第25話 打ち込み訓練
選択授業の剣術。
ようやく素振りから解放された――そう思った矢先だった。
目の前で、アニヤ先生が静かに木剣を構える。
その姿に、ユティナはひどく動揺していた。
(……え? え? ちょ、ちょっと待って……?)
アニヤ先生の構えは、どう見ても型稽古のそれではない。
先ほど告げられた言葉も、はっきり覚えている。
好きなように打ち込んで来なさい。
つまりこれは、間違いなく打ち込み稽古。
そしてそれは――実戦形式の訓練を意味していた。
(素振りが終わったのは良かったけど……これ、どうすればいいの……?)
動揺しながらも、ユティナは必死に思考を巡らせる。
魔王だった頃の記憶が戻った時点で、ユティナの剣術はすでに人並みを大きく超えている。
だが、それをそのまま表に出してしまえば、周囲の目を引くことになる。
今の自分の剣術評価は――Fランク。
そんな生徒が、いきなり高度な剣技を見せれば、どうなるかは想像に難くない。
だからこそ、これまでの素振りでも気を付けていた。
過去の自分の技量を一気に見せるのではなく、“少しずつ上達しているように見せる”。
違和感が出ないよう、慎重に段階を踏んでいたのだ。
内心、ビクビクしながら。
だが――。
今日、ついに素振り稽古が終わり、次は型稽古だと思っていた。
それなのに。
まさか、それを飛ばして、いきなり実戦形式の打ち込み稽古とは。
(もしかして……私、ちょっと目立つ動きしちゃった……?)
嫌な予感が胸をよぎる。
もしそうなら、完全に自分のミスだ。
だが、今さら後悔しても遅い。
目の前には、すでに構えた教師がいる。
逃げ道はない。
(えっと……どう動けばいいの……!? あんまり派手にやれば目立つし……。でも、これって評価を上げるチャンスでもあるんだよね……)
ユティナは、ぎりぎりと頭を悩ませる。
目指すのは、平穏な隠居生活。
そのためにも、いつまでも落ちこぼれのままでいる訳にはいかない。
ある程度の評価は、どうしても必要だ。
だが、目立てば評価は上がる。
そして目立ちすぎれば、面倒ごとも増える。
それは、目指している隠居生活とは真逆の未来だった。
しかも。
つい先日、昔の感覚でポーションを作り、盛大に騒ぎになったばかりだ。
あれを思い出すだけで、背筋がひやりとする。
だからこそ、余計に慎重にならざるを得ない。
(うぅ…どうすれば…!?)
頭の中は、絶賛混乱中だった。
喉が、やけに乾く。
掌に滲んだ汗で、木剣の柄がわずかに滑った。
(と、とりあえず……このまま突っ立ってる訳にもいかないし……)
数秒の沈黙。
そして――
(えーい……もう、なるようになれっ!)
ユティナは、ついに覚悟を決めた。
「で、では……行きます……」
遠慮がちに絞り出した声。
だが、その言葉を受け止めるアニヤ先生の瞳は、揺るぎなく真剣だった。
その視線が痛いほど突き刺さる。
(やりにくい……本気すぎません……?)
ユティナは一歩、踏み込む。
地面を蹴る感触。
体幹を締め、重心を落とす。
(まずは様子見……)
正面から間合いへ。
大きく振りかぶり――振り下ろす。
基礎の斬り落とし。
何百、何千と繰り返してきた素振りそのもの。
無駄はない。
軸はぶれない。
重心は剣へとまっすぐ乗る。
鈍い衝突音が響いた。
ガンッ――!
その一撃は、あまりにも容易く受け止められた。
(……だよね)
驚かない。
それは、当然の結果だ。
変化もなければ、崩しもない。
ただの教科書通りの斬撃。
「いい斬り落としです」
アニヤ先生の声が、静かに響く。
「素振りで積み重ねた者にしか出せない斬撃です」
その言葉に、胸がわずかに熱くなるが、実際のところ魔王の時から剣術を積み重ねてきた手前、騙しているみたいで少し罪悪感。
そんな風に思っていたら――
「ですが……!」
次の瞬間、強い衝撃。
ユティナの剣が弾かれ、体が後方へ流される。
慌てて距離を取り、構え直す。
「単純な攻撃だけでは、私に当てることはできませんよ?」
(……え? 当てる?)
違和感が胸に引っかかる。
(打ち込み訓練って……そういう話だったっけ?)
そして、とどめの一言。
「さあ――私に一太刀浴びせる覚悟で、打ち込んできなさい」
(えええええ!?)
頭の中で絶叫が響き渡る。
(何そのスパルタ宣言!? 聞いてないんですけどぉぉぉ!?)
