第19話 謎アイテム
レディア聖院女学園は完全寮制の学園であり、初等部から高等部まで、すべての生徒が学園寮で生活している。
寮の各部屋は完全個室となっているため、学園寮の敷地と建物の規模は非常に大きい。
居住用の個室とは別に、広々とした食堂や談話室、シャワー室などの共用施設も充実しており、生活面で不自由を感じることはほとんどない。
さらに特筆すべき点として、各部屋には個別の浴室まで備え付けられており、一般的な学生寮では考えられないほど贅沢な設備を誇っていた。
そんな学園寮は、大きく分けて三つの区画に分類されている。
ひとつは貴族の生徒たちが暮らす貴族寮。
ひとつは、それ以外の生徒――いわゆる庶民階級の生徒が暮らす一般寮。
そしてもうひとつが、貴族生徒に付き従う専属メイドたちのための給仕寮である。
貴族の多くが個人メイドを伴って入学するため、給仕寮もまた一つの独立した生活区画として整えられていた。
また、学生寮の隣には学園関係者や教員が暮らす居住区、さらには外部からの来賓が滞在するための客室を備えた学園迎賓居住施設――聖凛館が併設されている。
そんな壮麗な学園寮、その中でも貴族寮の一室。
部屋の中央に置かれたテーブルの上に並ぶ品々を見つめ、静かにうなずく少女が一人いた。
――アルマである。
そんなアルマに、静かな声が掛けられた。
凛として澄んだその声は、不思議と耳に心地よく、自然と胸に落ちてくる。
「お嬢様。そんなに悩まれて……どうかなさいましたか?」
声の主に呼ばれ、アルマは振り向く。
そこに立っていたのは、黒く艶やかな長い髪をなびかせ、澄んだ黒曜の瞳で彼女を見つめるメイド姿の女性だった。
「あ、リン。実は……」
困ったように言葉を濁すアルマを、リンは小首を傾げて見つめる。
リン・ミマサカ――アルマの専属メイドであり、彼女が物心ついた頃から常に側に仕えてきた存在だ。
年齢はアルマより五つ上の十八歳。幼い頃から彼女の成長を見守り続けてきた。
幼少期のアルマは、年齢に似合わぬ落ち着きを持ち、魔法の才能も剣術の腕も同年代の子どもたちを遥かに凌いでいた。
リンはそんなアルマを、ただの主人としてではなく、尊敬し、時には姉のような気持ちで支え、見守ってきた。
彼女にとってアルマは、仕えるべき主であると同時に、かけがえのない大切な存在でもあった。
リンはアルマの返事を待つことなく、静かに彼女の側へと歩み寄る。
そして、自然な仕草でテーブルの上へと視線を落とした。
そこには、液体の入った小瓶が並べられていた。
赤色の液体が入った瓶が三本。
そして、紫色の液体が入った瓶も三本。
「あの……お嬢様。こちらは?」
控えめに問いかけるリンに、アルマは少し気まずそうに視線を逸らす。
「えっと……ユティから貰ったんだけど……」
そう前置きすると、アルマはゆっくりと、これまでに起きた出来事の経緯をリンに語り始めた。
それは、ほんの数分前の出来事だった。
リンが所用で部屋を空けていた、そのわずかな時間。
静かな室内に、控えめなノックの音が響いた。
アルマが扉へ向かい、そっと開けると、そこには何やら袋を抱えたユティナが立っていた。
「あ、ユティ。どうしたの?」
不思議そうに問いかけるアルマに、ユティナはわずかに視線を彷徨わせた。
「……この前は、ありがとう」
「この前……?」
アルマは首を傾げ、思い当たる節を探す。
「えっと……ほら、前にポーションとエーテルを分けてもらったでしょ? それで……自分で作ってみたから、お返しに持ってきたんだけど……」
その言葉を聞いた瞬間、アルマの思考が一拍遅れた。
返しに来た、という部分は分かる。だが――“作った”?
