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落ちこぼれ聖女候補に転生した魔王は静かな隠居暮らしを目指す~今度こそブラックな人生はごめんです!~  作者: あんずのかおり


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第18話 マリー

保健室。


静まり返った室内の一角、白いカーテンに囲まれたベッドに、一人の女生徒が静かに横たわっていた。


金色の巻き髪が枕に広がり、その少女――マリアベルはまだ眠っているように見えた。


そんな彼女を、そっと覗き込む影がひとつ。


ユティナ・ハーリットである。


その右手には、細長い“何か”――どう見てもペンが握られていた。


そして顔は、いたずらを思いついた子どものようにニヤニヤしている。


ペン先がマリアベルの頬に触れかけた、その瞬間――


パチリ。


マリアベルの瞼が突然開いた。


「あ、アマゾネス起きたんだ……」


少し気まずそうな声と同時に、視界いっぱいにユティナの顔。マリアベルは瞬きをしてから、眉をひそめた。


妙に前屈みな姿勢。不自然に肩が揺れて――右手には、ペン。


「……貴女、今から何をしようとしていましたの?」


ジト目を向けるマリアベル。

少女——ユティナは視線を逸らし、薄ら笑いを浮かべた。


「あ、あはは……取れてたお化粧を直そうかなって……てへっ!」


「嘘おっしゃい!落書きしようとしていたでしょう!?」


「ち、違うよ! 落書きの“続き”をしようとしてただけだし!」


「してたのですわね!?」


マリアベルは枕元の手鏡を掴み、自身の顔を映す。そこには猫のヒゲ、ぐるぐる頬、額には“アマゾネス”の文字——完璧なまでの落書き。


「なっ、な、な、なんでございますのこれはぁぁっ!?」


叫びつつ、マリアベルはユティナの制服で顔をゴシゴシ。


「ちょ、ちょっとぉぉ! 何すんのよ!?」


「それはこちらの台詞ですわ!」


二人はしばし取っ組み合い、やがて疲れ果ててベッドに倒れ込む。


「……ここ、保健室ですの?」


「そうだよ。模擬戦のあと、ふたりとも倒れて運ばれたんだよ」


ユティナの説明にマリアベルは静かに胸元へ触れる。

傷は無い。


だが、剣に切り裂かれた感覚だけは確かに残っていた。


「……私、貴女に負けたのね」


ユティナは勝ち誇ったように笑う。


「ふっふっふ……私に負けた気分はどうかな、アマゾネス君?」


「マリアベルですわよ。……悪くなくてよ」


「えっ!?」


ぽかんとするユティナの顔が妙に気に障る。


「や、やめなさいそのキモい顔!」


「だってさ、あんたがそんなこと言うなんて……明日は槍でも降るの?」


「あなたね……もういいですわ。本当に、悪くありませんの」


ふっと笑ったマリアベルの横顔に、ユティナは驚きつつも見入ってしまう。


マリアベルは起き上がり、小さく息を吸うと真剣な眼差しで言った。


「……私、貴女のこと、本当に嫌いでしたの」


ユティナは黙って聞く。


「才能も魔力もないのに、がむしゃらに努力するその姿が……嫌いでしたわ。羨ましくて、腹立たしくて。私はいつの間にか、諦めていたのに……」


言葉が震える。マリアベルの瞳が潤む。


「どれだけ努力しても、どれほど認められたくても……誰も、私をちゃんと見てはくれなかった。苦しくて、怖くて……」


言葉が途切れ、呼吸が揺れた。


「だから私は、自分を守るように目をそらしましたの。侯爵家の名に惹かれて近づいてきた者たちをそばに置いて……“本当の自分”を見ないようにした。そうすれば、諦めた自分と向き合わずに済むと思ったから……」


そこまで言うと、マリアベルの睫毛を涙がそっと濡らす。


次の瞬間、ぽすん、と音がしてマリアベルの身体がユティナの胸元に抱き寄せられた。


「なっ…… !? ハ、ハーリットさん!?」


ユティナはそっとマリアベルを抱きしめ、その体をぎゅっと強く包み込んだ。


「……ここまで、本当によく頑張ったね。認めてもらえないって、すごく苦しいよね。でもね、私は知ってるよ? マリーが、誰にも見られていない場所で、誰よりも努力していたこと。だから、すごいよ。マリーは――きっと聖女になれる」


ユティナの脳裏に、あの夜の記憶がよみがえる。


落ちこぼれと言われ、自分の無力さに打ちひしがれていた頃。


夜風に当たって気持ちを落ち着けようと、学園の外庭を歩いていたとき――月明かりの下で、ひとり黙々と魔法の練習を続ける少女の姿を見た。


それは、マリアベルだった。


総合評価A、誰もが羨む才女。

そんな彼女が、夜遅くまで息を切らし、泥だらけになりながら練習をしている――その光景は、ユティナに衝撃と勇気を与えた。


(あぁ、この人も努力しているんだ。なら、私も――まだ諦めちゃいけない)