だが。
目の前の瞳は、本気だ。
逃げは許さないと、無言で告げている。
ユティナは、ゆっくりと息を吸い込んだ。
――やるしかない。
ユティナは、静かに目を細めた。
(仕方ない……こうなったら、とことんやってやろうじゃないの!)
胸の奥で何かが切り替わる。
(それに……今の私が、どこまで通用するのか――確かめたい……!)
次の瞬間、空気が変わった。
ユティナの纏う気配が、わずかに研ぎ澄まされる。
「……」
アニヤ先生の目が細くなる。
(……来る!)
先生の構えが、先程よりも明らかに鋭くなった。
ユティナは地を蹴る。
先程よりも深く、強く。
(速い……!)
一気に間合いを詰め、横薙ぎの一閃。
空気を裂く鋭い軌道。
だが――アニヤ先生は受けない。
後方へと軽やかに跳び、刃を躱す。
(読まれてる……なら!)
着地の瞬間を逃さず、さらに踏み込む。
懐へ。
距離ゼロ。
下段から一気に跳ね上げるように、鋭い突き。
狙いは顎。
しかし、アニヤ先生は身体を紙一重で捻り、突きを外す。
その動きと同時に――視界の端で足が閃いた。
(蹴り――!?)
左側頭部へ向かう一撃。
咄嗟に左腕で防御と同時に衝撃が襲う。
骨に響く重さ。
(重っ……!)
すべては受けきれないと瞬時に悟る。
ユティナは反射的に身体を横へ飛ばし、衝撃の方向へ流す。
地面を転がり、すぐに体勢を立て直す。
(……っ、ほんとにどんだけ本気なのよ……!)
腕がじんじんと痺れている。
だが。
口元が、自然と吊り上がった。
(でも――)
再び地を蹴る。
その動きに迷いはない。
(楽しい……!)
思わず笑みがこぼれる。
そうだ。
自分は、剣が好きなのだ。
魔王だった頃。
生き延びるために振るった剣。
血と恐怖の中で覚えた技。
だが、いつしか。
剣を握る瞬間だけは、何もかもを忘れられた。
それは恐怖ではなく――高揚だった。
今も同じだ。
目の前にいるのは、全力でぶつかれる相手。
だからこそ、ユティナは、さらに加速する。
(そういえば……)
打ち合いの最中、不意に記憶がよぎる。
(昔も、あの人と……こんな風に、よく打ち合ってたっけ……)
乾いた剣戟の音。
土煙。
容赦のない一撃。
それでも、心のどこかが高鳴っていた。
懐かしさが、胸をくすぐる。
その瞬間――
ユティナの動きが、変わった。
迷いが消え、踏み込みが深くなる。
剣筋が、さらに鋭さを増す。
一太刀一太刀に、迷いのない意志が宿る。
(……っ!)
アニヤ先生は、その変化を即座に察知した。
だが――動かない。
最初に立った位置から、一歩も退かず。
迫る斬撃を、正確無比に捌き続ける。
横薙ぎを流し、突きを逸らし、振り下ろしを受け流す。
しかし、その表情が徐々に変わっていく。
冷静だった目が、わずかに見開かれる。
(こ、これは……!?)
目の前の少女は、中等部に入ってからも素振りすら満足にできなかったはずだ。
だが、ここ最近の素振りは違った。
軸は安定し、重心は整い、明らかに“基礎”が出来ていた。
しかし――
(素振りが出来るようになっただけで、ここまで動きが変わるはずがない……!)
アニヤの瞳が、鋭く細められる。
斬撃の“間”。
攻撃と攻撃の、淀みない繋ぎ。
それだけではない。
呼吸の合わせ方。
踏み込みと同時に奪う間合い。
相手の重心を読んだうえでの、わずかな軌道修正。
それらは、型を覚えた程度で辿り着ける境地ではない。
積み重ねられた反復では届かない。
それは、まるで幾度も実戦を潜り抜け、命のやり取りの中で磨き上げられた者の剣。
教本の中にある理想形ではない。
生き残るために削ぎ落とされた、実戦の剣だ。
(何があったのです……ハーリットさん……?)
