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落ちこぼれ聖女候補に転生した魔王は静かな隠居暮らしを目指す~今度こそブラックな人生はごめんです!~  作者: あんずのかおり


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第17話 マリアベル・ランカスター

ヴォルディス帝国──その中心、帝都アヴァンツァの貴族街の一角に、白大理石と青い屋根瓦が美しい広大な屋敷が建っている。


そこは帝国内でも五本指に入る大貴族、ランカスター公爵家の居館である。


煌びやかなシャンデリアと赤絨毯が敷かれた広間、手入れの行き届いた庭園、優雅に響く楽の音──そのすべてが、豪奢という言葉を体現していた。


その家の次女として生まれたのが、マリアベル・ランカスターだった。


マリアベルは幼い頃から魔力を持っていることが判明し、本来であれば一族の期待を一身に背負ってもおかしくなかった。

しかし、現実は違った。なぜなら、彼女の四歳年上の姉──ヴィクトリア・ランカスターが、既に並外れた魔力量と魔法の才を示していたからだ。


両親、親族、家庭教師、使用人たちの視線は、いつも姉ヴィクトリアに向けられていた。


「さすがは公爵家の長女様」「帝都魔法学園でも頂点に立たれるだろう」そんな言葉が屋敷のあちこちで囁かれ、マリアベルはその横でただ静かに微笑むしかなかった。


貴族社会では、魔力を持つ者は珍しくない。むしろ当たり前と言ってよかった。貴族たちは自家の権勢を守り拡大するため、魔力を持つ女性を正妻、妾、時に政略の道具として迎え入れる。結果、魔力を持つ者は庶民には殆どおらず、貴族間のみで濃密に受け継がれていく。


──魔力とは権力であり、富であり、誇りでもあった。


そんな世界で、マリアベルもまた魔力を持って生まれた。

しかし、彼女が抱いたのは誇りよりも、憧れだった。光のように輝く姉ヴィクトリアの後ろ姿。

振り向いてもらえなくても、褒めてもらえなくても、マリアベルは姉の背中を見つめ続けていた。


(いつか、私も──あの人の隣に立てるように)


幼心ながら、そう願って。

マリアベルが六歳を迎える年の、春を待つ頃―― ランカスター公爵邸に、ひとつの大きな知らせがもたらされた。


姉ヴィクトリア・ランカスターが、聖王国レディアへ留学し、聖女になる為の狭き登竜門である名門「レディア聖院女学園」へ入学することになったのだ。


聖女とは、帝国にとってもただの宗教的象徴ではない。


帝都や各領地に蔓延する瘴気の浄化、魔物の討伐・鎮静、街を護る結界の維持、そして治癒魔法による医療補助——そのすべてを担う国家の柱。

数も少なく、故に価値は絶大。

宮廷に仕える聖女、あるいは「大聖女」と呼ばれる存在ともなれば、国の政治にまで影響を与える力を持つ。


ゆえに、聖女を輩出することは、一族にとってこの上ない名誉であった。


──当然、ランカスター公爵家は歓喜に包まれた。


家令は祝宴の準備に奔走し、母は涙ながらに娘の晴れ姿のためドレスを縫わせ、父は「我が家の誇りだ」と何度も繰り返していた。


その中心にいるヴィクトリアだけが、ただ静かだった。


陽光を受けるたびに柔らかく輝く金の長髪。凛と整った横顔に、深い森と夜の湖を思わせる緑の瞳。


十歳にして完成された美しさを湛える彼女は、誰もが羨望の眼差しを向ける中、喜びも誇りも見せず、感情の波ひとつ立てない表情を保ち続けていた。


幼いマリアベルは、胸を高鳴らせながら姉の前に駆け寄った。


「ヴィクトリアお姉様! 本当にレディア聖院女学園へ行かれるのですね!?  やっぱりお姉様はすごいですわ! わたしも……わたしも、いつか聖女になって、お姉様と一緒に帝国をお守りしますの! だから──」


