第27話 野外実習
学園の裏手に広がるのは、学園が代々管理してきた静密の森。
木々の隙間から降りそそぐ光は金粉のようにきらめき、微かに鳥の囀りが響くたび、空気そのものが震えているように感じられる。
見た目はごく普通の森と変わらない。
それなのに、足を踏み入れる前から“何か”に守られているような、ほのかな神聖さが漂っていた。
その森の入口に、ユティナたち――中等部一年二組の生徒たちが集まっていた。
腰には剣、弓、槍など、それぞれが選択科目で習得している武器を携えている。
これから始まるのは、初めての野外実習。
そして、実習内容がいまだ伏せられたままという不安要素。
その二つが相まって、生徒たちの表情には緊張と期待が入り混じり、そこかしこでささやくようなざわめきが広がっていた。
「何するんだろうね…」
「危険じゃないよね?」
「でもワクワクするなぁ…!」
興奮した声、怯えた囁き、そわそわと靴先を見つめる者。
早くも教室では味わえない空気に、皆の胸が落ち着かないほどに高鳴っていた。
そんな生徒たちのざわめきを断ち切るように、張りのある声が森の入口に響き渡った。
「皆さん、お静かに!」
一瞬で空気が引き締まる。
声の主――カトリット先生は、生徒たちの顔を順に確かめるように視線を走らせ、ゆっくりと頷いた。
「よろしい…。それでは、これより野外実習を始めます」
その言葉だけで、生徒の間にピンと張り詰めた緊張が走る。
なぜなら、カトリット先生の他にもアニヤ先生、そして保健室のブレア先生まで同行していたからだ。
まるで有事を想定しているかのような教師陣の顔ぶれが、この森で行われる授業が“ただの野外実習”ではないことを物語っていた。
カトリット先生は一歩前に出て、生徒全員に聞こえるよう声を張る。
「今回の野外実習で、皆さんは一人で静密の森へ入ってもらい、あるものを採取してきてもらいます」
“あるもの”。
その言い方だけで、再びざわめきが起きかけるが、誰も声を出さない。
出せない。
カトリット先生はゆっくりと鞄に手を入れ、一輪の白い蕾を取り出した。
それは小さく慎ましい姿でありながら、どこか周囲の空気を澄ませるような、不思議な気配を放っていた。
「これは――《聖晶花》です」
その名が告げられた瞬間、生徒たちの間に小さなどよめきが起こる。
「皆さんには、この聖晶花を一人につき一本、採取してきてもらいます。この花は、静密の森の“奥”にのみ自生しています。そしてその先には、低レベルとはいえ正式なダンジョンが存在します」
ざわっ、と空気が波立つ。
「もちろん、森の奥にはダンジョンの瘴気によって生まれた魔物や、ダンジョンから抜け出してきた個体もいるでしょう。初等部で基礎を学び、中等部に進んでからは実戦的な授業が増えますが――この野外実習は、その最初の本格的な訓練です」
言葉に迷いはなく、淡々とした口調なのに重みがある。
「聖女を志す者であれば、いずれ危険な地にも足を踏み入れねばなりません。そのためにも、皆さんにはこれから様々な経験を積んでもらいます。今回の実習は、その第一歩――最初の“試練”となるでしょう」
緊張が一気に広がり、生徒たちの喉がごくりと鳴る。
足元の土ですら、静かに固くなったように感じられた。
ただ一人を除いて。
(へぇ〜、この森の奥にダンジョンなんてあったんだ。そういえばダンジョンって、昔からお宝がゴロゴロあったよねぇ……危ない魔物もいたけど。あ〜あ、前の私なら“サクッ”と全部拾って帰れたのに〜……)
まるで遠足前の子供のように内心で頬杖をつきながら、ユティナだけが緊張感ゼロだった。
その対照的な空気の中、静密の森の奥――薄暗い道が、確かに口を開けて待っていた。
「では、何か質問がある方はいらっしゃいますか?」
カトリット先生の問いかけに、静寂が一瞬落ちる。
ほどなく、控えめだがはっきりとした声で手を挙げたのはアルマだった。
「先生、その花は咲いているものでも良いのですか?