「あー……と、とりあえずポーションとエーテルを持ってきてくれたんだね。そんなに気を遣わなくてもよかったのに」
アルマは、深く考えないことにした。
これ以上踏み込めば、ユティナの言葉に混乱させられる――そんな予感がしたからだ。
「でも、ポーションとエーテルって高価でしょ? さすがに貰いっぱなしは悪いと思って……。って言っても、私じゃなかなか買えないし。だから自分で作ったの。でも、私が作れるのは低レベルのポーションだから、そんなに効果はないかもだけど……」
そう言いながら、ユティナは少し自信なさげに袋を差し出す。
アルマはそれを受け取り、どこか庇うように首を横に振った。
「ううん。ありがとう」
そして、どうしても気になっていた疑問を、慎重に口にする。
「ねぇ……ユティ。さっき、“作った”って言ってたけど……」
まるで触れてはいけない話題に触れるかのような、探るような問いかけだった。
「あ、うん。そうだよ。効果があまり高くないポーションとかエーテルなら、私、簡単に作れるんだ」
あまりにも屈託のない笑顔。
その表情に、アルマは戸惑いを隠せないまま、曖昧にうなずく。
「そ、そうなんだ……」
「じゃ、私はもう行くね?」
「あ、うん……」
そう言い残し、ユティナは軽やかにその場を去っていった。
一人残されたアルマは、手にした袋の口をそっと開き、中身を確かめる。
中には、赤色の液体が入った小瓶が三本。
そして、紫色の液体が入った小瓶が三本。
「えっと……これが、ポーションとエーテル……?」
そう。
これが、リンが部屋に戻ってくる少し前に起きた、一連の出来事だった。
「……それで、これをユティナ様が作られた、と」
リンは赤色の液体が満たされた小瓶を手に取り、光にかざすようにして眺めた。
その視線には、完全には信じきれない――そんな半信半疑の色が滲んでいる。
「正直に申し上げて……信じ難いですね。ポーションやエーテルを“作る”など。それに、この色……」
言葉そのものは淡々としていたが、そこには感情的な否定ではなく、状況を冷静に分析した上での疑念があった。
そもそも、ポーションやエーテルといった回復系アイテムは、限られた手段でしか入手できない。
ひとつは、ダンジョンからの発見品。こちらは効果が高い反面、入手難度が非常に高く、当然ながら市場に出回る数も少ない為、価格は跳ね上がる。
そして、もうひとつが霊薬士と呼ばれる専門職による製作品だ。
だが、霊薬士が作るアイテムも決して容易なものではない。
複数の材料を、適正な分量と配分で調合し、そこへ繊細な魔力制御を施す――まさに職人技とも言える工程を必要とする。
そのため、流通品であっても価格は高く、誰もが気軽に扱えるものではなかった。
アルマもまた聖女候補として、いずれは回復系アイテムの製作を学ぶ立場にある。
だが、中等部の段階では、聖草学などを通じて基礎知識を学ぶのみで、実際の製作に踏み込むのは高等部からだ。
つまり――ユティナがポーションやエーテルを作ったという話は、一般の常識から考えても、どうしても現実味に欠ける。
そして、何より決定的なのは――
リンは、テーブルに並べられた瓶にも視線を移した。
赤色の液体。
紫色の液体。
「本来、ポーションは緑。エーテルは青……それが常識です」
静かに告げられたその言葉は、現状の異常性をはっきりと浮かび上がらせていた。
どう見ても、リンの知るどのアイテムとも一致しない。
「それで、お嬢様。こちらの二種……どちらがポーションで、どちらがエーテルなのでしょうか?」
その問いに、アルマは思わず言葉に詰まり、困ったように眉を下げた。
「それが……分からなくて。ユティからそのまま受け取っちゃって……。まさか、こんな色だなんて思わなくて……」
リンは小さく息を吐き、再び瓶へと視線を落とす。
「……そうですか」
一拍置いて、結論を告げる。
「これは、専門の鑑定に出した方がよろしいでしょうね」
その声音は静かだったが、それが“ただ事ではない”という判断であることは、アルマにもはっきりと伝わっていた。
「……そうした方がいいのは、分かってるんだけど……」
アルマは視線を伏せ、気まずそうに言葉を選んだ。
「せっかくユティから貰ったものを、鑑定に出すのは……ちょっと……」
それは、親友からの贈り物を疑う行為に他ならない。
ユティナのことを信用していない――そう受け取られかねない行動を、アルマはしたくなかった。
頭では分かっている。鑑定が必要だということも、未知のアイテムを不用意に扱う危険性も。
それでも、感情がそれを拒んでいた。
「お嬢様……」
リンもまた、アルマの葛藤を理解しているからこそ、困ったように目を伏せる。
だが、彼女には譲れない一線があった。得体の知れない物を、アルマに使わせるわけにはいかない。
主の身を守るためにも、この謎のアイテムは必ず鑑定を受けるべきだった。
しばし、部屋に沈黙が落ちる。
互いに言葉を探す、その静寂を破ったのは――アルマだった。
彼女は顔を上げ、迷いを振り切るように背筋を伸ばす。
その声音は、先ほどまでの揺らぎを失い、はっきりとしたものへと変わっていた。
「リン。これらを鑑定に出します。すぐに手配を」
それは一学生の言葉ではなく、侯爵家令嬢として下す、明確な判断だった。
「……よろしいのですか?」
リンが確認するように問いかける。
「本当はしたくはないんだけどね」
アルマは小さく息を吐き、正直な気持ちを口にする。
「でも、どちらがポーションで、どちらがエーテルなのかは把握しておかないと困るもの。それに……本物かどうかは、ついでかな」
その言葉に、リンはこれ以上の異議を唱えなかった。
主人であるアルマが下した判断ならば、自分はそれに従うのみ。
「かしこまりました。すぐに手配いたします。日程はいかがなさいますか?」
「できるだけ早く。それと……鑑定には私も立ち会います」
「承知いたしました」
即座に応じると、リンは頭の中で手順を組み立てる。
「それでは本日中に。すぐに聖都への馬車を手配し、商会ギルドへ連絡を入れます」
「お願いします」
アルマは、それが可能かどうかを問わなかった。
リンなら必ず成し遂げる――その確信があったからだ。
それほどまでに、リンはアルマにとって信頼のおける存在だった。
「外出届けはこちらで済ませます。お嬢様は外出のご準備を。すぐに控えのメイドを呼びますので」
「分かりました」
こうしてアルマは、ユティナから渡されたポーションとエーテル――
その正体を確かめるため、聖都ルミディアへ向かうこととなった。




