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落ちこぼれ聖女候補に転生した魔王は静かな隠居暮らしを目指す~今度こそブラックな人生はごめんです!~  作者: あんずのかおり


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第24話 素振りの筈が……

レディア聖院女学園――初等部と中等部校舎の裏手。


そこには、人目を避けるようにひっそりと広がる裏庭がある。


さらに奥へと続くのは、学園最深部に横たわる深い森――

“静密の森”と呼ばれる、立ち入りを固く禁じられた場所。


課外授業や教員同伴でない限り、生徒が足を踏み入れることは許されない。


だからだろうか。


この裏庭は、外庭や中庭のような華やぎとは無縁だった。

季節を彩る花壇も、陽光を弾く噴水も、談笑を誘うベンチもない。


あるのは、丁寧ではあるがどこか無機質な芝生と、形よく刈り揃えられた植え込みだけ。


音さえも、遠慮しているかのように小さい。


――ゆえに、ここを訪れる生徒はほとんどいない。


けれど、今日。


その静寂の只中に、小さな笑い声が溶けていた。


ユティナは広々とした芝生に腰を下ろし、膝の上でころころと転がる小さな白い犬――聖霊獣ジークを撫でている。


純白の毛並みに、小さな羽。


「ほれほれ〜……ここかぁ? ここが気持ちいいのかぁ?」


くすぐるように指先を滑らせると、ジークは喉を鳴らし、さらに身体を預ける。


その無防備な温もりに、少女――ユティナの頬がふわりと緩んだ。


その隣には、静かに腰を下ろす黒髪の少年――レイモンド。


「本当にジークはユティに懐いてるな」


穏やかな声。


横顔は柔らかく、それでいてどこか森の奥を警戒するような静かな強さも秘めている。


風が芝を揺らす。


静密の森の奥から、かすかなざわめきが届く。


けれど――


この場所、この時間だけは、世界から切り取られたように穏やかだった。


実のところ――

この静かな裏庭で顔を合わせるのは、今日が初めてではない。


始まりは、中庭だった。


ある日、夜の特訓の疲れでユティナがベンチにだらりと身を預けていた時のこと。

ふわり、と白い影が舞い降りた。


小さな羽を揺らす聖霊獣ジーク。


そして、そのジークを探して現れたのがレイモンドだった。


それが、最初の出会い。


去り際、レイモンドは柔らかく微笑みながら言った。


「……もしよければ、次に来たときも話し相手になってくれないか?」


それが、すべての始まりだった。


次にレイモンドが学園を訪れた日。

放課後、寮へ戻ろうとしていたユティナの前に、ひらりとジークが現れた。


まるで誘うように。


不思議に思いながら後を追い、辿り着いたのがこの裏庭だった。


それ以来、レイモンドが学園を訪れるたび、決まって放課後になるとジークがこっそりと現れる。


それが――合図。


ユティナは何も言わずに裏庭へ向かい、

芝生の上に並んで腰を下ろす。


交わすのは、他愛のない会話。


学園での出来事。

街の噂。

ジークのちょっとした悪戯。


特別な約束も、特別な言葉もない。


けれど――その時間は、なぜか心地よかった。


ユティナはジークと戯れるひとときを気に入っていたし、

レイモンドの穏やかな声も、静かな笑い方も、嫌いではなかった。


だから、この時間は今日まで続いている。


ただひとつ、気になることがあるとすれば――


レイモンドが、どこか人目を避けているように見えること。


裏庭という場所。

人気のない放課後という時間。


すべてが、慎重に選ばれているように思えた。


以前、理由を尋ねたことがある。


「ここは女学園だからな。あまり頻繁に男性が訪れるのは……」


もっともらしい答え。


けれど――それだけではない気がした。


それでもユティナは、それ以上踏み込まなかった。


今の関係を、壊したくなかったから。


芝の上に寝転ぶジークを優しく撫でながら、ユティナはそっと横を見る。


隣にいる少年。


この距離。


言葉にしなくても分かる、穏やかな空気。


気がつけば――それが、ただ心地よかった。


それだけで、今は十分だった。


「はぁ〜……やっぱりジークは癒しだねぇ〜」


芝生の上で、ぐでっと力を抜くユティナ。

膝の上では、白い聖霊獣ジークが満足そうに目を細めている。


(今日の選択科目……さすがに疲れたなぁ……)