それとも、先生が持っているように蕾の状態のものだけを?」
「良い質問です、アルマさん」
カトリット先生は頷くと、手にした白い蕾を少し掲げた。
「聖晶花は特殊な条件下でなければ開花しません。この森に自生しているものは、ほとんどが蕾のまま。稀に咲いているものもありますが――今回採取してもらうのは蕾の状態のものです」
「ありがとうございます。よく分かりました」
今度は緊張した面持ちの女生徒が手を挙げた。
「あの……質問があります。この森には魔物もいるんですよね? でしたら、セーフティリングの支給はされないんですか?」
一瞬、周囲がざわめく。
その問いは多くの生徒が抱えていた疑問だったからだ。
だが、カトリット先生は静かに告げた。
「今回の実習では、セーフティリングの支給はしません」
「えっ……! で、でも、安全に実習をするためにも必要では……? アニヤ先生やブレア先生が同行しているのも、その……」
生徒の不安が声に滲む。
そこで、口を開いたのはアニヤ先生だった。
彼女は静かに一歩踏み出し、眼鏡の奥で光る鋭い青の瞳を細めながら、その場の生徒たちを一人ひとり射抜くように見渡した。
「確かにセーフティリングがあれば、安全に実習を終えることはできるでしょう」
落ち着いた声なのに、言葉が重く響く。
「ですが――それでは意味がありません」
その瞬間、空気がピシリと張り詰めた。
「あなたたちが目指す“聖女”という職は、危険と常に隣り合わせです。魔物の討伐、瘴気の浄化、人々の救護……そのどれもが、命を懸けねばならない場面と隣り合わせです」
生徒たちの喉が、ごくりと鳴る。
「そんな中で、セーフティリングの安全に甘えれば、いずれ必ず、油断が生まれます。そしてその油断は、命を奪う」
アニヤ先生は拳を胸の前に当て、静かに言い切った。
「だからこそ、セーフティリングは対人訓練、模擬戦のみに限定しているのです。自然の中、ダンジョンの隣で生き抜くには、常に危機意識が必要。今の皆さんに、それを体で理解してもらうための実習でもあります」
「……わ、分かりました」
質問した生徒は小さく肩を震わせる。
その表情には恐怖だけでなく、覚悟の種がわずかに芽生えていた。
「わ、分かりました……」
アニヤ先生の強い言葉に、生徒は肩をすくめて一歩引いた。
しかし、その空気を和らげるように、アニヤ先生はゆっくりと声の調子を落とした。
「ですが、忘れないでください。これはあくまで“実習”です。私たちは皆さんを危険に晒すためにここへ来たのではありません」
生徒たちの視線が再び集まる。
「そのために私、カトリット先生、そしてブレア先生の三名が同行しています。さらに今回、皆さん一人ひとりに配布されたネックレス――」
その言葉を受けて、多くの生徒が胸元に手を当てた。
「このネックレスには“聖結界”の魔法が込められています。命の危険が迫ったと判断された場合、自動的に結界が展開し、皆さんを保護する仕組みです。結界が発動した瞬間、私たち教師陣が即座に救助に向かいますので――どうか落ち着いて行動してください。それからもう一つ。自分が危険だと感じた時は、無理をせず撤退すること。必ず、この場所へ戻ってきなさい。よろしいですね?」
先ほどまで不安げに震えていた生徒たちの表情が、説明を聞いたことでふっと緩み、胸を撫で下ろすように安堵が広がった。
そして、やさしい笑みを浮かべながらブレア先生が前へ出る。
「大丈夫ですよ?その結界は、私が直に掛けたものですから。この森にいる程度の魔物では、まず破れませんからね」
明るく言うブレア先生。…が、その裏に漂う圧倒的“本物感”に思わず背筋が伸びる。
「え……このネックレス、ブレア先生が?」
ユティナは胸元で揺れる銀の飾りをそっと指先でつまみ上げた。
一見して特別な装飾もない、控えめなデザインのネックレス。
「そうみたいだよ」
隣のアルマが頷く。
「ネックレス自体は市販のらしいけどね」
「それでも、この人数分に結界を掛けるのって……すごく大変そう」
「だよね。私も日直だったから、手伝いで受け取りに行ったんだけど……量を見てびっくりしたし。その時のブレア先生、ちょっとやつれてたよ」
「あ、本当だ。なんかシワ増え――痛っ!」
ユティナの眉間に、何かがカツンと命中した。
「いったぁ……」
おでこをさすりながら足元を見ると、コロコロと転がってきたのは丸い木の実。
(……え?誰が投げ――)
視線を上げた瞬間。
「ハーリットさん、どうかしましたか?何か質問があるのかしら?」
にっこりと微笑むブレア先生が、そこに立っていた。
ひぃっ!? とユティナの心が悲鳴を上げる。
「あ、い……いえ! 質問なんて全然!」
「そう? ならいいのですけど。気をつけてくださいね?」
ブレア先生は柔らかく笑ったまま、さらりと言う。