受け流しながらも、思考が追いつかない。
そして次の瞬間。
ユティナの剣が、わずかに軌道を変えた。
それは、教本には載っていない動き。
アニヤ先生の瞳が、完全に見開かれる。
一方で目立ちたくない、派手な動きはしない。
そう決めていたはずのユティナだった。
――だが。
現実は、まるで逆だった。
鋭く踏み込み、迷いなく繋がる斬撃。
間合いの出入りは滑らかで、呼吸すら乱れない。
それは、とても“Fランク評価”を受けた生徒の動きではない。
つまり、完全に忘れているのである。
戦いに夢中になり過ぎて、目立たない様にする事を。
当然、その異変に気づく者が現れる。
型の組合訓練をしていた生徒たちの視線が、ひとり、またひとりとそちらへ向く。
「ね、ねぇ……あれって……」
「うそ……あれ落ちこぼれでしょ? な、なんなのあの動き……」
「アニヤ先生と……型の訓練、だよね……? でも……ち、違うよね……?」
「きっと……夢よ。そうじゃなかったら、先生がわざと合わせてあげてるのよ……!」
ざわめきが広がる。
戸惑い。
否定。
理解不能への拒絶。
それほどまでに、目の前の光景は“常識”から外れていた。
その中で――
アルマもまた、視線を奪われていた。
だが。
彼女の驚きは、他の生徒たちとは少し違う。
(ユ、ユティって……あんな動き、できたっけ……?)
胸の奥がざわつく。
けれど同時に、どこかで納得している自分もいる。
(どうしてだろう……最近のユティ見てたら……そうなんだぁ、って思っちゃうんだよね……)
思い返せば、ここ最近の友人はどこか違った。
時折見せる常識はずれの行動。
ふとした瞬間に感じる“異常さ”。
だからこそ。
(……あれ? もしかして、私の感覚がずれちゃってる……?)
周囲が「異常」と騒ぐ中、アルマだけは「やっぱり」と思いかけている。
その温度差が、妙に不思議だった。
――だが。
当の本人は。
周囲のざわめきなど、まるで耳に入っていない。
ユティナの視界には、ただ一人。
目の前の強者しか映っていなかった。
(あと一歩……攻めきれない……!)
連撃を重ねても、決定打には届かない。
ユティナは息を整えながら、素早く間合いを切る。
その瞬間――空気が変わった。
アニヤ先生の足が、静かに踏み込む。
初めて、最初の位置からの一歩。
(……え?)
今まで一歩も動かなかった先生が、前へ出た。
(うそ……攻めるの!? 今までずっと受けてたのに……!?)
戸惑う間もなく、距離が消える。
目の前。
鋭い踏み込み。
一直線の突き。
(なっ――速っ……!)
視界を貫く木剣の先端。
ユティナは咄嗟に左へ飛ぶ。
風が頬をかすめる。
躱した――そう思った瞬間。
突きの軌道が、流れるように変化した。
(はっ……!?)
そのまま横薙ぎへ。
流転。
まるで水のように形を変える斬撃。
(斬撃の方向が変わった……!?)
迫る刃。
ユティナは地面を強く蹴る。
身体を横回転させながら跳躍。
宙で木剣を滑らせ、アニヤ先生の木剣の“腹”に這わせる。
衝撃をいなす。
刃の上を転がるように、跳び越える。
着地。
その瞬間、視界に飛び込んできたのは――
横薙ぎを振り抜き、大きく体勢を崩したアニヤ先生。
完全な隙。
(ここだ……!)
剣を握る手に力がこもる。
踏み込もうとした、その時――
左側から、ぞわりとした悪寒。
(……危ない)
理屈ではない。
本能。
ユティナは反射的に剣を構え、左を防ぐ。
次の瞬間、凄まじい衝撃。
(お、重……っ!)
腕が悲鳴を上げる。
すべてを受け切れない。
ユティナは自ら右へ飛び、衝撃を殺す。
石畳を転がり、受け身を取りながらも視線だけは、先生を追う。
そして、理解する。
(振り抜いた横薙ぎから……さらに横薙ぎで“戻した”……!?)
通常なら、振り切った後は硬直が生まれる。
だが先生は違う。
振り抜いた勢いを、そのまま逆回転に変えた。
二段構えの罠。
完璧な誘い。
(……やるじゃない)
口元が、吊り上がる。
立ち上がると同時に、再び駆け出す。
(上等じゃない!)
胸の奥が熱い。
(ますます……一発でも当てたくなったわ!)
ユティナは、小さく息を整えた。
そして――魔法を発動する。
身体を強化する魔法、身体強化魔法。
さらに、極限まで速度を引き上げる加速魔法。
どちらも、魔王だった頃から使い慣れている魔法。
戦闘では最も身近で、最も信頼していた術だ。
だが――それは、本来なら簡単に扱えるものではない。
身体強化魔法は、発動している間、常に魔力を消費し続ける。
さらに、身体への負荷を抑えるためには、極めて細かな魔力制御が必要になる。
今のユティナの魔力量では、維持するだけでもぎりぎりだ。
魔力量そのものは、訓練によって増えているが、問題は別にあった。
制御。
魔法の同時発動――それも二種類以上の併用は、非常に難易度が高い。
魔法によっては、その難度は飛躍的に跳ね上がる。
そして今、ユティナが使おうとしているのは――
その“難しい組み合わせ”の一つだった。
それを。
同時に発動しようとしている。
理由は、単純だ。
魔王だった頃の記憶。
そして、長年染みついた戦闘感覚。
つまり――過信。
だが、本人はそこまで深く考えていなかった。
久しぶりに味わう、戦闘に近い空気。
張り詰めた緊張感。
それだけで、思考の余裕は削がれている。
だからこそ。
ユティナは、ほとんど躊躇することなく――
二つの魔法を同時に発動させようとしていた。
次の瞬間。
ユティナの姿が、ふっとその場から消えた。
「――っ!?」
さすがのアニヤ先生も、目を見開く。
(な、消えた……!?)