指先でふわふわの毛並みを撫でるたび、張り詰めていた気持ちがゆるりと解けていく。


「やっぱり今日は一段と疲れているみたいだな」


隣から、穏やかな声。


レイモンドは少しだけ眉を寄せ、ユティナの顔色を窺っていた。


「うーん……まぁ、そうかな?」


曖昧に笑ってみせるユティナ。


「ジークに迎えに行かせた時は驚いた。まさか保健室にいるとは思わなかったからな」


レイモンドは静かに続ける。


「あまり無理はするな。疲れているのなら、今日は無理に付き合ってくれなくてもよかったんだぞ?」


その声音は、責めるでもなく、ただ純粋な心配だった。


「ううん、大丈夫! ただ授業で張り切りすぎただけだから」


ユティナは両手でジークを抱き寄せ、頬をすり寄せる。


「それに、疲れならジークが癒してくれるもんねぇ〜♪」


ジークは得意げに小さく鳴き、羽をぱたぱたと揺らした。


「……それならいいんだが」


完全には安心しきれていない様子で、レイモンドは視線を落とす。


その横顔をちらりと見て、ユティナは小さく笑った。


(レイってなんか心配性だねぇ)


けれどその優しさが、嫌ではない。


むしろ――少しだけ、くすぐったい。


ふと、午後の出来事が脳裏をよぎる。



午後の選択科目――剣術。


一年生で剣術を選択している生徒たちは、広い訓練所に集められていた。


陽光の差し込む訓練場。

磨かれた木剣の匂い。

床を踏みしめる緊張した足音。


「皆さん、準備はいいですか!?」


凛と響く声。


選択科目・剣術を担当するアニヤ先生が、生徒たちを見渡していた。


「では、二人一組になって組合稽古を。お互い“型”を意識するように」


アニヤ先生の凛とした声が、訓練場に響く。


生徒たちは一斉に動き出した。

慣れた者同士が自然と組み、少しぎこちない者も急いで相手を探す。


「ユティ、頑張ってね」


同じ選択科目を取っているアルマが、軽く手を振って別の相手のもとへ向かっていく。


木剣を握る音。

床を踏み鳴らす足音。

互いに向き合い、構えを取る気配。


訓練場は、瞬く間に活気に満ちた。


――そんな中。


ぽつん、と一人だけ取り残された少女がいた。


ユティナ・ハーリット。


けれど、彼女は焦らない。

周囲を見回すこともなく、その場に静かに立っている。


普通なら、相手を探して動くはずだ。


だが、ユティナは動かない。


動けないのではない。


動かないのだ。


「ハーリットさん」


凛とした声が飛ぶ。


「はい……」


「貴女はこちらへ。今日も素振りです」


「……はい」


素直に返事をし、訓練場の端へ向かう。


(また素振りかぁ……)


小さく、心の中でため息。


(まぁ、仕方ないよね。ユティナの剣術評価はFランク……。組合する以前の問題、ってやつだもんね)


周囲では木剣がぶつかり合い始める。


カン、と乾いた音。


だがユティナの手の中にあるのは、ただ空を切る木剣。


彼女はまだ、基礎を“作っている最中”という扱いだ。


――もっとも。


それは、表向きの話。


本当は。


魔王の記憶が蘇ったその時点で、剣の扱いなど身体が覚えている。


振り方も、間合いも、崩し方も。


だがそれを知る者はいない。


生徒たちも、アニヤ先生も。


だからユティナの評価は、Fランクのまま。


(急に出来るようになりました、なんて言ったら変だもんね)


いきなり組合稽古で圧倒するなど、かえって怪しまれる。


だから今は――従う。


基礎を繰り返し、地道に“成長している風”を積み上げるしかない。


「いち、に、さん――」


木剣を振る。


空気を裂く音は、他の誰よりも静かで、正確だった。


(……でも、流石に毎回素振りは飽きるよねぇ)


心の中で苦笑するが、それでも手は止めない。


いつか、ちゃんと認められるその日までは。


ユティナは、誰よりも丁寧に目剣を振り続けた。


訓練場の端で、黙々と素振りを続けるユティナ。


木剣が空を裂く音は、組合稽古の打ち合いに紛れて小さく消える。


だが――視線だけは、消えない。


「ふふ、見てよ。中等部になってもまだ基礎ですって」


小さな笑い声。


「基礎なんて初等部で終わる内容なのに。本当に才能がないのね」


「落ちこぼれが、どうして剣術なんて選択したのかしら?……やっぱり孤児院出身の考え方は理解できないわ」


ひそひそとした声。


けれど、隠す気もない嘲り。


それは確実にユティナの耳に届いていた。


(へーへー、剣術選択して悪うござんしたねぇ)


心の中で、やや投げやりな返事。


(こっちだって好きで素振りしてるわけじゃないんだけど?)


