第20話 鑑定士ソール
レディア聖王国は、ノーテウス大陸の北部に位置する国家である。
この地には古くから、勇者と聖女にまつわる伝承や、彼らが実際に訪れたとされる場所が数多く残されており、その痕跡は今なお色濃く人々の生活に根付いている。
女神教の総本山が置かれていることもあり、レディア聖王国における女神信仰は他国と比べても格段に強い。
瘴気とモンスターが世界に満ちるこの時代において、聖女が担う役割は計り知れず、その存在は各国で篤く信仰されているが――とりわけ、唯一の聖女育成機関であるレディア聖院女学園を擁するこの聖王国では、その信仰は国家の根幹とも言えるほど深い。
結果として、他国よりも多くの聖女を抱えるレディア聖王国は、宗教的影響力と国力の双方において強大な存在となり、南方の大国ヴォルディス帝国と並び立つ、ノーテウス大陸二大国家の一角を占めていた。
そのレディア聖王国の中心に位置するのが、聖都ルミディアである。
聖都は外周をぐるりと白亜の城壁に囲まれており、万が一の外敵侵入に備えて、その壁は高く堅牢に築かれている。城壁の上では、常に警備兵が配置され、昼夜を問わず巡回を行っていた。
聖都の中心には、大きな噴水を擁する広場がある。
噴水の中央には、かつて名を馳せた聖女ソディナの像が建てられており、この場所は彼女の名にちなみ、「ソディナ広場」と呼ばれている。
このソディナ広場を起点として、東西南北へと十字に大通りが伸びている。
通称――聖クロス通り。
それぞれの道の先には北門、南門、東門、西門が設けられ、聖都の交通と防衛の要を成していた。
さらにソディナ広場から北西へと伸びる、ひときわ幅広い通りがある。
聖クロス通りよりも大きなその道は「城前通り」と呼ばれ、その先には王族の居城、ローゼンファルム城がそびえ立っている。
城の周囲には貴族街が広がり、王都の中でも特に格式高い区域を形成していた。
城前通りの突き当たりに位置する城前広場には、かつて魔王を討ち倒した勇者アオイの像が建てられている。
また、この通り沿いには冒険者ギルドや商会ギルドをはじめ、役所や警備兵の駐在所など、行政を担う施設が集約されており、商店が立ち並ぶ聖クロス通りとは異なる、引き締まった雰囲気を漂わせていた。
その城前通りに面した――商会ギルド聖王国本部の前。
一台の馬車が、静かに停車する。
扉が開かれ、先に降り立ったメイドが恭しく手を差し伸べた。
その手を借りて馬車から姿を現したのは、一人の少女。
――アルマである。
アルマは、いつもの学園指定の制服ではなかった。
淡い赤と黒のレースを基調とした、控えめながらも品のあるロングスカートのドレスに身を包む。
胸元には宝石を嵌め込んだ小ぶりなリボンのアクセサリーが添えられ、黒の小さなハットには赤いリボンがカチューシャのように斜めにあしらわれていた。足元は、赤い靴紐とリボンでさりげなく彩られた黒のロングブーツ。
外出用らしく華美さを抑えたその装いは、栗色の髪と自然に溶け合い、落ち着いた可憐さと気品を静かに際立たせていた。
馬車から降り立ったその瞬間、城前通りを行き交っていた人々の視線が、自然と彼女へと集まった。
通り慣れたはずの場所で、足取りがわずかに緩む者。
商会ギルドへ向かっていた冒険者が、思わず足を止める。
派手さはない。
だが、隠しようのない品格があった。
身に纏う衣装だけではなく、背筋の伸びた立ち姿や、周囲を見渡す落ち着いた所作が、それを雄弁に物語っている。
その佇まいは、学園に通う一学生というよりも――
否、誰の目にも明らかだった。
どこからどう見ても、由緒ある家に育った貴族令嬢そのものだった。
リンの案内のもと、アルマは商会ギルドの建物へと足を踏み入れた。
重厚な扉をくぐった瞬間、内部に満ちる落ち着いた空気と、行き交う職員たちの視線が、二人の存在を静かに捉える。
ほどなくして、アルマたちに気づいた商会の女性職員の一人が、慌てて駆け寄ってきた。
「シェルフィード侯爵家のアルマ様ですね。ようこそお越しくださいました」
そう言って、彼女は深々と頭を下げる。