希望に満ちた声。

しかし、それを遮ったのは、氷のように冷たい一言だった。


「──貴女はやめなさい」


ぱしりと冷水を浴びせられたようだった。


同じ色をした緑の瞳。

しかしその奥は、雪のように冷たく、感情の色を含んでいない。


マリアベルは思わず言葉を止めた。


「どうして?」と問い返そうとしたけれど、声にならなかった。


ヴィクトリアは続けなかった。

理由も、優しい言葉もなく、ただ短く吐き捨てると、ドレスの裾を翻し、長い金髪を揺らしながらマリアベルの前から離れていった。


残されたのは、幼い少女の胸に、形を成さない痛みだけ。


それでもマリアベルは泣かなかった。

姉の背を見送るその瞳には、涙の代わりに、ほんの小さな決意の光が宿っていた。


──いつか、追いついてみせます。


たとえ何度拒まれても。


お姉様の隣に立てるようになるその日まで。


ヴィクトリアが聖王国レディアの「聖院女学園」に入学してから、ランカスター公爵家の屋敷は以前より静かになった。


それでもマリアベルの目には、姉の残した影が至るところに残っているように映った。


──いつか私も、あの人の隣に立ちたい。


その一心で、マリアベルは幼い頃から勉学・魔法・礼儀作法のすべてに励み続けた。


遊び盛りの年頃に舞踏や祈祷の訓練を望む子どもなど珍しく、教師たちは口を揃えて「努力だけなら姉君以上かもしれません」と噂した。


時折、聖院から姉ヴィクトリアの功績や噂が伝わってきた。


──中等部で魔力量Bランク

──史上最年少で総合評価Sを取得

──聖女候補生でも、すでに聖女扱い


マリアベルはそれらを聞くたび胸を躍らせた。


姉が夢に近づく姿は、自分の未来への希望でもあったからだ。


そして、マリアベルが十歳になった年──ついに彼女自身も、レディア聖院女学園への入学を正式に許可された。


「お父様、私もレディア聖院女学園に入学いたしますわ!」


伯爵家の執務室に、マリアベルの弾んだ声が響く。


重厚な机と椅子。


そこに座していた父オルヴァ・ランカスターは、ブラウンの髪に深い緑の瞳、整えられた口髭が威厳を感じさせる人物。


その隣には、黄金の髪と澄んだ青い瞳をもつ母ミレア・ランカスターが静かに立っていた。


しかし、マリアベルの宣言を聞いたオルヴァの表情は明らかに険しかった。


「……お前は聖女にならなくていい」


「ど、どうしてですの!? もし私が聖女になれば、この家から二人の聖女が輩出されたことになりますわ! それは家の名誉にもつながりますし、他の貴族たちにだって──」


「そんなことは分かっている!」


ドン、と机を叩く音が室内に鋭く響き、マリアベルの肩がびくりと震えた。


「ならば、なぜお許しにならないのですか……?」


「……お前が知る必要はない」


「そ、そんなの納得できませんわ!」


「お前はただ、私の言うことだけ聞いていればいいのだ!」


怒号と共にオルヴァの声が再び響き、空気が張り詰める。


──そして父は、低く呟いた。


「……まったく、ヴィクトリアとのあの約束さえなければ……」


(や、約束……? お姉様と一体、何の──?)


それでもマリアベルは一歩も退かないまま、震える声で口を開こうとした、その時。


「まあ、いいじゃありませんの」


静かに、しかし確かな声でミレアが言葉を挟んだ。


「お母様……?」


「おい、ミレア、何を言って──」


ミレアは夫の耳元へそっと顔を寄せ、囁くように言う。


「落ち着いて、オルヴァ。ヴィクトリアとの約束は、“マリアベルを聖女にしないこと”。学園に入学するだけでは聖女にはなれませんわ。あの子は魔力こそありますけれど、他は凡庸……いいえ、それ以下の出来でございますもの。聖女になれるはずがありません」


「……確かに、そうかもしれんが」


なおもどこか腑に落ちない様子で、オルヴァは渋い表情を浮かべる。


だがミレアは、そんな反応など意に介さず、静かに言葉を重ねた。


「それに、名門中の名門であるレディア聖院女学園に入学できるだけでも十分ですわ。入学そのものが、貴族としての格を更に引き上げる要因になります。そうなれば、良縁にも恵まれるでしょう。我がランカスター家は、帝国でも五本の指に数えられる大貴族。皇后はさすがに難しくとも、王家に連なる方との縁談が持ち上がっても、決して不思議ではありません。もしそうなれば――我が家の内政における発言力も、いっそう強まりますわ」


オルヴァは腕を組み、しばし沈黙する。重たい思考の時間ののち──


「……分かった。マリアベル。お前の意志を、認めよう」


「ほ、本当ですの!? お父様!」


その一言に、マリアベルの表情がぱっと花開く。


――これで、ようやく姉に近づける。

そう心から信じ、胸に小さな希望を抱いたのだった。


「学園でしっかり研鑽を積むのだ。それが我が家の名にも繋がる」


こうして、マリアベルの入学は正式に決まった


──だが、マリアベルはひとつだけ秘密にしていた。

姉ヴィクトリアにだけは知らせず、学園で再会して驚かせようと計画していたのだ。



入学初日。


初等部の制服である紺の修道服に袖を通し、白亜の聖堂と古城のような学園を前に、胸を高鳴らせていたマリアベル。


広々とした中庭に足を踏み入れたその時──彼女は、ひとつの人影を見つけた。


「お姉様──! お久しぶりです!」


陽光を受けて輝く金髪。

あの日と変わらぬ凛とした背筋。

マリアベルは迷いなく駆け寄った。

再会の喜びに満ちたその笑顔は、子どもの頃と同じ、純粋な憧れに染まっていた。


だが──


「……っ!? あなた、どうしてここにいるの?」


振り向いたヴィクトリアの瞳は驚愕に染まり、ほんの一瞬、恐れの色さえ宿っていた。


「私、ずっとお姉様を追いかけて努力しましたの! 今日からこの学園の生徒です。だから、また一緒に──」


嬉しそうに語るマリアベル。しかし、その言葉が終わるより早く。


「あなた……自分が何をしようとしているのか分かっているの!?」


初めて浴びる姉の大声に、マリアベルの足が止まる。


「お、お姉様……?」


「マリアベル。あなたに聖女は相応しくないわ。今すぐこの学園を去りなさい!」


それだけを吐き捨て、ヴィクトリアは冷ややかに背を向けた。


金色の髪が風に揺れ、その姿は迷いなく遠ざかっていく。


マリアベルの声は、喉の奥で固まり言葉にならない。


(どうして……? 私、ただお姉様の隣に──)