視界から完全に消えた。
その瞬間――
背後に、ぞくりと嫌な気配が走る。
(後ろ……!?)
アニヤ先生は即座に振り向き、反射的に木剣を構える。
いつ攻撃が来ても対応できるよう、全神経を背後へ向けた。
だが――
攻撃は、来ない。
代わりに聞こえてきたのは。
ズァァァァァ――ッ
何かが、床を激しく滑っていく音。
「……?」
警戒したまま視線を落とす。
そして。
その“滑っている何か”を確認した瞬間――
「は、ハーリットさん……?」
アニヤ先生の顔が、わずかに引きつった。
そこにいたのは。
地面を豪快に滑っていく、ユティナ。
――ヘッドスライディングの姿勢のまま。
しかも、そのままぴたりと止まり、微動だにしない。
もちろん。
その光景は、周囲で訓練していた生徒たちも、しっかり見ていた。
一瞬の静寂。
そして。
「ぷ、ぷふふ……何あれ?」
「自滅……? ふふっ、ウケるんですけど……!」
「やっぱり落ちこぼれですね……」
「今迄の動き、アニヤ先生の指示じゃない? あんな動き、落ちこぼれができるわけないもの」
冷ややかな声と、くすくすとした笑いが広がっていく。
その中で――
一人だけ、笑わずに駆け出した少女がいた。
「ユティ!」
アルマだった。
訓練場を横切るように走り、ユティナのそばへ膝をつく。
「ユティ、大丈夫!?」
心配そうに声をかけるが――
ユティナは、見事なヘッドスライディングの姿勢のまま、ぴくりとも動かなかった。
「うぅ〜……頭がクラクラする〜……」
地面に突っ伏したまま、ユティナが情けない声を漏らす。
(制御が甘かったかー……。昔の感覚でいけると思ってたんだけど……やっぱりこの体、使いにくいわー……)
ぐらぐらと揺れる視界の中、そんな反省だけはしっかりしていた。
「ハーリットさん、大丈夫ですか?」
すぐにアニヤ先生が駆け寄り、しゃがみ込んで様子を確かめる。
「うぅ……たぶん、生きてます……」
弱々しい声でそう答えるユティナ。
だが、アニヤ先生の胸中はそれどころではなかった。
(……先ほど、一瞬にしてハーリットさんが消えた……)
確かに見えた。
視界から、完全に消えたのだ。
(あれは……一体……)
目の前でぐったりしている少女を心配しつつも、先ほどの光景が頭から離れない。
「と、とりあえず……私が保健室に連れて行きます。他の皆さんは、そのまま訓練を続けてください」
そう言うと、アニヤ先生はユティナの体を軽々と抱き上げた。
そのまま二人は訓練場を後にした。
その背中を、アルマが心配そうに見つめていた。
だが、彼女の胸に浮かんでいたのは、心配だけではない。
(……さっきのユティの動き……)
あの瞬間。
確かに、ユティナの姿が消えた。
(本当に最近のユティって……どんどん非常識になっていく気がする……)
困ったように小さく笑う。
(それに、どこか抜けてるから……心配になっちゃうんだよね……)
そんな風に思ってしまうあたり、アルマは本当に優しい友人だった。
――そして。
その後。
保健室に運ばれたユティナは、しばらくベッドで休まされることになった。
気がつけば、すでに時間は放課後。
体調もすっかり落ち着いたころ、保健室を訪ねてきたのはジークだった。
そのままユティナは、レイモンドに会うため学園の裏庭へ向かう。
そして現在――
裏庭では、ユティナがジークとじゃれ合っていた。
「よしよし、ジーク〜」
ふわふわの頭を撫でながら、ユティナは大きく息を吐く。
(はぁ……なんか、どっと疲れたー……)
今日の出来事を思い返しながら、ぐったりと肩を落とす。
(……やっぱり、あの魔法を使うにはもう少し訓練しないとダメかー)
ジークを撫でながら、今日の失敗を静かに反省する。
そんなユティナの様子を、レイモンドは隣から見守っていた。
どこか心配そうに。
だが、それ以上に優しい眼差しで。
騒がしかった一日の終わりに、裏庭には、ただ穏やかな時間だけが流れていた。
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