来訪者が男爵家の令嬢であると理解しているからこそ、その対応は隅々まで行き届いた、丁寧なものだった。
それに応じて一歩前へ出たのは、リンだった。
「はい。事前にご連絡差し上げました通り、あるアイテムの鑑定をお願いしたく、本日参りました」
その声音は落ち着いていながらも、揺るぎない。
侯爵家の使用人として、不用意な態度を取ることは決してない――その矜持が、自然と滲み出ていた。
女性職員もまた、その空気を敏感に感じ取ったのだろう。
緊張を帯びた表情のまま、しかし失礼のないよう慎重に言葉を返す。
「はい。商会本部長より、その旨はすでに伺っております」
再び丁寧に一礼すると、彼女は身を翻した。
「まずは、こちらへお越しください。待合室までご案内いたします」
その案内に従い、アルマたちは商会ギルドの奥へと進んでいく。
こうして二人は、鑑定が行われるまでの間、用意された一室へと通されたのだった。
「どうぞ、こちらでお待ちくださいませ。すぐに担当の鑑定士をお連れいたします」
そう告げられ、案内されたのは商会ギルド内に設けられた待合室の一つだった。
明らかに、貴族の客人を迎えることを想定して造られた部屋である。
壁を飾る装飾品や、随所に置かれた調度品はいずれも一目で高価と分かる品ばかりだった。
特に目を引くのは、天井から吊るされた小ぶりのシャンデリアだ。
決して大きくはないものの、精緻な細工と柔らかな光が、部屋全体に上品な華やかさを添えている。
部屋の中央には、客人用のソファーとテーブルが配置されていた。
どちらも凝った意匠が施され、重厚でありながらも品のある存在感を放っている。
アルマは促されるまま、そのソファーへと静かに腰を下ろした。
リンは一歩後ろに立ち、主であるアルマのすぐ背後で控える。
立ち姿一つにも、長年仕えてきた者ならではの無駄のない所作が表れていた。
その直後、控えめなノック音が扉越しに響く。
「どうぞ」
案内係の女性職員が応じると、扉が開かれ、もう一人の女性職員が姿を現した。
彼女は盆を手にしており、その上にはティーカップと、紅茶の入ったポットが載せられている。
「失礼いたします」
そう一礼して入室すると、職員はまずアルマの前にティーカップを置いた。
続いて、もう一つカップを置こうとした、その時――
「私の分は結構です。お心遣い、感謝いたします」
穏やかだが、きっぱりとした口調でリンが辞退を告げる。
その言葉に、職員は即座に気づいたように動きを止めた。
「……これは失礼いたしました」
深く頭を下げると、彼女はアルマの前のカップにのみ、丁寧に紅茶を注ぐ。
アルマもまた、自然な微笑みとともに応じた。
「ありがとうございます」
その所作は、教え込まれたものではなく、身に染みついた貴族令嬢の振る舞いだった。
やがて、二人の職員は静かに部屋を後にする。
扉が閉まり、待合室には再び静寂が訪れた。
その空間に響くのは、アルマが紅茶を一口、静かに啜る音だけ。
鑑定を待つ、わずかな時間が、ゆっくりと流れていった。
しばらくすると、再び待合室の扉が控えめにノックされた。
「失礼いたします」
落ち着いた声と共に現れたのは、アッシュグレーの長い髪を後ろで束ねた女性だった。
きっちりとまとめられたポニーテールが、その几帳面な性格を物語っているかのようだ。
翠色の瞳が室内を見渡し、アルマとリンを捉えると、彼女は淀みのない動作で丁寧に一礼した。
「この度、シェルフィード様のご鑑定を担当させていただきます。ソール・イシュタットと申します」
名乗りと同時に、アルマとリンもそれぞれ軽く頭を下げて応じる。
その流れの中で、二人の視線は自然と彼女の胸元へと吸い寄せられた。
右胸のやや上に取り付けられたバッジ。
天秤とルーペを象った意匠、そして一目で分かる――ゴールドの色。
それを確認した瞬間、アルマは思わず、背後に控えるリンへとちらりと視線を向けた。
当然、リンもその意味には気づいているはずだが、彼女は何事もなかったかのように視線を逸らし、知らぬ顔を装っている。
その様子を見て、アルマは内心で溜息をついた。
(リン……ゴールドランクの鑑定士に依頼するなんて、少しやりすぎじゃない?)
