第29話 白い馬
静密の森の奥へ、ユティナは軽やかに足を踏み入れていた。
頭上の木々は陽光をほとんど通さず、薄暗いはずなのに――なぜか空気は澄んでいる。
「うわぁ…やっぱりこの森、変わってる…。瘴気は確かに漂ってるのに、それを押し返すくらい空気が綺麗…。なんだろ、この透明感?」
森の鼓動を確かめるように、彼女はゆっくりと周囲へ視線を巡らせた。
ふっと何かを思い出したように立ち止まり、両の手を胸の前で軽く握る。
「そうだ、準備しとこ。んー……よし!」
目を閉じ、呼吸を整える。魔力の流れがぐっと集中し、全身へと駆け巡る。
「身体強化魔法――エンハンス!」
淡い光がユティナの輪郭をふわりと包み込み、風が一瞬だけ逆巻く。
光が消えると、彼女の身体は明らかに軽く、しなやかに研ぎ澄まされていた。
「……よし、こんなもんかな」
腕を軽く振り、足を踏み込んで感覚を確かめながら呟く。
「制御も上手くいってる……。これなら、加速魔法や他の魔法との同時発動も問題なくいけるかな? それに、魔力量も上がってるから、今までより長く使えそうだし」
ユティナの夜の特訓は密かに続いている。
そして、アニヤ先生との打ち込み訓練での失敗を通して、訓練の内容も増やしていた。
魔力を限界まで消費し、魔力量そのもの増やす鍛錬に加え、繊細さを要求される魔力制御の反復。
かつて魔王として使っていた魔法の再現。
魔族だった頃に身体へ叩き込んだ剣術と体術の基礎。
一つ一つは地味で、終わりの見えない積み重ねだったが——
今、その全てが確かな「成果」として形になりつつある。
(……ちゃんと、身についてる)
ユティナは小さく、しかし確信を込めて頷いた。
木々の茂みが、低く唸るように揺れた。
(何がいる…!)
次の瞬間、濃い緑色の毛並みを持つ二体のオオカミ型の魔物が音もなく姿を現す。
鋭い牙を覗かせ、獲物を測るようにユティナを睨みつけてくる。
「フォレストウルフ……」
ユティナは一歩踏み込み、軽く腰を落とす。
強化魔法が全身にみなぎり、肌の内側から力が湧き上がる。
「この程度の魔物ならっ――!」
森の静寂が、緊張でピンと張り詰めた。
フォレストウルフたちは、低い唸り声を上げながら一気に距離を詰めてきた。
二匹同時、左右から挟み込むような見事な連携――本来なら避けるだけでも難しい攻撃だ。
だが、ユティナは微動だにしない。
鞘に納めたままの剣を静かに構え、その瞳だけが鋭く敵の動きを捉えていた。
(今――!)