そう思えたから、今日まで戦ってこられた。


「マリーが頑張ってるところ、私……ちゃんと知ってたよ。だから私も、頑張れたんだ。私がここに立ってるのは、マリーのおかげなんだよ」


その言葉が、静かに、しかし確かにマリアベルの胸の奥へ届く。


「……あっ……う、うあぁぁぁぁ……っ!」


堰を切ったように涙があふれ、マリアベルはユティナの胸元に顔をうずめて泣きじゃくった。


長く張りつめていた糸がぷつりと切れたように、嗚咽混じりの声が震える空気を揺らす。


ユティナは何も言わず、ただ優しく、温かくその小さな背中を抱きしめ続けた。


しばらくして涙も止まり、ユティナの腕の中で呼吸を整えたマリアベルは、ふと自分の置かれている状況に気づいた。


頬が一気に熱を帯び、慌ててユティナの胸から飛び退く。


「ち、ちがっ……こ、これはその、違いますわ!」


ユティナは抱きしめていた格好のまま、にへらっと笑った。


「おやおや〜? これはもしや、照れておりますなぁ、マリーさん?」


「そ、そんなわけありませんでしょう!?」


「え〜? じゃあもう一回おいで〜。ほれほれ〜」


ユティナは手首をくいくいと曲げて手招きする。


「だ、誰が行きますのよっ!」


「え〜、ツンデレかよ〜。でもマリーって意外と柔らかくて抱き心地いいんだよねぇ。特にここがさ〜、おっきいからかなぁ?」


そう言うと、ユティナは両手で自分の胸をモミモミと触りながら不思議な顔をする。


「なっななな……ッッ!? な、なに言ってるんですのあなたはぁぁぁ!?」


マリアベルの声が裏返り、耳まで真っ赤に染まる。


それでもユティナは悪びれることなく、さらに腕を広げて誘惑してくる。


その姿は――もはや少女ではなく、ただの酔っ払い親父である。


「ほらほら〜、遠慮すんなって。おいでおいで〜」


「ひっ!? そ、それより! さっきから“マリー”って何ですの!? わ、私には“マリアベル”という立派な名前が――」


「え? いやぁ、呼びやすいほうがいいかなってさ。それに、あんな雰囲気で『アマゾネス』は流石に空気読めないでしょ?」


「やはり、今までわざとそう呼んでいたのですね……」


マリアベルの目が細くなる。ユティナはケラケラ笑いながら続けた。


「じゃあ、アマゾンのほうが良かった?」


「もはや名前ですらありませんわ!?」


「ははっ、細かいなぁ。注文の多い料理店かよ〜」


「あなたって人は……! もういいですわ。マリーで結構ですの!」


「じゃ、私のことはユティナって呼んでよ」


「はぁっ!?」


「だってさー、マリーだけが私のことファミリーネームで呼ぶんだもん。他のみんなはファーストネームなのに……」


ユティナはほっぺをぷくっと膨らませ、不満を隠さない。


「そ、それは……っ。うぅ……」


マリアベルはもじもじと指を絡め、顔を赤くしながら視線を逸らした。


「……わ、分かりましたわよ。ユ……ユティナ、さん……」


最後の“さん”がやけに控えめで、ユティナの耳にくすぐったく響いた。


「へへ〜♪」


自分の名を口にされ、ユティナは嬉しそうに笑う。


(マリー…ですか…)


マリアベルの心の奥にふと懐かしい記憶が浮かぶ。


(そういえば昔、お姉様も私をマリーと呼んでくれていた……今はもう……)


ほんの一瞬、マリアベルの瞳に陰が差した。


けれど、すぐにその陰を押し隠すように、彼女はいつもの気丈な微笑を浮かべた。


そして、マリアベルはふっと息を吸い込み、ユティナに正面から向き直り、深々と頭を下げた。


「……今まで、本当にごめんなさい。わたくし、貴女にたくさん酷いことを——」


「まぁ、人間だし、そういうこともあるよね」


あっさりと返され、マリアベルは固まった。


「な、なにを軽く言っていますの!? 私がどれほど——」


「え、ひどいこと? うーん……絡まれるのは鬱陶しかったけど、別に物燃やされたり、リンチされたり、騙されてお金取られたりしたわけでもないし?」


サラリと言い放つユティナ。マリアベルの肩が引き攣る。


「そ、それはもう犯罪の域ではなくて!?」


(……魔王時代は日常茶飯事だったんだよねー。特に人間にやられてたんだよねー。よく共存とか言えたな私……)


ユティナは肩を竦めて笑った。


「だからさ、そんな深刻になるなって感じ? もういいよ、マリー」


「ユティナさん……」


マリアベルの瞳にまた涙の膜が浮かびかけた、その瞬間。


「――あ、でもさ。約束通り、毎月のお金はちゃんと払ってね?」


「……………………」


保健室に、静寂と虚無が流れる。


「今の流れでそれを言いますの!? あなた、悪魔ですの!?」


「んー? ある意味間違ってないかもね〜」


にひっと笑うユティナを前に、マリアベルは頭を抱えた。


けれど――その顔には、もう以前のような憎しみはなかった。


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