その日、胸の奥がヒリつくように痛んだ。


しかし涙はこぼさなかった。代わりに、小さな拳をぎゅっと握る。


(いいえ……きっといつか分かってくださるわ。お姉様と同じように総合評価Sを取れば……魔力量だって、同じ血を引いているのだから、すぐにBランクになれますもの!)


そう自分に言い聞かせ、マリアベルは強く思う。


──どうか、私の努力が報われますように。


──姉に、笑って「よくやった」と言ってもらえますように。


誰に届くとも分からぬ思いが、静かに消えていった。


聖院女学園に入学してからのマリアベルは、ひたむきに努力を続けた。


眠る時間すら削って研鑽を積み、ついには初等部のうちに総合評価Aを獲得するまでに至った。


(これなら……お姉様に、少しは近づけましたわ)


胸を高鳴らせて結果発表の日を迎えたマリアベルに、担任は穏やかな笑みを向けた。


「今回もよく頑張りましたね。マリアベルさん。学年二位です」


――二位。


その一言が、胸の奥を冷たく貫いた。


(また……二位……)


彼女は何度も高評価を取った。

しかし、ただの一度たりとも学年一位になれなかった。


理由はいつも一人。


「すごいですね、アルマさん。今回も学年一位。総合評価はAですが……Sに届きそうなほど優秀でしたよ」


「ありがとうございます……」


アルマ・シェルフィード。


栗色の髪を揺らしながらも、どこか控えめな佇まいを崩さない少女。

しかし、その瞳には揺るがぬ意志が宿っていた。

派手に自分を誇示することも、誰かを押しのけて前へ出ることもない。

ただ静かに、自分の信じた努力を積み重ねていく。


――それだけで、彼女はいつの間にか、マリアベルの遥か先を歩いていたのだ。


努力しても、追いつけない壁。


それでも諦めず、焦りを抱えたまま走り続けていた初等部二年の春。


ひとりの転入生が現れた。


ユティナ・ハーリット――孤児院で育った彼女は、希少な魔力を持っていることが判明し、途中から学園へ転入してきた。


その姿を初めて見たとき、マリアベルは特に興味も関心も抱かなかった。

自分とは何の関わりもない、ただの庶民出身の少女にすぎないと、そう思っていたのだ。


そして、気づけば彼女は毎回、総合評価Fを取る“落ちこぼれ聖女候補”と呼ばれていた。


それでも彼女は、顔を伏せなかった。

泣き言も言わなかった。

毎朝誰より早く訓練場に立ち、何度失敗しても前を向き続けた。


――諦めることを知らない少女。


(……すごい、わ)


最初はただの尊敬だった。

自分とは違う強さ。

自分が捨てかけていたもの。

けれど、やがてそれは胸の奥をざらつかせる“痛み”へと変わっていく。


評価は上がらない。

姉には振り向かれない。

アルマには追いつけない。

そんな諦めた中で――必死に泥にまみれながら、前だけを見て走り続ける落ちこぼれ。


(どうして? どうして貴女は諦めないの? どうして出来もしないのに笑っていられるの? 見たくないのよ。私の惨めさを、貴女に映されたくないの……!)


焦燥と嫉妬と自己嫌悪が混ざり合い、マリアベルはユティナにきつく当たり始めた。

嫌味、嘲笑、時に怒鳴りつけ――それでもユティナは泣かない。

ただ曇りのない目で、マリアベルを見つめ続けた。


――逃げているのは、どちら?


その視線が突きつけてくる現実が、怖かった。


(……もう、疲れたわ。どうして、こんなにも苦しいの? お姉様に褒めてほしかっただけなのに。違う、本当はもう誰でもよかった。誰かひとりでいい、「頑張ったね」と、そう言ってほしかっただけなのに。なのに、誰も私を見てくれない。努力しても、泣いても、叫んでも……何も届かない。私の声は、世界にとってそんなにも価値がないの?だったら……私がここにいる意味なんて、最初からなかったのかしら。)


思考は音もなく崩れ、心は深い底のない闇へと沈み込んでいく。


もう光は届かない――そう確信してしまいそうなほどに、冷たく、静かな絶望だけが残っていた。



――パチリ、と瞼が持ち上がる。


ぼんやりと視界に映るのは見知らぬ天井……ではなく、こちらを覗き込む少女の顔だった。

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