鑑定士のランクは、胸元のバッジの色で示される。
下からブロンズ、シルバー、ゴールド、そしてプラチナ――四段階。
上位の鑑定士になるほど、鑑定可能な品は多岐にわたり、特に高難易度ダンジョン産のアイテムや、古代遺跡から発掘される魔道具などは、ゴールドランク以上でなければ正確な鑑定ができないものも多い。
そのゴールドランク鑑定士は数自体が少なく、この聖王国全体でも十人に満たない存在だ。
さらに言えば、プラチナランクとなると、この国にはただ一人しかいない。
――そんな中で。
アルマが今回鑑定を依頼しているのは、ユティナが作ったであろうアイテム。
つまりは一般人が作ったであろうポーションとエーテルだ。
しかも彼女は霊薬士ですらない。
その時点で、ポーションやエーテル「ですらない」可能性も十分に考えられる。
鑑定の目的も、本物かどうか、そしてポーションなのかエーテルなのかを見分けるだけ。
本来なら、ブロンズかシルバーで十分――いや、むしろそれが妥当だ。
遺跡の秘宝や、ダンジョン最深部の希少品を扱うはずのゴールドランク鑑定士に、こんな依頼を持ち込むのは、どう考えても過剰だった。
(こんなものを鑑定させられるなんて……)
表情には出さないものの、アルマは心の内でソールに対して申し訳なさを覚える。
だが、そんなアルマの内心など知る由もないソールは、終始穏やかな表情を崩さぬまま、話を続けようとした――その時だった。
「恐れ入りますが……今回の鑑定をご依頼したのは、ドルマン・ゴードヴェール氏だったはずですが」
口を開いたのはリンだった。
依頼相手が異なることを指摘するその声は、先ほどまでよりもわずかに鋭さを帯びている。
「その件につきましては……誠に、申し訳ございません」
そう前置きすると、ソールは腰から折るほど深く頭を下げた。
あまりに突然の謝罪に、アルマは思わず目を瞬かせる。
同時に、リンの口から告げられた名に、アルマは思い当たる節があった。
(ちょっと待って……ドルマン・ゴードヴェールって……)
内心では動揺しながらも、表情には一切出さず、さも事情を把握しているかのように、アルマは堂々とした態度を保つ。
一方のリンは、すでに状況を察した様子だった。
微動だにせず、静かに成り行きを見守っている。
「本来であれば――本日の鑑定は、プラチナ鑑定士であり、商会ギルド本部長でもあるドルマン・ゴードヴェールが担当する予定でございました」
その名を改めて耳にした瞬間、やはり、と言わんばかりに、アルマの肩がわずかに跳ねる。
「しかしながら、現在本部長は不在となっておりまして……。僭越ながら、代わりに私、ソール・イシュタットが対応させていただければと存じます」
再び深く頭を下げ、言葉を続ける。
「このような形となってしまい、誠に申し訳ございませんが……いかがでしょうか?」
すべてを理解したアルマは、反射的に背後へと視線を向け、リンの反応を確かめるのだった。
(リン……っ! まさか、プラチナ鑑定士の本部長に依頼しようとしてたの!?)
視線を受けても、リンは動じない。
当然の手配です、とでも言うように静かに目を閉じ、その表情を崩さない。
侯爵家令嬢であるアルマに相応しい鑑定士を――
リンがそう考えた結果が、商会ギルド本部長、プラチナ鑑定士ドルマン・ゴードヴェールだった。
結果として本人不在のため叶わなかったものの、代わりにゴールドランク鑑定士が付いた。
その事実に、リンは一応の納得をしていた。
――もっとも。
彼女自身も、どこか「やりすぎた」という自覚はある。
アルマが鑑定を依頼した品は、主人の友人とはいえ、庶民、それも孤児出身のユティナが作ったものだ。
霊薬士ですらない少女が調合したポーションとエーテル。
結果がどうなるかなど、ある程度は想像がついている。
それでも――
アルマに付ける鑑定士の格だけは、どうしても妥協できなかった。
主人が軽んじられることだけは、決してあってはならない。
その一点だけが、リンの判断を押し通させたのだ。
だからこそ今、リンの胸中には別の不安が渦巻いていた。
鑑定そのものではない。
その結果が、アルマに恥をかかせるものにならないか――ただ、それだけが気がかりだった。
(どうか……)
表情には一切出さず、リンは静かに祈る。
これから明かされる鑑定結果が、主人の誇りを損なうものではないことを。
そんな水面下のやり取りなど知る由もなく、ソールは二人の様子を静かに観察していたが、やがて意を決したように口を開いた。
「あの……それでは、鑑定の方は私が務めさせていただいても、よろしいでしょうか?」
どこか探るような声音。
アルマは一瞬たりとも迷いを見せず、穏やかな微笑みを浮かべたまま答える。
「ええ。お願いいたします」
その表情は柔らかさを湛えつつも、芯の通った凛としたものだった。
紛れもなく、名門侯爵家の令嬢に相応しい佇まいである。
「かしこまりました」
ソールはそう告げると、改めて深く一礼した。
「それでは、シェルフィード様より承った鑑定依頼――
このソール・イシュタットが、責任をもってお引き受けいたします」
その言葉を合図に、ゴールド鑑定士ソール・イシュタットによる鑑定が、いま幕を開けようとしていた。