「はっ!」
空気が裂けた。
ユティナの剣が一瞬だけ消えたようにすら見える。
鞘から抜かれた剣が、風を切り裂き、弧を描いて放たれる。
次の瞬間。
二匹のフォレストウルフは同時に悲鳴を上げる間もなく霧散し、淡い光の粒子となって消えていった。
残されたのは、地面にコトンと転がった魔石のみ。
「ふぅ…よし、こんなもんでしょ。……ていうか、この程度の魔物相手に、強化魔法まで使うのって逆にやりすぎだったり……? いや、でも怪我するよりはマシか……」
軽く息を吐き、ユティナは魔石を拾い上げる。
「魔石売って隠居資金にしたかったけど…アルマに釘刺されちゃったんだよねぇ…」
苦笑しながら、親友の顔を思い浮かべる。
アルマ。
いつも隣で支えてくれる、大切な友達。
落ちこぼれと言われていた自分を、周りの目なんて気にせずまっすぐ見てくれた人。
心配ばかりかけて、迷惑もたくさんかけているのに――
それでも、ずっと側にいてくれる。
いつも気にかけてくれて、どこまでも自分のことを想ってくれる。
そんな、かけがえのない存在だった。
(まったく…ほんと、いい友達を持ったわね、ユティナ・ハーリット)
胸の奥がほんのり温かくなる。
「よし、目的の花探し再開っと。アルマはもう見つけたのかなぁ?」
軽く背伸びをし、ユティナは再び静密の森の奥へ歩みを進めた。
澄んだ空気を帯びた風が、まるで道案内をするように彼女の髪を優しく揺らしていく。
しばらく森の奥を進んでいると、木々の途切れた先に光が広がった。
ユティナは足を止め、思わず息を呑む。
そこには――深い森の静寂に抱かれるようにして、ひっそりと佇む泉があった。
水面は風一つなく澄み渡り、まるで磨き上げられた鏡のように周囲の景色を映し出している。
木々の隙間から零れ落ちる木漏れ日が、きらきらと水面に踊り、星屑が揺れているかのように瞬いていた。
耳に届くのは、葉擦れの音と、どこか遠くで囀る小鳥の声だけ。
「すご…この場所.…」
その美しさに心を奪われながら泉へ歩み寄ったユティナは、ふと視界の端で何かが動いた気がして目を凝らす。
「……あれ、馬?」
近づいてみると――確かにそこには馬がいた。
しかしユティナはすぐに違和感に気づく。
泉の側、一面に咲き誇る白い花々。
その中心。
光を受けて淡く輝くような白い体。
そして、流れるように美しい“青いタテガミ”。
「えっ……白い馬…? でも、頭にツノが……」
よく見れば、馬の額には白い一本角が存在していた。
ただの馬ではない。
この森の雰囲気と調和するように、神秘的な気配までまとっている。
「……こういう種類の馬もいるんだぁ……すっごいキレイ…」
その時、白い馬がゆっくりとユティナへ顔を向けた。
澄んだ泉の色を映したような瞳で、まっすぐに。
「え、あ……その……」
馬は静かに前脚を折り、花畑へ身を沈めるように座り込んだ。
白い花々が、まるで彼を迎えるために敷かれた絨毯のように揺れる。
――そして馬は、動かない。
ただ、ユティナを待っている。
「……呼んでる、の……?」
一歩踏み出しかけた彼女は、ふとその足元の花々に目を奪われた。
(え……これ、全部……聖晶花……?)
それは、今回の実習の目的である花だった。
本来は“蕾の状態”を採取するはずだった聖晶花が、ここでは一斉に咲き誇り、淡い光をまとうように風に揺れている。
(ぜ、全部咲いてる……? でも、採るのは蕾だったよね? ここ、蕾の花が一輪も……無い……)
戸惑いと焦りが胸をよぎったその瞬間。
「ヒヒィンッ!」
白い馬が短く高くいなないた。
その声は、まるで――“迷ってないでおいで”と言っているかのように優しい。
「えっ……あ、ご、ごめん……! じゃ、じゃあ……行くから……ね……?」
ユティナは心臓をどきどきさせながら、白い馬へそろそろと歩み寄った。
ユティナはゆっくりと近寄り、ついに目の前へ。
その美しい毛並みにそっと手を伸ばすと――
「……すご……柔らか……」
白い馬は嬉しそうに目を細めた。
拒むでもなく、威嚇するでもなく。
むしろ温かく受け入れるように。
「ふふ……なんか落ち着くね。えっと、君は……あ、喋れないよね、はは……」
ユティナはその場にちょこんと腰を下ろし、そっと身を預ける。
「ふふ、こうしているとすごく落ち着くー」
そして、白い馬も微動だにせず、ユティナを包み込むように寄り添った。
そして――
(あれ……?なんか……急に……眠……)
まぶたが重く落ちていき、ユティナの意識はふわりと沈んでいく。
白い馬は逃げることなく、寄り添ったまま眠り込む少女を静かに見守り続けていた。
その瞳はどこまでも優しく、まるで彼女を守ることが使命であるかのように。
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