
「えっ!? わ、私たちがですか!?」
「そ、それは……!」
「こうなった以上、ハーリットさんに護衛を付けるのは当然です。しかし、あからさまな護衛は逆に目立つ。周囲に悟られずに守るのであれば――同じ学生である彼女たちが最適任でしょう」
「し、しかし……そんな危険な役目……」
反論しかけたアニヤ先生の言葉を、二つの声が同時に遮った。
「やらせてください!」
「問題ありませんわ!」
即答だった。
その迷いのない言葉に、アニヤ先生は目を見開き、二人を見つめる。
――覚悟を決めたその表情に、場の空気が静かに張り詰めていった。
「二人とも、ありがとうございます」
カトリット先生は静かに頷き、落ち着いた声で続けた。
「幸いにも、彼女達はすでに契約者です。基礎能力、判断力ともに同年代の中では群を抜いている。正直に言って、実戦経験さえ積めば――下手な護衛を付けるより、よほど信頼できる存在になるでしょう」
「……」
「そしてアニヤ先生。貴女は元Aランク冒険者。実戦経験も豊富で、護衛任務も何度か請け負った事がおありのはずです。その経験を活かし、彼女達に“護衛としての立ち回り”を教えて頂きたいのです」
「護衛としての……ノウハウを、ですか」
「ええ。実戦を積ませるなら、これ以上の適任はいません」
「た、確かに……理屈としては、そうですが……」
なおも迷うアニヤ先生に、アルマとマリアベルは一歩前へ出て、揃って頭を下げた。
「よろしくお願いします、アニヤ先生!」
「どうか、ご指導をお願いいたしますわ!」
その真剣な眼差しに、アニヤ先生は小さく息を吐く。
「……はぁ。分かりました。そこまで言うのなら、引き受けましょう」
二人の表情がぱっと明るくなる。
「ただし――」
ぴしり、と指を一本立て、視線が一気にユティナへ向く。
「貴女も、です。ハーリットさん」
「えっ⁉︎」
突然名を呼ばれ、ユティナは思わず背筋を伸ばす。
「わ、私もですか!?」
「当然でしょう。最後に自分の身を守れるのは、自分だけです」
アニヤ先生は容赦なく言い切った。
「ブレア先生からの聖力・聖魔法の特別指導に加えて、私の実戦訓練も受けてもらいます。逃げ道はありませんからね?」
「そ、そんな……!」
ユティナの肩が、がくりと落ちる。
(え……ちょっと待って……? 聖女様によるマンツーマンの特別レッスンに、元Aランク冒険者直伝の実戦訓練……? ……いやいや、どう考えても“ハードコース”一直線じゃない?)
(あれ……? 私の平和で穏やかな学園生活、今、音を立てて崩壊してない……? 将来はのんびり隠居して、畑でも耕しながらスローライフ送る予定だったよね!? それ、どこ行った!?)
(なんでこうなったの!? 前世のブラックな生活と、全然変わってなくない!? いや、むしろ悪化してない!? 労働環境は変わったのに、追い込まれ具合は据え置きどころか強化されてない!?)
(私の目標だったはずのスローライフが……今、地平線の彼方へと全力疾走で逃げていくんですけどぉぉぉぉ――!?)
あまりのショックに、ユティナは心の中で膝から崩れ落ちたのだった。
「これで――大体の方針は決まりましたね」
そう切り出したカトリット先生は、穏やかながらも覚悟を滲ませた表情で続ける。
「ハーリットさんには申し訳ありませんが、幸いにも本日の聖霊の儀では“ハーリットさんに聖霊獣は降りてきていない”という扱いになっています」
「……あの、それって……」
不安げに声を上げたユティナに、先生は静かに頷いた。
「はい。すでにユニコーンと契約している以上、今後いかなる聖霊の儀においても、ハーリットさんのもとに別の聖霊獣が降りることはありません」
「じゃあ……周りから見たら……」
「ええ。いつまで経っても聖霊獣と契約できない生徒、ということになります」
一瞬の沈黙。
「……つまり?」
「周囲に余計な疑念を抱かせないためにも、ハーリットさんには――このまま“落ちこぼれの生徒”として振る舞ってもらいます」
「……はい?」
(先生、それ生徒に言っちゃダメなやつじゃないですかぁぁぁ!?)
ユティナの心の叫びをよそに、カトリット先生は落ち着いた口調で続ける。
「安心してください。その立場によって生じる不利益や不当な扱いからは、我々この場にいる教師陣が必ず守ります」
そして視線をアルマとマリアベルへ向けた。
「それは、あなた方も同じですね?」
「はい! ユティ、心配しないで! 私たちが絶対に守るから!」
「仕方ありませんわね。責任を持って守ってあげますわ」
二人の迷いのない返事に、教師たちは小さく頷き合う。
「では、ハーリットさん。このまま――落ちこぼれでお願いしますね」
カトリット先生のその一言が、やけに無情に響いた。
(落ちこぼれから脱却しようとしてる生徒に、落ちこぼれでいろって何それぇぇぇぇ!? 新手の嫌がらせですかぁぁぁぁぁ!! 転生してから、状況が良くなるどころか悪化してる気しかしないんですけどぉぉぉぉ!!)
ユティナの悲鳴は、声にならないまま胸の奥で木霊した。
――そして現在。
自室のベッドに仰向けになり、天井を見つめながら小さく呟く。
「……本当に私、隠居生活できるのかなぁ……」
その声は、静かな部屋にむなしく溶けていった。
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