「森の中は、いつ何が起きるか分かりませんから」
「は、はい……!」
笑顔なのに、いや、笑顔だからこそ――怖い。
ユティナはビシッと背筋を伸ばし、さっき当たった眉間をそっと押さえた。
「こ、コホン! では、他に質問はありませんね?」
カトリット先生が締めに入ろうとしたその時、列の後ろで、ためらいがちに一人の生徒が手を挙げた。
「カ、カトリット先生……その……」
「はい。どうぞ」
「この実習で……その……“聖女になれるかどうかが決まる”って……本当なんですか?」
空気がピタリと止まった。
生徒たちが一斉に息を呑む。
カトリット先生は、わずかに視線を伏せた。
答えづらい――そんな色がはっきりと浮かぶ。
横に立つアニヤ先生とブレア先生も、同じようにふっと顔を曇らせた。
「……そうですね」
沈黙を破るように、カトリット先生がゆっくりと言葉を紡いだ。
「それは“半分だけ”本当です」
ざわ…っと生徒たちが反応する。
「皆さんも知っているように、高等部の人数は毎年とても少ない。それは、この中等部での“実習の結果”が大きく影響するからです」
それはつまり――落ちる者が多いということ。
「とはいえ、この一回の実習ですべてが決まるわけではありません。ですが……逆に言えば――この一回で条件を満たして高等部に上がれる生徒もいる、ということです」
言った瞬間、列のあちこちで緊張の息があがった。
「先生! 条件ってど、どんなものなんですか!?」
「では実習でダメだったら……もう望みはないんですか!?」
「聖晶花って……何か重要な意味があるんですか!?」
生徒たちの不安が一気に爆発し、声が次々と重なる。
その渦を切り裂くように、アニヤ先生の鋭い声が響いた。
「――静まりなさい!」
ビリッ、と空気が震えるほどの迫力。
生徒たちは瞬時に口を閉じ、森の入口に静けさが戻る。
アニヤ先生は一人ひとりを見渡し、強く、しかしどこか温かい声音で続けた。
「不安になる気持ちは分かります。ですが、今ここで大騒ぎをしても何も変わりません」
全員の視線が吸い寄せられる。
「今、最も大切なのは――この実習を安全に、そして確実に終えること。余計な心配は、まずその後です。よろしいですね?」
ピンと張った静寂の中、誰かが小さく「はい」と返事をした。
それを皮切りに、あちこちで不安混じりの返事が続く。
こうして、森を前にした生徒たちの緊張と覚悟が、ゆっくりと整っていった。
「ふぅ……それでは、そろそろ始めましょうか」
カトリット先生が軽く息を整えながらそう言い、ふと思い出したように指を立てた。
「ああ、最後にもう一つ。魔物を討伐した際に落ちる《魔石》は、可能な限り回収してください。魔石は魔道具を動かすための重要な燃料です。学園としては、必要最低限を除き、回収した魔石は寄付扱いとなります。今回の実習で集まった魔石は、学園が必要な分を差し引いた上で、残りを冒険者ギルドに買い取ってもらい、その収益は孤児院などへ寄付する予定です。つまり――魔物討伐も社会貢献の一環だと、心に留めておくように」
(えっ、魔石って売れるの!?)
ユティナの目がきらんと光る。完全に“金の気配を嗅ぎ取った犬”である。
(そういえば――魔王だった頃、魔力炉が完成するまでは魔石を燃料にしてたっけ。今の時代、魔力を無限生成する魔力炉なんて存在しない。魔道具を動かすには自力の魔力か、魔石の魔力を使うしかない……。しかも人間って、魔力持ちが圧倒的に少ないんだよね。なるほど、そりゃ魔石の需要も高いわけだ……)
……と、そこまで理性的に考えてから。
そして――悪い考えが閃く。
(つまり……高値で売れるって事?……なら、こっそり少しくらい……くすねても……)
にやり、と口元が無意識に悪い顔になる。
「ユティ?」
隣のアルマがじとーっとした目を向けてきた。
「……一応言っておくけど。魔石、くすねようなんて考えちゃダメだからね?」
「えっ!? な、なな何を言ってるの、アルマ? そんなわけないじゃん!?」
ユティナは慌てて両手をぶんぶん振る。
「本当〜? さっきめちゃくちゃ“悪い顔”になってたよ?」
「うっ……」
その一言で、ユティナはぺたりと肩を落とし――
「……ごめんなさい。ちょっとだけ……くすねようかなって思ってました……」
深々と頭を下げた。
「よし、素直でよろしい!」
アルマは満足げに微笑む。
そんな二人のやり取りとは対照的に、場の空気は徐々に張り詰めていく。
「それでは――実習、開始します! 制限時間は“夕刻の鐘”が鳴るまでです!」
カトリット先生の凛とした声が森に響きわたり、その瞬間、場の空気が一変した。
緊張と期待が入り混じる中、ついに実習の幕が上がる。
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