だが、表情は崩さない。


視線も揺らさい。


ただ、木剣を振る。


いち、に、さん――


木剣はぶれない。


むしろ、嘲笑とは裏腹に、軌道は驚くほど正確だった。


踏み込みも、体重移動も、無駄がない。


それを――


一人だけ、見逃していない人物がいた。


アニヤ先生である。


腕を組み、訓練場の端に立ちながら、静かにユティナを見つめていた。


思案するように――いや。


どちらかと言えば、値踏みするような、疑う視線。


(カトリット先生から聞いた、あの模擬戦の話……)


正直なところ、すぐには信じられなかった。


(ランカスターさんを……魔法で作り出した剣で倒した……?)


アニヤは腕を組みながら、訓練場の端で素振りを続けるユティナを見つめる。


中等部になって初めての模擬戦。


自分はその場にいなかった。


だが、模擬戦を担当していたカトリット先生から直々に報告を受けている。


総合評価Fランクのユティナ・ハーリットが――

総合評価Aランクのマリアベル・ランカスターに勝利した、と。


最初は、耳を疑った。


冗談か、聞き違いか、何かの手違いだと思った。


だがカトリット先生は、軽口を叩くような人物ではない。

ましてや授業中の出来事を誇張する理由など、どこにもない。


だからこそ――信じ難い。


(ハーリットさんが剣を振るった……それも、ランカスターさん相手に……?)


アニヤ先生にとって、その一点こそが何よりも異常だった。


ランカスターはAランク生徒。

基礎も実戦も申し分なく、並の生徒が太刀打ちできる相手ではない。


それを――落ちこぼれ聖女候補として知られているFランクの生徒が。


しかも。


魔法で武器を生成した、という。


魔法による武器生成など、聞いたことがない。

少なくとも、学園の記録にはないはずだ。


ましてや、それを即座に実戦で扱い、Aランク生徒を打ち破るなど――。


(振るうことさえ満足にできなかった生徒が……?)


かつての彼女を、アニヤ先生は知っている。


型も定まらず、握りも甘く、構えすら危うかった少女だ。


それが、いきなり実戦で勝利する?


疑念は、消えない。


だが。


今、目の前で振るわれる木剣。


いち、に、さん――


踏み込みに迷いがない。


体幹はぶれず、重心移動も滑らか。


素振りのはずなのに、太刀筋に“意思”がある。


(……この剣筋は)


むしろ。


長年、基礎を積み上げた者の剣。


(カトリット先生の仰っていたことは……本当?)


胸の奥に、確信に近い感覚が芽生える。


ならば。


確かめる方法は、一つしかない。


アニヤは静かに歩き出した。


木剣を振り下ろすユティナの後ろで足を止める。


アニヤは真剣な表情のまま、素振りを続けるユティナに声をかけた。


「ハーリットさん……」


静かな声だった。


けれど、不思議なほどよく通る。


その一言だけで、ユティナの肩がびくりと跳ねた。


(……え?)


振り向いた瞬間、心臓がひとつ、大きく鳴る。


そこに立っていたのは、鋭い視線をメガネ越しに覗かせるアニヤ先生。


まっすぐに射抜くような視線。

揺らぎのない、観察者の目。


(な、何……!?)


背中に、じわりと冷たい汗が滲む。


(わ、私……なんかまずった?)


心臓が嫌な音を立てる。


アニヤ先生が、じっとこちらを見ている。


その視線は鋭く、まるで刃のようだった。


叱責か、指摘か、それとも――失望か。


本人にそんな意図はなくとも、向けられる側にとっては十分すぎる圧力だ。


「あ、あのぉ……な、何か……私の素振り、変でしたか……?」


つい先ほどまで、自信満々に木剣を振っていた少女はどこへやら。


今そこにいるのは、肉食獣に睨まれた小動物のように身を固くしたユティナだった。


アニヤ先生は一歩、距離を詰める。


無言のまま、上から下まで観察するように視線を走らせる。


(ひぃぃ……やっぱりダメだったんだ……! フォーム崩れてた? 足? 腰? え、全部……?)


じわりと汗が滲む。


居心地の悪さに、木剣を握る手がわずかに震え、周囲の訓練場のざわめきさえ、どこか遠く感じられた。


だが――


次にアニヤの口から紡がれた言葉は、ユティナの予想とは、まるで違うものだった。


「素振りは、もう宜しいです」


「……へ?」


思わず間の抜けた声が漏れた。


冗談にしては、アニヤ先生の表情があまりにも真剣だ。

視線はぶれず、姿勢も崩れていない。どう見ても本気で言っている。


「えっと……いいんですか?」


恐る恐る問い返すと、先生は小さく頷いた。


「ええ。それだけ安定していれば、合格でしょう」


――合格。


その一言が胸の中で弾けた。


(やった……!)


思わず顔が綻びそうになるのを必死に堪える。

これまで延々と続いた素振り地獄。ひたすら振って、振って、振って。

まだ基礎だけとはいえ、それが終わるのは大きい。


ようやく次へ進める。


胸の奥に、じわりと解放感が広がる。


だが――


「それでは、次のステップに行きましょう」


その一言で、浮かれかけていたユティナの心がぴたりと止まった。


(……次の、ステップ?)


一瞬の間。


(あー……型の訓練かぁ……)


素振りの次。基礎の次。


つまり、それは――“型”。


言ってしまえば、動の訓練だ。


様々な型を覚え、それを繋ぎ合わせていくことで、ようやく剣術としての“動き”になる。


型の訓練は、反復と修正の繰り返し。

細部を整え、無駄を削ぎ、正確さを積み重ねる。


そして組合稽古を通じて、相手の動きに合わせた型の選択や、自分では気づかない癖を修正していく。


――要するに。


やることは増えるが、やっている内容はひたすら地味。


(型の訓練かぁ……。次のステップに進めるのはありがたいけど、正直ちょっと飽きそうなんだよねぇ)


ふと、遠い記憶がよぎる。


(そういえば、魔族時代も似たようなの、嫌ってほどやらされたっけ……)


延々と続く基礎反復。

容赦のない修正。

終わりの見えない反復練習。


思い出しただけで、ほんの少し遠い目になる。


だが。


先ほどのアニヤ先生の鋭い視線を思い出し、即座に表情を引き締めた。


ここで気の抜けた顔など見せようものなら、確実に指摘される。


だからこそ――


「はい、お願いします」


内心のため息は胸の奥へと押し込み、何事もないように素直な声で返事をした。


しかし――ここで、ひとつの事実に気づいてしまう。


この流れからして、おそらくはマンツーマンでの型指導。


(……しごかれそう)


胸の奥に、ぽとりと小さな憂鬱が落ちる。


基礎の徹底反復。

細部の矯正。

容赦のない指摘。


それを覚悟しかけた、その時だった。


「それでは、構えなさい」


「…はい?」


反射的に返事はしたものの、アニヤ先生の言葉に理解が出来ないでいるユティナ。


アニヤ先生は静かに告げると、腰に差していた木剣を抜き放った。


そして――構えた。


その動作は無駄がなく、あまりにも自然。


だが。


その一挙手一投足だけで、空気が変わる。


ユティナの方はというと、思考が止まっていた。


(……え、なんで先生が構えてるの?)


型の稽古ではなかったのか。

様々な型を覚え、動きを体に覚えさせる――そういう段階のはずでは。


だが、目の前のアニヤ先生には迷いがない。


静かに一歩引き、重心を落とし、流れるように木剣を構えている。


張り詰めた気配が、訓練場の一角だけを切り取る。


ざわめきが遠のき、そこだけが戦場のように静まり返った。


(……え?何これ?)


完全に――対峙の構え。


「今から、打ち込みの訓練を行います」


淡々と告げられる宣言。


「さあ、ハーリットさん。好きなように打ち込んで来なさい」


一瞬、意味が理解できなかった。


打ち込み。


それは実戦形式。


周囲の生徒たちが行っている組合稽古は、あくまで型に沿った確認作業だ。

互いの動きを合わせ、体の運びや力の流し方を見直す段階。


だが打ち込みは違う。


組合稽古の“次”に位置するもの。

より実戦に近く、反応と判断を問われる訓練。


そして――相手がアニヤ先生であるという事実が、難度を跳ね上げている。


しかも。


“好きなように”。


(はぁぁぁぁぁ!?)


内心で絶叫がこだまする。


型の確認どころではない。

いきなり本番形式。


当然――反撃もある。


「ど、どういうことですか!?」


思わず声が裏返った。


だがアニヤ先生は、表情ひとつ変えない。


「基礎は出来ています。ならば次は、実際に振るえるかどうか」


静かな声。


逃げ道を塞ぐような、断定。


「どうしました? 先ほどまでの勢いは?」


わずかに、視線が鋭さを増す。


挑発ではない。


――試されている。


それが嫌でもわかる。


(……何でこんな事に……!?)

ユティナは心の中で盛大に頭を抱えた。


だが、現実は待ってくれない。


構えた木剣は、すでに自分の手の中。

目の前には、隙のない構えを取るアニヤ先生。



状況を飲み込めないまま、時間だけが無情に過ぎていく。


張り詰めた空気が、じりじりと肌を刺す。


理解も覚悟も追いつかないまま――

ただ、対峙という事実だけが、そこにあった。

読んで頂きありがとうございます(*´∀`)♪

もし、面白い!続きを読みたい!と思ってくださって頂けるなら、ブックマークや☆評価など頂けると幸いですm(_ _)m

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